紙が回った町と、引かれた一本の線
紙が配られて、四日目だった。
朝、店を開けたところに、ハンスが息を切らして駆け込んできた。使いに出したはずが、まだ半分も回っていない時間だ。
「レイ! ギルドが、えらいことになってる」
「なにが」
「届け出。昨日だけで、十九件だってさ」
十九件。
紙が配られるまで、今月の届け出は全部で十七件だった。それが、昨日一日だけで十九件。
「みんな、見つけてるんだ」
ハンスは、興奮を隠さずに言った。
「あの紙のとおりに、指で撫でて、束を一つずつ持って——それで、出てくる出てくるって。ギルドの人が、机の上が偽物だらけだって」
カウンターの向こうで、マルタさんが顔を上げた。
「そうかい」
それだけ言って、また帳面に目を落とした。でも、ペンは動いていなかった。
*
昼までに、通りの空気が変わった。
薬屋の店先で、店主が束を持ち上げている。若い弟子が、葉の裏を撫でている。クロイター通りの一面に、同じ光景が広がっていた。
俺は、荷を抱えたまま、しばらくそれを見ていた。
四日前まで、他の店でこの作業を見かけることはなかった。
*
夕方、ヴェルナーさんが店に来た。
初めてだった。いつもは俺が官庁通りまで行く。監察庁の査察官が下町の薬屋に入ってくると、それだけで店の中の空気が硬くなった。
「……邪魔をする」
「おや、珍しいじゃないかい」
マルタさんは、驚きもしなかった。奥の卓に通して、湯を出した。
ヴェルナーさんは、湯を一口飲んで、それから鞄から紙束を出した。かなりの厚さだった。
「四日で、六十一件だ。町中の店から上がっている」
「六十一とはねえ」
「届け出には、店の名、荷が入った日、商会名、荷札の番号が書かれている。手口が同じで、混ぜる割合も同じだ。荷の入った日まで重なっている」
紙を、卓に広げた。地図だった。王都の区割りが描いてあって、届け出のあった店に小さな印が打ってある。印の横には、商会名と荷札の番号が、細い字で添えられていた。
俺は、身を乗り出した。
印は、町中に散らばっていた。下町、商業区、貴族街の外れ。店の場所だけを見れば、ばらばらだ。
でも、ヴェルナーさんの指が、地図の上をなぞったとき、それは変わった。
「この店と、この店には、同じ日に同じ商会から荷が入っている。ここと、ここもだ。荷札を遡ると、五つの商会に分かれる。……その五つの仕入れ帳を、さらに遡ると」
指が、印から印へ、線を引いていった。
ばらばらだった点が、順番を持った。北の門から入って、一つの場所を経て、五つの商会へ分かれて、それから町中へ散っていく。一本の川と、その支流みたいだった。
「全部、同じ場所に着く」
ヴェルナーさんは、地図の一点を、指の腹で押さえた。
「北門の外の、王家御用達の集積所だ」
*
俺は、その指先を見ていた。
王家御用達。
その言葉が意味することは、子供の俺にも分かった。
「……陛下の薬も」
「同じ場所を通る」
ヴェルナーさんは、地図を畳んだ。
「市中の偽物と、陛下の薬。別の事件だと思っていた。同じ事件だった」
「六十一件あったから、線が引けた」
ヴェルナーさんは、そう言った。
「同じ手口が同じ日に、町中から上がってきて、初めて、荷の流れが見えた」
俺は、何と言えばいいのか分からなかった。
紙を配ろうと言ったのは俺だ。でも、六十一件を見つけたのは、俺じゃない。店先で束を検めた薬師と、そのやり方を覚えた弟子たちだ。
「レイ」
「はい」
「お前がやったのは、やり方を教えたことだ。それは、一人で見ることより、ずっと価値がある」
その言い方が、あんまり静かだったので、俺は返事をするのに少し時間がかかった。
*
ヴェルナーさんは、湯を飲み干して、立ち上がった。
「ここから先は、私の番だ」
はっきりした言い方だった。
「集積所には、王家の紋がかかっている。触れるには、王の名か、宰相の名か、監察庁の令状がいる。関係ない者が近づいていい場所じゃない」
「……はい」
「不服そうな顔だな」
「いえ」
「顔に出ているぞ」
俺は、口を閉じた。この人の前で嘘をつくのは、まだ十年早いらしい。
「レイ。お前は薬草を見た。私は荷の流れを追う。マルタは記録を取り続ける。……人にはそれぞれ役目がある」
ヴェルナーさんは、戸口で振り返った。
「人間、やれることには限りがある。すべてをやろうとすると、どこかで失敗する。だから、任せられるところは任せるんだ」
*
その夜の賄いは、豆と腸詰めだった。
ハンスが今日の話を三回した。ギルドの机が偽物で埋まっていた話を、少しずつ大げさにしながら。三回目には、机が二つに増えていた。
ルーチェは、匙を持ったまま笑っていた。手は、もう震えていない。ルームで寝るようになって四日で、頬に色が戻った。
「レイ」
ルーチェが、豆をすくいながら言った。
「きょう、なんかいいことあった?」
「なんで」
「かおが、しずか」
俺は、匙を止めた。
いいことがあったのか、と聞かれると、よく分からない。事件は解決していない。王はまだ眠っている。集積所には手が届かない。
ただ、この四日間で、王都中の店で、薬師たちが新しいやり方を始めていた。
「……あったかもしれない」
「そう」
ルーチェは、それ以上聞かずに、豆に戻った。
*
寝る前に、ルームを開いた。
ルーチェが竜の姿で寝床に上がって、丸くなるのを見届けてから、部屋を閉じる。
屋根裏の毛布に潜って、天井を見上げた。
ここから先は、私の番だ。
言われたときは、少し悔しかった。今は、そうでもない。
俺は薬草を見た。ヴェルナーさんは荷を追う。マルタさんは記録を取る。ハンスは運ぶ。ヤンたちは路地を見て、走る。王都中の薬師たちが、葉の裏を撫でる。
目を閉じて、明日やることを数えた。まずルーチェの顔を見てから荷を検めて、そして使いに出る。
どれも小さい。
小さいが、何かが、動きはじめている。




