はじめての同僚と、三度目の偽物
マルタさんの店の朝は、水の音で始まった。
夜明けとともに店の前を掃いて、水を打つ。棚の薬草は日の当たらない順に並べ替えて、量り売りの秤を拭いて、釣り銭の鉄貨を数える。オスカルさんの店と、手順がほとんど同じだった。姉弟子と弟弟子というのは、店の朝まで似るらしい。
「おい、おまえ!」
振り向くと、俺と同じくらいの背の男の子が、箒を肩に担いで立っていた。そばかすと、負けん気の強そうな眉。
「おれはハンス、十一歳。この店の一番弟子だ。……言っとくけど、水打ちには順番があるんだからな。勝手にやるなよ」
「ごめん。もう終わった」
「は?」
ハンスは店先を見て、打たれた水を見て、それからすごく嫌そうな顔をした。
「……次は、おれより早く起きるなよ」
一番弟子は、なかなか忙しい生き物らしい。
*
午前のうちに、商会からの荷が届いた。
麻袋に詰まった乾燥薬草を、種類ごとに検めて、棚に納める。ハンスが袋の口を開けるたび、店の中の匂いがひとつずつ増えていく。
「おまえ手ぇ動かせよ。この束、全部ハクハ草だからな」
「わかった」
束を受け取って、根元を見て、匂いを嗅いで、棚に納める。受け取って、見て、嗅いで、納める。オスカルさんの店で何百回もやった手つきだった。指が覚えているから、頭は別のことを考えていられる。
ハンスは袋の口を開けながら、しゃべり通しだった。この店の常連のこと、隣の店の親父が客を横取りすること、マルタさんの機嫌の見分け方。相槌を打っているうちに、棚がひとつ、またひとつと埋まっていく。
——三束目で、手が止まった。
匂いが、違う。
裏返して、根元を見る。切り口。葉の縁。それから、鼻に近づける。かすかに、甘い。
「ハンス。これ、ヨシバ草だ」
「はあ? 商会の荷だぞ。ちゃんとハクハ草って荷札が——」
言いながら覗き込んだハンスが、途中で黙った。俺の手元と、自分の納めた束を三回見比べて、それから慌てて棚の束を全部下ろし始めた。
それから二人で、もう納めた分も棚から下ろして、床に並べ直した。ハンスが束をよこして、俺が見て、白いのと甘いのに分ける。背中に汗が伝うころには、店の床は乾いた草でいっぱいになっていた。
結局、三十束のうち、偽物は四束だった。
「……なんで分かんだよ」
ハンスの目が、疑いと悔しさの間くらいの色をしていた。来た、と思った。この質問には、答えを用意してある。
「オスカルさんの店で、七年見てたから」
嘘じゃない。全部でもないけど、嘘じゃない。七年、本物ばかり見てきた目は、偽物の前で勝手に引っかかる。鑑定は、その引っかかりを確かめるのに使うだけだ。
「七年……って、おまえ、いくつのときからだよ」
「四つ」
「…………」
ハンスは何か言いかけて、やめて、それから急に、俺の肩をばしっと叩いた。
「よし。おまえ、今日からおれの相棒な。検品はおまえ、力仕事はおれ。文句ないだろ」
文句を言う間もなく、役割が決まった。同い年というのは、話が早い。
*
偽物の四束を見せると、マルタさんの顔から、表情が消えた。
束を一つずつ検めて、荷札を確かめて、低い声で言った。
「——今月で、三度目だ」
「三度目?」
「別の商会、別の荷で、三度。どれもハクハ草に、ヨシバ草。手口が同じだ」
マルタさんは偽物の束を、店のカウンターの下の箱に、鍵をかけてしまった。捨てないんだ、と思ったのが顔に出たらしい。
「証拠は貯めとくもんだよ、坊や」
その言い方は、帳簿を数えていた頃のアリア姉に、少し似ていた。
「いいかい、二人とも。覚えときな」
マルタさんは、俺とハンスを等分に見た。
「薬草の偽物は、人を殺すこともあるんだ。熱冷ましだと思って煎じたヨシバ草は、ただの甘い白湯だ。白湯で子供の熱は下がらない」
あの冬の、ニナの熱い額を思い出した。
もし届いた月白アズリルが、偽物だったら。
背中が、少し冷えた。
*
昼前に、台所を覗いた。
ルーチェは、大きなエプロンを二重に巻いて、踏み台の上に立っていた。マルタさんが横で豆をより分けながら、時々、短く言う。
「そっちは水を替える。……そう。次は布巾」
「はい」
返事だけは、一人前だった。手つきはまだ危なっかしくて、皿を持つたびに肩に力が入っている。それでも、割ってはいない。
俺に気づいたルーチェが、濡れた手を上げかけて、マルタさんに見つかった。
「よそ見しない」
「……はい」
ルーチェは慌てて前を向いた。俺は笑いをこらえて、店に戻った。
あの子が、俺以外の大人に叱られているのを見たのは、初めてだった。孤児院では、みんなルーチェに甘かった。院長先生でさえ、金色の目で見上げられると、話の途中で折れていた。
……悪くない。ここでは、うちの姫様も、ただの店の子だ。
*
昼の賄いは、黒パンに燻し肉を挟んだやつだった。
ハンスと二人、店の裏階段に座って食べた。台所の窓越しに、ルーチェがまだ皿と格闘しているのが見えた。マルタさんの姿はもうない。ひとりで任されたらしい。
「なあ。おまえの妹、なんか変わってるな」
「よく言われる」
「おまえも変わってるよ」
「それも、よく言われる」
ハンスは笑って、パンの残りを口に放り込んだ。
「なあ。おまえ、なんで王都に来たんだよ」
「探し物」
「なんの」
「……まだ、分かんない」
我ながら間抜けな答えだと思ったが、ハンスは笑わなかった。
「ふうん。おれもだ」
それ以上は言わなかったので、俺も聞かなかった。パンを噛む音だけが、裏階段に残った。
考えてみれば、家族でも大人でもない同い年と、並んで飯を食うのは、これが初めてかもしれない。トーマとも、カインとも違う距離。近いような、まだ遠いような。……悪くない距離だった。
*
夜、屋根裏の窓辺で、ルーチェが丸くなりながら言った。
「レイ。きょう、たのしかった?」
「ん……ああ。相棒ができた」
「しってる。みてた」
ルーチェは前足に顎を載せて、目を細めた。
「わたしも、おさら、じょうずになった。あしたは、もっとあらう」
「ほどほどにな」
窓の外で、城の灯りが揺れていた。
眠る前に、俺は今日の偽物のことを、頭の中の帳面に書きつけた。今月で三度。同じ手口。別々の商会。——荷札の字は、三度とも見比べられていない。
明日、マルタさんに聞いてみよう。
それと、そろそろ、もう一通の封筒の届け先にも行かないと。監察庁の扉は、たぶん、薬の偽物の話と無関係じゃない気がしていた。




