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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第三章 ザルツハーフェン

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舟から上がった魚と、誰もしない食べ方

ルームを開けると、ルーチェはもう起きていた。


 人の姿で寝床の端に座って、両足を揺らしている。


「おはよう」


「レイおはよう。いちばいく? さかなみる?」


「顔を洗ってからな」


 ルーチェはすぐに立ち上がった。


 昨夜、起こさなければ先に行くと言ったのを、少しだけ反省した。


*


 宿を出たとき、空にはまだ星が残っていた。


 港へ下る道を、籠を持った人たちが歩いている。俺たちも、その後ろについた。


 昨日見た海は暗くて、どこからが水なのか、まだよく分からなかった。


 波の音だけは、同じだった。


「レイ。うみ、あるね」


「ああ」


 ルーチェは、俺の手を握り直した。


 坂を下りきるころ、前の方から声が聞こえ始めた。


*


 舟着き場に、灯りが並んでいた。


 舟から箱が下ろされる。受け取った男が肩へ担ぎ、濡れた板の上を歩いてくる。


 俺たちは端へ寄った。


 足元に置かれた箱の中で、何かが跳ねた。


 銀色の腹が見えて、すぐに裏返った。尾が板を叩く。


 ルーチェが、俺の手を強く握った。


「すごい! あれ、うごいてる」


「ああ」


 手のひらほどの魚が、箱いっぱいに重なっていた。


 背中は青黒く、腹は白い。跳ねるたびに鱗が灯りを返して、光る場所が変わった。


 ルーチェがしゃがんだ。


 指を伸ばしかけて、止めた。


「……なんか、キラキラしてる」


 魚の口が、開いて閉じた。


「でも、くるしそう」


「水から上がったからな」


「もどさないの?」


 俺は、箱の中を見た。


「売るために獲ってきた魚だから」


 ルーチェは、しばらく黙っていた。


「たべるんだね?」


「ああ」


 もう一度、尾が板を打った。


 俺は、最初に角ウサギを獲った日のことを思い出した。あのときも、目の前のものが飯になるまでには、まだ、やらなければいけないことがあった。


*


 市場は、見ている間にも忙しくなった。


 戻ってくる舟が増え、空だった場所に箱が並ぶ。買い手が覗き込み、値を聞き、籠へ移していく。


 売り場の奥では、魚の腹を開いている人がいた。


 その隣には、塩の袋と大きな樽。


 さらに向こうには、魚を干す棚があった。


「これも、王都へ行くんですか?」


 樽を指して聞くと、魚を並べていた男が顔を上げた。


「行くよ。もっと遠くにもな」


「そのままの魚は?」


「近場だけだな。それにあまり遠いと魚が腐っちまう。そうなると捨てるだけだ」


 男は、手を止めずに答えた。


 俺は、昨日買った塩の袋を思い出した。


 鍋へ入れるだけではなかった。あの白い山の一部は、こうやって魚と一緒に町を出ていく。


「買うなら、こっちだ。今朝のやつ」


 男が顎で示した先に、銀色の魚が並んでいた。


*


「なんて魚ですか?」


「銀ハダ。この辺じゃ、よく揚がる」


 知らない名前だった。


 形には、見覚えがある気がした。でも、前世のどの魚と同じなのかまでは分からない。


「見てもいいですか?」


「ああ。落とすなよ」


 受け取ると、思っていたより滑った。


 慌てて持ち直す。指先に、ひんやりした硬い鱗が触れた。


 目は澄んでいた。えらの中も赤い。


 鮮度を見るために、どこを確かめるのか。そのくらいの知識は、記憶に残っていた。


 けれど、これは俺の知らない魚だ。


 見た目が似ているからといって、同じ食べ方ができるとは限らない。


 鑑定を通した。


【銀ハダ/可食。生食可。ただし、水揚げ後一刻以内に内臓を除くこと】


 俺は、手の中の魚を見た。


 一刻以内なら、今だ。


 生で、食べられる。


 その文字を読んだ途端、頭の中に皿が浮かんだ。


 薄く切った身を並べた、白い皿だった。


*


「どうした、坊主」


「……これ、いくらですか?」


「五匹で銅貨十枚」


 串焼き二本より安かった。


 さっきまで舟が次々に運んできた魚だ。値段を聞いて、ここが獲れる場所なのだと、ようやく実感した。


「五匹ください」


「宿で焼いてもらえるのか?」


「自分でやります。あと、少しだけ、生で食べてみようと思って」


 男の手が止まった。


「生で?」


「はい」


「やめとけ。腹を壊すぞ」


 声が、さっきより強くなった。


 俺は、魚から顔を上げた。


「……心配してくれて、ありがとうございます」


「礼を言うなら、火を通しな」


 男は包みを作りながら、俺を見た。


 俺には鑑定の文字が見えている。


 この人に見えているのは、知らない町へ来て、変なものを食おうとしている子供だ。


 何と言えば伝わるのか考えたが、うまい言い方はなかった。


 代金を渡して、包みを受け取った。


 男は最後まで、渋い顔をしていた。


*


 宿へ戻ると、女将さんが裏口を掃いていた。


「早かったね。買えたかい?」


「はい。魚を捌く場所を借りられますか?」


「裏の水場を使いな。板もある。終わったら、きれいにしとくれよ」


「分かりました」


 水を汲み、板と道具を整えた。


 小刀を出すと、ルーチェが少し離れたところへ座った。


 刃物を使っている間は、手元へ近づかない。孤児院でも、店でも、繰り返し言われてきたことだ。


 俺は魚を一匹、板の上に置いた。


 ベックさんに仕込まれた手は、刃物の扱いなら覚えている。


 ただし、魚の骨がどこを通っているかは、俺の手にはまだ入っていなかった。


 鱗を落として腹を開き、真っ先に内臓を抜く。ここまでは、鑑定の文字どおりにやった。


*


 一匹目は、骨の方にずいぶん身が残った。


 皿へ移した分を見てから、板の上を見直す。


「……もったいない」


「いっぱい、ついてる」


 ルーチェが、正直に言った。


「分かってる」


 小刀を置いて、切り口を確かめた。


 思っていたところより、骨が少し下にあった。知っているつもりで刃を動かした分だけ、身を置いてきてしまった。


 二匹目は、急がずにやった。


 やっぱり少し残った。


 それでも、一匹目よりはましだった。


「こっちは?」


 ルーチェが、骨の残った方を指した。


「火を通して食べる。まだ取れるところがあるからな」


「よかった」


 俺も、頷いた。


 五匹買ったのに、二匹でずいぶん時間を使っていた。


*


 薄く切った身を、皿に並べた。


 厚さは揃わなかった。


 店で出てくるような見た目には、ほど遠い。それでも、透けるような白い身が重なると、俺の中の記憶に少し近づいた。


「それ、できた?」


「できた」


「ひ、つけない?」


「ああ。この分は、そのまま食べる」


 ルーチェが、皿と俺を交互に見た。


「あのひと、おなかこわすって、いった」


 俺は周りに人がいないのを確かめ、声を落とした。


「鑑定では、この魚の身は生で食べられるって出た」


「たしかめた?」


「確かめた。こっちも、もう一匹も」


 ルーチェは皿を覗き込んだ。


 手は、まだ出さなかった。


「レイ、たべたことあるの?」


「この魚は、ない」


「じゃあ、はじめて?」


「ああ」


 俺は、一切れ取った。


 念のため、その一切れにも鑑定を通す。


【銀ハダ(切り身)/可食。生食可】


 条件の文は、消えていた。一刻のうちに、内臓を抜いたからだ。


 見覚えのある食べ物を前にして、急に、少し緊張した。


*


 塩をほんの少しつけて、口へ入れた。


 冷たかった。


 噛むと、思っていたより弾力があった。もう一度噛んだところで身がほどけ、塩のあとから、かすかな甘みが広がった。


 俺は、しばらく黙っていた。


「レイ」


 ルーチェが覗き込んだ。


「どう?」


「……うまい」


「ほんと?」


「ああ。うまい」


 二度言ってから、俺は皿を見た。


 知っている味そのものではなかった。


 それなのに、懐かしかった。


 何年ぶりだろう、と考えて、この体になってから一度も食べていないことを思い出した。


 食べた場所も、同じ卓にいた人も、うまく思い出せない。


 ただ、こういうものを食べていた。


 そういう暮らしが、自分にあった。


「わたしも」


 ルーチェの声で、顔を上げた。


*


 小さめの一切れを、ルーチェの皿へ移した。


 彼女は指でつまんで、少し眺めた。


「やわらかい」


「食べてみろ」


 口に入れて、噛んだ。


 一度。二度。


 それから、俺を見た。


「あまい」


「甘いな」


「おさとう、つけてないよね?」


「塩だけだ」


 ルーチェは、もう一度自分の皿を見た。


「もうひとつ」


 俺は、皿を真ん中へ寄せた。


 今度は、自分で取った。


 次の一切れも、黙って噛んだ。それから、少しだけ肩を揺らした。


 気に入ったときにする動きだった。


*


 俺も、もう一切れ食べた。


 うまい。


 今度は、そのあとに別のものが欲しくなった。


 塩の袋へ手を伸ばしかけて、止めた。


 塩気が足りないのではない。


 あれだ。


 黒くて、しょっぱくて、少し独特の香りがするもの。


 ……醤油。そうだ醤油。


 名前が出てきた途端、皿の脇に小さな器まで浮かんだ。そこへ端だけつけて食べる。つけすぎると、魚の味が分からなくなる。


 そんなことまで覚えているのに、手元には、ない。


「レイ、たべないの?」


 ルーチェが、俺の残した一切れを見ていた。


「食べる。今、食べる」


 取られる前に、口へ入れた。


 塩だけでも、ちゃんとうまかった。


 それが分かっていても、欲しいものは消えなかった。


*


 残りの魚には火を通した。


 骨のまわりに残した身も、二人で取って食べた。焼けた皮は香ばしく、生で食べた身とは歯ごたえが違った。


 ルーチェは、指についた脂を見て言った。


「こっちも、おいしい」


「どっちが好きだ」


 真剣に考え始めた。


 俺は待った。


「……もういっかい、たべないと、わからない」


「そうか」


「うん」


 都合のいい答えにも聞こえたが、本気らしかった。


 骨は、捨てなかった。


 鍋に水を張り、豆をひと握りと、塩をひとつまみ入れて、骨ごと煮る。身はもうほとんど残っていない。それでも、豆がやわらかくなるころには汁が白く濁って、魚の匂いが立った。


 椀に分けると、ルーチェは両手で持って、先に匂いを嗅いだ。


「これも、さかな?」


「骨だけな。捨てるところがない」


 一口すすって、ルーチェは椀を置かなかった。豆をすくって、もう一口。


「まめ、さかなのあじ、する」


「骨から出た味だ」


 焼いて終わりにするには、もったいない魚だった。


*


 水場を片づけていると、女将さんが桶を持ってきた。


 皿に残っていた切り身へ目を落とし、それから俺を見た。


「あんた、それ、生のまま食べたのかい?」


「はい」


 女将さんは、眉を寄せた。


「気持ちの悪い食べ方をするねえ」


 俺は、皿を持ったまま止まった。


 さっきまで、二人ともあんなにうまいと思っていた。


 でも、女将さんにはそう見える。


「……すみません。驚かせて」


「驚くよ。妹にまで食べさせたのかい?」


 ルーチェが、俺の横へ来た。


「わたしも、たべたかったの」


 女将さんはルーチェを見て、ため息をついた。


「二人して。腹が痛くなったら、黙ってないで言うんだよ」


「はい」


「あと、残りを部屋に置きっぱなしにしないこと。魚の臭いは取れないんだから」


「分かりました」


 女将さんは桶を置き、片づけた水場を一度見回した。


「板は、そこへ立てて干しといて」


 それだけ言って、宿の中へ戻っていった。


*


 板を立てかけていると、ルーチェが聞いた。


「おかみさん、たべないのかな?」


「食べないと思う」


「おいしいのに」


「あの人には、そうは見えないんだろうな」


 ルーチェは、空になった皿を見た。


 それから、俺へ渡した。


「わたしは、おいしかった」


「俺もだ」


 皿を受け取ると、ルーチェは満足したように頷いた。


*


 部屋へ戻って、窓を少し開けた。


 港の方から、人の声が聞こえた。


 朝には暗かった海が、屋根の向こうで光っている。


 俺は卓の前に座り、塩の袋を置いた。


 醤油は、アシェンでも、王都でも見かけなかった。この町にもあるかどうか、まだ分からない。


 豆から作るものだったはずだ。


 では、豆をどうすれば、あの液体になるのか。


 そこを考えると、途端に何も出てこなくなった。


 買って使っていたものの作り方を、俺は知らない。


 味は、こんなにはっきり覚えているのに。


 塩の袋を片づけていると、ルーチェが隣へ座った。


「レイ、なにか、さがしてた?」


「食べてるときか?」


「うん」


 よく見ている。


「魚につけるものを、思い出してた」


「おしお?」


「別のやつ。黒くて、しょっぱくて……魚に合うんだ」


「レイ、すきなの?」


「好きだった」


 言ってから、少し考えた。


「今も、好きだと思う」


 ルーチェは、俺の顔を見た。


「まえのところの?」


「ああ」


*


「つくれないの?」


「作り方を知らない」


「そっか」


 ルーチェは、それ以上、俺に作れとは言わなかった。


 窓の外を鳥が横切った。昨日見たのと同じ、白い鳥だった。


「それ、あったら、わたしも、つけたい」


 俺は、隣を見た。


「うまいかどうか、まだ分からないぞ」


「レイ、すきなんでしょ?」


「ああ」


「じゃあ、たべてみたい」


 どんな味なのか、説明しようと思った。


 でも、しょっぱい、の先がうまく続かなかった。香りの話をするにも、比べられるものが思いつかない。


「……見つけたらな」


「うん」


 ルーチェは、それで待つことにしたらしかった。


*


「さかなは、あしたも、ある?」


「市場へ行けばな」


「じゃあ、あしたもいこう」


 俺は頷いた。


 明日は、もう少しうまく捌きたい。骨の方に残す身を減らして、厚さも、少しは揃える。


 魚を切る手つきを思い返していると、ルーチェが念を押した。


「おこしてね」


「分かってる」


 今日は、起こす前から待っていたくせに。


 そう言おうとして、やめた。


 俺も、明日の朝を楽しみにしていた。


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