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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第二章 王都クローネ

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15/20

四人分の賄いと、しゃべりながら食べる家

四日後の昼前に、その子は本当に来た。


 店先を掃いていて、ふと顔を上げた。通りの向こうから、亜麻色の髪の女の子が、まっすぐ歩いてくるところだった。


 この前と同じ、地味な色の上等な服。違うのは、後ろに大人が二人ついていることだった。


 少し離れて歩く、地味な身なりの男女。買い物客のふりをしているけれど、目が客の目じゃない。俺が見ているのに気づくと、二人はそれ以上近づかず、通りの向かいの軒下で足を止めた。


 迎えが来る、と言っていた。あれのことか。


「レイ」


「……いらっしゃい」


「何かあったら来ていい、って言ったでしょう」


 アーニャは、少し得意そうだった。約束を実行に移した子の顔だ。


「ああ、言ったな」


「……今日は、何もないのだけれど」


「なら、何もなくても客だ。うちは断らない」



「マルタさん。友達が来ました」


 奥にそう声をかけたとき、俺は自分がずいぶん自然に「友達」と言ったことに、少し驚いた。


 マルタさんは、カウンターから顔を上げて、アーニャを見た。


 一秒。二秒。


 その一秒か二秒の間に、この人が何を見たのか、俺には分かった気がした。立ち方だ。この人は毎日、荷を持ち込む商人と、薬を買いに来る客と、値段をごまかそうとする連中を見分けている。


 でもマルタさんは、何も言わなかった。


「そうかい。ちょうどいい、もう賄いだ。あんたも食べていきな」


「え……いいんですか」


「うちは、いる人数で分ける。それだけの話さ」


 いる人数で分ける。それだけの話。


 アーニャの顔が、その言葉のところで、ほんの少し止まった。



 賄いは、店の裏の台所で食べる。


 卓がひとつと、長椅子が二脚。今日はそこに、四人が座った。俺、ハンス、ルーチェ、そしてアーニャ。マルタさんは立ったまま、鍋の前で食べる人だ。


 今日の鍋は、豆と腸詰めの煮込みだった。


 王都の豆は白くて大きい。腸詰めは端の切れっ端で、店で売れない不揃いのやつを、肉屋から安く分けてもらってくる。それを、玉ねぎと、香草と、塩と、たっぷりの時間で煮る。


 湯気が、台所いっぱいに立った。


「はい、皿出しな。自分の分は自分でよそうんだよ」


 ハンスが皿を配って、ルーチェが匙を並べて、俺が水を汲んだ。誰が決めたわけでもない役割分担が、この十日ほどで勝手にできていた。


 アーニャは、皿を渡されて、少し戸惑った顔をした。


「……自分で、よそうんですか」


「よそうんだよ。多すぎたら怒られるぞ」


 ハンスが、なぜか偉そうに言った。


 アーニャは、鍋の前に立って、しばらく考えて、それから、ずいぶん控えめな量をよそった。


「少ないよ」


 ルーチェが横から言った。


「そんなんじゃ、たりない」


「でも、ご迷惑では」


「たりないと、げんきでなくなる」


 ルーチェは、アーニャの皿を取り上げて、勝手にもうひとすくい足した。誰の許可も取らなかった。


 アーニャは、それを止められないまま、皿を受け取った。



 席に着くとき、ハンスが思い出したように聞いた。


「そういやおまえ、名前なんての」


 匙を持つ手が、ほんの一瞬だけ止まった。


「……アーニャ」


「アーニャな。おれはハンス。こいつの相棒」


「相棒?」


「検品はこいつ、力仕事はおれ。決まってんだ」


 ずいぶん得意そうに言うので、俺は黙っておいた。ルーチェが、なぜかアーニャの顔をじっと見ていた。



「いただきます」


 俺がそう言うと、ハンスがアーニャに向かって、なぜか得意そうに言った。


「こいつんとこの、飯の前のまじないだよ。竈の神様に言うんだと」


 厳密には違う。これは前の世界の癖で、それがこの体に染みついて、孤児院の食卓でみんなに移った。院長先生は「いい習わしね」と言って、そのまま孤児院の作法になった。神様の名前は、そこには入っていない。


 でも、そう説明した方が、この国では通りがいい。それに、初日に一度そう答えてから、ハンスは毎回、面倒くさそうに真似をするようになった。


「いただきます」


 ハンスが先に言って、ルーチェが続けて、それから、少し遅れて、アーニャが小さな声で言った。


「……いただきます」


 四人で食べ始めた。



 うまかった。


 豆はよく煮えて、匙の背で潰すと、スープを吸って甘くなる。腸詰めの端は不揃いだけれど、脂と塩気が全部そこに出ていて、黒パンで拭って食べると、それだけで一日働ける気がした。


「マルタさん、これ、何入れてるんですか」


「教えないねえ」


「ケチ」


「レシピを只でくれてやる商売人がいるかい」


「じゃあ、銅貨二枚で」


「安すぎるね」


 ハンスが吹き出して、豆を喉に詰まらせて咳き込んだ。ルーチェが背中を叩いてやりながら、自分の腸詰めを一本、こっそりハンスの皿に移していた。ハンスは気づかずに咳き込んでいた。


「ルーチェ、それ、あとで自分の分がなくなるぞ」


「いいの。ハンス、きょう、はこびすぎて、つかれてる」


「え、なんで分かんの」


「においで」


 ハンスが「妹、なんかこわい」と真顔で言って、ルーチェが得意げに胸を張って、マルタさんが鍋の前で「あんたら、口より手を動かしな」と言った。


 いつもの賄いだった。


 うるさくて、汁が飛んで、誰かが誰かの分を勝手に足したり移したりする、いつもの昼飯。


 そのあいだずっと、アーニャは、ほとんど喋らなかった。



 喋らないけれど、食べていた。


 最初は匙の運びが遅かったのに、途中から、少しずつ速くなった。二杯目をよそうときには、ルーチェに言われる前に自分でちゃんとした量をよそった。パンをスープに浸す食べ方も、俺がやったのを見て、そのまま真似していた。


 行儀は、正直、俺たちの誰よりも良かった。


 でも、その良い行儀のまま、汁を飛ばして笑っている三人を、ずっと見ていた。



 食べ終わって、皿を洗って、アーニャを表まで送った。


 通りの向かいの軒下で、地味な身なりの二人が、まだ立っていた。


「今日、私、ずっと喋らなかったでしょう」


 歩きながら、アーニャが言った。


「疲れた?」


「ううん」


 少しだけ、間があった。


「聞いてたの。……みんなが、喋りながら食べるから」


 俺は、返事に詰まった。


 喋りながら食べる。それは俺にとって、あまりにも当たり前で、当たり前すぎて、褒め言葉にも観察にも聞こえなかった。孤児院の食堂は、十六人が一斉に喋る場所だった。うるさくて、誰かが必ずこぼして、アリア姉が必ず怒った。


 あれが特別なことだとは、思ったことがなかった。


「アーニャの家は、静かなのか」


 聞いてから、少し踏み込みすぎたかと思った。


 でもアーニャは、怒らなかった。ただ、通りの石畳を見ながら、ゆっくり答えた。


「静かなの。……というより」


 言葉を探しているのが分かった。


「うちは、家族がそろっているの。父も、母も、姉も、妹も、兄も、みんないるわ。……卓も、ちゃんと囲むのよ。決まった日には、全員で」


「じゃあ、揃ってるんじゃ」


「揃っているわ。……誰も、喋らないだけで」


 その言い方は、平らだった。


 悲しそうでもなく、責めるふうでもなく、ただ事実を並べる言い方。何度も自分に言い聞かせて、角が取れてしまった言葉の形をしていた。


「食器の音しか、しないの。最初から、最後まで」


「……仲が、悪いのか」


「悪いというか。……どちらの兄さまも、優しいのよ。私たちには」


 アーニャは、そこで初めて、少しだけ困った顔をした。


「どっちの兄さまも、好きなのに」


 好きなのに、同じ卓で、ひとことも交わさない。


 それは、想像するのが難しい話じゃなかった。七年前のアシェンにも、そういう家はいくつもあった。金のことや、土地のことや、昔の恨みで、同じ卓についても口をきかない家。


 ただ、この子の場合は、そこに「家族はそろっている」がつく。


 誰も欠けていないのに、揃わない。


 俺の育った家は、逆だった。血の繋がりはひとつもなくて、親は誰にもいなくて、それでも毎晩、全員が同じ鍋から食べた。


「……変な話をして、ごめんなさい」


「変じゃない」


 俺は、少し考えてから言った。


「うちも、そろってなかった。全員、親がいない。……でも、飯は一緒に食ってた。だから、そろってるとか、そろってないとかは、たぶん、人数の話じゃないんだと思う」


 アーニャが、足を止めた。


 俺を見上げて——俺の方が少し背が高い——しばらく、何も言わなかった。


 それから、笑った。


 この前の路地で見た、歳相応の顔だった。


「……あなた、変わってるって言われない?」


「よく言われる」


「そう。よく言われるのね」


 通りの向かいで、迎えの二人が動くのが見えた。



「レイ」


 別れ際、アーニャは一度だけ振り返って、言った。


「また来ていい?」


「いつでも。ただ、昼前に来ると賄いに間に合う」


「……昼前に着くように、計算して来るわ」


「商売人みたいだな」


「あら。褒め言葉?」


「うちでは、最上級だ」


 アーニャは、声を出して笑った。それから、通りを歩いていった。二人の大人が、少し離れて後ろに続いた。



 店に戻ると、ハンスが待ち構えていた。


「なあ、あの子、なんなんだよ」


「友達」


「そうじゃなくてさ。……なんか、変だろ。しゃべり方とか」


「そうか?」


「そうだよ。うちの母ちゃんが言うには、ああいうのは——」


「ハンス」


 俺は、ハンスの言葉を止めた。


「あの子は、うちに来て飯を食っていく友達だ。それ以上は、俺も知らない」


 ハンスは、口を尖らせて、それから「ふうん」と言って、荷を運びに行った。それ以上は聞いてこなかった。


 この店の人間は、みんな、聞かないのがうまい。



 夜、屋根裏で、ルーチェが言った。


「レイ。あのこ、においが、ちがう」


「ちがう?」


「なまえ、いうとき。ちょっとだけ、かわった」


 竜の鼻は、嘘に利く。


「……そうか」


「でもね」


 ルーチェは、毛布の中で言った。


「ごはんのときは、かわらなかった」


 俺は、窓の外の城の灯りを見ながら、それを聞いた。


 飯を食っているときが、いちばん、その人の素が出る。ベックさんが言っていたことだ。値切るときの顔と、飯を食う顔を見れば、大抵の人間は分かる、と。


 あの子は、飯を食う顔だけ、隠していなかった。


「ルーチェ」


「ん」


「あの子、また来るってさ」


「うん。しってる」


 ルーチェは、毛布の中で丸くなって、眠そうに言った。


「つぎは、おさらのならべかた、おしえてあげる」


 うちの妹は、いつのまにか、教える側になっていた。


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