街道の終わりと、先に通った四人
集落を出て四日目の朝、山が道の先を塞いで見えた。
初めは北の空に白く並んでいただけだった。今は雪の下に黒い岩が見え、その下には芽吹き始めた木々が重なっている。道はまだ北へ延びているのに、どこを通れば向こうへ行けるのか、ここからでは分からなかった。
「レイ、あれを登るの?」
「谷なら、山と山の間だと思う。道を聞けるところがあるといいんだけど」
ルーチェは山を見上げ、それから足元へ目を戻した。道を流れる雪解け水をまたいで、俺の隣へ来る。
道端の岩の間に、見慣れない草があった。立ち止まって鑑定を通した。
【イワカガミ草/山地の岩場に自生。根を煎じれば疲労に効く。苦い】
婆さんの棚では見なかった名前だ。根を二本だけ掘り、土を落として布袋へ入れた。葉の形も見直しておく。名前が分かっても、どれくらい煮ればいいかまでは分からなかった。
「それ、苦いの?」
「そう出た。今日は、持っていくだけにする」
ルーチェが頷いた。袋の口を結び、また二人で歩き出した。
*
昼過ぎに、町へ着いた。
北の森の集落より少し大きいくらいの町だった。隊商宿が一軒、鍛冶場が一軒。塩と粉を並べた店の前には、荷を積み直している人がいた。町の向こうへ続く道は細く、車輪の跡はそこで途切れていた。
隊商宿で泊まりたいと伝えると、主人は帳場から俺たちを見た。白い髭の、背の低い人だった。
「山に入るのか?」
「はい。谷へ行く道を探しています」
「子供二人でか?」
「はい」
主人の目が、俺の靴と鞄へ動いた。隣のルーチェは頭の布を巻き、その上からフードをかぶっている。
「北の道を行けば、三日ほどだ。ただし、天気が崩れればそのぶんかかる」
俺は鞄の紙を出し、道を尋ねた。主人は途中の沢と、尾根へ出る曲がり角を教えてくれた。山の上には宿も店もないという。
「この町は、何というんですか?」
「ヴェークエンデ。エンデでいい」
道の終わり、という意味だと教えてくれた。紙の上へ、聞いた名を書いた。
*
泊まるほかに、頼みたいことが二つあった。
「ここで、荷物を預かってもらえますか? アシェンから送られてくると思うので」
「いつ届く?」
「まだ分かりません。向こうへ頼む包みを、集落から出したばかりです。作ってもらってからになるので……」
月が二度満ちるころには、あちらへ届くだろうか。そこから作る時間と、こちらへ戻る時間が要る。指を折ってみても、受け取る日までは決められなかった。
「届くまで、この町にいるのか?」
「山にいるつもりです。月に一度くらい、ここへ下りてきたいと思っています」
主人はさっきより長く俺を見た。
「山で暮らすのか?」
「谷を見てから、決めます。山にいられなければ、戻ってきます」
主人は帳場の下から帳面を出した。
「名前は?」
「レイです。アシェンの孤児院から届くと思います」
「アシェンの孤児院から、レイ宛。預かり賃は、ひと月につき銅貨五枚だ。荷が届いた月から数える。受け取るときに払え」
「分かりました。送り先は、どう書けばいいですか?」
「町の名と、隊商宿のレイ宛。ここには一軒しかない」
紙へ書いて見せ、これで届くか確かめてもらった。主人は頷き、帳面を閉じた。
俺は頭を下げた。トーマへの依頼には、送り先が決まるまで預かっていてほしいと書いた。その続きを、ようやく知らせられる。
*
もう一つは、手紙を出すことだった。
種まきの季節に入り、暦はデメテスの月に変わっていた。その月のぶんを、森の縁で野営した晩に書いておいた。北へ向かっていることと、二人とも元気だということ。谷へ入る前に出したくて、鞄に入れてあった。
宿の寝台の端で封を開き、紙を一枚足した。
——谷へ続く山道の手前、ヴェークエンデという町に着きました。明日から山へ入ります。
その下に、トーマへ送り先を伝えてほしいと書いた。町の名、隊商宿のレイ宛。できあがったら、杭二本と爪の方をこちらへ。難しければ、爪はそのままでいい。前の依頼と食い違っていないか読み返した。
「アリア姉に、わたしも元気って書いた?」
「二人とも元気だって、ここに」
指で示すと、ルーチェが覗いた。
「じゃあ、谷に行ったら、また書こうね」
「ああ。何があったか、次に書こう」
書き添えた紙に「山の手前の町へ着いた日」と残し、乾くのを待って包み直した。
帳場へ戻ると、主人が手紙を受け取った。
「王都行きの便は、いつ来ますか?」
「十日に一度は来る。アシェンなら、王都で乗せ替えだ」
運び賃を聞いて銅貨を出すと、主人は数えてから、手紙を箱へ入れた。中には、ほかの人の封書も並んでいた。
鞄は一通ぶん軽くなった。トーマの包みとは別に、この紙も道を行く。どちらがいつ着くか、今は待つしかなかった。
*
宿の裏の炊事場で、食事の用意を始めた。
泊まり客が自分で使える場所だった。薪を買い、鍋と食器は借りた。干し肉と根菜を切って鍋に入れ、煮込みにした。ルーチェは頭の布を巻いたまま、火から少し離れたところへ座っていた。
「レイ、谷にも人がいるの?」
「分からない。山へ行く人は、この宿にも泊まるんだろうし」
「着いたら、布を取りたい」
「周りを見てからにしよう」
ルーチェが結び目へ触れた。俺は鍋の蓋をずらし、根菜を一切れ取って冷ました。まだ芯が硬い。
「三日くらいって言ってたな」
「うん。早く見たい」
布から手を下ろし、ルーチェも鍋を覗いた。山の向こうに何があるか、俺にもまだ見せてやれなかった。
*
夕方、主人が裏へ出てきた。
薪の束の前で立ち止まり、俺を見た。
「おい、お前たち。谷へ行くと言ったな」
「はい」
「少し前に、四人組が通った」
鍋を混ぜる手が止まった。
「山道が通れるようになってすぐ、山に入った。お前たちと同じ、谷へ行く道だ」
「どんな人たちでしたか?」
「男が四人。山へ入るにしては、食い物をあまり買わんかった。何日いるのか聞いても、言わん」
「谷へは、何をしに?」
「さあな。ただ、落ちてるものを拾いに行く奴は、毎年来る。それを南で売るんだ」
俺は主人の顔を見た。
「その四人も、そう言っていたんですか?」
「いや。そこまでは聞いとらん」
四人。北へ向かう道。
ガレスさんは、集落から逃げた足跡が四人ぶんだと言った。エルフも、森の外を回り、荷を引いて谷へ続く道を進んだ四人を見ていた。
その連中が、ここを通ったのだろうか。人数と行き先は合う。けれど、主人の話だけでは、あの夜の男の顔までは重ならなかった。
「戻ってきましたか?」
「うちには来とらん」
主人は薪を一束抱えた。
「山に入るなら、気をつけろよ」
「……はい。ありがとうございます」
宿の戸が閉まってから、ルーチェが俺の袖を握った。
「あの人たちかもしれないの?」
「うん。まだ、同じ人かは分からないけど」
「見つけても、追いかけない?」
「追いかけない。見かけたら、気づかれる前に俺たちが離れよう」
ルーチェは頷いた。袖を握る手は、そのままだった。
しばらく二人で火を見た。やがて、この子が鍋を指した。
「レイ、もう食べられるかな?」
根菜をすくい直すと、今度はさじの背で潰れた。
「大丈夫だ」
「じゃあ、食べよう」
袖から手が離れた。ルーチェが椀を二つ並べたので、俺は鍋を持ち上げた。
*
翌朝、町で食料を買い足し、山道の入口へ向かった。
道は岩の間へ入り、すぐに折れ曲がっていた。荷馬車は通れない。人が荷を背負って歩く幅しかなかった。
脇の道標は、字が削れて読めなくなっていた。その根元に、錆びた鉄の塊が落ちている。
近づきかけて、足を止めた。
鋼の罠だった。留め金が欠け、片側が開いたままになっている。赤く錆びたちょうつがいに土が詰まっていた。
北の森の雪の上で、イルサさんが確かめていた罠を思い出した。あれは王都の工房の仕事だと言っていた。目の前のものも似ている気がしたが、俺には同じ作りなのかさえ分からなかった。
「レイ、それは罠?」
「ああ。壊れてるみたいだ。触らないで行こう」
「誰が、置いたの?」
「分からない。いつからあるのかも」
昨日聞いた四人のものだとは言えなかった。ただ、山へ罠を持ってくる人がいることは、目の前のこれで十分に分かった。
俺は道の中央へ戻った。
谷まで、歩いて三日ほど。空から近づくにしても、どこに道があり、どこへ下りられるのかをまだ知らなかった。まずは教わった道を進み、町から離れてから周りを確かめるつもりだった。
「行こうか?」
「うん」
ルーチェが手を差し出した。俺はそれを取り、二人で岩の間へ入った。布の端が風に揺れ、この子が空いた手で押さえた。




