第1章の52 祈り
「無意識下で俺が欲しているもの、だと。」
「左様に御座います。
先に閣下の仰った疑問。確かに表面だけを見れば、佐倉天音という人間は閣下の他の知人にはない点がございましょう。
だがそれは私めも同様です。」
何故ならこの男もまた、魔術師だからだ。
「だが、それは後出しだろう。
俺が佐倉天音が魔術師だと知ったのは数時間前の話。そして貴様も魔術師だったと知ったのはほんの数分前だ。」
そう。
森が魔術師なる存在が実在すると確信したのが、それこそ今日の事だ。
それ以前までは、そんなものは居るのかもしれないし、居ないかもしれないという程度。
神祇省にしたところで形式だけの呪い師や祈祷師で構成される組織、という認識だった。
「いいえ、私めも閣下が狙って魔術師に会いたがっていたなどとは申しませぬ。そうお考えの時点で、自らの望みを自覚しているのですから。
そしてそうであれば、初めから私めの胡散臭い言葉などに耳を貸したりなどしないでしょう。」
反論の余地は無い。
その言葉通り、森としてもそれが明確であったなら、態々占い師を自称する胡乱な人間の相手などしていない。
「しかし閣下は、そうしなかった。」
「・・・。」
「ところで話は変わりますが、最近閣下は大きな決断乃至は、決意をなされましたね。
それこそ閣下の総てを懸けた。」
森と犬養の決別が数日前。
それを他の人間に話した覚えも、盗み聞きをされた覚えも森には無い。
だがこの占い師はそれを知っている。
「それも占いの一環か?
便利なモノだな。今日会ったばかりの人間の素性を、覗き見れるのだから。」
「この程度の些事も熟せぬようでは、占い師を僭称する事など出来ません。」
「成る程な。」
「そしてその決断に、流石の閣下も一抹の不安を抱いておられるご様子。」
「そうだろうとも。
貴様の言葉通り、俺は俺の政治家生命の総てを懸けた勝負に出たのだ。」
勝てば、犬養は政友会から追放され、森の一強独裁体制が完成する。
だが逆に負ければ、築き上げてきた地位や権力の総てが犬養に奪われ、政友会から打ち捨てられる。
正に一世一代の大勝負だった。
「であれば、そろそろ私の考えも見えてきたのではないでしょうか?」
「何らかの勝利の鍵を俺は求めていた、と。」
「ご名答。
ただそれ物なのか、時なのか、或いは人なのか,
閣下には分からなかった。見えておられなかった。」
「それで、それがあの男だと?」
「さあ?そこまでは私にも分かりません。
只何事においても得た切っ掛けが毒と成るか薬と為すか。
それとも只の水で終わらせるかは、全てその人間の使い方次第に御座います。」
「・・・。」
占い師は、結論は言わない。
当人の言葉通り、只材料を提供するだけ。
与えられた材料をどう料理するかは本人次第。
一貫してその姿勢は崩れなかった。
「至言だな。己の道は己が決める。」
今迄も、そしてこれから先も。
他でも無い、森自身がそうしてきたように。
「済まなかったな。呼び止めてしまって。」
「いいえ、お気になさらずに。
私も閣下と同様、有意義な時間を過ごす事が出来ましたから。」
そして再び闇の中へと、占い師は歩き出す。
「そう言えば、まだ貴様の名をまだ聞いていなかったな。」
「名乗る程の者ではありませんが、折角お尋ねになられたからには答えぬ訳にもいきませんね。」
闇の帳に覆わたその姿は見えない。
「江戸川乱歩、と申します。
閣下が望まれるのでしたら、再び相見える事もあるでしょう。」
だが不自然なまでに明瞭で、寒気が走る程に透き通った声が暗黒の中から響いてくる。
「或いは、御茶ノ水の文化アパートに来られるのも良いかもしれません。
宣伝となってしまいますが、普段はそこの探偵事務所に勤めてさせて戴いておりますので。」
そして今度こそ占い師の気配は完全に消失し、森は唯独り月明かりの下に取り残された。
「結局、最後まで丸め込まれてしまったな。」
這い寄る影の様に知らず知らずのうちに相手の内部へ入り込み、逆にむこうの腹の内は霞を掴むかの如くに探らせない。
「己の道は己が決める、か。」
そしてその為の切っ掛けを森が無意識下で求めていた答えを与えだけ、気付かせただけだと江戸川は言った。
「だがもっと単純な答えが有るんだよ。」
もっと単純で、明快な答え。
「首尾が逆だったという、答えがな。」
因果関係の逆転。
占いが森を導いたのではない。
佐倉天音の下に森を導く為に、占ったかの様に演出した。
「そう考えた方が小難しい理屈をつらつらと並べ立てられるよりも、余程納得が行くんだよ。」
証拠も確信も森には一切無い。
ただ漠然と、そんな気がしたという朧気な考えが頭の中を掠めた程度だ。
何故なら占いの中で、江戸川は森に対して一切の指図をしなかった。
終始、森から話を引き出すと共に、一見すると煙に巻くかの様な、曖昧な言葉や引用の提供に徹していた。
故に占いが終わり、そしてあの居酒屋に行くと決めたのは、紛れも無く森自身の意思だった。
「ああ、確かにあれは魔術師だったな。」
魔術が使えるかどうかではない。
頭の回転が速く、弁に長け、心理誘導の術を心得ている人間。
概してそう言った輩を、世間一般では魔術師と呼ぶ。
「だが使える男には違いない。
何の意図があって俺に接近したのかは知らんが、今はどうでも良い。」
最早それは確かめようが無く、仮にそれを問い質したところで、答える筈が無い事は森も分かっていた。
向こうから接触を図って来た。
現状ではそれが何より重要な意味を持つ。
「精々上手く利用してやるさ。
少なくとも、今のところは利害は一致しているようだからな。」
江戸川が森に何らかの利用価値を見出したからこそ接近を試みた様に、森もまた先の問答を経て、江戸川の能力に利用価値を見出した。
勝利の為の手段を選ぶな。
使えるモノは何であろうと使え。
権謀術数が飛び交い、魑魅魍魎の跋扈する政界、経済界を生き抜き、遂には政友会幹事長にまで上り詰めた森恪という人間がその身で以て培った哲学だった。
”悪魔に首を賭ける事なかれ。”
だが果たして、彼のその選択が正しいものだったのか。
それを知る者は当人を含め誰もいない。
仮にその答えを知る者がいるとするならば、それは悪魔だけなのかもしれない。
◇6
仄かに漂う香ばしい匂いが鼻をつく。
その匂いを感じると同時に、己が覚醒を自覚した。
もう少し惰眠を貪っていたかったが、目が覚めてしまったものは仕方ない。
「んんーッ。」
ゆっくりと起き上がり、腕や背中を伸ばす。
寝床が硬かったせいか、大分肩や背中の筋肉が凝っている。
前後左右に身体を反らし、念入りに伸びをしていると、
「おはようございます、天音さん。」
不意に背後からそんな声が聞こえた。
「おはよう、ございます。」
ああ、そういえば、と。
眠気が引いて行くに従って、次第に記憶が蘇る。
「寝心地は如何でしたか、朔夜さん。」
「ええ、お陰でとても快適に寝ることが出来ました。
それと昨晩は済みませんでした。天音さんのお手を煩わせてしまって。」
「あれぐらいお安い御用ですよ。」
人一人を二階に運ぶ程度、大した手間では無い。
「そのお詫びと言っては何ですが、朝ご飯を用意させて戴いております。」
「そういう事ね。」
さっきから漂っているこの美味そうな匂いは。
それに改めて見れば、朔夜さんは店の調理場に立っている。
「安心してください。
天音さんのご迷惑にならないよう、食材も朝市で買ってきたものを使っておりますので。」
「・・・いくらしましたか?」
「お金は結構です。私が好きでしている事ですから。」
「そういう訳にもいきませんよ。」
社会人が学生に驕ってもらうなど、ダサいにも程がある。
しかし、
「本当に大丈夫ですから。」
と言って、朔夜さんは頑なに受け取ろうとしなかった。
「そんなら・・・、よっこいしょっと。」
勢いよく起き上がった俺は、そのまま調理場まで行き、
「隣、使わせてもらいますよ。」
袖を捲りながら適当に材料を見繕う。
朔夜さんが意地でも金を受け取らないってんなら、こうする他無い。
「こっちの事は気にせんで下さい。
俺も好きでやってるだけですから。」
「もう。天音さんってば、本当に強情なんですから。」
「朔夜さんも、中々に良い勝負してると思いますけどね。」
包丁と俎板が奏でる子気味良い音の傍らで、鍋をお玉でかき混ぜる音が聞こえてくる。
逆もまた然り。
それはたった独りでの料理では、絶対に奏でられない音だった。
「はい、これどうぞ。」
「ありがとうございます。」
それに欲しい時に欲しい物が手元に置かれ、逆にこっちから渡した物は渡した瞬間に消える。
始まりはただの意地の張り合いだった筈なのに、こうして共に厨房と立つと面白いように噛み合う。
朔夜さんの腕を疑っていた訳ではないが、ここまでだったとは予想外だった。
「何か、良いもんですね。
こうして誰かと一緒に料理を作る、ってのも。」
この店の従業員は俺一人だ。
ただそれでも十分に店は回っていたから、誰かとやるなんて発想自体これまで浮かんだ事も無かった。
「天音さんが許して下さるのでしたら、これからもお手伝い致しますよ。」
いきなり何を言いだすのかと思えば。
「何ですかそれ?
もしかして愛の囁き、ってヤツですか?」
「さあ、どうでしょうね。」
悪戯っぽく微笑みながらはぐらかす。
やっぱりこういう所は全く変わらない。
「と、こっちはそろそろ出来上がりますが、そっちはどうですか?」
そんな他愛も無い会話をしている内に、いつの間にか完成も目前に迫っていた。
「私の方も、もう間もなくで完成します。」
そうして互いの料理が終わり、出来上がった皿を客席へと運んでいく。
全てを運び終わったそこには、朝食と呼ぶには些か以上に豪勢な品目と内容の料理が並んでいた。
※
「ご馳走様でした、天音さん。
とても美味しかったです。」
「ああ、こちらこそ美味しく戴かせてもらいました。
それにしても驚きでしたよ。朔夜さんがここまで料理の腕が立つなんて。」
「女のとして、家事の全般は人並み程度には出来ないといけませんから。」
「人並み、ねえ。」
あれを人並みと言って良いのかどうか定かではないが、当人がそう言うのならそうなんだろう。
「後片付けは私がしますので、天音さんは寛いでいてください。」
「んー・・・、わかりました。」
多分ここで俺はやると言っても、きっと譲らないだろう。
だったらその言葉に甘えさせてもらった方が、無駄な労力を使わずに済む。
そう結論付け、煙草に火を付けながら長椅子に寝そべる。
「なあ、朔夜さん。講義の方は大丈夫なんですか?」
「ええ。開始は1時の四半刻からですから、ここを10時くらいに立てば十分に間に合いますよ。」
「成る程ね。」
チラリと時計を一瞥すると、針は9時を少し過ぎた頃を指していた。
確かにこれならまだまだ余裕はある。
流し場から聞こえる流水の音を耳を傾けながら、ぼんやりと天井を眺める事数分。
「ありがとうございました、朔夜さん。」
水の音が止み、朔夜さんは客席の方へ歩いて来る。
「それで、どうします?
まだ時間はありますが?」
「そうですね、あまり長居をし過ぎるのも天音さんのご迷惑になりますので、そろそろ立たせて戴きます。」
「ん、了解です。」
別に迷惑だとは思わないが、朔夜さんがそう決めたのなら敢えて引き止めはしない。
「そんじゃあ、またいつの日か。」
「はい。その時はまた、宜しくお願いします。」
そして朔夜さんは立ち去る。
カラカラと小君良い音を立てて開かれた戸が、再びピシャリと戸が閉まると、店の中は静寂に包まれた。
「やれやれ・・・。」
普段と何ら変わらない静けさ。
これで漸くいつも通りの生活が始まる。
なのに心なしか僅かな寂しさを覚えてしまうのは、きっと気のせいでは無いのだろう。
「さて、そろそろ俺も働かねえとな。」
いつまでも感傷に浸ってもいられない。
「まずは親父への報告か。」
昨晩の森恪の来店と聞かさせた話。
それに加え、貫太郎の親父から政府内の動向を仕入れておく必要もある。
そして場合によっては、戻る必要も出てくるかもしれない。
俺の本来の職務に。
「・・・今日も開ければ良いな。」
昨日の今日で連太郎さんと朔夜さんが来るとは考え難いが、折角足を運んでくれた二人をガッカリはさせたくない。
それに安藤さんや、常連の人達も。
そんな淡い願いを懐きながら、俺も店を後にした。




