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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第二章 王都クローネ

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橋の下の六人と、足りない薬

ミアが店に来たのは、昼の賄いの片付けをしている最中だった。


 息を切らして、戸口に立っていた。走ってきたのが、一目で分かった。


「にいちゃん」


「どうした」


「エミが、あつい」


 俺は、布巾を置いた。


「熱か?」


「うん。きのうから。……きょう、おきあがれない」


 ミアの声は落ち着いていたが、指先が服の裾を握りしめていた。この子は、慌てているときほど淡々と喋る。


「マルタさん」


 言いかけたら、もうカウンターから出てきていた。


「行きな」


「はい」


「熱冷ましと、汗を拭く布。あと、水を飲ませる筒。……ハンス、荷を作りな」


 ハンスは、返事もせずに奥へ走った。


*


 橋の下は、前に来たときより、寒かった。


 夏は終わりかけていて、川からの風が石畳を撫でていく。ここは日が入らない。昼でも、壁の下の影が濃い。


 五人が、奥にかたまっていた。


「連れてきた」


 ミアが言うと、ヤンが立ち上がった。


「早えな」


「走ったからな」


 寝かされていたのは、小さい女の子だった。ミアより、もう少し小さい。麻袋を重ねた上に、ぼろの毛布をかけられて、荒い息をしている。


「エミ」


 ヤンが呼ぶと、エミのまぶたがわずかに動いた。返事をする力はないらしい。


 俺は膝をついて、額に手を当てた。


 熱い。ニナのときと同じくらい熱い。


 鑑定もかけた。——※鑑定Lv不足のため詳細不明。人の体の中は、俺のレベルではまだ読めない。だから、手で測る。


「いつからだ」


「一昨日の夜、寒いって言い出した。昨日は起きてた。今朝から、これだ」


「水は」


「飲ませてる。でも、半分は吐く」


 俺は、荷から布を出して、川の水で絞った。冷たい布を額に載せると、エミの眉が少しだけ動いた。


「他の子は」


 ヤンが、後ろの三人を顎で示した。


「今んとこ、平気だ。……こいつがトビアス、あそこの背の高いのがルディ。ちっこいのがフィン」


 名前を、初めて聞いた。


 これで、橋の下の六人全員の名前を知った。


「覚えた」


 俺がそう言うと、ヤンは少し変な顔をした。


「別に覚えなくていい」


「覚える」


 俺は、繰り返した。


 名前を覚えるのに、理由はいらない。うちの家では、そういうものだった。


*


 熱冷ましを飲ませた。


 オスカルさんの店で何度も見た薬だ。うちの工房で乾かした草も入っている。効く薬だ。ただし、これは熱を下げるだけで、病そのものを治すわけじゃない。


 効くのを待つあいだ、俺は考えていた。


 もし、これが去年の流行り熱と同じものだったら。


 あの病は、前世の記憶にある病とよく似ていた。急に高い熱が出て、寒気がきて、子供と年寄りに重い。冬が来るたび、毎年流行った——インフルエンザ。薬も医者も揃っていたあの世界でさえ、毎年、人が死んでいた。


 ニナのときは、月白アズリルの特効薬が要った。あれがなければ、ニナは死んでいた。俺は森の最奥まで採りに行って、ルーチェに乗って帰ってきた。


 ここは王都だ。あの草の生える森は、近くにない。


 アイテムボックスの中にも、ない。旅に出る前、オスカルさんの店の棚には去年の特効薬が三本だけ残っていた。持っていくかと聞かれて、俺は置いてきた。孤児院にはまだ小さい子たちがいる。あの三本は、孤児院の分だ。


 正しい判断だったと思う。今も、そう思う。思うのに、胸がざわついた。


 薬屋はある。でも今、王都の薬は値が上がって、質が落ちている。偽物が混ざっている。よりによって、今なのだ。


「なあ」


 ヤンが、隣に座った。


「これ、治るのか?」


「分からない」


 俺は、正直に言った。


「ただの風邪なら、熱冷ましが効いて、水も少しずつ飲めるようになる。流行り熱かどうかは、明日まで分からない。……熱冷ましと布は置いていく。水はひと口ずつだ。呼んでも目を開けなくなったら、夜でも店に来い」


「待つしかないのか?」


「ああ、待つしかない」


 それから、俺は付け足した。


「エミに触ったら、手を洗え。飯の前もだ。……うつる病なら、手と咳からうつる。前に、そういう病を見たことがある」


 ヤンは、少し変な顔をしたが、頷いた。


 そのまま、膝を抱えて、川を見た。


「あのさ。おれ、金はあるんだ」


「え」


「あんたが払った銅貨二枚と、この前の駄賃。あと、貯めてるやつ。全部で銀貨一枚と、銅貨が十枚くらいある」


 路地の子が、銀貨一枚。それがどれだけの労働なのか、俺は知っている。


「これで、足りるか?」


「……薬の値による」


 俺は、そう答えるしかなかった。


 三年前の流行り熱のとき、ハンスの家は薬に手が届かなかった。母親が二日間、金を借りて走り回った。三日目に金ができたときには、薬はもう売り切れていた。


 値が上がるというのは、そういうことだ。


*


 夕方、店に戻った。


 マルタさんに、見てきたことを全部話した。熱の高さ、息の速さ、水を吐くこと、他の五人は無事なこと。


 マルタさんは、聞きながら帳面を開いて、何かを書いていた。


「流行り熱の初期に似てるね」


「はい」


「ただ、今年はまだ町で流行ってない。一人だけなら、ただの風邪の重いやつかもしれない」


 マルタさんは、帳面を閉じた。


「明日の朝、熱が下がってたら風邪だ。下がってなけりゃ、流行り熱を疑って、そのときに考えな。……夜に来たら、あたしが起きるよ」


「特効薬は」


「うちには、ない」


 あっさりした答えだった。


「去年の分は、春に全部出た。今年の分は、まだ王都に入ってきてない。……入ってきても、たぶん、うちには回ってこないよ」


「なぜですか?」


「値が上がってるからさ」


 マルタさんは、カウンターの椅子に座り直した。


「高い薬は、高く買える店に流れる。貴族街の薬屋か、施療院の上のほうか。……うちみたいな下町の店は、後回しだ」


「材料から、作れませんか?」


「月白アズリルが要る。あれは、王都の近くの森にゃ生えない。市場にも出ないよ。……出るくらいなら、特効薬が一本銀貨三十枚なんて値になってないさ。去年までは、十枚で買えたんだ」


 銀貨三十枚。ヤンの貯めた銀貨一枚が、頭をよぎった。


 俺は、拳を握った。


「それは、おかしいです」


「おかしいさ」


 マルタさんは、即座に言った。


「おかしいけど、それが値ってもんだ。欲しがる奴が増えて、品が減れば、値は上がる。あたし一人が怒鳴っても、下がりゃしない」


 それから、少しだけ声を落とした。


「だから、あんたが監察庁に持っていったんだろう」


 俺は、顔を上げた。


「偽物を作るために、本物を抜いてる。偽物の流れを止めれば、抜かれていた本物が、本来の荷に残る。本物が店に回れば、値も下がる。……時間はかかるよ。でも、あれは、そういう仕事だ」


 その言い方が、あんまり静かだったので、俺はしばらく何も言えなかった。


 三十束を一つずつ持つこと。日付と荷札を書き留めること。それが、橋の下の子の熱と繋がっている。


 繋がるまでに、どれだけ時間がかかるのかは、分からないけれど。


 時間なら、エミにはない。俺は、聞いてみた。


「特効薬なら、アシェンにはあります。オスカルさんの店に、去年の分が。……群生地も、俺は知っています」


「アシェンかい。馬で四日だ。隊商の荷なら三週間。……薬が着くより先に、明日の朝が来るよ」


*


 その夜、ハンスが屋根裏に上がってきた。


 珍しいことだった。この階段は、俺とルーチェの部屋に続いている。足音がした時点で、毛布の膨らみは奥の暗がりに寄って、小さくなっていた。ルーチェは、こういうときの隠れ方を心得ている。


「レイ」


「ん」


「明日、おれも行く」


 ハンスは、階段の途中に立ったまま言った。


「橋の下」


「……いいのか?」


「よくねえけど、行く」


 ハンスは、袖で鼻をこすった。


「おれ、三年前のこと、何もできなかったんだ。母ちゃんが走り回ってるの、見てただけでさ。九つだったし、何もできなかったんだけど、……何もできなかった」


 二回言った。


 二回言わなきゃいけないことだったんだと思う。


「じゃあ、水筒を余分に持ってこい」


「わかった」


 ハンスは、それだけ言って、階段を降りていった。


*


 毛布の中で、ルーチェが小さく言った。


「レイ。あのこ、しぬ?」


「分からない」


「……ニナのときも、そうだった」


 ルーチェは、覚えていた。あの雨の夜のことを。


「あのときは、レイが、とんだ」


「うん」


「きょうは、とばないの?」


 俺は、天井を見た。


 人目を避ける決めごとを破って、昼のあいだ飛び続ければ、アシェンまで一日もかからない。オスカルさんの店には、たぶん去年の特効薬がまだ残っている。月白アズリルの群生地も、俺は知っている。


 でも。


「飛んだら、王都中に金色の竜が見える」


 貼り紙を思い出した。金色の飛行体を見た者は。確かな情報には銀貨一枚。


「見えたら、ルーチェが狙われる」


「わたしは、へいきだよ」


「俺が平気じゃない」


 ルーチェは、しばらく黙った。


 それから、毛布の中で、俺の袖をつかんだ。


「……レイは、だれかがこまってると、ぜんぶ、じぶんでなんとかしようとする」


「そうか」


「そう」


 うちの姫様は、時々、大人より正確に人を見る。


 俺は、袖をつかまれたまま、考えていた。


 できないことは、はっきりしている。今すぐ飛ぶことはできない。特効薬は手元にない。


 できることは、明日の朝、熱を測りに行くこと。水を飲ませること。ハンスと二人で、布を替え続けること。


 それだけだ。


 七年前も、それだけだった。角ウサギを一羽ずつ運んで、薬草を一束ずつ売って、そうやって食卓を温かくした。急に全部を変える方法は、あのときも知らなかった。


 目を閉じる。


 明日の朝、熱が下がっていますように。


 誰に祈っているのかは、自分でも分からなかった。竈の神様でも、癒しの神様でも、誰でもいい。


 この世界の神様に、俺は今日まで一度も祈ったことがなかった。


※2026/9/15 台詞を少し修正しました(内容の変更はありません)。

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