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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第三章 ザルツハーフェン

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39/81

三か月ぶりの野営と、北から来る塩

王都の北門を出て半日で、街道から人が減った。


 畑の間に林が増え、道端の家が途切れた。すれ違う荷馬車も、昼を過ぎてからは二台だけだった。


 俺は、ときどき後ろを見た。


 城の尖塔は、もう木に隠れていた。少し開けたところへ出れば見えるかもしれないと思ったが、そのために足を止めるのも変な気がした。


「レイ」


 ルーチェが袖を引いた。


「ここ、だれもいない」


「ああ」


「……もどっても、いい?」


 俺は、街道の前と後ろを確かめた。


 轍はある。人が来ない場所ではない。


「もう少し、道から離れよう」


 ルーチェは頷いた。


 林の向こうに低い尾根があった。あの陰なら、街道からは見えない。


*


 荷を下ろすと、ルーチェはすぐにフードを取った。


 風が、金色の髪を持ち上げた。


 上着を脱いで、畳む。いつもより少し急いでいた。受け取った服をしまう間に、背後で枯れ葉が鳴った。


 振り向くと、大きな犬ほどの竜が、前脚をいっぱいに伸ばしていた。


 尻が上がって、尻尾がまっすぐになる。


 それから片方の翼を開き、閉じて、もう片方を開いた。


 ——つばさ、かたい。


「ゆっくり動かせよ」


 ——うん。


 ルームでも、脚は伸ばせた。


 でも、翼を開いた先に枝があって、鼻先を風が通っていくのは、久しぶりだった。


 ルーチェは落ち葉に鼻を寄せ、何かの匂いを嗅いだ。それから頭を上げ、空を見た。


 まだ、明るい。


 俺が言う前に、翼を畳んだ。


 ——もうすこし、あと。


「ああ。日が傾いてからな」


 金色の竜が、俺の横に伏せた。


 前脚は伸ばしたままだった。


*


 待つ間に、今夜寝る場所を決めた。


 尾根の陰の、風が弱いところ。枯れ枝を集め、地面の落ち葉を払っておく。


 ルーチェは、俺が拾った枝の山をしばらく見ていた。


 それから立ち上がり、落ちていた太い枝を口にくわえて運んできた。


「それは太すぎる」


 ——おおきいほうが、ながくもえる。


「火がつけばな」


 ルーチェは枝を見下ろした。


 鼻先で、細い煙が一筋上がった。


「ここでは火を吐くなよ」


 煙が止まった。


 ——まだ、なにもしてない。


「しようとしただろ?」


 返事はなかった。


 代わりに、枝が俺の足元へ押しやられた。


*


 木々の上だけに日が残るころ、俺たちは尾根の先へ出た。


 下には林が続いていた。街道は木の向こうで、家の煙も見えない。


 ルーチェが、こちらを見た。


 ——いってくる。


「高いところまで上がったら、遠くへ行きすぎるなよ」


 頷く代わりに、鼻先が一度、俺の肩に触れた。


 俺が下がると、金色の体が膨らんだ。犬ほどだった背が、馬を越える。大きく開いた翼に、残っていた夕日が透けた。


 風が来た。


 顔をかばって、もう一度見上げたときには、ルーチェは木々の上にいた。


 そのまま、高く昇っていく。


 下からでは鳥ほどにしか見えなくなった影が、ゆっくり輪を描いた。一周して、もう一周。行き先を探すような飛び方ではなかった。


 俺は、集めた枝を抱えたまま見ていた。


 三か月前、あの翼には、橋の落ちた川を渡してもらった。


 今日は、どこへも運ばなくていい。


*


 戻ってきたルーチェは、着地するとすぐ俺に鼻を寄せた。


 冷たい風の匂いがした。


 ——レイも、のる?


 空は、まだ少し明るかった。


「一周だけな」


 首の付け根にまたがって、鱗に手を置いた。


 地面が離れる。


 腹の底が一瞬軽くなって、それから、風が頬を押した。


 高く上がったところで、南を見た。


 王都があった。


 地平の近くに城壁の影が横たわって、その真ん中に、白い尖塔が細く立っていた。朝までいた場所なのに、もうあんなに小さい。


 クロイター通りは、見えなかった。


 今ごろ、ハンスが店先の束を取り込んでいる。マルタさんは鍋を見ながら、帳面をつけているかもしれない。


 ——レイ。


「ん」


 ——さむい?


「少しな」


 ルーチェが翼を傾けた。


 王都が背中の方へ回って、今夜眠る林が近づいてきた。


*


 火を熾したころには、日が落ちていた。


 乾かした苔に火花を移して、息を吹く。細枝から順にくべると、ようやく炎が立った。


 ルーチェが持ってきた太い枝は、脇に置いた。


 人の姿に戻ったルーチェが、それを指さした。


「それ、まだ?」


「あとでな」


「うん」


 使われるのを待つつもりらしかった。


 俺は鍋と水、それから豆の袋を出した。


「レイ。まめ、わたしがやる」


 ルーチェが、先に器を引き寄せた。


 豆を少しずつ出して、一粒ずつ指で転がす。色の悪いものを脇へよけ、小さな石を一つつまみ上げた。


「はいってた」


「よく見つけたな」


「かむと、いたいよ」


 石を俺の手に載せて、また豆へ戻る。


 マルタさんの横で、毎日やっていた手つきだった。


 俺は干し肉を切った。少し考えて、一切れだけ細かくし直す。二人ぶんなのに、鍋の底には思ったより隙間があった。


 豆を洗って、水と一緒に火にかける。


 煮えるまでには、まだ時間がかかる。


 ルーチェは両手を火にかざして、足を伸ばした。


*


「おなかすいた」


 しばらくして、ルーチェが言った。


「俺もだ」


「まだ?」


 豆を一粒すくって、匙の背で押した。


 真ん中が、まだ硬い。


「もう少し」


 ルーチェは鍋を覗き込んで、腰を下ろした。


 店にいたときは、このくらいの時間になると、誰かが皿を出した。鍋はもう煮えていて、座れば飯になった。


 今日は、待っていても誰も呼ばない。


「パン、半分食うか?」


「たべる」


 黒パンをちぎって渡すと、ルーチェは端から齧った。


 俺も齧った。スープにつけない黒パンは、やっぱり硬い。


 向かいで、ルーチェが口を動かしながら言った。


「マルタさん、あさから、おなべでつくってたね?」


「ああ」


「だから、すぐ、たべられたんだね」


 俺は鍋をかき混ぜた。


「明日は、もう少し早く始めよう」


「うん」


 火が落ち着いてきたので、太い枝を一本くべた。


 ルーチェが、その先に火が移るまでじっと見ていた。


*


 豆がやわらかくなってから、塩で味を調えた。


 一口飲む。少し薄い。


 袋を傾けかけたところで、ルーチェが言った。


「ちょっとずつだよ」


「分かってる」


「さっきも、いれた」


「分かってるって」


 少しだけ足して、もう一度飲んだ。


 今度は、よかった。


 椀によそって、二人で「いただきます」と言った。


 干し肉は煮ても歯ごたえがあったが、豆には味が染みていた。黒パンを浸すと、硬い端までやわらかくなった。


 ルーチェは熱い椀を両手で持って、続けて三口食べた。


「どうだ」


「おいしい」


 即答だった。


 俺は、自分の分をもう一口食べた。


 旅に出た最初の夜、この子は「シチューのほうが、おいしい」と言った。あのとき並べたのは、干し肉と、湯に浸したパンだけだった。


 今日は、豆を選り分ける手があって、塩を入れすぎる前に止める声がある。


「レイ、おかわり」


「まだあるぞ」


 ルーチェは、自分で鍋に手を伸ばした。


*


 最後のスープまで飲むと、ルーチェは椀を膝に置いた。


「おなか、いっぱい」


「俺もだ」


 火の中で、太い枝が小さく鳴った。


 ルーチェは、それを見ていた。


「でも、マルタさんのが、たべたい」


 俺は空の椀を見た。


「……そうだな」


「これも、おいしかったよ」


「分かってる」


「おなかも、いっぱいなのに」


 ルーチェは、少し困った顔をした。


「たべたいんだよね?」


 俺も、食べたかった。


 豆だけじゃない。鍋の前から飛んでくる小言も、ハンスが同じ話を何度もする声も、たぶん一緒に欲しがっていた。


 でも、今食べた飯もうまかった。


 俺は鍋に残った豆を一粒すくって、口に入れた。


「次に行ったら、お代わりしよう」


「うん。いっぱい」


「怒られるぞ」


 ルーチェは、少し笑った。


*


 椀を洗うと、ルーチェは水滴が残っていないか確かめてから、俺に渡した。


 ルームへしまう。


 中には、昨日と同じ食卓と、積み木があった。


「今夜は、中で寝るか?」


 ルーチェは戸口から覗いて、それから外を見た。


「そとがいい」


「冷えるぞ」


「もどるからいい」


「雨が来たら、中な」


「うん」


 部屋を閉じて、毛布を出した。


 丸くなった金色の腹に背を預けると、昼のあいだ服越しに受けていた風が、ようやく遠くなった。


 頭の上には、屋根裏の梁の代わりに枝があった。


 その隙間から、星が見えた。


*


 翌日の昼過ぎ、北から五台の荷馬車が来た。


 俺たちは道の端へ寄った。


 どの馬車も荷を高く積み、厚い布をかけていた。車輪が轍に落ちるたび、軸が重い音を立てた。


 最後の一台の御者が、こちらを見た。


「坊主。北へ行くのか?」


「はい。森の方へ」


「なら、この先の水場で汲んどけ。次の宿までは、少しあるぞ」


「ありがとうございます」


 御者は前の馬車との間を見て、手綱を緩めた。先頭が道脇の水場へ入ろうとしていて、列が詰まっていた。


 止まった荷台の端に、麻袋が見えた。


 袋の縫い目に、白い粒が付いている。


「荷は、塩ですか?」


「そうだよ」


「ずいぶん運ぶんですね」


「これでも、向こうじゃ積み残しがある」


 御者は座り直して、北を親指で指した。


「ザルツハーフェンだ。海沿いの町でな。そこから王都へ入れて、今度は南へ運ぶ連中が買っていく」


「海……」


 隣で、ルーチェが顔を上げた。


*


「ここから、どれくらいですか?」


「子供の足なら、あと二日くらいかね。街道を行って、最後の坂を越えれば見える。迷いようがないよ」


 御者は、ルーチェの方も見た。


「海、見たことないか?」


 ルーチェが俺を見たので、頷いた。


「ない」


「そりゃ、驚くぞ」


「おおきい?」


「でかい。向こう岸が見えねえくらいだ」


 ルーチェは、少し考えた。


「かわより?」


「川より」


「おうとより?」


 御者は笑った。


「行って、自分で確かめな。坂の上に立てば分かる」


 前の荷馬車が動き出した。


 御者は手綱を引き、俺たちに顎をしゃくった。


「水、忘れんなよ」


「はい。気をつけて」


 馬車はゆっくり進み、深くついた轍の上に、また新しい車輪の跡を重ねていった。


*


 水場へ向かいながら、俺は塩の袋を取り出した。


 昨夜、鍋に振った分だけ、軽くなっている。


 塩ひと袋なら、片手で持てる。


 あの五台には、それがいくつ積まれていたんだろう。


 橋の落ちた村を思い出した。村長は、塩と薬が買えないと言った。俺は、道で行商人と換えた塩を渡して、野菜をもらった。


 あの塩も、こんな荷馬車に揺られてきたのかもしれない。


 それより前には、どこかの海辺で、袋に詰めた人がいたはずだ。


 薬草なら、畑から店の棚まで、いくつもの手を知っている。


 塩は、店で売っているところしか知らなかった。


「レイ」


 ルーチェが袋を覗き込んだ。


「なくなった?」


「まだある」


「じゃあ、きょうも、まめ?」


「肉を焼いてもいいぞ」


「やく」


 早かった。


 俺は袋の口を縛って、鞄へ戻した。


*


 水を補充して、北へ歩き出した。


 ルーチェは、さっきから道の先を見ている。


「海が気になるか?」


「うん」


「寄ってみようか。ザルツハーフェン」


 ルーチェが、俺を見上げた。


「いいの?」


「塩を作ってるところも見たい。森へ行く道のことも、町で聞けるだろう」


 言ってから、付け足した。


「それに、俺も見たい」


「レイも、はじめて?」


 前世の記憶には、海がある。


 青い水と、白い波。その景色は思い浮かぶのに、いつ、誰と見たのかは出てこなかった。


 俺は、目の前の街道へ視線を戻した。


「この世界の海は、初めてだ」


「じゃあ、いっしょだね」


「ああ」


 ルーチェが、俺の手を握った。


 袖を引くのではなく、手のひらを合わせて、指を握る。


 それから少しだけ、歩くのが速くなった。


 道はまだ林の間を続いていた。


 二日先の坂の向こうに、海がある。


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