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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第二章 王都クローネ

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7/20

人の海と、屋根裏のふた部屋

王都の中は、ひとでいっぱいだった。


 脇道から表通りへ戻った瞬間、波みたいに押し寄せてきた。呼び込みの声、荷馬車の車輪、鍛冶の槌、どこかの鐘の音、そして人、人、人。ミューレの市場を十個束ねて、通りにぜんぶぶちまけたみたいだった。


「……レイ。ひとがいっぱい」


「そうだな」


 人の流れは、フードの子供ひとりを気に留めもしない。


 それは、俺たちには、追い風だった。



 大通りの屋台で、俺は驚いた。


 パンひとつ、銅貨五枚。


 アシェンなら二枚だ。ミューレでも三枚だった。試しに隣の串焼き屋を見ると、こっちは一本で銅貨六枚。屋台の親父は平然と焼いていて、客も平然と買っていく。


 俺の中の物差しが、悲鳴を上げていた。


「たかいの?」


「高い。……けど、売れてる。つまりここでは、これが普通なんだ」


 物の値段は、場所と人が決める。需要と供給——ベックさんの店先で覚えたことの、これが王都の答えらしい。飯のたびにこの調子なら、路銀の減りは町の倍。宿を取るにしても、この物価だ。オスカルさんの紹介状が、どこまで効いてくれるか。


 考えごとをしながら歩いていたのが、まずかった。


 人波が急に厚くなって、袖をつかんでいた小さな手が、離れた。


「ルーチェ?」


 振り向くと、フードの頭が、人の流れの三つ向こうで、ぽつんと止まっていた。たった三歩の距離が、都会では川幅になる。俺は人を掻き分けて戻って、その手を、今度はしっかり握った。


「て、つないでれば、まいごに、ならない」


「……そうだな。そうしよう」


 理屈はルーチェの方が正しい。兄妹は手を繋ぐものだ。


 交差路の角を曲がるとき、視界の端に、細い路地が見えた。表通りの賑わいから一枚裏に入った、日の当たらない道。その奥に、座り込んでいる小さな影が、ふたつ。


 一瞬だけ、俺の物差しが疼いた。


 でも、今日の俺には、届かない。まずは自分たちの寝床と飯だ。俺は視線を戻して、握った手に少しだけ力を入れた。



 薬師ギルドの会館は、商業区の大通りに面していた。


 石造りの三階建てで、入り口の上に、乳鉢と杵の紋章。扉をくぐる前から、薬草の匂いが道まで漂っている。オスカルさんの店を百倍にしたような匂いだった。


 受付の男は、俺を見て、あからさまに面倒そうな顔をした。


「坊や、薬草の買い取りならあっちだ」


「薬草の買い取りじゃないです。紹介状を持ってきました」


 封筒を差し出す。男は気のない手つきで受け取って、封蝋ふうろうの印を見て——手が、止まった。


「……アシェンの、オスカル?」


「はい。僕の師匠です」


 師匠、という言葉は初めて口に出したが、嘘ではないはずだ。弟子入りしたわけじゃない。七年、薬草を売りに通ううちに、あの店先で仕込まれた。


 受付の男は俺をもう一度見て、それから慌てたように奥へ引っ込んだ。廊下の向こうで「オスカルの紹介状だと」「あのオスカルか?」と声が跳ねるのが聞こえた。


 ……あの朴念仁、王都で何をした人なんだ。



 出てきたのは、大柄な女の人だった。


 白髪まじりの髪をきっちり結い上げて、袖をまくった腕は職人のそれで、目つきは、値踏みのそれだった。


「あたしがマルタだ。ギルドの世話役と、そこの角で薬種屋をやってる。……オスカルの、姉弟子でね」


 マルタさんは、紹介状をその場で開いて、読んで、ふん、と鼻を鳴らした。


「……あの朴念仁が、人に頭を下げる文を書くとはね。明日は槍でも降るのかい」


「降ったら、屋根の修理を手伝います」


「口は回るね」


 マルタさんは笑わなかったが、目つきが少しだけ変わった。紹介状を畳んで、懐にしまう。


「オスカルから、あんたを頼まれたよ。うちで面倒を見てやってくれ、とさ。……あいつが人に物を頼むのを、あたしは初めて見た」


「……そんなことが、書いてあるんですか」


「読むかい」


「いえ」


 オスカルさんが俺に見せなかったものを、俺から覗く気にはならなかった。


「賢いね。……だがね、坊や。頼まれたから置く、ってわけにはいかないんだよ。うちは薬屋だ」


 それから、突然、後ろの棚から乾燥した草の束をふたつ掴んで、卓に放った。


「坊や。どっちが本物のハクハ草だい」


 試された、と分かるより先に、手が動いていた。


 束を持ち上げて、裏返して、根元を見る。片方は根の切り口が黒ずんで、乾かすときに束ねたままだった証拠の、蒸れた癖がある。もう片方は切り口が白く、一本ずつ吊るした跡。葉の縁のぎざぎざも、本物の方が細かい。


「こっちです。偽物の方は、たぶんヨシバ草。葉は似てますが、根が甘い匂いなので……嗅げば分かります。あと、乾かし方が雑です。束ねたまま干すと中が蒸れるって、師匠なら怒ります」


 マルタさんは、しばらく黙って俺を見ていた。


 それから、初めて笑った。


「合格だ。明日から店においで。住み込みだね?」


「え……いいんですか」


「オスカルの弟子を追い返したとあっちゃ、あたしの沽券に関わる。それに——」


 マルタさんの目が、俺の後ろの、フードの小さな頭に移った。


「妹かい」


「はい。ルーチェっていいます」


 ルーチェが、フードの下から、ぺこりと頭を下げた。マルタさんは目を細めて、それから、事務的な声に戻った。


「部屋は屋根裏がふた間空いてる。狭いが、二人なら文句はないだろ。まかない付き、妹の分は家の雑務で払いな」


「がんばります」


 ルーチェが即答した。マルタさんの口の端が、ほんの少しだけ、上がった。



 クロイター通りは、商業区の外れにあった。


 薬種の店が軒を並べる細い通りで、どの店先にも乾燥草の束と薬瓶。マルタさんの店は、その角の一軒だった。会館の偉い人なのに、店は思ったより小さくて、そして、隅々まで手入れされていた。


 屋根裏のふた間は、本当に狭かった。天井は斜めで、立てるのは部屋の真ん中だけ。でも、窓があった。小さな四角い窓から、夕暮れの屋根の海と、丘の上の城が見えた。


「せまいね」


「ああ」


「……でも、まどが、ある」


「ああ」


 石の部屋を思い出しているんだと思う。狭いことと、冷たいことは、違う。



 店じまいのあと、台所で賄いが出た。


 豆と燻し肉の、具だくさんのスープ。黒パンは山盛りで、お代わりしたいなら自分でやれ、という置き方だった。


 スープは、うまかった。豆の煮え方に芯が残るぎりぎりの、火加減の腕を感じる味だった。アリア姉のシチューとは、違う味。違うのに、うまい。うまいのに、少しだけ、遠い。


 その「少しだけ」を、俺は匙と一緒に飲み込んだ。


「もっと食いな。そんな細い見た目だと、あたしの沽券に関わるんだよ」


 マルタさんはそう言って、俺の椀に、勝手にお代わりをよそった。辛口の人の優しさは、いつも皿の上に載ってくる。オスカルさんの姉弟子だというのが、よく分かった。



 夜、屋根裏の窓辺で、ルーチェは竜の姿に戻って、丸くなった。


 人の姿の一日は、まだ長い。せめて寝る間くらいは、生まれたままの形でいればいい。窓の外では、丘の上の城の灯りが、星より低いところで光っていた。


「レイ」


「ん」


「おうかんのまち、ごはん、おいしいね」


「ああ」


「……あしたから、いっぱいがんばる」


「ほどほどでいいぞ」


 返事の代わりに、小さな寝息が聞こえた。


 鞄の中には、もう一通の封筒が残っている。監察庁の、あの人宛ての、少しだけ分厚いやつ。それは明日からの、俺の宿題だ。


 俺は窓の外の灯りをもう一度だけ見て、毛布にもぐった。


 旅が、暮らしになった夜だった。

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