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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第二章 王都クローネ

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24/81

熱の下がった朝と、届かない薬

朝日が出る前に、店の裏口を開けた。


 ハンスは、もう路地で待っていた。水筒を三本、紐で束ねて肩から下げている。余分に持ってこいと言ったら、本当に余分に持ってきていた。


「早いな」


「寝れなかった」


 それだけ言って、ハンスは歩き出した。俺も並んだ。


 まだ薄暗い通りは、昼とは別の町みたいに静かで、パン屋の窓だけが明るかった。生地をこねる音がしていた。この時間から仕込みをしないと、朝の客に間に合わないのだ。


 橋が見えてきたところで、ハンスの足が少しだけ速くなった。俺も、同じだけ速くなった。


*


 橋の下に降りると、最初に見えたのは、ヤンの背中だった。


 エミの横に座って、丸くなっている。眠っているのかと思ったが、俺たちの足音で顔を上げた。目が赤かった。


「よお」


「起きてたのか?」


「布、替えてた」


 水を張った桶の横に、固くねじれた布が積んであった。何度も絞り直した跡が、深い皺になって残っている。一晩中、この暗さの中で、この子は同じことを繰り返していたのだ。


 俺は膝をついて、エミの額に手の甲を当てた。


 まだ温かい。でも、昨日の昼の、触れた瞬間に手を離したくなる熱さじゃない。


「下がってる」


 ヤンが、瞬きをした。


「ほんとか?」


「昨日よりは、下がってる。……エミ」


 名前を呼ぶと、まぶたが動いた。薄く目が開いて、俺とヤンを順番に見て、それから小さく口を動かした。


「……のど、かわいた」


 ハンスが、水筒を落としそうになりながら差し出した。


*


 筒から水を少し飲んで、エミはまた眠った。今度は、息の音が穏やかだった。


 少なくとも、ゆうべより悪くはなっていない。流行り熱ではないと決まったわけじゃないが、水が飲めて、息も穏やかになった。今は、それで十分だ。


 そう言うと、ヤンは何も言わずに、川の方を向いた。肩が一度だけ大きく上下して、それきり動かなかったので、俺は見ないふりをした。


 ハンスは、ミアたち四人に水筒を配っていた。トビアスとルディが取り合いになりかけて、ヤンが二人の頭を軽く叩いた。いちばん小さいフィンが、ハンスの持ってきたパンを両手で受け取って、匂いを嗅いでから、少しずつかじり始めた。


 橋の下に、噛む音がした。


 六人ぶんの、生きている音だった。


*


 帰る前に、ヤンが立ち上がって、俺の前に来た。


 布の袋を握っている。中で、硬い音がした。


「これ」


「なんだ」


「薬代」


 袋の口が開いていて、銀貨の縁が見えた。銀貨一枚と、銅貨が十枚くらい。この子が、道案内と使い走りを何十回も重ねて貯めた、全部だ。


 俺は、袋を押し返さなかった。押し返すのは簡単だが、それは施しになる。


「熱冷ましが、銅貨四枚」


 俺は、指を四本立てた。


「布と水筒は貸しただけだから、返してくれればいい。パンはハンスの持ち出しだから、あいつに言え」


「……四枚?」


「四枚だ。うちの店で売ってる値段だよ。ヤンだから安くしたわけでも、高くしたわけでもない」


 ヤンは、袋の中を覗き込んで、銅貨を四枚、慎重に数えた。数え終わってから、もう一度数えた。


 二回数えるのは、金を持ち慣れていないからじゃない。たぶん、金の重さを知っているからだ。


「ほらよ」


「毎度」


 俺が受け取ると、ヤンは変な顔をした。


「あんた、変わってんな」


「よく言われる」


「銀貨、全部持ってくと思ってた」


「そんな店から薬を買うな」


 ヤンは、鼻を鳴らした。この子の笑い方だ。昨日から、初めて聞いた。


*


 帰り道、ハンスはずっと黙っていた。


 通りに人が出はじめていて、朝の匂いと音がしていた。焼けたパンと、井戸の水と、荷車の車輪。橋の下とは、たった十分歩いただけの場所だ。


「レイ」


「ん」


「今回は、下がったな」


「下がった」


「……次は、どうなんだろうな」


 俺は、答えられなかった。


 答えは、分かっていたからだ。次が流行り熱だったら、熱冷ましでは足りない。特効薬が要る。その薬は、今この町では値が上がっていて、下町の店には回ってこない。


 今回は、たまたま、その薬が要らない病だった。それだけのことだった。


「ハンス」


「ん」


「銅貨四枚で足りる病でよかった、って思ってる俺は、たぶんずるいな」


 ハンスは、少し歩いてから言った。


「おれもだよ」


 それから、二人とも黙って歩いた。悪い黙り方じゃなかった。


*


 昼過ぎ、店の仕事が一段落したところで、マルタさんに切り出した。


「オスカルさんに、手紙を出したいんです」


 マルタさんは、帳面をつける手を止めなかった。


「あの堅物にかい?」


「はい。アシェンなら、月白アズリルが採れます。今年の分の特効薬を作って、この店に送ってもらえないか、聞いてみたいんです」


 帳面の手が、止まった。


「商会を通さない仕入れか?」


 マルタさんは、少しのあいだ何かを数えるように黙って、それから頷いた。


「いいだろう。手紙は店の名前で出しな。金も店が払う。届いたら棚に並べて、値はあたしが決める。……吊り上げない値でね」


「はい」


「言っとくけど、これは商売だよ」


 マルタさんは、分銅を箱に戻しながら付け足した。


「あんたの伝手に、借りが一つできた。そういう勘定だ」


 損得の言葉で喋って、動くのは情。この人の読み方は、もう覚えた。


*


 その夜、屋根裏で、俺はアイテムボックスを開いた。


 中には、旅の道具と、作り置きの残りと、アシェンから持ってきた乾いた薬草が少し入っている。七年かけて広げた、俺の容れ物だ。荷車ごと呑み込める。時間も止まる。


 便利なはずだった。


 なのに昨夜、この中には、エミに要るかもしれなかった薬が、一本もなかった。


 必要な薬があるのは、アシェンの棚だ。オスカルさんの店の、上から二段目。去年の特効薬が、たぶんまだ何本か残っている。目を閉じれば、棚の木目まで思い出せる。


 思い出せるのに、届かない。


 馬で四日。隊商の荷なら三週間。人目を避ける決めごとを破り、昼も飛び続ければ、一日もかからない。けれど、そうすれば金色が空に出る。


 手紙は、夕方の便に載せた。オスカルさんがそれを読んで、今年の分を作り、次の隊商に載せて、この店の棚に並ぶまで——早くても、ひと月半。たぶん、二か月はかかる。


 次が、その前に来たら。


 俺は、開いたままの箱の口を、しばらく見ていた。


 前にも、同じことを考えた。手紙を出した日、ここからアシェンの箱へ直接入れられたら、と。


 あのとき届かなかったのは、紙だった。今日は、薬だ。


 開いた口を見つめても、向こうの棚までの距離は縮まらなかった。


 毛布の中から、ルーチェが顔を出した。


「レイ、ねないの?」


「寝る。……なあ、ルーチェ」


「ん」


「ゆうべ、飛ばなくてよかったな」


 ルーチェは、少し考えてから頷いた。


「うん。あのこ、おきたもん」


「おきたな」


「でも」


 ルーチェは、毛布を顎まで引き上げて、金色の目だけをこっちに向けた。


「つぎ、おきなかったら、レイはとぶよ」


 俺は、返事をしなかった。


 ルーチェは、俺が言わずに済ませようとしたことを、平気で先に言う。


 箱を閉じて、灯りを消した。目を閉じる前に、明日やることを数えた。エミの様子を見に行く。布と水筒を返してもらう。マルタさんに報告する。それから、朝の荷を検める。


 数えているうちに、眠っていた。


※2026/9/15 台詞を少し修正しました(内容の変更はありません)。

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