焼いた肉と、食えなかった肉
ティオが、山羊を持ってきた。
朝、川原の石を鳴らして歩いてきて、岩棚の下へ置いた。首のところに歯の跡があり、毛に血がついている。
ティオがルーチェを見上げ、短く鳴いた。
——くれるって。
ルーチェは竜の姿で岩棚の縁に立ち、山羊を見下ろしていた。
「お前にか?」
——うん。わたしに。
「俺のぶんは?」
ルーチェがティオへ声を返した。答えを聞くと、こちらへ首を向けた。
——レイは、袋から出せばいいみたい。
まだ餌の袋だと思われているらしい。俺は鞄を置き、川原へ下りた。
近くで見ると、血は乾ききっていなかった。肉の一部がかじり取られている。いつどこで仕留めたのかは分からないが、ティオも食べたあとだろう。
「さばいて、少し焼いてみるか?」
——うん。レイも食べよう。
「ありがとう」
鞄から小刀を出した。王都を出る前に買い、港町では魚をさばいたものだ。刃を確かめ、山羊を作業しやすいところへ引き寄せた。まるごと一頭をさばくのは、初めてだった。
ベックさんの店で、骨と肉の境目は何度も教わった。腹を開いて内臓を出すと、ティオがすぐにくわえていった。後ろ脚の皮をはぎ、筋に刃を当てる。骨に沿って動かすと、肉が少しずつ離れた。
ルーチェは岩棚の上から見ていた。ティオもそばを離れず、俺の手が動くたびに鼻先を寄せてきた。
「待て。近いと切れない」
顔を上げると、ルーチェが低く鳴いた。ティオの鼻が少し離れた。その隙に、もう一切れ外した。
*
火の上に平たい石を渡し、肉を載せた。
脂が音を立て、煙が上がった。谷に来てから、肉を焼く匂いを出すのは初めてだった。
ティオが首を伸ばした。鼻を近づけ、すぐに離す。もう一度近づけようとしたので、俺は手を上げた。
「熱いぞ。まだ待ってくれ」
——レイ、大丈夫。わたしたち、熱いのは平気だよ。
言われて思い出した。この子も、焼きたてを平気でかじる。熱さで止める理由は、ティオにはなかった。
ルーチェが声をかけた。ティオが返すと、こちらへ顔を向ける。
——どうして焼くのか、聞いてるみたい。
「俺はこうしないと食べられないからだって、言えるか?」
ルーチェは炎を見てから、またティオへ鳴いた。短いやり取りが続いたが、ティオの鼻先は、石と肉の間を行ったり来たりしていた。
——うまく言えない。
「火のことか?」
——うん。匂いが変わるとか、色が変わるとかは、伝わると思う。でも、火ってどう言えばいいんだろう。
俺は肉を裏返した。この子にも分からない言い方を、俺が教えられるはずはなかった。
「じゃあ、焼けるところを見ててもらおう」
ティオは石の上を見つめていた。炎が大きくなると少し離れ、脂の落ちる音がすると、また首を伸ばした。
焼けた一切れを別の石へ取った。中まで火が通ったのを確かめ、小さく切ってティオの前へ置いた。
ティオは匂いをかぎ、鼻で押した。それからルーチェを見た。
ルーチェが短く鳴くと、肉を口に入れた。
歯が動いて、止まった。
——……食べた。
「食べたな」
——変な顔をしてる。
俺には、何を思っている顔なのかまでは分からなかった。ただ、干した果物のときのようには吐き出さなかった。
飲み込むと、残りの肉を見た。それから、俺の手へ目を向けた。
「もう一つか?」
返事はなかった。俺はもう一切れ冷まし、前へ置いた。
今度は、すぐに口へ入れた。
*
ティオは焼いた肉を三切れ食べ、そのあとは山羊のところへ戻った。
骨の周りには、まだ肉が残っている。前脚で押さえ、歯を立てて引く。骨が石に当たる音がした。
ルーチェが、岩棚からじっと見ていた。
——レイ、わたしもあれを食べてみたい。
「生の方か?」
——うん。
竜の姿のまま、川原へ下りていった。ティオへ何か声をかけ、骨のそばへ鼻を寄せる。
「無理はするなよ」
——まだ、食べてないよ。
「そうだったな」
ルーチェはしばらく匂いをかいでいた。俺は手を止めて見ていた。ティオは生のまま食べる。この子にも同じように食べられるのか、俺は知らなかった。
やがて、ルーチェが口を開いた。肉に歯を当て、少し引いた。
次の瞬間、首を横へ振った。
口の中のものを石の上へ出し、二度、三度と舌を動かす。それから川へ行き、水へ口をつけた。
「ルーチェ、大丈夫か?」
少し待って、返事が来た。
——……血の味が、口に残る。
また水を飲んだ。俺がそばへ下りていくと、顔を上げた。濡れた鼻先から、石へ水が落ちた。
ティオが短く鳴いた。いつもルーチェへ向ける声に似ていたが、俺には意味を聞き取れなかった。
ルーチェはそちらへ顔を向けず、もう一度だけ口を水へ近づけた。
*
夕方、ルーチェは人の姿へ戻った。
服を着て火の脇へ座り、両膝に手を置いた。俺は根菜を煮た鍋へ、焼いた肉を刻んで加えた。塩を少し足し、二つの椀によそう。
受け取ったルーチェは、しばらく湯気を見ていた。
「レイ、わたしは食べられなかった」
「口に残るって言ってたな」
「うん。ティオは平気なのに。あの棚の子も、生で食べてた」
川向こうの岩棚へ目をやった。昼間、一頭が獲物を運び込むのは俺も見た。
「魚は、生で食べられたのに」
「あれは血を抜いて、切って、塩をしてあった。今日のは、血のついたままだ」
ルーチェは椀を見た。
「わたし、竜として変なのかな」
すぐには返事が出なかった。違わないと言っても、この子は自分で口にして、食べられなかったのだ。
「ティオとは違ったな」
ルーチェが顔を上げた。
「でも、お前はずっと、うちで作ったものを食べてきただろう。俺と一緒に」
「うん」
「俺も、こっちの飯をずっと食べてるのに、前の世の味が欲しくなることがある。今ここで食えるものじゃないのにな」
ルーチェは椀の中を見た。
「また、違う味がほしいの?」
「時々な。前にも話した、魚につけたい味とか」
「レイも、変だね」
「そうかもしれない」
俺が笑うと、この子の口元も少し緩んだ。
「生のほうを食べたら、ティオと同じになるかと思った」
「焼いた方も、ティオは三つ食べたぞ」
「……そうだった」
ルーチェが火の向こうを見た。ティオは骨を前脚で押さえ、残った肉をかじっていた。
俺は自分の椀へさじを入れた。根菜と肉を一緒にすくう。ルーチェも、少し遅れて同じようにすくった。
「……おいしい」
「だろ?」
「アリア姉なら、でしょうって言うよ」
思い浮かんだ声まで同じで、俺は笑った。
「じゃあ、どう言えばいい?」
「おかわりあるよって」
「まだ鍋にある」
ルーチェは頷き、もう一口食べた。
ティオがこちらへ顔を向けた。鍋を見たが、今度は近づかずに骨へ戻った。今日は、生の方がいいらしい。
俺は二人の間へ鍋を寄せた。ルーチェのさじが椀の底をなぞり、少しして、おかわりを頼む声がした。




