雪の来た朝と、春まで持っている手紙
初めて広場で教わった日から、三日経った。
朝、ルームから小屋へ出ると、板戸の隙間がいつもより明るかった。戸を押すと、少し抵抗があったので、隙間から外を見ると雪が積もっていた。
昨日まで黒かった地面も、薪の山も、白くなっている。家の前を通る道はまだ細く、向こうの屋根から、少しずつ雪が落ちていた。
さすがにこの天候では、斧の音は聞こえなかったが、代わりに、どこかで戸を開ける音がした。
後ろからルーチェが覗いた。人の姿に戻り、頭に布を巻き終えたところだった。
「レイ、ゆきだね」
「ああ。積もったな」
靴を履き、二人で外へ出た。最初の一歩で、靴の先が白く隠れた。
「アシェンとは、ちがうね」
「どう違う?」
「まだ、だれもあそんでない」
「ここには、遊ぶ子どもがいないからな。それに北の雪は、遊ぶより先に、どかさないといけないんだろう」
ルーチェは家と家の間を見た。
孤児院なら、誰かが先に踏んだ跡を見て、ほかの子も飛び出してくる。戸を開けっ放しにして、アリア姉に怒られる。
ここでは、向かいの家の人が、黙って道の雪を脇へ寄せていた。
俺も小屋の入口を振り返った。ヨルクさんに、雪の日はここを空けておけと言われていた。
道具を取ろうとすると、ルーチェが先に手を掛けた。
「レイは、どこによけるかおしえて」
俺は戸の開く方を指し、小さい範囲から頼んだ。
*
広場では、ガレスさんが足元の雪を踏んでいた。
あれから、朝は短く見せてもらっている。傷が痛まないように動き、その後に、椅子へ戻り見学する。夕方には婆さんに具合を聞かれた。
今日は歩く前から、靴が沈んだ。
踏まれた道を外れて歩かされ、雪の下の凹みに一歩だけ深く沈んだ。歩幅を欲張るなと言われ、足を置き直して固いところへ戻ると、靴の下の感じがまるで違った。
振り返ると、家の方から歩いてきた跡がくっきり残っていた。深く沈んだところだけ跡が乱れ、足を置き直したところまで分かる。霜でガレスさんの足を見ていたのと同じことが、今度は俺の側に起きていた。慣れた人なら、どこから来てどっちへ向かったかまで読むという。森に入る人にも、残っている間は見えるらしい。
「目立たなくする工夫はある。だが、まずは転ばずに歩け。両方いっぺんには覚えられん」
この日は広場の端を短く往復したところで終わった。最後に靴が滑りかけ、掴まる前に止まれたが、腹に力が入った。少し痛むと言うと、ガレスさんは戻れと言った。無理はするな、明日もある、と。
まだ教わりたいことはあった。けれど、俺は言われた方の道へ戻った。
*
昼、ヨルクさんが広場に人を集めた。
薪を置く場所と、水場への道を誰が空けるか。それから、峠の話になった。
「向こうの方は、こっちより積もっとる。荷馬車はもう通れん」
何人かが頷いた。
「南の便は、春まで止まると思っとけ」
「手紙も、ですか?」
俺が聞くと、ヨルクさんがこちらを見た。
「荷と一緒だ。運ぶ人間が来んことにはな」
「いつごろ、また通れますか?」
「早くて、ヴェークの月の終わりだな。雪次第だが」
俺は指を曲げかけ、やめた。
ヴォルドの月から数えて、半年近く先だ。
「歩いて行く人も、いないんですか?」
「歩いて行くのはやめとけ。冬の山に登るのは、命を捨てるようなもんだ。慣れん者が行っても、遭難するだけだ」
書いたものは預かれる、とヨルクさんは言った。ただし、出せる日までは約束できない。
俺は礼を言った。
雪が深くなれば、旅はしにくくなる。それは知っていた。便りも、遅くなるだろうと思っていた。
ただ、春まで一通も出せないかもしれないとは、考えていなかった。
*
午後、洗い場の仕事を終えたルーチェと、集落の外れまで歩いた。
森の入口へ続く道は、途中から雪に隠れていた。今日はそこまで行かず、家々が見えるところで止まった。
「そういえば、もじのへんじも、まだかな?」
「まだ来てないな」
「わすれられてたら、どうするの?」
俺は森を見た。
木の間には、誰も見えなかった。
「道を歩けるときに、また聞きに行こう。今日はやめておく」
返事は冬になるかもしれないと言われていた。その冬が来たからといって、今すぐ返してもらえるわけではない。
預けた二枚の写しを思い出した。リーナの母親が遺した一行と、大書庫で見つけた注釈。俺の手元にも、同じものは残してある。
どこまで読めたのか、聞ければいい。
何も分からないなら、それだけでも知りたかった。
風が吹き、枝の雪が落ちた。ルーチェが首をすくめたので、俺たちは引き返した。
*
婆さんの家では、干してある草を少しずつ分けた。
今日は立って歩いた時間が長い。籠を膝へ載せる前に、婆さんが台を寄せてくれた。
同じ葉を二度確かめていると、婆さんの手が伸びた。
「それは、さっきも見たろう」
「……はい」
「気になるなら、そっちへ分けときな。あとであたしが見る」
俺は葉を別に置いた。
仕事に集中しようとしても、春という言葉が頭に戻ってきた。
「手紙のことか?」
「聞こえてましたか?」
「昼に、あれだけ聞いとったじゃないか」
俺は苦笑した。
「アシェンの家族に、ここで冬を越すと知らせたくて」
「今すぐは出せんね。だが、書くものまで取り上げられたわけじゃないだろう」
婆さんは分けた葉を手に取り、顔へ近づけた。
俺も次の束を取った。書きかけの紙を、夜には出そうと思った。
*
小屋へ戻って戸を閉め、ルームへ入った。
ルーチェが竜の姿へ戻るあいだに、食卓へ紙とペンを出した。
港町から出した便りには、海のことを書いた。順調なら三週間あまりで届くと言われたが、実際に着いたかどうかは知らない。
次には滞在先を知らせるつもりだった。
森の縁で仕事を見つけたところまで書きかけて、その紙も、まだ俺の手元にある。
ルーチェなら、飛べる。
そう考えて、寝床の方を見た。
この子に乗って峠の向こうへ出られれば、手紙を預ける場所があるかもしれない。
けれど、俺たちはこの山の冬を知らない。風の強さも、休める場所も、戻ってくる道も。
便りを運ぶために二人で出て、また帰れなくなったら。
俺はペンを握り直した。今、その頼みをする気にはなれなかった。
——レイ、なにをかくの?
「ここで冬を越すこと。手紙が春まで出せないことも」
言ってから、紙を見た。
それを読んでもらえるのが、春になってからなのだ。
最初に書いた「元気です」のところで、手が止まった。
少し考え、次の行へ移った。
——今は、森の縁の集落にいます。ルーチェは水汲みをして、俺は薬草の仕事をしています。
書いたあと、もう一行足した。
——怪我をして何日か休みましたが、今は歩けるようになりました。ここの人たちに世話になっています。
穴の中のことは、書かなかった。
*
ルーチェが寝床から頭を上げていた。
——てがみをだせないの、かなしい?
「寂しいな。向こうで何があっても、しばらく分からない」
アリア姉は、まだ同じ鍋を使っているだろうか。孤児院のみんなは元気だろうか。
俺がいないところで、毎日が過ぎていく。そのことは分かっていたのに、便りの道が止まると、急に遠く感じた。
——はるになったら、みんながよんでくれるよね。
「そう思って、書いておく」
——わたしのてがみも、いれて。
俺は振り返った。
「何を書く?」
——わたしがいうから、レイがかいて。
「うん。聞いてる」
ルーチェは考えるように、前脚を揃えた。
——こっちは、ゆきがふりました。
俺はそのまま書いた。
——おみずをはこんでます。ちいさいおけだけど、こぼさないで、もっていけます。
書いてから読み上げると、ルーチェは頷いた。
——あと、アリアねえのシチューが、たべたいです。
俺は少し笑った。
「それは、俺も書いていいか?」
——いいよ。ふたりぶんって、かいて。
最後に二人の名を書いた。
*
インクが乾くのを待って、雪が来た日だと書き足した。
次の便りにも、何があった日かを書こうと思った。出せなくても、いつ何をしていたかは残せる。
紙を畳み、ボックスへ入れた。
中では時間が止まる。けれど、この紙に書いた俺たちと、春の俺たちは同じではないだろう。
家族へ持ち帰る魚も、まだ中にある。人数ぶんを買って、食べてもらおうと決めたものだ。保てることと、届けられることは別だった。
食卓を片づけ、ルーチェの寝床の横へ毛布を広げた。
——きょうかいたの、だすのわすれないでね。
「忘れない。春の便が来たら、持っていく」
俺が横になると、ルーチェも頭を下ろした。
小屋の戸口には、明日も雪が積もるかもしれない。起きたらまず、外を確かめよう。
その話を手紙に足すなら、紙はまた一枚要る。




