冬支度と、フードを取れない日々
集落の朝は、斧の音で始まった。
男たちが伐採する場所へ向かい、残った者が薪を割る。昼には丸太を引く音が道を通り、夕方には、それが家々の脇へ積まれていた。
俺たちの借りた小屋にも、ヨルクさんが板を持ってきた。
「ここを押さえてろ」
言われた場所を押さえると、すぐ近くで槌が鳴った。
壁の隙間が一つ塞がる。
屋根の傷んだところも直してもらい、俺はその間、古い板と木屑を運んだ。
「雪が積もったら、入口の前は毎朝どけろ。放っとくと戸が開かん」
「はい」
冬まで待つ。
そのために要る仕事が、毎日少しずつ分かってきた。
*
俺の仕事場は、ハンナ婆さんの家だった。
草を受け取り、広げて確かめ、傷んだものを除く。乾いたものは束ね直し、まだ湿っているものは別にする。
マルタさんの店でやっていたことと、手順は似ていた。
違うのは、知らない草が多いことだった。
【ハイマツヨモギ/北方の高地に自生。乾かして粉にすれば止血に使える】
名前と用途は出た。
けれど、婆さんの棚にある粉と、今受け取った草を、そのまま同じものとして扱っていいかは分からない。
「婆さん。これは、どの時期に採ったものを使うんですか?」
「花が終わってからだよ。今なら、東の山の尾根にある」
「このくらいの葉で?」
手元へ寄せると、婆さんは指で触った。
「そう。その厚さを覚えときな」
俺も、隣の葉を触った。
見た目では分かりにくかったが、指で挟むと違いがあった。
「こっちは薄いですね」
「日陰で育ったやつだろうね。採る場所でも違う」
紙に書こうとして、先にもう一度触った。
婆さんはそれを待ってから、次の束を渡してきた。
*
ルーチェは、洗い場で仕事を教わっていた。
最初の日は一緒に行き、俺が働く家の場所も確かめた。
昼になれば、婆さんの家へ来る。
ほかの場所で手伝いを頼まれたときは、行く前に知らせる。
そう決めて始めたが、三日目には、俺より先にその日の順番を知っていた。
「きょうは、あらいばのあと、まきをはこぶ」
「薪も運ぶのか?」
「わたしは、ちいさいのをはこぶの。おおきいのは、あっち」
指した先では、二人がかりで太い薪を運んでいた。
ルーチェの抱える籠には、細く割ったものが入っている。
持とうとすると、少し体を引かれた。
「これは、わたしのしごとだから」
「……そうか」
俺は手を戻した。
そのまま歩いていく後ろ姿を見ていると、洗い場から名前を呼ばれた。
「ルーチェ、こっちの家へ頼むよ」
「はーい」
返事をして、角を曲がっていった。
*
困ったのは、フードだった。
桶を覗くと、フードが前へ垂れて手元が見えなくなる。体を起こせば、今度は後ろへずれて髪が覗きそうになる。そのたびに濡れた手で直すので、昼に会うころには、顔の周りの布が湿っていた。
「邪魔なら、そのかぶり物は取っていいんだよ」
洗い場で、そう声をかけられているのを聞いた。
ルーチェは首を振った。
「だいじょうぶです」
相手はそれ以上言わず、次の桶へ移った。
その夜、ルームでフードを干しながら、俺は聞いた。
「洗うとき、邪魔か?」
ルーチェは髪の生え際を指で掻いた。
「ちょっと。した、みえなくなる」
「そうだよな」
「でも、とらないよ」
俺は湿った布を見た。
髪を見られたくない。それは変わらない。
だからといって、この子が毎日、濡れた布を顔の周りに垂らして働くのを、そのままにしておくのも違った。
「洗い場の人たちみたいに、布を巻いてみるか?」
「かみは、かくれる?」
「全部入るようにしてみよう」
手持ちの布を出し、広げた。
一度目は、後ろが余った。
二度目は、結び目をきつくしすぎた。
「レイ、いまむすんだとこが、ちょっといたい」
「悪い。少し緩める」
長い髪をまとめて布の中へ収め、額のところを折り返した。横からも、後ろからも、髪が出ていないか確かめる。
ルーチェが首を振った。
布は落ちなかった。
「どうだ?」
「うん、ちゃんとみえる」
椀を持って、下を向いてみる。
「これがいい」
目の色までは隠れない。
フードのときも、顔を上げれば見えるものだった。それが気になって、俺は額の布をもう少し下げかけた。
「そこまでさげると、またみえなくなるよ」
手を止めた。
「……これくらいか?」
「うん」
*
翌朝、布を巻いたルーチェを見て、洗い場の女の人が頷いた。
「そっちの方が仕事しやすいね。濡れたら替えな」
ルーチェは布へ触れ、それから桶を受け取った。
誰も、取るようには言わなかった。
昼には少し結び目が緩んでいたので、小屋で巻き直した。替えの布も用意した。
それだけで、前より顔を触る回数が減った。
ある日、ルーチェは干した果物を二切れ持って帰ってきた。
「まきをはこんだから、くれたの」
「よかったな」
「こっちは、レイのね」
小さい方を渡された。
俺が見比べると、ルーチェは大きい方を口へ入れた。
自分がもらった分だから、自分の方が大きいらしい。この子らしい。
そう思いながら、俺も小さい方を食べた。
*
働き始めて八日目、ハンナ婆さんが棚の籠を下ろした。
「ハイマツヨモギが足りないね」
「どれくらいですか?」
「冬の間、村で使う分だよ。今あるだけじゃ、途中でなくなる」
「東の山の尾根でしたね」
「ああ。採って戻るなら、二日は見ときな」
二日。
俺は籠の残りを見た。
道順を教えてもらい、採る場所と量を紙に書いた。閉められている森の道へ入る必要はないことも、確かめた。
「妹も一緒かい?」
「そのつもりですが、今日、話します」
婆さんは頷いた。
「行くなら、ヨルクにも聞いときな。尾根の道は、あの男の方が知ってる」
*
夕方、ルーチェに採取の話をした。
「一泊することになると思う。明後日には戻るつもりだ」
「レイ、わたしも?」
「ルーチェにも一緒に来てほしいと思っている」
この子を残して泊まりがけで出るのは、まだ不安だった。
眠れば竜に戻る。いつもの寝床も、俺と一緒に移動してしまう。
ルーチェは、干していた布を畳んだ。
「わたしも、いきたい」
それから、手を止めた。
「でも、あしたは、みずくみのしごとがあるの」
「ああ」
「わたしが、ちいさいおけをはこぶの」
その桶の大きさを、俺は知っていた。
誰と組んで、どこへ運ぶのかは知らなかった。
「代わってもらえるか、聞いてみようか?」
「かえったら、かわりにやればいい?」
「それも、相談しよう」
ルーチェは頷いて、畳みかけの布を置いた。
「いまから、きいてくるね」
「俺も行く」
外へ出ると、ルーチェは迷わず洗い場へ向かった。
俺の知らない名前を呼び、明日のことを話し始める。
水汲みの順番が変わった。代わりに、帰った翌日の分を引き受けることになった。
俺が口を挟む前に、話がついた。
少しだけ、手持ち無沙汰だった。
マルタさんの店でも、この子には自分の仕事があった。
ここでも、俺が頼む前に、自分で話せる相手ができている。
「レイ、いいよっていってくれた」
「ここから聞いてたぞ」
そう答えると、ルーチェはほっとした顔で笑った。
*
出発の前に、ヨルクさんが斧を一本貸してくれた。
使い込まれていたが、刃は研がれている。
「道に被さった枝を払うくらいにしとけ。無駄に木を倒すなよ」
「はい」
「それと、霧が出たら動くな。あっという間に濃くなる。特に尾根の方は、見えてた道が分からなくなる」
ヨルクさんは、俺が描いた道順の途中を指した。
「この辺りだ。戻ろうとして歩き回るのが一番まずい。足場を確かめて、待て」
俺はその場所に印をつけた。
小屋へ戻って、水と食料を用意する。
ルームの食卓にも、ルーチェが食べられるものと水を置いた。
「尾根は冷えるらしい。寒くなったら、ルーチェはルームで待っててくれ」
「うん」
「休むときには開ける。一緒に外へ出られる所なら、出よう」
ルーチェは、食卓の包みを確かめた。
「こっちは、わたしのぶん?」
「ああ」
今度は、大きさを比べられないように分けておいた。
*
翌朝、集落を出た。
水汲みを代わってくれた女の人が、桶を持ったまま手を上げた。
「気をつけておいで」
「いってきます」
ルーチェも手を振った。
家々が木の陰に隠れてしばらくすると、風が強くなった。ルーチェが首元を押さえ、俺の袖を引いた。
「もう、ルームにはいっていい?」
「ああ」
道の前後と木々の間を確かめ、ルームを開く。
ルーチェは中へ入ると、頭の布を外した。
金色の髪が肩へ落ちた。
「あとでな」
「うん」
ルームを閉じ、俺は東へ歩き出した。
*
はじめのうちは、歩きやすい道だった。
踏み跡があり、枝を払った跡もあった。教わった目印を確かめながら進む。
登るにつれて、道は細くなった。
木の間から風が抜ける。足元には濡れた葉が重なり、その下に石や根が隠れていた。
昼の休憩では、一度ルーチェに声をかけた。
ルームの中でパンを食べ終えたところだった。外の風を見て、もう少し中にいると言った。
俺も食べてから、先へ進んだ。
ハイマツヨモギがあったのは、尾根の南向きの斜面だった。
灰色がかった葉が、低くまとまって生えている。
鑑定を通し、葉の厚さを指で確かめた。花は終わっていた。婆さんから見せてもらったものと、形も手触りも合っている。
使うところを選んで採る。
土や枯れ葉を除き、ボックスへ収めた。湿りは、帰ってから干せばいい。
何度か繰り返したところで、光が薄くなった。
顔を上げる。
尾根の向こうから、白いものが上がってきていた。
*
霧だった。
木の幹が一本、白い中へ消えた。
その隣も消える。
俺は採取をやめ、手元の草をしまった。
まだ周りが見えるうちに、すぐそばの岩陰へ寄った。靴で地面を踏み、腰を下ろす。
ここで待つ。
ほどなく、数歩先も見えなくなった。
風の音はするのに、どちらへ吹いているのか分かりにくい。霧の中から枝が現れるたび、さっきまで近くになかったものが寄ってきたように見えた。
俺は上着の襟を立てた。
ルーチェは、ルームにいる。
寒くなれば入れる。人がいれば姿を隠せる。そのたびに、俺が開けて出せばいい。
今までと同じだった。
霧が薄くなったら、もう一度声をかけよう。今日は採取を切り上げ、下りられそうなら下りる。
そう考えながら、岩に背を預けた。
しばらくすると、濡れた地面に座っていたせいか、少しずつ体が冷えてきた。
膝を曲げたまま待っていたので、足先の感覚も鈍い。
俺は座り直そうと、片手を岩へついた。
腰を浮かせ、足の位置を少し変える。
そのとき、靴の下で何かが裂ける音がして、俺は足元を見た。
枝かと思ったが、違った。
細い割れ目が、靴の下を抜けて地面を走っていく。
俺は割れ目から逃れようと岩へ手を伸ばしたが、濡れた表面で指が滑った。
両足から、割れ目に飲み込まれるように沈んでいく。
さっきまで座っていた地面が崩れ、白い霧が一気に頭上へ遠ざかった。




