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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第二章 王都クローネ

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17/20

本当の名前と、効かない薬

十二日ぶりに、その子は来た。


 昼前ではなく、店じまいの時間だった。俺が表の薬草の束を取り込んでいたら、通りの端に、見覚えのある亜麻色の髪が立っていた。


「アーニャ」


 呼んで、俺は言葉を切った。


 顔色が、悪かった。目の下が黒くて、頬がこけて、十二日でこんなに変わるのかと思うくらい、痩せて見えた。


 後ろの二人は、いつもより近くに立っていた。もう隠す気がないみたいに、まっすぐこちらを見ている。


「……レイ」


 声も、かすれていた。


「話が、あるの」



 店の裏の台所に通した。マルタさんは、客用の椅子を出して、湯を沸かして、香草の茶を一杯だけ淹れると、それから何も言わずに、ハンスとルーチェを連れて表へ出て行った。


 あの人は、必要なときに、必要なだけ席を外せる人だ。


 アーニャは、椅子に座って、湯気の立つ木のコップを両手で持って、しばらく黙っていた。


 俺は、急かさなかった。急かして出てくる話じゃないのは、顔を見れば分かった。


 やがて、その子は、言った。


「父が、目を覚まさないの」


「アーニャのお父さんが……」


 言いかけて、四日前の鐘を思い出した。


「……王様も、あれから目を覚まさないって。町では、その話で——」


「その王様が、私の父なの」


 コップを持つ手が、震えていた。


 台所が、静かになった。


 鍋の火は落としてある。表からハンスの声が遠く聞こえて、それも、すぐに小さくなった。


 俺は、自分の心臓の音が、やけにはっきり聞こえるのを聞いていた。



 アーニャは、コップを卓に置いた。


 それから、背筋を伸ばした。この前、路地で見た伸ばし方だった。あのとき「市場のものじゃない」と思った、あの背骨の使い方。


「ちゃんと、名乗るわ」


 そう言って、その子は、俺の目を見た。


「ヴィオラ・エーデルガルト・フォン・リンデンハルト」


 長かった。


 名前というより、読み上げるものだった。何かの証書に書かれていて、式典で誰かが読み上げて、それを聞いた人たちが頭を下げる、そういう種類の音の連なり。


 俺が七年間で覚えたどの名前とも、長さが違った。


「……この国の第二王女」


 俺は、しばらく、何も言えなかった。


 驚いてはいた。ちゃんと驚いていた。でも、驚きの下に、別の感触があった。


 値段を知らない子。迎えの大人が二人つく子。家族が揃っているのに、全員で囲む食卓がない家の子。名前を大事に扱う癖のある子。名乗る前に、一拍、息を吸った子。


 全部、そこにあった。


 俺は見ていた。見ていて、見ないことにしていた。


「……アーニャは」


「偽名。とっさに、思いつかなくて。乳母の名前を借りたの」


「そうですか」


「怒らない?」


 その聞き方が、あんまり子供だったので、俺は少しだけ笑ってしまった。


「怒りませんよ。僕にも、言ってないことがあるので」


 言ってから、しまった、と思った。


 でもヴィオラは、そこを掘らなかった。ただ、ほんの少しだけ、肩の力を抜いた。



「それで」


 俺は、椅子を引いて、座り直した。


 背筋を伸ばした。商売の顔をした。ベックさんの店で角を売ったときと、同じ顔だ。


「王様の薬の話を、聞かせてください」


 ヴィオラが、目を見開いた。


「……あなた、私が誰か聞いても」


「聞きました。第二王女ヴィオラ様、ですよね」


「様は、やめて」


「じゃあ、ヴィオラ」


 あっさり呼び捨てにすると、その子は、ぽかんとした顔をした。


「……喋り方も」


「え」


「今まで通りで、いいわ。……その方が、聞きやすいから」


 それなら、と俺は肩の力を抜いた。敬語は、三日ももたない自信があった。


「俺にできることは、たぶん、薬の話だけだ。身分の話をしても、王様の目は覚めない」


 しばらくの間があって、それから、ヴィオラは笑った。


 泣きそうな笑い方だった。


「……そう。そうよね」


「ああ」


「あなた、本当に変わってるわ」


「よく言われる」



 話は、こうだった。


 王には、若い頃からの持病がある。年に何度か、胸を押さえて倒れる。長く続く発作で、そのたびに侍医が調合した薬を飲み、数日寝込んで、また起きてくる。もう二十年、そうやって付き合ってきた。


 今回も、最初は同じだった。


 いつもの発作。いつもの薬。


 なのに、目を覚まさなかった。


「侍医は、何と」


「歳のせいだ、と。……でも、父はまだ四十六よ。去年の発作のときは、三日で起きたわ」


「薬は、いつもと同じものか」


「同じもののはずよ。同じ商会が持ってきたもの」


 俺の指が、卓の上で、勝手に止まった。


 全部同じで、結果だけが違う。


 商売で、そういう話を聞いたことがある。オスカルさんの店だ。「同じ値で仕入れたのに、今年だけ利が薄い」と言って帳面を持ってきた行商がいた。答えは簡単で、仕入れた品の質が落ちていた。中身が、いつのまにか変わっていたのだ。


「ヴィオラ」


「なに」


「その薬、俺に見せてもらうことは」


 言ってから、無理だと思った。王の薬だ。子供が見られるものじゃない。


 でもヴィオラは、少しの間、じっと考えて——それから、懐に手を入れて、小さな革袋を出した。


 袋の紐をほどいて、薄い紙包みを、卓に置いた。


「持ってきたわ」


「え」


「あなたに会いに来るなら、これを見せようと思って。……煎じ薬の、残りかす。侍医の部屋の、捨てる桶から拾ったの」


 俺は、その子の顔を見た。


 王女が、自分の手で、捨てる桶を漁った。


「……お行儀が悪いって、思う?」


「いや」


 俺は首を振った。


「いい手だと思う。捨てたものは、隠されないから」


 それから、通りの向かいが気になった。地味な身なりの二人は、いつもの軒下に立っている。


「あの人たちは、いいのか」


「あの二人は、乳母の家の者よ。私が生まれる前から仕えている家なの」


 ヴィオラは、包みの方を見たまま言った。


「今日は、乳母の家へ行くことになっているの。……あの二人にも、この包みのことは言っていないわ」


「言えないのか」


「もし、誰かが父さまの薬に細工をしたのなら——それができるのは、城の中の人だもの」


 静かな声だった。


「誰なら信じていいのか、まだ、分からないの」



 包みを開いた。


 煎じたあとの、しなびた草の切れ端。色は抜けて、匂いはほとんど飛んでいる。それでも、俺は顔を近づけた。


 匂いを吸う。切り口を見る。指で潰して、繊維の折れ方を見る。


 鑑定を、かけた。


【煎じかす(複数種混合)】

 ※鑑定Lv不足のため詳細不明


 それだけだった。


 煎じて、乾いて、水を吸って形の崩れた草に、鑑定はうまく効かない。七年かけて読めるようになったのは、生きた草の話だ。死んだ草は、名前を返してくれない。


 だから、目で見た。


「……これ、何種類か混ざってる」


「処方は七種だと聞いたわ」


「七種類ぜんぶは分からない。煎じたあとだと、香りの弱いものは飛んでしまうから」


 俺は、そのうちの一片を、指でつまみ上げた。


 細い茎。節のところが、わずかに角ばっている。


 似ている。似ているけれど、違う。


「ただ、一つだけ、気になるのがある」


「なに?」


「これ、たぶん、胸の発作に使う草じゃない」


 台所が、静かになった。


「俺の師匠の店に、同じ形の草が二つ並んでた。片方は胸の発作に効いて、片方は——」


 俺は、言葉を選んだ。


「片方は、眠りを深くする草だ。少しなら、寝つきの悪い人の薬になる。でも量が多いと、深く眠りすぎて、起きられなくなる」


 ヴィオラの、顔から、色が引いた。


「……それは」


「断言はできない。煎じかすだ。乾かして、煮て、水を吸って、形が崩れてる。俺は薬師じゃないし、これだけで決めつけるのは危ない」


「でも、あなたは、そう思ったのね」


「思った」


 俺は、正直に言った。


「この節の角ばり方は、七年見てきた形だ。オスカルさんの店で、この二つを何百回も並べて覚えた。間違えたら人が死ぬから、って」


 ヴィオラは、卓の上の草の切れ端を、じっと見ていた。


 小さかった。指の先ほどの、乾いた草の屑だ。


 その屑が、この国でいちばん高いところで眠っている人と、繋がっている。



「……誰かが」


 ヴィオラの声が、震えた。


「誰かが、父を、眠らせているの?」


「分からない」


「レイ」


「本当に、分からないんだ」


 俺は、卓に手をついた。


「間違いだった可能性もある。薬師が草を取り違えた。商会が荷を間違えた。乾かした草は本当に見分けにくいから、事故は起きる。……でも」


 言葉を、飲み込んで、それから続けた。


「うちの店では、今月、四度、偽物が混ざった。全部、同じ手口だ。似た草を、似た草に混ぜる。素人には分からない、玄人が見れば分かる、その境目を狙った混ぜ方だ」


「……四度」


「王都中で、同じことが起きてる。薬の値が上がって、質が落ちて、その中に、混ざりものが流れてる」


 俺は、息を吸った。


「もし、その流れの一番奥に王宮があるなら」


 言い切らなかった。言い切れる立場じゃない。


 でも、ヴィオラには伝わった。この子は、賢い。


「証拠が、いるのね」


「ああ」


「私が、集めればいい?」


「駄目だ」


 即答した。


 ヴィオラが、驚いた顔をした。


「なぜ」


「ヴィオラが動くと、相手に分かるからだ」


 俺は、卓の上の草を、慎重に紙に包み直した。


「王女様が薬を調べ始めた。それが伝われば、証拠は消える。桶の中身も、荷の記録も、明日には全部きれいになる。……もし本当に誰かがやっているなら、その誰かは、たぶん、宮廷の中にいる」


 ヴィオラの手が、膝の上で、きつく握られた。


「じゃあ、どうすればいいの」


「集めるのは、俺がやる」


 俺は、包みを鞄にしまった。


「薬草の偽物の記録なら、うちの店に四度分、溜まってる。それに、これを足す」


「危なくないの」


「俺は、ただの薬屋の使いっ走りだ。子供が荷の文句を言っても、誰も気にしない」


 そこが、いちばん強い場所だった。


 F級のくせに、と侮られる。子供のくせに、と流される。俺の身分は、この七年、ずっと同じ役に立ってきた。目立たないことは、俺にとって利益だ。



「あと、ひとつだけ、頼みがある」


「なに?」


「監察庁に、話を通す。ヴェルナーさんという人がいて、俺の師匠の紹介状を持ってる。あの人は、証拠が揃うまで動かない代わりに、揃えば必ず動く人だ」


 ヴィオラの目が、わずかに動いた。


「監察庁……父の、直属の」


「知ってるのか」


「宰相の下にない役所は、あそこだけよ。父が、そう作ったの」


 王が作った、王直属の中立機関。


 その意味が、今、はっきりした。王は、自分の宮廷を、完全には信じていなかった。だから、誰の下にも置かない目を、一つだけ手元に残した。


 その目が、今、必要になっている。


「なら、話が早い」



 表まで送った。


 通りはもう暗くて、迎えの二人が、灯りを持って待っていた。


 ヴィオラは、店の戸口で立ち止まって、振り返った。


「レイ」


「ん」


「私、あなたに嘘をついていたわ。ずっと」


「ああ」


「怒らないの?」


「二度目だぞ、その質問」


 ヴィオラは、少し笑った。それから、真面目な顔になった。


「私が誰か分かって、態度を変えないのね」


「変える意味が、思いつかない」


「……ふつうは、変わるのよ」


「そうかもな」


 俺は、少し考えて、言った。


「でも、うちの卓では、みんな同じ鍋から食べる。誰が来ても、いる人数で分けるだけだ。マルタさんが、そう言ってただろ」


 ヴィオラの目が、揺れた。


 その一言が、この子にとってどれだけ重いのか、俺はまだ、半分も分かっていなかったと思う。


 家族が揃っているのに、全員で囲む食卓がない子。


 その子が、うちの賄いの椅子に、四人目として座っていた。


「……また、行ってもいい?」


「いつでも。昼前に来ると賄いに間に合う」


「覚えてる。……今度は、かならず行くわ」


 ヴィオラは、灯りの方へ歩き出して、それから、もう一度だけ振り返った。


「レイ」


「ん」


「ありがとう。……名前を、呼んでくれて」


 俺は、その意味を、少し遅れて理解した。


 あの長い名前を読み上げたあと、俺が呼んだのは「ヴィオラ」だった。三つの節のうち、いちばん短い、いちばん最初の一つだけ。


 様も、家名もつけずに。


 ヴィオラは、少しだけ迷ってから、付け足した。


「あと。……親しい人は、ヴィオって呼ぶの」


 それだけ言って、返事も待たずに、灯りの方へ歩いていった。


 迎えの二人が、その後ろに続いた。


 俺は、暗くなった通りに、しばらく立っていた。


 親しい人は。


 ——ずいぶん、遠回りな言い方をする子だ。



 店に戻ると、マルタさんがカウンターで待っていた。


 ハンスとルーチェは、もう奥に行かせたらしい。


「話は、済んだかい」


「済みました」


「そうかい」


 マルタさんは、それ以上聞かなかった。代わりに、カウンターの下の箱を開けて、鍵をかけた紐を外した。


 中には、四度分の偽物の束と、帳面が一冊。それに、紐で束ねた荷札が入っていた。


「持っていくんだろう。あの、笑わない狐のところへ」


 俺は、驚いて顔を上げた。


「……なんで」


「あんたの顔に書いてあるよ」


 マルタさんは、束を一つずつ、丁寧に紙に包み直しながら言った。


「証拠は貯めるもんだ、って言ったのは、あたしだ。貯めるのは、使う日が来るからさ」


 帳面を開くと、荷が入った日、商会の名前、荷札の番号、束の数、混ざっていた草の種類が、一行ずつ並んでいた。四度分。


 四行目は、鐘の翌日の荷だ。商会の名前。荷札の番号。三十束のうち四束。ハクハ草にヨシバ草。行の終わりに、一言だけ添えてあった。——根を切り、匂いを飛ばしてあり。


「見つけた日のうちに、書く。三日も経つと、人の記憶は形が変わるからね」


「束だけ持っていっても、ただの枯れ草だよ」


 マルタさんは、荷札の束を、帳面の間に挟んだ。


「いつ、どこから、いくつ来たか。それが揃って、初めて証拠になる。……役所ってのは、物より紙を信じる連中さ」


 それから、マルタさんはカウンターの引き出しを開けて、封をした紙を一枚出した。


「これも一緒に持っていきな」


「……手紙、ですか」


「添え状さ。あんたが子供だからね。子供が持ってきたってだけで、話半分に聞く役人もいる」


 封の表には、何も書いていなかった。宛名も、差出人も。


「マルタさん、これ——」


「読んだら燃やせと書いてある」


 マルタさんは、それを帳面の間に挟んだ。


「あの狐なら、ちゃんと燃やすよ」


 包みが、四つ。帳面が、一冊。封書が、一通。俺の鞄の中の、五つ目と合わせて。


「マルタさん」


「なんだい」


「危ないかもしれません」


「知ってるよ」


 あっさりしたものだった。


「薬の偽物は、人を殺す。……あたしは、そう言ったはずだよ」


 この人は、最初から、覚悟の上でここにいた。



 夜、屋根裏で、ルーチェが聞いた。


「あのこ、なまえ、ほんとうのやつ、いった?」


「言った」


「ふうん。……においは?」


 俺は、思い返した。


 あの子が長い名前を読み上げたとき、匂いが変わったかどうか。


「変わらなかったと思う」


「じゃあ、ほんとうだ」


 ルーチェは、それだけ言って、満足そうに目を閉じた。


 うちの姫様は、身分には興味がない。嘘か本当かにしか、鼻が利かない。


 窓の外で、丘の上の城が、今夜も眠らずに光っていた。


 あの灯りのどこかで、王が眠っている。眠らされている、かもしれない。


 俺の鞄の中には、ヴィオラが持ってきた草の屑と、四つの包みがある。


 明日、官庁通りへ行く。


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