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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第四章 北の森

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追われた暗がりと、上着の中の包帯

通路を進んでいると、また天井が低くなった。


 頭をぶつける前に気づいたのは、壁を伝っていた右手に、斜めに張り出した石が触れたからだった。


 腰を屈め、鞄の斧が引っ掛からないように押さえて通った。


 その先で、右の壁が途切れたので、足を止めた。


 手を戻して角を探し、その向こうへ触れていく。壁は横へ続いている。


 どうやら、広いところへ出たみたいだ。


 水袋が体に当たる音が、さっきより遠くへ返った。


 そのあとに、別の音がした。


 硬いものが石に当たる音が聞こえた。


 俺は動かずに息を潜めた。


 また、鳴った。


 その向こうから、低い息遣いが聞こえた。


 自分の呼吸ではない。


 口を閉じても、その音は聞こえていた。


 右手を角から離さないまま、片足を後ろへ戻した。


 そのとき、靴の下で小石が鳴ってしまった。


 その音で、向こうの呼吸が止まった。


 次の瞬間、向こうから足音が一気に近づいてきた。


*


 俺は急いで反対側を向こうとして、肩を壁にぶつけた。左腕に痛みが走ったが、止まれなかった。


 辺りを探る余裕はなかった。


 靴が石に当たっても、そのまま踏み越えた。転びかけるたびに右手を壁へ突き、前へ進んだ。


 背後で、鋭いもので床を抉るような音が聞こえた。


 近い。


 低いところ。


 さっき屈んだ場所がある。


 右手に張り出した石が触れ、俺は頭を下げた。


 鞄を引き寄せ、ほとんど四つ這いで抜ける。


 後ろで、何かがぶつかった。


 石の欠片が背中に落ちた。


 俺はそのまま這って進み、天井が高くなったところで立った。


 足音は、そこで一度止まった。


 息を吸った。


 吸い終わる前に、石を擦る音がした。


 続いて、硬いものが砕けた。


 また、砕けた。


 あそこを、通ってくる。


 俺は壁に手を戻し、走った。


*


 エルフの文字がある部屋へ戻ったのかどうかも、途中から分からなくなった。


 何も見えないまま、右手の感覚だけを頼りに進んだ。角に触れれば曲がり、壁が途切れて手が届かなくなれば、別の壁を探した。


 一度、細い隙間へ体を押し込み、口を袖で塞いだ。


 足音が近づいてきた。


 すぐ前を通り過ぎ、少し遠ざかった。


 止まった。


 俺も動けなかった。


 足元に触れた石を拾い、音が遠ざかった方へ投げた。


 石が跳ねた。


 床を抉る音がそちらへ動いた。


 俺は隙間を出た。


 走り出すと、すぐに背後で足音が向きを変えた。


 長くは離せなかった。


 次に拾った石も投げた。今度は、その音が止まっただけだった。


 少し待って、またこっちへ来た。


 俺の息の音や匂いを、たどってくるのかもしれない。


 服の擦れる音かもしれない。


 何を頼りに追ってくるのか、分からなかった。


 息を殺したくても、もう口を閉じていられなかった。


*


 鞄が壁に引っ掛かった。


 体だけが前へ行き、紐が肩に食い込んだ。


 引き戻そうとしたとき、乾いた音がした。


 次の瞬間、重いものが床に落ちて、鉄が石を打つ音が通路に響いた。


 斧だった。


 鞄から飛び出していた頭が、石の隙間に噛んだらしい。


 ヨルクさんに借りたものだ。


 とっさに伸ばした指に、途中で裂けた柄が触れた。


 後ろで、また床を抉る音がした。


 俺は手を離した。


 立ち上がってからも、落とした場所へ戻りそうになった。


 戻れなかった。


 鞄が軽くなり、その分だけ速く動けるはずなのに、足はもう上がらなくなっていた。


*


 壁の根元に、体を横にすれば入れる窪みがあった。


 右手で奥を探り、頭から潜った。


 背中を丸め、足を引き込む。


 何かが入口の石を砕いた。


 すぐ近くだった。


 石の欠片が頬へ落ちた。


 俺はさらに奥へ寄った。左肩が壁に押され、痛みで声が出かけた。


 右手で口を押さえた。


 硬いものが石を擦る音が続いた。


 ここにいると、分かっている。


 俺は腰の小袋を探った。火打石と、残しておいた苔。


 上着の裾へ小刀を入れ、前に裂いたところから内側の布を切り取った。鞘の口が見つからず、指で確かめてから刃を収めた。


 窪みの奥へ布と苔を置き、火打石を打つ。火花は散っては消え、その間にも入口で石が鳴った。足を縮めた拍子にこぼれた苔を指で寄せ、もう一度打つと、小さな赤い点が残った。


 荒い息のままでは吹き消してしまいそうだった。口を近づけて細く吹くと、煙が上がり、布の端へ火が移って小さな炎になった。


 入口の縁が見えた。


 その向こうに、太く毛に覆われた脚が見えた。


 爪が石に掛かっている。


 俺は布の燃えていない端をつまみ、入口へ差し出した。


 脚が引いた。


 擦れる音が遠ざかった。


 今だ。


 燃える布を外へ放り、俺は窪みから這い出した。


 火のある方とは反対へ、壁を伝って走った。


 背後の明かりは、すぐになくなった。


 すぐ近くで、また床を抉る音がした。


*


 最初に触れられたのは、背中だった。


 上着が引かれた。


 首元が締まり、次の瞬間、布が裂けた。


 体が前へ投げ出された。右手を突き、そのまま這って角を曲がった。


 二度目は、右腕だった。


 壁へ伸ばしていた腕に、熱いものを感じた。


 手を引き寄せると、袖の内側が濡れていた。


 指を動かした。


 動いた。


 それだけ確かめて、また壁を探した。


 止まると追いつかれる。


 走ると足元が分からない。


 どちらも分かっているのに、足が勝手に速くなった。


 右手に、角張った石が触れた。


 壁だと思って曲がると、すぐ向こうにも角があった。


 柱のようだ。


 それを回り込んだところで、横から音がした。


 避ける方へ足を出すより先に、脇腹を打たれた。


 熱かった。


 息が抜けた。


 床に倒れ、腕を伸ばした。指は何も掴めなかった。


 体が滑り、低い段差の下へ落ちた。


*


 顔のすぐ前に石があった。


 背中にも、石が触れていた。


 俺は膝を腹へ寄せた。そのとき、右腕と脇腹が鋭く痛んだ。


 上で爪が鳴った。


 何かが隙間へ差し込まれ、服に触れた。


 俺は踵で床を押し、さらに奥へ体をずらした。


 また、爪が入ってきた。


 今度は届かなかった。


 息を止めようとしたが、止められなかった。


 口から短い息が漏れる。


 向こうも、息をしていた。


 しばらく石を砕いてから、その音は離れた。


 いなくなったのか。


 耳を澄ました。


 少し遠くで、爪が一度だけ鳴った。


 俺は顔を伏せた。


*


 脇腹に手を当てた。


 濡れていた。


 裂けた上着の下から、温かいものが指へ移った。


 傷は見えない。どのくらい切れているのかも分からない。


 押さえている手を離したくなかった。


 けれど、片手では上着の内側をうまく探れなかった。


 少し体を起こし、左手を差し込む。肩が痛んで、肘が上がらない。


 右手を一度だけ脇腹から離し、内ポケットへ入れた。


 布包みがあった。


 落としていなかった。


 膝に挟み、包みを開いた。


 指が滑る。紐を引くつもりで、巻いた布の方を引いてしまった。


 少しずつほどいた。


 王都を出る前の日に買った包帯だ。


 ひと巻きだけ、ボックスへ入れずに持っていた。


 俺はその端を折り重ね、脇腹へ当てた。傷が痛んで思わず手が緩み、布を落としそうになったが、何とか押さえた。


 また近くで、石を砕く音がした。


 俺は慌てて動きを止めた。


 音が離れるまで、布を押さえていた。


 そのあと、残りを体へ回した。


 背中へ手を回すと、左肩が痛んだ。布の端を取り落とし、腰の下から引き出した。


 何度も止まった。


 巻き終えても、これで足りるのかは分からなかった。


 結び目を右手で押さえ、壁へ頭を預けた。


 包帯がなかったら、また上着を裂いていた。


 その上着も、もう背中が破れている。


 内ポケットの空いたところへ触れた。


 ここに包帯をひと巻きだけ分けておいて、よかった。


*


 またルームを開こうとしたが、入口は現れなかった。


 エルフの文字がある部屋からは離れたはずだ。


 それでも、集めた魔力は形にならずに散った。


 もう一度試したが、駄目だった。


 同じように、ボックスも開かない。


 薬草は持っている。


 水も、食べ物も、替えの服もある。


 物はあるのに、取り出せない。


 ルーチェへ繋がる感触を探した。


 まだ残っていた。


 けれど、今は自分の痛みと恐怖でいっぱいで、向こうの様子まで考えられなかった。


「ルーチェ」


 それだけ言った。


 続けようとして、喉が詰まった。


 まずは落ち着かないといけない。そう思ったのに、体が震えてきた。


*


 寒くなってきた。


 背中の裂け目から、冷たい空気が入る。


 動かずにいると、脇腹に当てた布まで冷たくなった。


 俺は水袋を探し、少しだけ飲んだ。


 栓を閉めるのに、両手が要った。


 どれくらい待てば、あれはいなくなる。


 耳を澄ましても、しばらく音はしなかった。


 そのあと、すぐ上で石が鳴った。


 俺は膝を引いた。


 爪がまた差し込まれた。


 入口の縁を砕き、欠片を落としていく。


 さっきより、奥へ来ている気がした。


 俺は右手を体の横へ伸ばした。


 段差の下の隙間は、横へ続いていた。


 どこまで続くかは分からない。


 腹を庇いながら、少しずつ体をずらした。


 布が床に擦れた。


 止まって、音を聞く。


 爪はまだ、元の場所を抉っていた。


 もう少し進んだところで、背中を塞いでいた石が途切れた。


 そこから、外へ出た。


*


 最初の数歩は、ゆっくり歩けた。


 右手で壁を探り、左の肘で脇腹を押さえた。


 その次の角へ着く前に、足音が近づいてきた。


 俺はまた走った。


 走るたびに、巻いた布が傷に触って痛みが走り、足がもつれた。


 右手を壁へ突くと、腕の傷が痛んだ。左手で支えようとすれば、肩が動かなかった。


 それでも、止まれなかった。


 曲がって、壁を探し、音が近づけばまた動く。


 どこへ向かっているのか、もう考えられなかった。


 途中で、小刀の柄に手が触れた。


 あの太い脚を思い出した。


 刃を届かせるには、こっちから近づかなければならない。


 俺は柄から手を離し、壁へ戻した。


 次の一歩で、膝が折れた。


*


 立とうとして、右手を床へ突いた。腕が震え、肘が伸びかけては、また曲がった。


 もう一度やって、膝を立てるところまではいけた。そこで止まった。


 息を吸っても吐いても脇腹が痛み、どこへ体を預けても痛かった。


 もう、いいか。そう思った。


 しばらく座って、追いつかれることも、ルームが開かないことも、少しだけ考えるのをやめたかった。


 ここまでやった。もう立てない。それなら仕方がないと、誰かに言ってほしかった。


 俺は壁へ額をつけた。


 ルームは、どうなる。


 扉を閉じたとき、ルーチェは中にいると言った。


 次の休憩で、また声をかけるはずだった。


 俺がここでやめたら、あの子はいつまでも出られない。


 俺は壁に右手をつき、指を広げた。


 一度では立てなかった。


 足の位置を変え、背中を壁に押しつけた。膝が震えながら伸びた。


 何とか立つと、頭がふらつき、しばらく動けなかった。


 それから、一歩踏み出した。そしてもう一歩。


 後ろで、爪が鳴った。


*


 衝撃で足が床を離れ、何に打たれたのかも分からないまま、体が落ちた。背中を擦りながら滑り、止まった。


 口を開けても、息が入らなかった。もう一度開けると、少しだけ入った。


 仰向けになっていた。天井は見えない。


 右手を動かそうとしたが、動いたのかどうかもよく分からなかった。脇腹を押さえなければと思っても、手はそこまで届かなかった。


 石を砕く音がした。遠いのか近いのか、もう分からなくなった。


*


 皿の音がして、誰かが椅子を引いていた。ミコが人数を数えている。途中でテオとルカの声が重なり、何を取り合っているのかは分からないまま、ハナが叱った。いつもの声だった。


 俺はそちらを向こうとしたが、首が動かなかった。


 豆を煮る匂いがした。根菜と、少しの肉も入っている。台所と食堂の間から、湯気が流れてくる。


 アリア姉が鍋の蓋を開けると、みんなが黙った。その短い静けさを、俺は知っていた。


「レイ。手を洗った?」


 返事をしようとしたが、声が出なかった。


 手を洗ってから座るから。俺の分も、残しておいて。


 そう思って、まだ帰っていないことを思い出した。


 港町で買った魚を持っている。一匹だけじゃない。


 みんなで食べられるように、買い足した。


 ルーチェと、持って帰ると決めた。


 誰かが椅子を引いた。


 俺もそこへ行こうとしたが、体は動かなかった。


 鍋の蓋が置かれる音を最後に、何も聞こえなくなった。


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