斧の音のする集落と、竜の血の噂
借りている小屋を出ると、斧の音が聞こえた。
一度、二度。少し間が空いて、また一度。
前に水場を教えてもらった道を進むと、丸太を組んだ家々が見えてきた。屋根には重しの石が並び、軒の下には薪が積まれている。
今日は、その奥まで行く。
鞄の中には、干し上がったヤナギバを入れてあった。
「レイ、あっちからもおとがする」
ルーチェが指した方から、金属を叩く音がした。
開いた戸の向こうで、炉の火が赤く光っているのが見える。そして壁には斧の頭が幾つか掛けられていた。
「鍛冶屋だな」
薪を割る場所から、それほど離れていない。
俺は鞄の紐を持ち直し、斧を振っている男の方へ歩いた。
刃が下りるのを待って、声をかける。
「すみません」
男は割れた薪をどけてから、こちらを見た。
髭が濃く、腕が太い。斧を持っていない方の手にも、節が目立っていた。
「ああ。外れの小屋にいる子らか」
「はい。使わせていただいて、ありがとうございます」
「雨は入らんか?」
「壁際が少し。でも、濡れない場所で休めています」
「あそこは、風が変わると吹き込むんだ」
男は斧を立てかけ、手の木屑を払った。
「それで?」
「しばらく、この辺りで働けないかと思って来ました」
*
レイと名乗り、ルーチェを妹として紹介した。
ルーチェもフードの下から頭を下げた。
「ルーチェ、です」
「俺はヨルクだ。森の方で止められたんだってな」
「はい。返事を待つことになりました」
「返事?」
「調べてほしいものを、預かってもらっています」
ヨルクさんは俺の顔を見た。
何を、と聞かれるかと思ったが、聞かれなかった。
「冬までいるつもりか?」
「そうなるかもしれません。暮らせるなら、待ちたいです」
「食い扶持は、自分たちで何とかしてもらうぞ。冬はどこの家も余分に抱えられん」
「はい。薬草の扱いなら、できます」
ヨルクさんの目が鞄へ下りた。
「薬草?」
「王都の薬屋で、三か月ほど働いていました。その前も、育った町の薬屋に通っていて」
「歳は?」
「十二です」
ヨルクさんは俺を見直した。
説明を続ける代わりに、ヤナギバの包みを出した。
「薬草を干したものを持ってきました。見てもらえる人はいますか?」
ヨルクさんは包みを覗いたが、触らなかった。
「俺に見せても分からん。こっちだ」
家の間の細い道へ入っていく。
俺たちは、その後を追った。
*
「ハンナ婆さん。薬草を持ってきた子がいるんだ。ちょっと見てくれんか?」
ヨルクさんが戸口から呼ぶと、奥で椅子を引く音がした。
小さな家だった。
壁の棚に籠が並び、梁から束ねた草が下がっている。乾いた葉の匂いに混じって、煮出したような苦い匂いがした。
奥から出てきた婆さんは、俺の顔を見るために、かなり近くまで寄ってきた。
「誰だい?」
「レイといいます。仕事を探しています」
「じゃあ、その草を出しな」
包みを開いて差し出す。
ハンナ婆さんは葉を一枚取り、指で曲げた。それから茎を確かめ、葉を揉んで鼻へ寄せた。
「……よく乾いてる」
俺は、少し息を吐いた。
「どこで干した?」
「自分で干す場所を作りました。雨に当てないようにして、少しずつ」
部屋のことまでは言えなかった。
婆さんはもう一度、葉を指で擦った。
「ここらじゃ、外に吊るしただけじゃこうはならん。夜のうちに湿り直す」
「はい。外では、うまくいきませんでした」
「そうだろうよ」
葉を包みに戻すと、今度は棚を指した。
「あの籠を見ておくれ。似た草が混じってる気がする」
「どれですか?」
「手前の二つ。そこの布へ広げな」
俺は上着を脱ぎ、袖をまくった。
*
最初の籠には、知っている草が入っていた。
葉を重ならないように広げ、形と裏側を確かめる。
一本だけ、茎の付き方が違った。
指で触れ、鑑定でも確かめてから、端へ分けた。
「これが別の草です」
婆さんの手元へ置く。
細い指が葉の縁をたどった。
「ああ。こっちの方が硬いね」
「乾くと、色がよく似ています」
「生のうちなら、もう少し分かるんだが」
婆さんは二本を並べ、もう一度触れた。
次の籠には、見覚えのない草があった。
鑑定には名前が出た。それでも、この土地でどう呼び、どう扱うのかは分からない。
「これは、全部同じものとして集めたんですか?」
「そうだよ。根も使うから、捨てるんじゃないよ」
「はい」
俺は根を残したまま、一本ずつ並べ直した。
昼を過ぎるころには、窓から入る光の位置が変わっていた。ルーチェが空の籠を運び、婆さんに置き場所を聞いている。
結局、その日は籠を八つ見た。
三つの籠に、別の草が混じっていた。
除いたものは捨てず、元の籠が分かるように、それぞれ別の布へ載せた。
「ここまでは、確かめました」
婆さんが、俺の並べたものへ手を伸ばした。
「これは?」
「葉は似ていますが、根の匂いが違います」
揉んだ根を渡すと、鼻へ近づけて、短く息を吐いた。
「そうだね」
俺は次の布を寄せた。
婆さんは、最後の一本まで触って確かめた。
*
「それでアンタは、冬の間、手伝う気はあるかい?」
片付けを始めたところで、ハンナ婆さんが言った。
「あります」
「知らない草は、勝手に始末しないこと。今日みたいに、分けて聞きな」
「はい」
「飯は出す。寝るところは、ヨルクと話そう。あの小屋を使うなら、雪が来る前に塞がにゃならん所がある」
俺は手に持っていた籠を置き、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「妹は何ができる?」
「あらいものならできます」
俺が答える前に、ルーチェが言った。
「それと、おみずも、はこべます。まえのおみせで、やってました」
「重い桶もあるよ」
「ちいさいのなら」
「じゃあ、明日、洗い場で聞いてみな。運ぶものは草だけじゃないからね」
ルーチェが俺を見た。
俺は頷いた。
この子も、婆さんへ向き直って頭を下げた。
*
夕方、ヨルクさんに呼ばれて広場へ行った。
火の周りに丸太が置かれ、何人かが腰を下ろしていた。鍋から煮込みが配られている。
「座れ。婆さんから聞いたぞ」
ヨルクさんが場所を空けた。
椀を受け取ると、塩漬けの豚と根菜が入っていた。匙を入れただけで、根菜の角が崩れる。
ルーチェが一口食べ、もう一度すくった。
「うまいか?」
鍋のそばにいた女の人が聞いた。
「おいしいです」
「明日は洗い物を頼むからね」
「はい」
返事が、昼間より少し大きかった。
俺も煮込みを食べた。
仕事がある。寝る場所も、直せば使えるかもしれない。
明日、何をするかが決まっていく。
椀を持つ手が温まったころ、向かいの男が森の方を見た。
「今日も、奥へ入ってくのを見たぞ」
「何人だ?」
「三人。荷を引いてた」
ヨルクさんが口元を拭いた。
「今年は多いな」
「木を切る人ですか?」
俺が聞くと、ヨルクさんは首を振った。
「俺らは決められた所で切る。あいつらは、もっと奥だ」
「狩りですか?」
「密猟だよ。毛皮を狙うのもいるが、この頃は竜の話を聞いて来る奴がいる」
匙が、椀の縁に当たった。
俺のではなかった。
*
「北の谷にいるって話は、昔からあったんだ」
ヨルクさんは続けた。
「俺は見たことがない。だが、ここ二年ばかり、探しに入る奴が増えてる」
「本当にいるんですか?」
「鱗や爪を売る奴はいる。北で手に入れたと言ってな」
港の木箱が浮かんだ。
緑がかった灰色の鱗。
隣のルーチェは、椀を両手で持っていた。匙は中に置かれたままだった。
「一頭仕留めりゃ、一生働かずに済むって話だ」
向かいの男が言った。
「血も高いんだろ?」
「薬になるとかいうな」
「飲めば不老不死になるってやつか?」
ヨルクさんが、ふん、と息を漏らした。
「そういうことは、飲んだ奴を連れてきてから言え」
誰かが笑った。
俺は笑えなかった。
「……薬になるというのは、確かなんですか?」
「さあな。俺は、その薬を見たこともない」
ヨルクさんは椀に残った煮込みを口へ運んだ。
そこで話が途切れた。
俺も、何か言うべきだと思った。
今日、婆さんは葉を曲げ、茎を触り、匂いを確かめた。俺が分けた草も、自分の手でもう一度調べた。
血の話は、誰も確かめていなかった。
それでも、探しに来る人間がいる。
俺は匙を握り直した。
効くはずがない。
そう言ってしまいたかった。
だが、俺も知らない。知らないまま否定して、この話を終わらせたかっただけだ。
口へ入れた根菜を、なかなか飲み込めなかった。
*
鍋が空になるころには、話題は薪の量へ変わっていた。
冬が早いか。去年の雪はどうだったか。
俺は聞きながら、ときどき頷いた。
ルーチェは煮込みを残していた。もういらないかと小さく聞くと、頷いたので、俺の椀へ移した。
立ち上がる前に、ヨルクさんが言った。
「あと十日ほどで、ギルドの連中も来るらしい」
「ここへですか?」
「ああ。密猟の調べだとよ。毎年来るが、今年は四人か五人になるとか。腕の立つのもいるらしい」
ギルドカードが、上着の内側に入っている。
俺も、ギルドに登録している人間だ。
それなのに、その名前を聞いても安心できなかった。
王都で見た、金色の竜の情報を求める貼り紙を思い出した。
「来たら、分かりますか?」
「この人数の村だ。知らん顔が四人も来りゃ、嫌でも分かる」
ヨルクさんは立ち上がり、膝についた木屑を払った。
「あの小屋は、明日見に行く。中の荷を片付けとけ」
「……はい。お願いします」
ヨルクさんは空の椀を鍋の方へ運んでいった。
俺たちの小屋を直してくれる人だ。
竜の値段を話していたのも、同じ人だった。
*
小屋へ戻る道で、ルーチェは何も言わなかった。
戸を閉め、灯りをつける。
俺が水袋を置くと、後ろから小さく呼ばれた。
「レイ」
「うん」
「わたしの、ちも、くすりに、なるのかな?」
ルーチェは片方の腕を、もう片方の手で包んでいた。
俺は、その前にしゃがんだ。
「分からない。俺は調べたことがない」
指が、袖を少し握った。
「でも、確かめるために、お前から血を取るつもりはない」
ルーチェは俺の顔を見ていた。
「わたしはだれかに……とられるのは、いや」
「ああ」
俺は手を差し出した。
ルーチェの指が、ゆっくり腕から離れた。
その手を握る。
「ここでは、髪を隠していよう。人と話すときは、なるべく目を伏せて。外へ出るときも、どこへ行くか、お互いに分かるようにしよう」
「あしたの、あらいものは?」
俺は一瞬、返事に詰まった。
やめさせれば、その間は目の届く所に置いておける。
昼間、この子が自分で答えた声を思い出した。
「朝、一緒に行ってみよう。俺がどこで働いてるかも、教える」
「うん」
ルーチェはフードの端へ触れた。
「これ、かぶって、あらう?」
「……今は、そうしてくれ」
頷いて、手を下ろした。
俺には、それよりいいやり方が、すぐには浮かばなかった。
*
ルームに入ると、ルーチェはようやくフードを脱いだ。
額のそばの髪が、少し湿っていた。
人の姿がほどけ、金色の竜が寝床へ上がる。前脚を伸ばしてから、ゆっくり丸くなった。
俺は隣に座った。
干し場の扉は閉まっている。
あそこで乾かした草を、婆さんはよく乾いていると言った。それを見てもらって、明日の仕事が決まった。
ルーチェにも、洗い物の仕事ができた。
何もかも悪かった日ではない。
そう思おうとしていると、金色の目が開いた。
——あした、あのおばさん、いる?
「煮込みをくれた人か?」
——うん。
「洗い場で待ってると思う」
ルーチェは少し黙っていた。
——おいしかった。
「ああ」
俺も、最初の一口は覚えていた。
ルーチェが目を閉じた。
膝の上に置かれたフードを広げる。顔まわりの湿ったところを指で伸ばし、食卓の椅子に掛けた。
明日の朝までには、乾くだろう。




