表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第二章 王都クローネ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/20

休みの市場と、ほどけかけた金色

「あんたたち、明日は店を閉めるよ」


 夕飯の賄いの席で、マルタさんが言った。月に二度の、薬師ギルドの寄り合いの日らしい。


「あたしはギルドで一日つぶれる。ハンスは実家に顔を出しな。坊やは——」


 マルタさんは、俺と、隣で黒パンをちぎっているルーチェを、順番に見た。


「妹を、遊ばせておやり。うちに来てから、働き詰めだろう」


「わたしとあそぶ?」


 ルーチェが、パンを持ったまま顔を上げた。


「遊ぶんだよ。子供の仕事だ」


 マルタさんはそう言って、エプロンのポケットから、小さな布袋をルーチェの前に置いた。じゃら、と軽い音がした。


「今月の駄賃だ。皿は割らない、床は磨けてる、文句のない働きだった。給金は働きに払う。うちの店の決まりだ」


 ルーチェは、布袋と、マルタさんの顔を見比べた。


「……わたしの?」


「あんたのだ」


 ルーチェは布袋を両手で持って、胸に当てた。中身は鉄貨と、銅貨が少し。金額でいえば、大人の半日ぶんにもならない。でもルーチェは、生まれて初めての給金を、宝物の卵みたいに抱えて、その夜は枕元に置いて寝た。


 竜は宝を貯める、と文献にはあるけれど。


 最初の宝がそれでいいのか、うちの姫様は。



 出かける前に、財布の中身を分けた。


 銅貨を十枚だけ残して、あとは別のところにしまう。取られたときに困る額と、取られても笑える額は、違う。あの日、橋の下でパンを七つ買うのに、俺は財布の中身をほとんど使い切った。もし手元に一枚もなかったら、あの取引はできていない。


 残りをどこに入れたかは、人には言えない。


 袖の中で、手のひらを一度だけ閉じる。出し入れの口は、手が入るだけの大きさで足りる。大きく開けるのも、小さく開けるのも、こちらの思い方ひとつだ。


 それだけで済むようになったのは、七年やってきたおかげだ。最初のころは、目を閉じて、息を止めて、両手を突き出さないとできなかった。


 出すときは、懐に手を入れる。


 そこには何も入っていない。それでも、手を入れて、探して、取り出す。傍から見れば、上着の内側から金を出しただけだ。人は、手が引っ込むところと、出てくるところしか見ていない。途中は、誰も見ていない。


 あとは、財布を腰ではなく、上着の内側に移した。


 一度取られれば、誰でも覚える。



 翌朝の市場は、いつも通りの賑わいだった。


 中央市場は、商業区の真ん中にある。石畳の広場に屋台と露店がひしめいて、呼び込みの声が屋根みたいに重なる。違って見えるのは、こっちの都合だ。働く日に通り抜けるのと、遊びに来るのとでは、同じ場所でも景色が変わる。


「レイ、あれ、なに」


「干した果物だな。南の方から来るやつ」


「あれは」


「絨毯。……たぶん、俺たちには一生縁のない値段だ」


 ルーチェは、フードの下から、目だけをきょろきょろさせて歩いた。手は、俺の手をしっかり握っている。迷子の対策で始めた習慣は、もうすっかりただの習慣になっていた。都会では、兄妹は手を繋ぐものだ。


 人混みの向こうで、聞き覚えのある鋭い音がした。


 指笛。二回じゃなくて、一回。見れば、市場の端を、見覚えのある痩せた子が駆けていく。籠を抱えて、荷の間を縫って、あっという間に消えた。あの走り方は、ヤンのところの子だ。一回の笛が何の合図かは知らない。仕事中、というだけは分かった。


 この市場の下を、あの子たちの道が通っている。それを知ってから、王都の見え方が、少しだけ変わった。



 昼は、屋台で食べた。


 串焼きが一本銅貨六枚。最初に値札を見た日は悲鳴を上げた俺の物差しも、今日は二本まで許可を出した。休みの日の飯は、少し馬鹿になるくらいでいい。それも孤児院の食卓で覚えたことだ。祭りの日のアリア姉は、砂糖の量を数えなかった。


 ところが財布を開けてみると、銅貨は十枚しかなかった。二枚、足りない。今朝、自分でそう決めて詰めたことを、すっかり忘れていた。


 俺は懐に手を入れて、中を探す振りをして、二枚を足した。上着の内側には、何も入っていない。それでも親父は、俺の手が引っ込むところと、出てくるところしか見ていなかった。


 用心して軽くした財布で、その日いちばん先に困ったのは、俺自身だった。


 炭火の上で、脂がはぜる。親父が串を返すたび、煙がうまい匂いの塊になって流れてくる。


 ルーチェは串を両手で持って、そのままかぶりついた。


「熱くないのか」


「あつくない」


 ……そういえば、この子は口から火が出るんだった。


 フードの奥で、目が丸くなる。


「……!」


「うまいか」


「ベックさんのお肉と、ちがう。……でも、おいしい」


「一口くれないか」


「はい」


 ルーチェが、串をこっちに差し出した。俺の分は、まだ親父が焼いている。


 齧ると、脂と塩気のあとに、舌の奥がぴりっとした。王都へ来る道で行商人にもらった小袋と、たぶん同じ系統のものが、ほんの少しだけ振ってある。


「炭で焼いたのと、塩と、香辛料が少しだな。……こういうのは屋台が一番うまい」


 広場の隅の日陰に並んで座って、俺たちは串を齧った。石畳の広場を、人が川みたいに流れていく。あの流れの一人ひとりに、帰る家と、今夜の飯があるのだと思うと、都会の人混みも、少しだけ景色として悪くない。


 ルーチェは食べ終わった串を名残惜しそうに眺めてから、大事そうに、腰の布袋を開けた。


「レイ。わたし、かいものが、したい」


「何を買うんだ」


「ないしょ」


 生まれて初めての給金の使い道を、うちの姫様は、もう決めているらしかった。



 異変に気づいたのは、その直後だった。


 立ち上がったルーチェが、ふらり、と揺れた。


「ルーチェ?」


「……なんか、へん」


 その声が、少し、低い。人の声と、別のものの間くらいの響きが混ざっている。フードの奥を覗き込んで、俺は息を呑んだ。


 金色の目の、瞳孔が、縦に細くなっていた。


 竜の目だ。それだけじゃない。フードから覗く前髪の生え際に、ちら、と硬いものが光った。鱗。ほどけかけている。人の形が、ゆっくり、ほどけかけている。


 心臓が、冷たい手で掴まれた。


 ここは市場のど真ん中で、昼で、周りは人だらけだ。


「——ルーチェ、こっち」


 声だけは平らに保って、手を引いた。走らない。走れば人は見る。広場の隅の、荷車の陰の、細い路地。表の音が一枚遠くなるところまで入って、壁際にルーチェを座らせた。


「レイ、わたし……」


「大丈夫だ。喋るな」


 考えろ。宿の夜と同じだ。人化は、ずっと制御していないと保てない。気が緩んでも、力が尽きても、ほどける。


 人の形になれるようになって、もう何年も経つ。それでも、この子はまだ、自分の形を完全には握れていない。いつか制御しなくても保てる日が来るのかどうか、俺にも分からなかった。


 今日は朝から人混みで、緊張して、はしゃいで、腹一杯で、日なたで——気の張りと緩みが、一度に来た。


 夜の対策なら、知っている。


 俺はルーチェの両手を、自分の両手で包んだ。卵の頃、毎晩やっていたのと同じに、魔力をゆっくり流す。手のひらから、細い川がひとつ、繋がる感覚があった。


「……あ」


「効くか」


「あったかい。……ながれてくる」


 フードの奥で、縦に細くなっていた瞳孔が、ゆっくり、人の丸さに戻っていく。生え際の鱗が、砂に水が染みるみたいに、肌に沈んで消えた。


 俺は、詰めていた息を吐いた。


 そのときだった。路地の入り口に、小さな影が立った。


「——にいちゃん、だいじょうぶ?」


 ミアだった。籠を抱えて、賢い目で、俺たちを見ている。どこから見ていたのか、いつからいたのか、まるで分からなかった。路地は、この子たちの庭だ。庭に入った客に気づかない家主はいない。


「妹が、人混みに酔ったんだ。少し休めば治る」


「ふうん」


 ミアは、それ以上聞かなかった。代わりに、路地の入り口にちょこんと座って、通りの方を向いた。


「ここ、わたしのばしょだから。……だれも、こないよ」


 見張りをしてくれるらしい。銅貨二枚の取引に、こんな利子がつくとは聞いていない。



 ルーチェが立てるようになるまで、大した時間はかからなかった。


 路地を出る前に、ルーチェはミアの前に立って、じっと見下ろした。それから、腰の布袋を開けて、何かを考えて、やめて、代わりにぺこりと頭を下げた。


「ありがと」


「いいよ。——パンの、おかえし」


 ミアは、大人みたいな返事をして、籠を抱え直して、路地の奥に消えた。


 帰り道、ルーチェはずっと何かを考えている顔だった。手はいつもより強く、俺の手を握っていた。


「レイ」


「ん」


「わたし、ひとのかたち、へたになった?」


「逆だろ。朝からずっと、うまくやりすぎたんだ。……疲れてほどけるのは、頑張った証拠だ。皿洗いと同じだ」


「……そっか」


「ああ。ただ、次からは決めごとをひとつ増やす。変だと思ったら、我慢しないで、すぐ言う。いいな」


「うん。——あのね、レイ」


 ルーチェは、少し歩いてから、白状した。


「ほんとは、あさから、ちょっとへんだった。でも、たのしかったから、いえなかった」


 ……知ってた気がする。楽しい日ほど、竜の人化は無理をする。俺の妹は、働き者で、見栄っ張りだ。


 それから、少し歩いてから、俺は足を止めた。


「ルーチェ」


「なに」


「次に変だと思ったら、ルームに入れ」


「ルーム?」


「中なら竜に戻っていい。誰にも見られない」


 ルーチェは、しばらく口を開けたまま俺を見て、それから、大きく頷いた。


「……そっか。おうち、あるもんね」


 なんで今まで思いつかなかったんだろう、と思った。


 門をくぐるときにやったことと、同じなのに。あのときは通行料をごまかすために入れて、それきり、ルームは荷物と寝床のための場所になっていた。


 持っているものの使い道を、俺はまだ半分も分かっていないらしい。



 店に戻る少し前、ルーチェは「まってて」と言って、角の小さな店に一人で入った。


 買い物の中身は、夜になって分かった。


 屋根裏の窓辺で、ルーチェが布袋から出したのは、飴玉がふたつ。それと、小さな紙包みがひとつ。


「あめは、レイと、わたしの」


 飴玉をひとつ、俺の手に押しつけて、ルーチェは紙包みの方を、大事そうに膝に載せた。


「そっちは?」


「アリアねえの」


 ルーチェは、紙包みをそっと開いた。


 干した果物だった。琥珀色の実が、いくつか。皺が寄って、日を吸ったみたいな色をしている。


「あまいの。……おさとうじゃないけど、あまいの」


 俺は、その言い方に、少し黙った。


 孤児院で砂糖が出るのは、年に一度の祭りの日だけだ。アリア姉は普段、砂糖の量を数える。この子は、それを見て育った。


 砂糖は買えない。買えないことも、たぶん分かっている。


「てがみと、いっしょにおくれる?」


「……ああ。送れるよ」


「アリアねえ、おさとう、いつもかぞえてるから。じぶんのぶん、たべないから」


 生まれて初めての給金で、うちの姫様が買ったのは、飴玉ふたつと、遠くの家族の甘いものだった。


 布袋は、空になっていた。


 竜は宝を貯める、と文献には書いてある。


 文献は、何も分かっていない。


 俺は飴玉を口に放り込んで、リーナへの手紙に、追伸をひとつ書き足した。荷物がひとつ増えます。アリア姉に、ルーチェから。


 窓の外で、城の灯りが光っていた。口の中の飴は、思っていたより、ずっと甘かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ