干す場所がないという不便と、傾いた床
森のそばで三日目の朝、薬草の束をほどくと、内側の葉が湿っていた。
ヤナギバだった。
街道沿いで摘み、あとで広げようと鞄の外側へ挟んでおいたものだ。昨日の雨で濡れたのは、表だけではなかったらしい。
根元に指を入れる。
まだ傷んではいない。けれど、このまま束ねておけば蒸れて駄目になる。
「……あとで、じゃ駄目なんだよな」
マルタさんの店で、何度も確かめたことだった。
俺は束を解き、葉が傷んでいないか一本ずつ見た。
前の日、教えられた道をたどって、集落の外れまでは行ってきた。声をかけた人に水場を教えてもらい、使っていない小屋で数日、雨を避ける許しももらった。
冬の間も置いてもらえるかは、これからだ。
ひとまず眠る場所に屋根はできたが、その屋根にも隙間がある。壁際には薪が積まれ、乾いた床は、二人の荷物を置けばほとんど埋まった。
薬草を広げる余裕はなかった。
「そとは、またあめが、ふってる」
入口から顔を出していたルーチェが言った。
軒先から雫が落ちている。
俺は選り分けた薬草を、アイテムボックスへ収めた。
これで、ひとまず傷みは止められる。
ただし、次に出しても濡れたままだ。
*
ルームを開くと、いつもの食卓があった。
椅子が二つ。壁際に積み木。その向こうに、ルーチェが脚を伸ばして眠れる寝床。
王都で広げてから、毎晩使っている部屋だ。
中へ入ったルーチェがフードを脱いだ。髪に触れて、湿っている先を指でつまむ。
俺は部屋の隅に布を敷き、ヤナギバを数本だけ並べてみた。
ここでは時間が流れる。
空気も、外より乾いている。濡れた上着を置いておけば、やがて乾くことは知っていた。
薬草にも使えるかもしれない。
「ここで、ほすの?」
「少し試す」
ルーチェがしゃがみ、葉のそばへ鼻を寄せた。
「くさの、におい」
「ああ」
「においが、ごはんをたべるとこまで、くるね」
言われて食卓を見る。
近かった。
数本ならともかく、採ったものを全部並べれば、椅子を引く場所にまで届く。干した葉を選り分ければ、細かい屑も落ちる。
俺は寝床との間を歩いてみた。
草を踏まないようにすると、体が横向きになった。
「別に、干す場所が欲しいな」
壁に手を当てた。
部屋は広げられた。天井も高くできた。
それなら、この壁の向こうに、もう一部屋作れないだろうか。
*
ルーチェには、食卓の方で待っていてもらった。
試しに置いた草と布も、作業する壁から離す。
俺は板壁を見つめた。
扉が一つ。
その向こうに、細長い干し場。
思い描くと、自分の中から魔力が少し抜けていく感じがした。それから、壁に縦の線が走った。板が分かれ、取っ手が浮き出す。
「できた」
口にしてから、取っ手を引いた。
扉は開いた。
向こうにも、壁があった。
俺はしばらく、その壁を見た。
「レイ?」
「……扉だけできた」
ルーチェが食卓から身を乗り出した。
「おへやは?」
「まだない」
取っ手を握ったまま、もう一度、壁を見る。
開くところまで考えて、その先をちゃんと作っていなかった。
俺は扉を閉めた。
*
二度目は、向こうに空間ができた。
暗く細い隙間だったが、手を伸ばしても、すぐには壁に当たらない。
灯りを思い描くと、天井の辺りがぼんやり明るくなった。
床もある。
片足を載せ、体重をかけた。
体が右へ流れた。
「うわ」
戸口を掴んだ。試しに置いた空の籠が、床を滑って奥の壁にぶつかった。
傾いている。
見た目では、たいした傾きに思えなかった。それでも、足を離せば体が持っていかれる。
床を持ち上げるように直すと、今度は籠がこちらへ戻ってきた。
戸口で受け止める。
「そっちも、だめ?」
「今度は反対に傾いた」
ルーチェが、食卓に置いた積み木を一つ転がした。
積み木は、卓の上で止まった。
「こっちは、まっすぐだよ」
俺は食卓を見た。
それから、自分の立っている床を見た。
今ある部屋は、平らだった。
新しい部屋の床だけを頭の中で直そうとして、何と高さを合わせるのか決めていなかった。
俺は扉を開けたまま、戸口にしゃがんだ。
「こっちの床を、そのまま延ばすか」
板の継ぎ目を、向こうへ続ける。
今度は、籠を置いても動かなかった。
俺が乗っても、動かなかった。
ようやく息を吐き、立ち上がった。
頭が天井に当たった。
*
その日の作業は、そこでやめた。
広さと高さを直そうとすると、扉の形が歪む。扉を戻すと、今度は奥の壁が近づいてくる。
俺は壁から手を離して、椅子に座った。
魔力をそれなりに消費したせいか、指先に、力が入りにくかった。
「王都では、もっと簡単に広げられたんだけどな」
独り言のつもりだったが、ルーチェがこちらを見た。
「あのときは、おへや、おおきくしたね」
「ああ」
「こんどは、ふたつ?」
「そう。二つだ」
食卓も、寝床も動かしたくない。
今ある部屋をそのままにして、向こうへ別の部屋を足す。ついでに、その間には開け閉めできる扉が欲しい。
広げるだけのときより、考えるものが増えていた。
俺は紙を出した。
大きい四角を一つ。その横に、小さい四角を一つ。
つなぐ場所に、扉を書いた。
「まず、これだけだな」
「くさ、かくとこは?」
「それは、部屋ができてから」
横木も棚も、まだ描かなかった。
その夜は、新しい部屋を閉める前に、いつもの寝床を確かめた。床を踏み、壁に触れ、ルーチェにも横になってもらう。
——こっちは、いつもの。
「そうか」
金色の尻尾が、寝床の端でゆっくり動いた。
俺はその脇に座り、手の力が戻るまで休んだ。
*
次の日、隅に広げたヤナギバを確かめた。
表面の水気が抜けていた。
まだ仕上がりには遠いが、湿ったままではない。葉を裏返して、もう少し間を空けた。
アイテムボックスへ入れた分も一本出して比べる。
そちらは、昨日のまま濡れていた。
「こっちに出していれば、薬草は乾くんだな」
ルーチェも二本を見比べた。
「おへや、できる?」
「作る。ただ、少しずつな」
空いた時間に、壁へ手を当てた。
床を決める。次に奥の壁。それから、立っても頭を打たない高さまで天井を上げる。
一つ変えるたびに、手を離して確かめた。
食卓側の扉も、毎回開け閉めした。
魔力が減ったと感じたら、その日は終わりにした。食事を作り、水を運び、借りた小屋を片付ける。その合間に、少しずつ形を直した。
ルーチェは進み具合を見に来た。
「きょうは、あたま、ぶつけない?」
「今日は大丈夫」
「かごは?」
「滑らない」
答えてから、念のため置いた。
籠は、置いた場所に留まった。
*
部屋の形が落ち着いたのは、作り始めて五日目の夕方だった。
扉の向こうに、細長い床が続いている。
広くはない。大人が三人入れば、互いに避けて歩くことになるだろう。
それでも、一人で草を選り分けるには足りる。
両手を上げても天井には触れない。壁の上の方に、横木を二本渡した。
窓は作らなかった。
どこへ通じる窓を作ればいいのか、思い浮かばなかったからだ。
空気がこもらないかは、使いながら確かめるしかない。
俺は乾いた細い草の繊維を、横木から垂らした。
扉を閉めて、少し待つ。
じっと見ていると、先が僅かに動いた。
風の吹き込む穴はない。それでも、空気は止まっていないようだった。
「はいっていい?」
扉の向こうで声がした。
「いいぞ」
ルーチェが入ってきた。
まず床を踏んだ。それから天井を見て、両手を上げる。
「とどかない」
「俺も届かない」
床に、積み木を一つ置いた。
動かないのを見て、頷いた。
「できたね」
「ああ」
言ってから、俺は横木を見上げた。
「あと、ちゃんと干せるかだな」
*
保管していたヤナギバを出した。
外で採ったときのまま、葉がしなやかに曲がる。
一度に全部は入れず、試す分だけを選んだ。
葉が重ならないように広げて掛ける。下には、落ちる屑を受ける布を敷いた。
ルーチェは扉のところで、残りの紐を持っていた。
「もっと、いっぱい、かけられるよ」
「詰めると、乾きにくくなる」
「すきま、いる?」
「ああ」
渡してもらった紐を結び、隣の草との間を空けた。
掛け終えて、一歩下がる。
細長い部屋に、薬草が数本、ぶら下がっていた。
五日かかって、これだけだ。
俺は扉を閉め、食卓の方へ戻った。
椅子を引く。床に草はない。ルーチェが寝床へ行くにも、何も跨がなくていい。
それから、また扉を開けた。
草は同じ場所に掛かっていた。
「レイ」
「ん?」
「さっきも、みたよ」
「分かってる」
分かっていたが、もう少し見ていたかった。
*
翌朝、葉に触れると、水気が減っていた。
さらに様子を見て、表だけでなく、茎や葉の重なりやすいところも確かめた。匂いを嗅ぎ、裏返す。
急に乾くわけではなかった。
マルタさんの店と同じように、時間がかかった。
その間にも、扉を開ければ進み具合を見られた。雨が降り始めても、慌てて取り込む必要がなかった。
何日かして、最初に掛けた分が仕上がった。
葉を確かめ、紐を外して、乾いた布の上に置く。
「できた?」
「干し上がった」
ルーチェが葉を覗き込んだ。
「うれしい?」
「ああ、嬉しいな」
「おへや、できたときも、うれしそうだった」
「あのときは、まだ干せるか分からなかったから」
俺は次に掛ける分を出した。
今度は、初めから紐の長さを合わせられた。
ルーチェが空いた横木を見上げて、言った。
「つぎは、おふろ、つくって」
「風呂か」
「マルタさんちにあった、あたたかいやつ」
湯を使って、ゆっくり体を洗える場所。
元日本人として、確かに、欲しかった。
風呂桶を作るのはいいが、湯を作りそれを入れていくとなると、かなりの重労働になる。それに、使った水を外へ排水する方法も考えなければいけない。
考え始めると、また四角を描きたくなった。
俺は紙へ伸ばしかけた手を止めた。
「まず、今日の草を掛けてからにしよう」
「そのあと?」
「そのあと、休んでから考える」
ルーチェは俺の顔を見て、頷いた。
「じゃあ、きょうは、おゆで、ふく」
「ああ。湯を沸かそう」
*
夜、干し上がったヤナギバを包んだ。
翌日は、集落へ改めて話をしに行くつもりだった。
雨を避ける場所は借りられた。でも、冬の間の暮らしは、まだ決まっていない。
薬草の仕事があるか、聞いてみようと思う。
言葉で、扱えますと伝えるだけでなく、これを見てもらえる。
「それ、もっていくの?」
「ああ。仕事を頼んでもらえるかもしれない」
「わたしも、いく」
「じゃあ、一緒に行こう」
ルーチェは頷き、大きなあくびをした。
寝る支度をしてルームへ入ると、ルーチェは新しい扉を一度見た。
それから、いつもの寝床へ向かった。
俺は干し場を覗き、草の間隔を確かめた。
これで明日も、ここで薬草を干せるな。
扉を閉めると、部屋には食卓と、積み木と、眠そうに丸くなるルーチェが残った。
床に落ちていた短い紐を拾い、俺も椅子に腰を下ろした。




