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帝国激動 ~Tales of the Crumbling Empire City~  作者: 十条クイナ
第1章 黎明
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第1章の49 対峙

植田(うえだ)陸軍中将、野村(のむら)海軍中将、重光(しげみつ)外相の手術は無事成功し、各御仁共に小康状態に転じたとの事です。

 しかしそれでも完全な回復は絶望的らしく、何かしらの後遺症は残ってしまうだろうと医師は見立ておりました。」


「そうか・・・、報告ご苦労だった。」


「有り難きお言葉、感謝致します。

 それでは私はこれにて。」


 そう言って、報告を終えた男は退室する。


「何にせよ、彼らが一命を取り留めてくれたのが、唯一の救いだな。」


 そう呟いた彼は溜息を漏らす。

 室内を覆う沈鬱な空気も、僅かに和らいでいく様に彼は感じた。

 或いはそうあってほしいと、願っただけなのかもしれない。


「やれやれ・・・。」


 そうとでも考えなければ、心労に押し潰されてしまいかねなかったから。

 独り残され、静寂に包まれた政務室の中で、彼は深く椅子へともたれ掛かって天井をあおぐ。

 何を見るでもなく、何を考えるでもない。

 ただ無心で彼は、犬養(いぬかい)(つよし)は虚空を眺めふける。

 今年の2月2日に行われた衆議院議員総選挙において、犬養率いる立憲政友会は466議席中304議席を獲得するという議会始まって以来の歴史的大勝利を収め、形の上から見れば、ほぼ一国一党を成し遂げたも同然だった。

 だが今、こうして酷く憔悴した顔で椅子に凭れ掛かる彼の様子は、その圧倒的な勝利を収めた政党の、更にはその第一位の総裁にまで上り詰めた男の姿にはとても見えなかった。


「傷心中のところ悪いが、入らせて貰うぞ。」


 突如開かれた扉から聞こえた声が、その彼の束の間の安息に終焉をもたらす。

 犬養はゆったりと居ずまいを正し、入って来た者と対峙する。


「以前言った筈だよな。

 こういった事はいずれ必ず起こると。」


 開口一番、無遠慮に入って来た男はそう告げる。


「何やら大層気が滅入っているようだが、そもそも貴様にその資格が有ると思っているのか?」


 その男の目に宿るは、明確な怒り。


「俺の忠告を・・・、いいや俺だけではない。

 俺以外の奴からも似たような諫言かんげんがこれまで幾つも出た筈だ。

 そしてそれを蔑ろにした貴様が。」


 目の前に座す、老境の男へ。

 自身よりも一回りも、二回りも歳上の人間である犬養へ、その男は真っ向から己が怒りをぶつけていた。


「・・・そうだな、お主の言葉通りだ森よ。

 かの者達の不幸も、元を正せば総て儂に帰結する。」


 そしてまた彼も、己へと向けられる怒りを逃げる事無く正面から受け止めた。

 静かな、落ち着いた声。

 だがそれは決して弱々しく、頼り無さ気な声という訳ではない。


「だからこそ、改めて自戒する事が出来たよ。

 儂の選んだ道を信じ、最後まで貫かねばならぬとな。」


 苦悩の果てに決断した、重く揺るぐ事の無い意志を宿す声だった。


「その荒唐無稽な理想の割を喰らう現場の人間が不憫でならんよ。

 貴様は何も学ばぬのだな、犬養(おう)

 事態の本質を理解しようとせず、ただ己の理想を振りかざすだけ。」

 

 そう吐き捨てたその言葉には、犬養に対する明確な侮蔑と嘲笑が宿っていた。


「民政党の幣原(しではら)の外交政策、ワシントン体制の遵守と、対支那宥和外交(ゆうわがいこう)を貫いた結果がどうなった?

 何の事は無い、己が強気に出れば日本は退くと思わせただけだ。

 己にとって都合の悪いモノはいとも容易く反故(ほご)にし、挙句の果てには居直って感情の(まま)(わめ)らす。

 支那にしろ朝鮮にしろ、奴らはそういう人種だと昔から分かっていた筈だ。

 にも(かかわ)らずその事実から目を背けた幣原、そして貴様も、頑迷なまでに話し合いとやらで解決すると夢想しまない。

 これ程無意味で馬鹿げた話も無いだろうよ。」


「だからお主は軍事的制裁を課せと。力で事態を解決させろと?」


「ああそうだ、その通りだとも。

 言って分からぬならば、殴ってでも分からせる。何も突飛な考えではない、至極当然の帰結だ。」


 子が道を過ちたれば、親は心を痛めども拳を以ちて叱責する。

 人が道を外したれば、罰を以って己が罪過(ざいか)を償わせる。

 いずれにも共通するのは、より大きな力による強制乃至(ないし)は制裁。

 だがそれが全くの間違いであるなどとは、誰にも否定出来はしない。

 何故なら社会は善意だけで成り立っている訳ではない。法律という強制と、それを犯した人間に対する刑罰という制裁が存在し、日々人類社会の何処かで、それが執行されているのだから。


「そして言うだけの時間は既に終わっている。

 外交による和平交渉の限界が、当の昔に見えた時からな。」 


「仮に貴様の言ったように、外交手段として軍事力を用いるようになれば、必然、軍部の政府に対する発言力、影響力が増大する結果を招く。」


「それに何の問題がある?」


「あるに決まっておるだろうがッ!!」


 轟音が政務室に反響する。

 書机に激しく手を叩きつけ、弾かれた様に彼は勢いよく立ち上がる。


「良いか、日本は議会政治、政党政治の民主主義国家だ。

 国が軍の行動や指針を決定することはあれど、決してその逆はあってはならんのだッ!!」


「フ、フハ、ハッハッハ・・・、」


 犬養の上げた渾身の怒声を前にして、森は唐突に失笑をこぼす。


「何がおかしい、貴様。」


「何がおかしいか・・・、だと?

 そんなもの、全てに決まっているだろう。」


 ピタリと喜悦の声が止む。そして、


「よりにもよって貴様がそれを言うか、犬養翁。

 他でも無い貴様が。」


 今度は森が怒声を上げた。


「先も言ったな、貴様にそんな資格があるのかと。

 一年前に貴様が何をしたか、忘れたとは言わせぬぞ。」


 一年前。

 それは即ち、統帥権(とうすいけん)干犯問題(かんぱんもんだい)に他ならない。


「画策したのは俺だ。

 だがそれに乗ったのは、他ならぬ貴様自身だ。

 たかが民政党をろしたい、与党の座を奪還したいなどという、一時の浅はかな欲に駆られてな。

 そしてその結果がこの有様だ。」


 軍の制御も儘ならず、国民の政党政治に対する信頼すらも地に堕ちた。

 統帥権などという、ただ条文の上に存在しただけで実質的には何ら意味を持たなかった有言無実の文言が、今やたったの一言で政府の介入を退ける万能の権化と化した。

 他ならぬ政友会自身の手で。


「・・・あれは、儂の政治家人生における最大の過ちであったことは間違い無い。

 儂一人の命では到底償い切れぬ程のな。」


 そして禁忌に手を染めてでも得たかった国民からの支持も、その肝心の国民の目には議会政治の腐敗と民主主義の限界としか映らなかった。

 確かに政友会はこの度の総選挙で大勝利を収めた。

 だがそれは全国民の指示と賛同を受けた事を意味するものでは無い。

 その支持基盤は地主や事業家といったごく一部の、直接的に政友会から恩恵を受けられる上流層や富裕層に限られていた。


「だがだからこそ、儂が犯した過ちは儂自身の手でみそぎ、正道へと戻さねばならんのだ。」


「無駄だな。最早|覆水は返らんよ。

 そんな戯言を吐かしたいのなら、それこそ中国ちゅうごく国民党こくみんとうの北伐の始まりだ。その時の国民の叫び声に耳を傾けるべきだったな。」


 昭和2年7月。

 蒋介石(しょうかいせき)率いる中国国民党の北伐が開始された。

 大陸の各地に群雄割拠する軍閥を制圧平定し、国民党による支那の統一を目指した内戦の幕開け。

 反帝国主義、反共産主義、民族自決の大義を掲げて。

 やがてその進軍と共に、或いはそれ故か。

 日を追うごとに大陸のナショナリズム、半日排日運動の熱は日を追う毎に苛烈さを増していった。

 とは言え、それ自体はさして特別な事ではない。

 嘗て日本も、幕末に通った道だ。

 黒船の襲来と突如現れた未知の勢力、欧米列強の排撃をうたった尊王攘夷運動。

 しかし攘夷の失敗から、排外の不可能性と国力の隔絶を身を以って痛感した日本は次第に討幕の動きへ流れると、やがてそれは鳥羽伏見の戦いを端に発する日本全国を巻き込んだ戊辰戦争へと発展した。

 そして新政府軍の勝利と明治政府の樹立を以って、日本は近代国家としての再誕を遂げたのだった。

 これらの近代国家への変化の道程みちのり、成長の過程を、此度こたびは支那が歩もうとしていた。

 だが哀しいかな。

 変化と成長には痛みを伴う。

 それは人間でも国家でも変わりは無い。

 そしてその痛みの割りを喰うのが、何時(いつ)の時代、何処(どこ)の世界でも市井の民草というのも同じだった。

 掠奪、強姦、そして殺人。

 ナショナリズムという錦の御旗みはたに取り憑かれ、正義の暴徒と化した支那人は現地の日本人居留地を襲った。


「だがその助けを求める声に耳を貸さなかった。

 日本国民の安全と生命よりも、国際協調を優先させたいが為にな。」


 そんな自国に見放された彼らが、次に頼ったのが軍だった。

 政府よりも身近な存在であり、尚且つ襲い掛かる脅威から、自分達を守ってくれるだけのより具体的な力も方法も備える彼に助けを求めるのは当然の流れだった。

 そして何より頼られた軍人達もその悲痛な嘆きに応え、より親身に、より精力的になって邦人の命と財産の保護に尽力した。

 それが支那に駐屯していた天津軍であり、関東軍だった。


「皮肉なものだな。当時国民を見殺しにしてでも得たかった筈の国際的信用は結局失墜し、今ではその双方を取りこぼす羽目となっている。

 他でも無い、その国民の民意によってな。」


 昨年昭和6年に満州で勃発した事変。

 この満州事変は、関東軍の完全な独断専行によって引き起こされた。

 これにより、日本が積み重ねてきた諸外国との友好的な関係は脆くも崩れ去り、そしてこれまでの地位からは一転、国際世論の批判を一斉に浴びせられる立場へと転落した。

 しかしこの軍事行動も、現地の住民の理解と協力が取り付けられなければ、兵士の数で支那の軍に遙かに劣る関東軍にはそもそも遂行不可能な作戦だった。


「だが現地の在留邦人は、快く関東軍の作戦に協力してくれたよ。

 明確な軍規違反の暴走だとも知らず・・・、いや、もしかしたら知っていた上でなのかもしれんがな。」


 誰に対する恩と忠義に報いるべきなのかなど、彼らにとって一考にも値しなかった。

 それだけ彼らの懐く信頼と信用には雲泥の差が生じていたのだ。


「理解したか。

 民主主義、議会政治などという欠陥品はもう間もなく終わる。」

 

 明治の始まりより何年、何十年。先人達がどれだけ懸命に積み重ね、必死で築き上げて来たとしても関係無い。

 破壊はものの数秒も有れば事足りる。


「ああ、だが勘違いはしてくれるなよ。別に俺は今のこの状況に対する怒りは無い。

 寧ろ貴様には感謝すらしているぐらいだ、犬養翁。

 政友会も民政党も、寄ってたかってこの終焉を早めてくれたのだからな。」


「まさかお主、最初からこの為に干犯問題を持ち出したのか?」


「それこそまさか、だ。

 俺もここまで劇的な効果を及ぼすなどとは期待していなかった。だが今の情勢を見るに、どうやら嬉しい誤算だったようだな。」


「お主は、己のした事の意味が分かっているのか?

 議会政治が崩壊すれば、儂もお主も・・・、」


「最早俺には消滅を惜しむだけの未練も、後生大事に守ってやろうと思うだけの価値も無い。

 過去の栄光も遺物も、崩れ去るというのであれば、いっそ諸共に綺麗さっぱり微塵となって砕け散ってしまえば良いさ。」


 森はせせら笑い、侮蔑する。

 犬養を、ではない。

 民主主義、議会政治という概念そのものを侮蔑し、嘲笑っていた。


「良いか犬養翁。

 国政というのはな、数年程度短期間で成し得るものではない。

 数十年という長い年月を掛けた綿密な計画と幾重にも準備に準備を重ねて、漸く成し得られるものなのだ。

 それが議会政治とやらに出来るのか。

 4年毎の選挙、或いは解散となればもっと短い期間のうちに国家の元首も、組織の構成も、国政方針すらも容易く代わる今の国会に。」


 場当たり的な政策や、対症療法的な政策を打ち出すだけならば、任期という数年の寿命でも問題は無い。

 だが国家はそうはいかない。

 己が世代から我が子の世代、その先の孫の世代へと。

 連綿と未来へたすきを繋いで行かなければならない。

 それが当代をその国で生きる国民の義務であり、使命であるから。

 そしてそれを成すには、場当たり的な政策などでは決して成し得ることは出来ない。

 数十年先という遙か未来を見据える展望と、その思い描いた未来へ揺らぐ事無く真っ直ぐ歩み続けられるだけの、初志を見失う事無く貫徹出来るだけの継続力が必要不可欠となる。


「だから議会政治は欠陥品に過ぎんのだ。

 権力の極集中や濫用らんようを防ぐ為だか何だか知らんが、高々数年で一体何が成せる?

 学道や武道において二十年、三十年。果てはその生涯を費やしても猶、道を極められず半ばで挫折してしまう者が大半を占める中、それをたった数年で成そうという考え自体が、どれだけ傲慢で破綻したものかなど、少し考えれば稚児ちごでも容易く分かるというもの。

 だというのに元老のれ共や貴様等は、その欠陥から目を逸らし、あまつさえ、さもそれが高尚で理想的な政治の在り方であるかのように謳い上げ、囃し立て国民までも欺き続けてきた。」


「だからお主は、崩壊を望むのか?」


「その通りだ。現体制の崩壊。そして新体制の誕生をな。

 何十年と長期に渡り存続し、一つの政策にじっくり腰を据えられる政権を。

 近隣の諸国が悪逆非道に屈せず、正面から堂々と立ち向かえるだけの力を有する国家を、俺は作り上げてみせよう。」


「そんなものが作れると、お主は本気で思っているのか?

 全国民、一人余すこと無く一枚岩となる夢物語のような国を。」


「別に一丸となる必要は無い。

 恭順せぬ者は力強(ちからづ)くにでも首を縦に振らせれば良いだけの話だ。」


「そんなもの、只の独裁国家ではないか。」


「そうだとも、紛う事無き独裁国家だ。

 そして少なくとも、民主主義などよりは余程国政運営に適した政治体制だ。」


 平行線。

 両者の議論は何処までも交わることは無い。

 そも互いの政治哲学からして、まるで噛み合うものではない。

 一方は遍く広く取り入れた有権者の民意を政治基盤とする議会政治が国家の善となると奉じ、かたやもう一方は、軍部の強力な軍事力を政治基盤として強権政治を為す事を最善と奉ずる。

 どちらがより優れているのかを一概に断言する事は出来ない。

 どちらも一長一短を有すからだ。

 それは当人達も十二分に自覚していた。

 だからこそ犬養と森は、それこそが正義だと信奉する考えを決して譲る気は無く、それ故に終わりの無い言い争いが展開していた。


「お主の懐く思いは、十分に理解した。

 その主張に、十分に過ぎる理がある事も。

 お主なりの信念と忠義を示し、日本に報いようとする気概もな。」


「お褒めに預かり至極恐悦だよ、犬養翁。

 だがそれでこの俺が、退くとでも思っているのか?」


「それこそまさか、だな。」


 初めて森の表情から感情が消える。


「何年来の付き合いだと思っている。

 その程度で退くお主だったならば、そもそもここまで登り詰めていなかっただろうからな。」


 終始、常にどこかに余裕を隠し持っているかのような笑みを浮かべていた森が、今初めて無表情となった。


「お主の言葉、非常に参考となったよ。痛烈なまでに耳に突き刺さる言葉だった。

 古稀こきをとうに過ぎ、喜寿きじゅへと差し掛かろうという歳月をこの身に刻もうとも猶、学ばねばならぬ事が山と有ろうとは、お主の言葉通り、道をきわむるは容易に成し得られるものではない。

或いは、そもそも求道(ぐどう)に終わりなど無いのかもしれぬがな。」


「何が言いたい。」


「簡単な事よ。

 やはり儂はお主の野望を看過出来ぬという事だ、森よ。」


 理想も、その為の理屈も手段も全て理解した。

 そしてその総てを理解した上で、犬養は森の語る理想や信念、その総てを真っ向から否定した。

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