同じ皿の続く冬と、塩のほかにあるもの
雪が積もり始めて二十日ほど経った。
集落の軒には肉が吊るされ、婆さんの家には根菜の袋が積んである。薪は、すぐ使う物と、まだ使わない物に分けられていた。
俺たちが来る前から、みんなで冬の支度をしていたのだ。
今のところ、毎日、温かいものを食べられているが、それが何もしなくてもいいというわけではないことは、わかっている。
わかっているのだが、ここのところ同じようなものを食べているので、無性に別の物が食べたくなった。
王都の屋台で食べた串焼きを思い出す。脂と塩のあとに、少しだけ鼻へ抜ける香りがあった。
あんなふうにできないだろうか。
ボックスには、旅のために買った食べ物も残っている。家族へ持ち帰る魚もある。けれど、それを一度出して食べたところで、明日からの食事が変わるわけではなかった。
俺はその日の椀を空にしてから、婆さんの棚へ目を向けた。
*
「婆さん。料理にも使える薬草は、ありますか?」
薬草を分ける仕事が一段落したところで聞いた。
婆さんは束を結んでいた手を止めた。
「何を作るんだ?」
「肉に、少し香りをつけてみたくて。前に王都で食べたのを思い出したんです」
「うちの飯に飽きたのか?」
否定しかけて、やめた。
「……少し」
「そりゃ、同じようなもんばかり出しとるからね」
婆さんは立ち上がり、棚の下の小袋を取った。口を開け、ひとつまみを手のひらへ出す。顔を近づけ、葉を指で揉んだ。
「これは鍋にも使う。束から落ちた分だが、香りは残っとる」
差し出されると、揉んだ葉からすっとした匂いがした。
「薬の方と同じ草ですか?」
「これはな。だからって、隣の袋まで食うんじゃないよ」
俺は頷いた。棚にあるものを、まとめて香草と呼ぶところだった。
「普段は入れないんですか?」
「こいつは、好き嫌いがある。あたしは毎日はいらんね。試すなら、自分の皿からやりな」
少しだけ分けてもらった。袋を受け取ると、婆さんはもう次の束へ手を伸ばしていた。
*
一度目は、脂へ香りを移そうとした。
薬屋や市場で、草を油に漬けた瓶を見たことがある。油の匂いを嗅ぐと、中にある草と同じ香りがした。
婆さんに相談すると、料理用の獣の脂を少し分けてくれた。
それを温め、細かくした葉を入れた。冷えると白く固まったが、指で少し取ると、草の匂いもした。
うまくいきそうだった。
干し肉を小さく切り、その脂を塗った。もう少しつけた方が香るかと思い、重ねて塗った。
夕飯の火が落ち着いたあと、炭のそばへ持っていった。
脂はすぐに溶けた。肉の端へ集まり、火へ落ちた。
煙が上がった。
慌てて離すと、片側が黒くなっていた。
「おい、なんか焦げてるぞ」
通りかかったヨルクさんが、こちらを覗いた。
「失敗しました」
「そいつは、何なんだ?」
「うまい干し肉ができるはずだったんです」
「で?」
「……干し肉を焦がしちゃいました」
ヨルクさんは声を上げて笑った。
俺は肉を皿へ戻した。顔まで熱くなったが、少し冷めた端を食べてみると、自分でも笑うしかなかった。
香草の香りはせずに、焦げた味がしただけだった。
*
次の日、洗い場の女の人に、今日は何を焼くのかと聞かれた。
ヨルクさんが話したらしい。
今度は焦がさないようにしますと答えてから、もう一度失敗したら、また聞かれるだろうと思った。
二度目は、煙に香りをつけるつもりだった。
この集落でも、薪の煙で肉を燻している。初めての方法を教えるわけではない。俺が試したかったのは、その煙に葉の香りを足すことだった。
前世では、木を細かく削ったものを火にくべて燻していたのを思い出した。葉もそれと一緒に入れれば、煙に香りが移るはずだ。
やり方と使える場所を聞き、肉をひと切れだけ分けた。
火へ入れた葉は、よく匂った。けれど、できた肉を噛むと苦かった。口から出したあとも、舌の奥に残った。
「どうだった?」
ルーチェが皿を覗き込んだ。
「苦っ。これは、やりすぎた」
「ちょっとたべてみたい」
「端だけな。無理に飲み込まなくていい」
小さく齧ったルーチェは、少しのあいだ黙った。それから、肉を皿へ戻した。
「……にがい。レイ、これ、おくすりなの?」
「肉だ」
「おくすりみたいなあじがするよ」
その通りだった。婆さんの棚の前で息を吸ったときの匂いが、口の中に残っていた。
俺は残りの葉を袋へ戻した。次は増やす前に、少しでやってみようと思った。
*
三度目には、肉を焼くのをやめた。
屋台の味を思い出すと、香辛料は肉を噛んだあとで、少し分かる程度だった。俺は最初から、その匂いだけを強くしようとしていた。
婆さんにもらった葉を、少しだけ細かくした。
塩と混ぜれば、ひとつまみずつ使える。
同じ小さな匙で、塩を十、葉の粉を一。混ぜたものを指先へ取り、匂いを確かめた。
干し肉には、もう塩が利いている。
婆さんに頼み、塩を入れる前の粥を少しだけ分けてもらった。二つの小椀に入れ、片方にはいつもの塩、もう片方には混ぜた塩を落とした。
まず、いつもの方を食べた。
次に、香草を混ぜた方を口へ運んだ。
少しだけ、違った。
飲み込んだあと、鼻へ香りが抜けた。昨日の肉のように、薬草の匂いが口の中を全部埋める感じではなかった。
俺はもう一口食べてから、ルーチェを呼んだ。
「今度のは、どうだ?」
「きのうのとは、ちがう?」
「俺は違うと思う」
ルーチェは慎重に匙を取った。一口食べ、椀を覗いた。
次は、すぐにもう一口食べた。
「こっちのほうがすき」
「どこが違う?」
「んー。あじが、のこるかんじ」
そう言って、口を閉じたまま少し考えた。
「のみこんでからも、まだする」
俺も同じ方を食べた。確かに、あとからもう一度分かる香りだった。
*
その晩、混ぜた塩を小皿に入れて、婆さんのところへ持っていった。
「少しだけ、できました」
「今度は焦げとらんのか?」
「今日は焼いてません」
婆さんは小皿を近づけて匂いを嗅ぎ、自分の粥へ少し振った。
食べて、もう一度、皿を見た。
「これなら、自分で足せるね」
「鍋に入れるより、その方がいいかと思って」
「入れん方が好きな奴もおるからね」
俺は頷いた。自分の椀に飽きたからといって、みんなの鍋を変える必要はなかった。
婆さんはもう一口食べ、それから聞いた。
「春に、これを持っていくのか?」
「はい。町で売れたら、路銀の足しになるかもしれません」
口に出すと、いくらにできるだろうという考えまで浮かんだ。
塩と草だけではない。袋も要る。町で同じ葉が手に入るかも、まだ分からない。
「売れるかは、食わせてみんと分からんね」
「そうですね」
俺は小皿を、婆さんの方へ少し押した。
「婆さん。作り方は、紙に書いて置いていきます。俺が行ったあとも、欲しくなったら作れるように」
「売り物にするんだろう。隠さんのかい」
「塩と葉を混ぜただけです。それに、葉はここの棚のものですから」
婆さんは短く鼻を鳴らした。
「じゃあ、一度は一緒に作るよ。その小さい匙がなけりゃ分からん書き方じゃ困る」
塩十、香草一と書くだけでは、ひとつまみをどこまで入れるかも伝わらない。
俺は小皿を見た。
自分がここにいなければ作れないものには、したくなかった。
「次に混ぜるとき、見てもらっていいですか?」
「あたしにもやらせな。見てるだけじゃ、覚えられん」
「じゃあ、一緒にやりましょう」
婆さんは頷いて、また粥を食べた。
*
小屋へ戻り、ルームの食卓で紙を広げた。
ルーチェは竜の姿へ戻り、寝床に腹をつけていた。
使った葉と、塩の割合を書いた。脂を塗りすぎたこと、火へ近づけすぎたこと。煙に入れた葉は、少量から試すこと。
同じ小匙で量った、と付け足した。次に婆さんと作るときは、婆さんの匙でも確かめよう。
——レイ、あしたもあのしおにする?
「少し残ってる。使うか?」
——うん。きょうのがいい。
「分かった」
干し肉に合うものは、まだできていない。蜂蜜ならどうだろうと思ったが、婆さんの棚にある小さな壺を思い出した。冬の間の蓄えを、次々と分けてもらうわけにはいかなかった。それに、蜂蜜だけでは、あの味にはならない。
前世の醤油の味も、思い出した。
港町で魚を食べたときに欲しかった、あの味だ。名前も、黒い色も覚えている。けれど、今ここにある塩と草を混ぜても、あれにはならない。
それはそれとして、今日の粥は少しうまくなった。
俺は紙を読み返し、乾いたのを確かめて畳んだ。
明日、婆さんに渡す分の塩は、ボックスへしまわず鞄へ入れた。小屋を出る前に、忘れず持っていける。
——わたしが、もっていってもいい?
「水を運ぶ前なら、頼もうかな」
——おばさんにも、ちょっとたべてほしい。
俺は袋をもう一度出し、口の紐を確かめた。
「じゃあ、使い方も一緒に伝えてくれ。塩は、いつものと両方あるって」
ルーチェは頷き、寝床へ顎を載せた。
明日の鍋も、たぶん今日と似ている。その脇に置く小皿を一枚、俺は用意した。




