第1章の50 決裂
「正直なところ、お主がその独裁の頂点に立つのであれば、それはそれで良いという思いはある。
手段を選ばぬ非情な人間ではあるが、私利私欲に走る輩ではない。場合によっては自身の命すらも歯車に組み込む事を厭わぬ、そんな人間のお主ならな。」
「・・・。」
「だがその後はどうする?
二十年、三十年、お主の器量ならば日本を導き続ける事も可能だろう。
だが百年、二百年後はどうなる。お主の肉や骨はとうに砕かれ、土に還ろうとも、この日本はその後もここ在り続けるぞ。」
君主が死しても、国は消えない。
「明君による独裁が、至高の統治である点は否定はせぬ。それは歴史も証明しているからな。
だが例え明君であろうとも、何必ず寿命を迎える。何人も死からは逃れられん。」
残された国民は、猶もその地で生きて行く。
「後継が先代ど同様に、明君であれば問題は無い。
その後も明君たる人間が脈々と玉座を継承し続けられれば、な。
だが実際はどうだ。世界を見渡して、そう何度も都合良く明君が君臨し続けられた国があるか?」
考える迄も無い。
答えは否だ。
絶対王政、独裁政治の不完全さや限界を悟ったからこそ、近世欧州では革命が起こり、民主主義や法の支配といった新たな統治概念が産まれた。
暗君など言う言葉が存在している時点で、それが続かなかった事実を証明している。
「だから民主主義政治が、最善の政治形態だとでも言いたいのか?」
「お主らしくもないな、森よ。
そもそも、その前提が間違っておる事に気付かぬとは。」
「・・・何だと?」
「議会政治、独裁政治。
両者共に甲乙の付け難い、最悪の手法だ。」
今度こそ、森は呆気に取られた。
犬養の口からそんな言葉が出て来るなど、森にとって全くの想定の埒外だった。
「だがこの最悪の二者択一から儂が議会政治を推すのはな、それが生き汚なさにおいては独裁政治とは比べるべくもなく優っているからだ。」
「元首は文字通り国家の頭。
独裁政治は元首の首が飛べば、それがその儘、胴体たる国の存亡に直結する。」
「その通りだ。だが民主主義は違う。
元首は首ではない。元首が死のうとも、議員の10人や20人が死のうとも、それは細胞の10や20を失った程度と同義。国の致命傷には繋がらん。
直ぐに別の者が欠損した箇所へと組み込まれ、生命活動を続けられる。」
「だがそれは、傷口が快癒した訳ではないのだろう?」
「そうだ。傷の上からその場凌ぎの継ぎ接ぎをしているに過ぎん。
だがそれでも議会政治は死ぬ事は無い。
どれだけ深い傷を負い、血を流そうとも、病巣や悪腫が身体の内側を蝕み侵そうとも、どれだけ継ぎ接ぎの裏で傷が爛れ腐り、膿が沸き出そうともな。」
極論、全国民が最後の一人となるまで、民主主義は死なない。
だが負った傷も病も、回復する事も無い。
理由は単純。
利権や既得権益の治療を拒み、妨害する細胞が存在するからだ。
だがどれだけ傷付き、身体中がボロボロに成り果てようとも、それでも最期の一線たる死だけは越えない。
「そんなもの、生きているとは言わん。
只の呪いだ。」
死なないのではなく、死ねない。
一線を越えさせて貰えない。
「そうだ、それが儂等の背負う業だ。
徐々に肉や骨が腐り、病魔に侵されていくと分かりながらも、麻薬のように手放す事が出来ない。
民主主義政治が、最悪の手段であると分かっていても、それでも採り続けてしまう。
そしてその病魔を、無責任にも子や孫の世代に押し付けてしまう、な。」
不老不死と言えば聴こえは良いのかもしれないが、実態は救いの無い無間地獄。
「しかしだからこそ、途中で投げ出す訳にはいかぬのだ。どれだけ身が朽ちようとも、国そのものを死なせる訳にはいかぬのだ。
確かに儂等の代では駄目だった。
この病魔を癒す術を見出す事は、終ぞ出来なかった。」
だがその次は?
子の代は、孫の代は?
或いは二百年後、三百年後の、遥か未来の子孫の代ではどうだろうか。
「議会政治でも独裁政治でもない、人類をこの宿業から解き放ってくれる全くの新しい政治手段が誕生するやもしれぬ。
だからこそその瞬間の為に、儂は命を賭して呪いの侵食を食い止め、抑えねばならぬのだ。」
いつか来ると信じ、願い、そして切望するその日の為に。
「罵りたければ、罵れば良い。嘲笑いたければ、存分に嗤うが良い。
つらつらと御託を並べはしたが、結局は次代に総てを丸投げして逃げ切ろうとしている事実に変わりは無いのだからな。
だがそれが、今代を生きる儂等の責任であり、貫き通したい意地だ。」
森はそれを、その犬養の意思を笑いなどしない。
いいや違うか。
この言い方では語弊が生じてしまう。
「ハッ、フハハッ・・・。ハーッハッハッハッハッハッ!!」
笑い声が執務室に木霊する。
ここまで感情を表に出して声高に笑う森の姿は、犬養ですら今迄見た事が無かった。
だがこの哄笑は、犬養の決意と覚悟を愚弄し、嘲笑するものなどでは断じてない。
寧ろその全くの逆。
「・・・そうか、それがお前の考えか。」
ぴたりと笑い声は止み、同時に森の顔も、再び元の感情の見えない表情へと戻る。
「相分かった。そして謝らせてくれ犬養翁。
二度と貴様の信念が間違っているなどと言わぬよ。」
だがそれでも束の間の事。次第に森の顔はヒクつき、微かに表情も崩れ始める。
懸命に堪えようとも、必死で抑え込もうとも、
「俺と貴様のどちらが正しいだの、間違っているだのと言った次元の話ではなかった。
もっと単純で分かり易い、ただ単に俺と貴様のどちらの意思が強いかの話でしかなかったのだ。」
湧き上がってくる感情は、留まる所を知らなかった。
それは歓喜であり、尊敬の念であり、
「であるならば話は早い。
貴様が正義と奉ずる信仰を、俺が正義と信じる信仰で以って見事粉砕し、その総てを否定してみせよう。」
そして心踊る敵愾心だった。
不快感は無い。
寧ろこうなる事を、森はどこか望んでいたきらいすらある。
得難い好敵手。
踏破すべき困難。
それが今、こうして森の前に立ちはだかっていた。
「何とも愚かしい、下らない意地の張り合いだ。
お主も、そして儂もな。」
「全くだよ、犬養。
つくづく歳を喰うのが嫌になる。老いと共に頭も堅くなっていくのだから。」
己が間違っているのかもしれないと省みれる程に柔軟な頭でもなければ、相手が全くの間違いだと論破出来るだけの頭も無い。
まして譲り退くなど、慮外の遥か彼方。
だから相手に退く意思が無いと分かった時点で、この二人の頭の中には目の前の邪魔な輩を力尽くで屈服させるという、ただ一つの結論しか存在していなかった。
「まあ良い、好きに掛かって来い、若造。
この辺りでお主の信念諸共に、伸びきった鼻っ柱をへし折っておくのも悪くない。」
「吐かせよ、老い耄れ。
散るのはどちらか知るが良い。」
年甲斐も、大人気もまるで無い。
一見筋が通ったかのような理由や、さも尤もらしく聞こえるかのような理屈を並べようとも。
お前の考えが気に喰わぬから叩き潰す。
要はこの言葉に収束する。
ただ力と感情を撒き散らすだけの子供じみた喧嘩だった。
それでいて余計タチが悪いのは、二人がそんな自らの愚かさを自覚し、辟易し、呆れつつ、それでも猶その上で、詰まらない意地と取るに足らない矜持を懸けて、目の前の男との下らない喧嘩を心行くまで演じたいと望んでいる事だった。
◇6
「とまあ、こんな感じだったな。
犬養との喧嘩の始まりは。」
そう言って一区切りを付けた森は、猪口を片手に再び箸を進める。
俺も、朔夜さんも、蓮太郎さんも、引き込まれる様に、固唾を飲んで森の語る言葉を聞き入っていた。
「それで即座にその場で、離党届を叩き付けてやったよ。」
「あんた、政友会を抜けるのか?」
「ああ、最早あそこにいる意味は無いからな。
少なくとも、俺は離党する気満々だった。」
「だった?」
含みの有る言い方をする。
「だが生憎、何の音沙汰も無く、未だに政友会の党員の儘だ。」
それは奇妙な話だ。
手続きに幾許の日数を要するのか知らないが、少なくとも組織内にそういう流れの動きや噂が立ち始めてもおかしくはない。
「大方、他の連中の目に入る前に犬養は俺の離党届を握り潰したのだろう。」
「然もありなん、と言ったところですか。
何処ぞに雲隠をされて、どんな悪巧みを企てられるか掴めなくなるぐらいなら、獅子身中の虫でいてくれた方がまだ危険は少なく済みますからね。」
初めて、蓮太郎さんが俺と森との会話に入って来る。
「そういう事だろうな。
あれはあれで相当に老獪だ。興には乗っても、要らぬ手心を加えるような男ではない。
それで、貴様は?」
「楸蓮太郎と申します、森閣下。
一応、神祇局の末席に身を置かせて戴いている立場にございます。」
仰々しい動作で、蓮太郎さんは森に挨拶をする。
「神祇?ああ、宮内省の祷り部や呪い師の組織か。
成る程、そういうことだったか。」
何かに納得したかの様に、森は再び俺の方に視線を戻す。
「悪かったなあ、佐倉天音。」
「あ?何だいきなり。」
「去年、呪いだかまやかしだか知らんが、あの場でお前も使ってたんだろ?」
「それがどうした。」
「いや何、別に大した事ではない。
ただその時、全くの素人の俺が、あっさりとソレを破ちまってた。だからさっきお前は、鳩が豆鉄砲でも喰らったかのような顔をした。
俺の顔を覚えている筈が無いのに、そんな馬鹿なッ、っといった具合にな。」
「・・・。」
「だから謝ったのさ。知らぬうちにお前の自尊心を傷付けてしまったらしいのでな。」
「嘗めてくれるなよ。
こちとらその程度で傷が付けられるような、安いプライドなんざ持ち合わせちゃいねえよ。」
それにこの人の気を逆撫でしてくる言動も、この男にとっては挨拶代わりみたいなものらしい。
だったらそれに一々反応してやる意味はない。
「面白い男だ。益々気に入ったぞ。」
「残念だが、衆道を嗜む気も、そんなサービスもうちは提供してないんでね。
やんなら、吉原か新宿にでも行って探すんだな。」
「成程、中々一考に値する情報だ。
後程、参考にさせてもらうとしよう。」
口が減らない男だ。
森恪という人間が特殊なのか、それとも政治家という人種は誰も彼もがこんなのばかりなのか。
そこまで考えて、流石に後者は無いと悟る。
こんな男が何百人もいる国会など、想像するのも悍ましい。
「さて、と。」
不意にそう呟いた森は箸を置き、
「ご馳走になった。
良い店だな、ここは。」
席から立ち上がった。
酒数本とつまみを数品。
きっちりと一切端数無く、森は代金を支払う。
「俺はこんな立場だ。
選り取り見取りの太夫を侍らせる吉原の妓楼、高級食材の並ぶ赤坂の料亭、その殆どは粗方回ってきた。
だがその何れよりも、この小汚い店の酒と肴の方が余程俺の舌にはしっくり来た。」
満足げな顔を浮かべた森は、戸を引き開けて暖簾を潜る。
「何であんな話を俺に聞かせた。」
その男の背に向かって何とは無しに声を掛けていた。
「別に、特に理由なんぞは有りはせぬさ。」
当然、返って来たのは素っ気の無い言葉。
「強いて言うならば、只単純に聞かせてやりたかったから、だな。
誰にでもある事だろう。自慢話、良い思い出話、武勇伝。兎に角誰でも良いから聞いてもらいたくなる程、胸が弾み、心が躍るのは。要はそれと同じだ。」
「そうかい、ならついでにもう一つだ。
結局、あんたの目的は何だったんだ?」
「目的とは異な事を聞く。
客が酒を求めて、居酒屋に入るのがそんなにおかしなことだったか。」
「その入った先が偶々、偶然、俺の店だった、ってのは出来過ぎじゃねえか?」
そう。
そこがどうしても腑に落ちなかった。
本当にこの男が酒を求めていたのなら、別にこっちの方面に来る理由が無い。
永田町から南に下がれば、この男の言った赤坂がある。
或いはそれこそ浅草や新宿へ向かうなら、溜池か虎ノ門から路面電車に乗れば良いだけの事。
本当に偶然だった可能性も無くはないが、だとしてもそれはとんでもなく非現実的な確率だ。
「考え過ぎだな。
お前がここにいることを知ったのは、それこそ今日が初めてだ。」
「その言葉を信じろと?」
「好きにすれば良いさ。
信じようが信じまいが、俺にとってはどうでも良い事だ。」
嘘は、吐いていない・・・、のだろう。
「分かった。取り敢えずはあんたの言葉を信じよう。」
「それは重畳。
それとこれから、ちょくちょくここへ顔を見せるが構わぬよな?
俺もここの味と雰囲気が気に入ったのでな。」
「あんたの好きにしたら良いさ。
あんたが犬養に勝とうが負けようが、俺はここで店を開くことに変わりは無えからな。」
「それもそうだな。
では、さらばだ。」
そう言い残し、森は闇の中へと消えていった。
それと共に店の中の騒がしさも、ぽっかりと穴が空いたかのように鳴りを潜める。
「済まなかったな、二人とも。
突然の珍客が入っちまって。」
「そんな畏まらないでください、私は全然気にしておりませんので。」
晴れやかで優し気な表情を浮かべ、微笑みかける朔夜さんと、
「朔夜の言う通りだ。あんぐらい気にも留まりゃしねえよ。
つーか寧ろ、面白えモンが見れたぐらいだ。」
「そうかい。
そんなら改めて、飲み直しましょうか。」
と、新しいを酒を用意しようとした、その時、
「ッと。」
時を告げる鐘が鳴る。
柱に架けられたボンボン時計の低くくぐもった時報が、計12回。
「・・・宴も闌、ってヤツか。」
蓮太郎さんはそう呟く。
何だかんだ言いつつも森の語って聞かせてくれた話に俺を含めた三人が三人とも、時間が経つのを忘れるぐらいには没頭していたようだ。
「そんじゃ俺はそろそろ帰るわ。
残念ながら、明日も仕事なんでね。」
大雑把に取り出した金を、蓮太郎さんはそのまま無造作に俺へと寄越した。
「多い分は朔夜の金にでも充てといてくれ。」
「了解。有り難く頂戴致しますよ。」
「代わりに朔夜の事は頼んだぜ。
家まで送るなり、なんならここで一夜を共にするなり、お前の好きなようにしてくれて良いぜ。」
「何だよそりゃ。」
別にあんたが期待してるような事は起きやしねえよ。
「ああ、それと・・・、」
暖簾を潜りかけた蓮太郎さんがぴたりと止まる。
「さっき言った仕事の件だが、やっぱ良いや。
お前もお前で、何だか面白そうな事になってるみてえだしな。」
「・・・勘弁してくれ。」
気が重くなる。
俺の落ち度だってのはあるが、だからってこっちも好き好んで目を付けられた訳じゃない。
「そんじゃあな。精々養生しろよ。」
そう言い残して、蓮太郎さんもまた、街の影絵の中へと消えて行く。
「養生しろ、か。」
果たしてそこにどんな意味が込めて、その言葉を選んだのか。
それとも特に意味は無いのか。
「とは言え、家まで送るなり・・・、か。」
そうは言われたものの既に日付は変わってしまった。
国鉄にしろ都電にしろ、終電の時間はとっくに過ぎている。
かと言って、ここから渋谷の皇学院大学寮まで歩こうものなら数時間は掛かるだろう。女性に夜道を数時間も歩かせる訳にはいかないし、何より往復が面倒臭過ぎる。
「どうしたもんか。」
一層の事、侍従長邸に一緒に連れて帰ろうか、と。
そんな考えが頭を過ったが、即座に却下する。
表向き俺は一般人。
貫太郎の親父と俺の関係を知る人間はほんの極僅かで、朔夜さんにもそれを話した事は無い。
それなのに、今ここで俺の個人的な都合で親父に迷惑を押し付けるなど論外だ。
「朔夜さん、やっぱ今夜はここに泊まっていって下さい。」
蓮太郎さんの考え通りに事を運ぶのは癪だが、結局の所、駄目な選択肢を削って行けばそうなってしまう。
「流石にそれは申し訳ありませんから、歩いて帰りますよ。
幸い明日の講義は、午後からですので。」
「俺は迷惑だなんて思っちゃいません。
ここまで来たら乗り掛かった舟、ってヤツですよ。」
別に、ここに人一人を泊めるぐらいどうってことは無い。
「それに寧ろ、深夜の街を独りで歩かれる方がよっぽど迷惑です。」
只でさえ最近は何かと物騒なんだ。
そんな中を独りで行かせるなど、気が気でない。
「てな訳で、朔夜さん。
俺は店の片付けをしてるんで、取り敢えず先に風呂に入っておいて下さい。」
「ですが、」
「午後からとは言え、明日も学校があるんだ。
休みはしっかり取っておいた方が良い。」
「・・・分かりました。それではお先に失礼致します。」
まだ何か言いたそうな顔を浮かべているが、一応観念してくれたらしい。
一礼すると共に店の奥へと入って行った。
「片付けをして、それから寝床の支度をして、か。」
最後のもう二頑張り。
どちらにしても、そんなに時間のかかる作業じゃない。
朔夜さんが上がる頃には終えられるだろう。
それで今日は終わりだ。
「ならさっさと終わらせちまいますか。」
そう自分に喝を入れ、最後の仕事に取り掛かる。




