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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第三章 ザルツハーフェン

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潮の匂いと、坂の下の町

王都を出て四日目の朝、ルーチェが道の途中で立ち止まった。


 フードの下で、鼻を上に向けている。


「どうした」


「におい、ちがう」


 俺も、息を吸ってみた。


 湿ったような、少し生臭いような匂いがした。森の落ち葉とも、川辺の泥とも違う。


「海かもしれないな」


 ルーチェが、道の先を見た。


 二日前に会った御者は、最後の坂を越えれば町が見えると言っていた。


 街道は、朝からゆるく登っている。両側の木は背が低くなり、枝の間から見える空が広くなっていた。


「このさか?」


「たぶん」


「さっきも、たぶんっていった」


「俺も初めてなんだよ」


 ルーチェは少し考えて、それなら仕方ないという顔をした。


 それから、俺の手を取った。


「はやく、みにいこう」


*


 坂の上は、風が強かった。


 木立を抜けたところで、ルーチェのフードが膨らんだ。手で押さえてやろうとして、俺は止まった。


 海があった。


 坂の下に町があって、その先が、全部、水だった。


 右へ目を向けても、左へ向けても、向こう岸がない。遠くで空と水が一本の線になっている。


 思っていたより、広かった。


 広いという言葉を用意して来たのに、それでは足りなかった。


 手前の水は灰色がかって、その向こうは緑に見えた。さらに遠くは暗い青で、ところどころに白い筋が走っては消える。


 海は青いものだと、俺は知っていた。


 目の前の水は、一色ではなかった。


「レイ」


 ルーチェの声が、小さくなった。


「みずが、いっぱい」


「ああ」


「むこう、どこ?」


 指が、水平線を指した。


「ここからじゃ、見えないな」


 ルーチェは背伸びをした。


 それでも見えなかったらしく、踵を下ろした。


*


 しばらく、二人で立っていた。


 風に上着を引っ張られる。坂の下から、低い音が繰り返し届いてきた。


 波だった。


 白く崩れて、また引いていく。その間にも、次の波が来る。


「ずっと、うごいてる」


「そうだな」


「つかれないのかな?」


 俺は、少し笑った。


「誰かが動かしてるわけじゃないからな」


「じゃあ、なんで?」


「風とか……いろいろだ」


 ルーチェが俺を見た。


 俺も見返した。


「詳しくは知らない」


「そっか」


 それで納得して、また海へ顔を向けた。


 前世の記憶にも、海はある。


 でも、上着の隙間へ入り込む風も、隣で手を握っている子の声も、そこにはなかった。


 俺は、その場で大きく息を吸った。


 さっき道で嗅いだ匂いがした。


*


「レイ。あれ、ぜんぶ、しょっぱいの?」


「海の水だからな」


「……ぜんぶ」


 ルーチェは、もう一度、右から左まで見た。


「もったいない」


 それから、少し考えて言った。


「でも、おしお、いっぱいできるね」


 坂の下へ目を戻すと、町の端に白いものが並んでいた。


 低い屋根の向こう。海沿いに浅い池のようなものがいくつもあって、その脇に白い山が積まれている。山の間を、人が歩いていた。


「あそこで、作ってるのかもしれない」


「いってみる?」


「そのつもりで来たんだろ?」


 ルーチェが頷いた。


 歩き出しても、顔は海の方へ向いたままだった。


「足元、見ろよ」


「みてる」


 すぐに小石を踏んで、少しよろけた。


 握っていた手に、力が入った。


「……いまは、みてなかった」


「ああ」


*


 坂を下りるにつれて、海だけだった景色に、町が混じり始めた。


 鳥の声がした。


 白い鳥が、屋根より低いところを横切った。口に何かくわえていて、その後ろを別の一羽が追っていた。


 次に、荷を運ぶ人の声。


「そこ、空けてくれ!」


 俺たちは道の端へ寄った。


 二人がかりで樽を転がしていた。樽は石の継ぎ目で一度跳ねて、それでも止まらず、坂の下へ運ばれていった。


 王都では、人に押されて道を譲った。


 ここでは、先に荷が来る。


 ザルツハーフェンは、海に沿って細長く延びる町だった。低い屋根の家が寄り合って、細い道が何本も港へ下っている。家の間から、青灰色の水が見え隠れした。


 軒下には縄が巻いてあり、壁には長い棒や網が立てかけてあった。


 薬草の束は、どこにも下がっていなかった。


*


 塩を扱う場所は、町の東の端にあった。


 海辺の浅い区画に水が光り、その脇の作業場で、人が白いものを集めていた。


 籠を運ぶ人。袋へ詰める人。口を縛って、荷車へ積む人。


 二日前に見た五台の荷馬車は、ここから来たのだ。


 俺は、作業の邪魔にならないところで足を止めた。


 近くに、白い山が二つあった。


 一方は灰色がかって、細かいものが混じっている。もう一方は、布をかけられた下から、粒の揃った白さが覗いていた。


「買いに来たのかい?」


 腰の曲がった老人が、こちらを見ていた。


 長い柄の木の道具を持っている。手の甲が日に焼けて、指の節に白い粉が残っていた。


「いえ。作っているところを見たくて。……ここにいても、いいですか?」


「そこなら構わんよ。荷車が来たら、よけとくれ」


「はい」


 ルーチェも、俺の隣で頷いた。


*


「そっちも、塩ですか?」


 灰色がかった山を指すと、老人は頷いた。


「砂やら何やらが混じった分だ。食う方とは分けてある」


「捨てるんですか?」


「いや。皮を扱うところへ売る」


 俺は、もう一方を見た。


「こっちが食べる分」


「そう。袋に詰める前にも、確かめる」


 老人は作業台から小さな器を取り、白い粒を少しすくった。


「味を見るかい?」


「いいんですか?」


「二人の舌につけるくらいで、山は減らんよ」


 指先に、少しだけもらった。


 舐めると、しょっぱかった。


 そのあとに、わずかな苦みが残った。いつも鍋へ入れている塩とは、少し違う味がした。


 ルーチェも指先を舐めた。


 目を細めた。


「……おしおだ」


 老人が笑った。


「塩を作っとるんだからね」


「うん。でも、いっぱいあるから」


 ルーチェは、白い山を見た。


 俺には、言いたいことが少し分かった。


 袋の底からひとつまみずつ使うものが、ここでは人の膝より高く積まれていた。


*


「この塩は、南の方まで行くんですよね?」


「ああ。王都で積み替えてな」


「俺たち、アシェンから来たんです」


「そりゃ、遠いね」


 老人は、縛り終わった袋が運ばれていくのを見た。


「そこまで行くころには、塩より運ぶ賃の方が高くなっとるかもしれん」


 俺は、袋を担ぐ人の背中を目で追った。


 ここで買って、荷馬車に積む。馬に食わせて、宿に泊まって、王都でまた誰かに渡す。


 俺が知っている塩の値段には、その先も入っている。


「少し、買えますか?」


「袋は持っとるかね?」


 鞄から塩の袋を出した。


 老人は中を覗いて、口の縛り紐を確かめた。


「これなら、まだ使える」


 足してもらった塩は、王都で同じ量を買うより安かった。


 袋を受け取ると、さっきより重かった。


*


 港へ回るころには、昼を過ぎていた。


 船が、何隻も並んでいた。


 小さなものは、岸と縄一本で繋がっている。大きなものには背の高い柱が立ち、巻かれた帆が横に渡してあった。


 船の腹が、波に合わせて上がって、下がる。


 ルーチェは桟橋の手前で止まった。


「あれ、のるの?」


「人も荷物もな」


「ゆれてる」


「水の上だから」


 船から板が一本、岸へ渡してあった。


 男がその上を歩いてきた。肩に大きな袋を担いでいるのに、足元を見もしない。


 ルーチェが、じっと見ていた。


「おちないね?」


「あれが仕事なんだろう」


 次の男も渡った。


 俺なら、荷物がなくても足元を見ると思う。


*


 宿は、港から一本内側の道で見つけた。


 二階建てで、階段が外についている。


 女将に二人で泊まれる部屋を頼むと、一晩、銅貨二十枚だと言われた。食事は別だった。


 部屋を見せてもらうと、寝台が二つと、小さな卓が一つあった。


 窓が、かたかた鳴っていた。


 閉まっているのに、隙間から風が入る。


「夜も、この音はしますか?」


「風が吹けばね。よく眠れる方の部屋は、もう少し高いよ」


 値段の違いが、分かりやすかった。


 俺は窓の留め具を確かめてから言った。


「この部屋で、四泊お願いします」


 女将は頷いた。


「出る日は朝に鍵を返しとくれ。それと、魚を買うなら早起きするんだよ」


「魚ですか?」


「港の市場。昼に行っても、いいものは残ってないからね」


 俺は、忘れないように頭の中へ書き留めた。


*


 荷を下ろしてから、窓を少し開けた。


 潮の匂いが、部屋へ入ってきた。


 向かいの屋根と、その向こうに細く見える海。


 ルーチェはフードをかぶったまま、俺の隣から覗いた。


「ここからも、ある」


「海の町だからな」


「うん」


 留め具が鳴った。


 風に窓を持っていかれないよう押さえていると、ルーチェも端へ手を添えた。


 二人で、しばらく海を見た。


 坂の上より、近かった。


*


 夕方、パンと夕飯を買いに出た。


 通りの端で、魚を干していた。


 開かれたものが何枚も並び、風に揺れている。ルーチェは前を通り過ぎてから、振り返った。


「あれ、さかな?」


「ああ」


「うごかないね?」


「干してあるからな」


 ルーチェは、もう一度見た。


「うみには、うごくのがいる?」


「いる。明日の朝、市場へ見に行こう」


「たべるの?」


「うまそうなのがあれば」


 言ってから、俺も少し楽しみになった。


 この体になってから、海の魚を食べたことはなかった。


 前世で食べたものなら、いくつも思い浮かぶ。


 でも、この町で何が揚がるのかは、まだ知らない。


「はやくおきなきゃダメ?」


「ああ。女将さんが、朝のうちだって」


「じゃあ、おこしてね」


「起きなかったら、先に行くぞ」


 ルーチェの手が、俺の袖を強くつかんだ。


「お・こ・し・て!」


「分かった、分かった。起こすよ」


*


 日が落ちると、部屋の中が冷えた。


 窓の隙間に畳んだ布を当てると、鳴る音が少し静かになった。それでも、外の低い音は残った。


 波の音だった。


 灯りを落とす前に、俺はルームを開いた。


 ルーチェは戸口に立ったまま、耳を澄ませていた。


「なにを聞いてるんだ」


「なみ」


 俺も、黙った。


 寄せて、引いて、また寄せる。


 昼の通りでは気に留めなかった音が、人の声が減ると、部屋の奥まで届いていた。


「よるも、うごいてる」


「そうだな」


 ルーチェは頷いて、ルームへ入った。


 食卓の横を通り、寝床の前で一度振り返った。


「レイ。うみは、あしたも、ある?」


「あるよ」


「あさになっても?」


「なくならない」


 少し考えてから、ルーチェは言った。


「あさのも、みたい」


「市場へ行くときに見えるよ」


「うん」


 それで満足したらしかった。


 金色にほどけた体が寝床に収まり、尻尾の先が鼻の近くへ回った。


 俺は丸くなるのを見届けて、部屋を閉じた。


*


 寝台に横になると、板が小さく軋んだ。


 毛布を引き上げる。


 波の音は、まだ続いていた。


 王都の店では、この時間にも階下で物音がした。帳面を閉じる音。閂を掛ける音。明日の仕込みをする音。


 ここでは、知らない足音が廊下を通り、そのあとに、また波が聞こえた。


 明日は早く起きる。


 ルーチェを起こして、港へ行く。


 手紙に書くことも、もう決まっていた。


 ——海を見ました。


 そこまで考えて、俺は、暗い中で少し笑った。


 あの広さを、続きをどう書けば伝えられるだろう。


 波の音を数えながら考えているうちに、眠っていた。


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