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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第四章 北の森

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名前のない竜と、呼んで振り向いた音

赤茶の竜は、朝になると来た。


 川原の石を鳴らして歩いてきて、ルーチェのそばに座る。俺が鍋を運んでいれば、顔を上げることもある。谷へ来て五日で、その姿を見るのが当たり前になっていた。


 夜、俺たちがルームへ入ったあと、どこで眠るのかは知らない。朝に来る方角も、いつも同じとは限らなかった。


 ほかの竜は近づいてこなかった。


 俺たちは初日に荷を置いた岩棚を、そのまま使っていた。長老らしい竜が頭を下げたあとも、追い払われることはなかったが、集まってくることもない。


 赤茶の竜だけが、今日も鞄へ鼻を寄せていた。


「レイ、この子、ご飯が出てくるのを待ってる」


 ルーチェは人の姿で、火のそばに座っていた。赤茶の竜が鼻で鞄を押したので、俺は持ち上げた。


「こっちの朝飯だぞ」


「レイが袋を開けると、食べ物が出てくるって、覚えたみたい」


 上げた鞄を、鼻先が追ってくる。


「俺を、餌の袋だと思ってないか?」


「……そうかもしれない」


 ルーチェが笑った。


 干した果物は、もう外へ置かない。吐き出された残りを片づけてからは、食べるぶんだけ手元へ出すようにした。それでも鞄の匂いは気になるみたいだった。


 俺が岩の奥へ置き直すと、赤茶の竜も少し近づいた。


「これは、やらない」


 鞄の前に立った俺を見て、鼻を鳴らした。声の意味は分からない。しばらくして、ルーチェのそばへ戻っていった。


 俺はようやく鍋を火にかけた。


*


「レイ、この子には、名前がないんだって」


 その日の昼、ルーチェが言った。


 赤茶の竜は岩棚の下で、丸い石を転がしていた。前脚で押し、追いかけ、また押す。川へ落ちそうになると、鼻先で向きを変えていた。


「聞いたのか?」


「うん。でも、名前って何だって、聞かれた」


「ほかの竜は?」


「ここでは、名前で呼ばないみたい。あの大きい竜も、いちばん古いのって言うだけ」


 長老というのは、俺が当てた呼び方だった。ルーチェが聞いた言い方も、名前ではないらしい。


 赤茶の竜が石へ顔を寄せた。短い声がしたので、ルーチェが岩棚から何か答えた。向こうはそのまま石を転がし続けた。


「今も、呼んだんじゃないのか?」


「うん。こうすれば、分かる。でも、レイにも分かる呼び方がほしい」


 ルーチェは膝を抱えた。


「わたしが名前を呼んだら、あの子が振り向くのがいい」


 石が転がる音を聞きながら、俺も隣へ座った。


「じゃあ、お前がつけてみたらどうだ?」


「わたしが?」


「一番よく話してるだろう」


 ルーチェは川原を見たまま考えていた。それから、こちらへ顔を向けた。


「わたしの名前は、リーナが本から見つけたんだよね」


「ああ。古い言葉で、光っていう意味だって」


「みんな、食堂にいた。ニナは、パンがいいって言った」


 思い出して、笑ってしまった。


「黒板の隅に、残ってたな」


 食卓の真ん中には、わらを敷いた籠があった。その中の金色を囲んで、みんなが好きなことを言っていた。リーナが本を見せると、それまで首を横に振っていたトーマも、初めて頷いた。


 俺は籠をのぞき込み、ルーチェ、と呼んだ。どうだと聞いたら、頭の中へうれしい感じが弾けてきた。


「今日は、みんながいないね」


 ルーチェが膝の上へあごを載せた。


「そうだな」


「レイが、考えてくれる?」


「俺か?」


「うん。わたしも、一緒に呼ぶ」


 川原では、石がまた一つ転がった。赤茶の竜はこちらの相談など知らず、前脚を伸ばしていた。


*


 俺一人で名前を考えたことは、あっただろうか。


 ルーチェのときには、リーナが見つけた名前をみんなで選んだ。あの本はここにはない。竜を見れば何か浮かぶかと思い、川原へ下りた。


 赤茶の竜が顔を上げた。俺の脇へ鼻を伸ばし、鞄がないと分かると、また石へ向き直った。


 少し離れてしゃがんだ。


 赤茶で、馬ほどの大きさ。干した果物は気に入らず、火をじっと見ている。ルーチェには、自分から会いに来る。


 この竜のことを、まだそれくらいしか知らなかった。


「……ロカ」


 思いついた音を口にしてみた。顔は上がらなかった。


「ノア」


 今度も、石を見ていた。


「ラト」


 前脚が石を押した。石は浅い水へ入り、そこで止まった。


 名前を選んでいるのは俺だけだ。この竜には、ただ知らない声が続いているだけかもしれない。


 少し間を置き、もう一つ呼んでみた。


「ティオ」


 首がこちらへ向いた。


 水に入った石から目を離し、俺を見ている。もう一度、同じ音を口にした。


「ティオ」


 首が少し傾いた。


 返事らしいものはなかった。頭の中へ何か流れ込んでくることもない。それでも、今は俺の声がした方を見ていた。


 岩棚へ顔を上げた。


「ティオは、どうだ?」


 ルーチェが膝から顔を上げた。口の中で一度確かめてから、川原へ向かって呼んだ。


「ティオ」


 赤茶の竜が振り向いた。今度は首だけではなかった。石を置いたまま体を向け、岩棚の下まで歩いていった。


 ルーチェが身を乗り出す。伸びてきた鼻先へ手を置き、もう一度名前を呼んだ。


 赤茶の竜は鼻を鳴らした。ルーチェが低い声を返すと、そのまま岩棚の下へ腹をつけた。


 俺は川原に残った石を見て、立ち上がった。


*


 夕方、火のそばでルーチェが尋ねた。


「ティオって、どういう意味?」


「意味は、考えてない」


「ないの?」


「あいつが振り向いた音だよ」


 ルーチェは少し考え、それから頷いた。


「じゃあ、いい」


「いいのか?」


「うん。呼んだら、こっちを見たもん」


 俺も頷いた。


 ルーチェの名前は、光という意味だった。長老らしい竜の言葉にも、光があった。ふと二つが重なったが、リーナがあの日見ていたのは、灯りの下で光る小さな竜だ。


 名前を聞いてうれしそうに鳴いた、この子だった。


「リーナにも、知らせたいな」


「ティオのこと?」


「ああ。谷で会った竜に、名前をつけたって」


「わたしが呼んだら、来たことも書いて」


「それも書く」


 ルーチェは満足そうに頷き、火の向こうを見た。


 ティオは少し離れた石の上で寝そべっていた。ルーチェが竜の姿だと、もっと近くへ来る。人の姿の今は、鼻を伸ばせば届くくらいの場所にいた。


「寝ちゃった?」


「みたいだな」


 目は閉じていた。尾の先が一度だけ動き、また止まった。


*


「レイ、わたし、名前をつけるほうは、初めて」


 ルーチェが言った。


「考えたのは、俺だぞ」


「うん。レイが考えて、わたしも呼んだ」


「そうだな」


「でも、わたしのほうに来たね」


 こちらを見る顔が笑っていた。


「俺には、首を向けただけだったな」


「悔しい?」


「……別に」


 ルーチェが声を上げて笑った。ティオの目が薄く開き、すぐに閉じた。


 俺が頼まれて考えたのに、呼び終えるとルーチェの方へ行ってしまった。少し残念ではあった。けれど、あのとき岩棚から身を乗り出したこの子の顔も、覚えていた。


「明日も、呼んでみよう」


「うん。レイのほうにも、来るかもしれないよ」


「鞄があればな」


 また笑われた。


 俺は火に薪を一本足した。ティオが寝返りを打ち、石がいくつか鳴った。名前が決まったからといって、こちらの言葉が全部分かるようにはならない。明日も果物は食べないだろうし、鞄へ鼻を入れに来るかもしれない。


 それでも、もう赤茶の竜とだけ呼ばなくてよかった。


「ティオ」


 ルーチェが、小さく呼んだ。


 返事はなかった。眠っている背中を見ながら、この子は口元を緩めた。


 俺も、もう起こさずにおいた。


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