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帝国激動 ~Tales of the Crumbling Empire City~  作者: 十条クイナ
第1章 黎明
89/101

第1章の43 一進

「千春ッ!」


 差し出された深夜さんの手を掴み、竿へとのぼる。


「悪かったな。策とは言え、一番危険な役回りを押し付けちまった。」


「もう、本当だよ。すっごいギリギリだったんだから。」


「だから、悪かったって。」

 

 なーんて。

 本当は見てからの回避でも、十分余裕はあったんだけど。

 でも深夜さんの困っている顔を見ていたいから、


「謝るだけじゃだーめ。」


 もう少しだけ拗ねた振りを続ける。


「ならどうすりゃ良いんだよ?」


「うーん、そうだねー・・・。」


 深夜さんの背にしがみ付きながら考える仕草を交え、


「それじゃあ、私のお兄ちゃんになってよ。」


 何となく思い浮かんだ言葉を言ってみる。


「馬鹿言ってんじゃねぇよ。」


 返って来たのは心底呆れたような顔。

 まあ、当然の反応だよね。


「えー、イイでしょ別に。減るもんじゃないんだし。」


「生憎、兄弟姉妹は上にも下にも困ってねえんでな。」


「だったら、今更一人くらい増えても問題無いじゃん。

 それにー・・・、血の繋がっていない妹とか、何か背徳的で素敵な響きじゃない。」


「そんな変質的な性癖は持ち合わせちゃいねえよ。」


 何だかんだ言っても、やっぱり根っ子の所では真面目な性格をしている。

 だからこそ、からかっていて楽しいんだけど。


「それじゃあ妹がダメなら・・・、」


 と言いかけたところに、


「ちょっと二人ともッ!

 私の後ろでイチャイチャしてないでよ。」


 ステラさんからのお叱りが入った。


「まだ戦いは終わっていないんだからね。」


「はーい・・・。」


 ぐうの音も出ない正論。

 その至極御尤(ごもっと)もな言葉に、大人しく閉口するしかない。


「つっても、もうアイツ一匹だけだろう。」


 そう言って、深夜さんは空に浮かぶ雷竜を見据える。

 深夜さんに跳ね返された雷撃の余波の煽りを受けた竜は、遙か上空まで退避を余儀なくされていた。


「他にわずわしいヤツがいるならともかく、こっちから下手に手を出して余計な隙を与えなけりゃ、どうとでも逃げ切れる。」


 あの竜の雷は言ってしまえば大砲みたいなもの。

 破壊には最適だが、殺傷に用いるには威力過剰で隙も大き過ぎる。

 その隙を、あの黒い化物が潰すような立ち回りをしてきたからこそ私達の脅威となっていた。

 しかし今は、肝心のソイツがもういない。

 それじゃあもう私達の脅威とはなり得ない。

 或いは、再び急降下して襲い掛かってくるかもしれないけれど、


「破れかぶれであの竜が接近戦を挑んで来ようもんなら、それこそ分解してやれば良いだけのことだ。」


 それはそれで寧ろこっちの望む展開だ。

属性と形状を与えられた魔力の塊である雷竜にとって、深夜さんの使う魔術は最も脅威となる銀の弾丸(シルバーバレット)

 触れただけで霧散、消滅するんじゃあ、初めから勝負にもなりはしない。

 あっちもそれをわきまえているからこそ、ああして距離を取っている。


「大技は当たらねえ。接近戦は論外。なら残された手段は質を落としての物量、ってところか。」


 その深夜さんの読みを肯定するかのように、雷竜の周囲に幾つもの小さな球状の雷が生成されていく。


「それじゃあそろそろ、第二回戦の始まりかな。」


 電撃で私達を撃墜出来れば、むこうの勝ち。

 電撃を掻い潜り逃げ切れれば、私達の勝ち。


「随分と楽な勝負になったもんだ。」


 馬鹿正直に戦う必要は無い。

 アレが私達を見失いさえすれば、それで勝ちとなる。加えて私達が身を隠せる場所など、それこそ帝都中に無数に存在する。

 明らかに私達に分の有る戦いだ。


「んじゃ、千春。また道案内頼むわ。」


「りょーかい。」


 竿から飛び降り、地面へ降りる。


「ステラ、操縦任せたぜ。」


「了解、ガンガン飛ばしていくよ。」


 始まりの合図は無く。

 しかしそれでも互いに示し合わせたかの如く、同時に動き出す。

 無数に浮かぶ電気の塊は一斉に強く輝くと、電撃の矢となって射出され、そして私達は一気に最高速まで加速し、再び狭い路地裏を駆け出した。

 だけど終わりは、何の前触れも無く、そして唐突に訪れる。


「あッ!?」


 真っ先に気付いたのは深夜さんだった。

 雷竜の攻撃に備えていた深夜さんが、突然(いぶか)しむ様な声を上げる。


「”金気を以って木気を剋す。”」


そして不意に聞こえた何者かの呪言。

 その直後、一斉射出された電の矢は突如出現した水柱みずばしらに阻まれ、そして雷竜自身も地上から突如伸びた幾本もの鎖に捕らわれていた。

 物理的な実体を持たない雷竜に絡み付き、拘束している。

 ならばあの鎖も只の鎖じゃないことは明白だ。

 縛鎖を引き千切ろうと雷竜は激しくもがくも、ジャラジャラという鎖が擦れる音を鳴らすだけで、抜け出せそうな気配は無い。


「なになにッ、一体何が起こってるの!?」


 突然の展開に、困惑するステラさん。

 だけどこれは、


「さあな。だがこいつは寧ろ好機チャンスだ。」


 そう。

 深夜さんの言う通りこれは好機だった。


「このどさくさを利用しねえ手は無え。」


 誰がやったかは知らないが、態々(わざわざ)あの竜の相手をしてくれるというのなら、その間に私達は何の気兼ねも無く逃げられる。


「それとステラ、一応そいつらに(ツラ)が割れねえよう暗幕も張っといてくれ。」


 深夜さんは即座に指示を出し、


「んー、わかった。」


 その指示にステラさんも直ぐに従う。

 この辺りの嗅覚や切り替えの早さは流石だった。

 例え事態が飲み込めなくても、今自分がすべき事を外したりはしない。

 疾走する私達の周囲を闇が覆うと、私達の姿は夜の闇に、路地の暗がりに溶け込み同化する。

 これで後は、この場から抜け出せばそれで終わりだ。

 だけどそこで、事態は更に急転する。

 突如、雷竜の周囲に浮かぶ雷の塊は更に強烈な光を放出し始めた。

 そしてそれは、雷の塊だけじゃない。

 やがては竜自身も激しく発光し始めると、身体中から紫電が放射されると共に、バチバチという雷鳴が空気を切り裂く。


「コイツは・・・、」


 明らかに今迄とは比較にならない程の光量。


「ちょっとマズイかも。」


 この異常な量の帯電を目の当たりにして、アレが何を目論んでいるのかを私達は瞬時に悟る。


「ちょっとどころじゃないってッ!

 辺り一帯を纏めて吹き飛ばす気だよ、アレッ!」

 

 正確には少し違う。

 あの度外れた雷を一気に放出させることで、雷竜はその胴体に絡み付いた縛鎖を引き千切ろうとしている。

 だがそれによって生じる結果は同じだ。


「クソがッ!最後の最後まで、手間を掛けさせやがって。」


 あの雷が爆発すれば、まず鎖だけでは済まない。

 この周辺一帯も確実に更地と化す。


「どうしよう。」


「どうもこうも無えよ。アレが爆発する前にあの竜諸共に消し去るしかねえだろうが。

 幸い、雁字搦めで身動きが取れていねえ今なら、アイツに接近して魔術をぶち込むなんざ、造作も無えからな。」


 だけど雷の蓄積される速度がかなり早く、爆発までもう幾許も無い。

 見た感じでは、爆発に要る魔力は既に八割近く集まっている。

 果たして間に合うかどうか・・・。


「迷ってる時間は無えぞ。翔ばせ、ステラッ!」


「了解ッ!!」


 一気呵成。

 掛け声と共にステラさんは180度舵を切り、雷竜目掛け突撃する。


「お兄ちゃん、ステラさんッ!」


「千春はここで待ってろッ!」


 瞬く間に小さくなっていく二人の背を私は地上から見守る。

 私は只独り、この場に取り残された。

 当然だ。

 二人の後ろに同乗しても、あの雷竜相手じゃ私に出来る事は無いから。

 だったら少しでもステラさんが動き易くなるよう、余計な重荷は乗らない方が良い。

 それが唯一私に出来る行動。

 だけど、それでも。

 すごく・・・、すごく歯痒くて、悔しい。

 今の私に出来る精々が二人の成功と無事を祈る事だけだって、分かっているのに。

 ちゃんと分かっているのに。

 只々見守る事しか出来ないのが、こんなにも辛く、胸を締め付けられることだったなんて知らなかった。


    ◇0


「やれやれ、往生際の悪いヤツだ。」


 男は心底うんざりしたように呟く。


「それで大将殿よ、どうすれば良い?

 流石にアレは、ちとばかし不味いと思うんだが。」


「・・・。了解、初撃は俺が入れるんで、後の処理は大将殿に任せるぜ。」


「それじゃまあ、せいぜい働くとしますか。」


 クシャリ、と。

 手にした御符を握り潰し、真っ直ぐ空を見据える。

 先にある、縛鎖に囚われた雷の竜を。

 そして、


「それと、取り敢えずアイツラもだな。」


 それに向かって接近する二つの人影を。


    ◇2


「方眼流破段壱の剣、斬魔の太刀。」


 突撃の最中さなか聞こえた、何者か詠唱。

 その直後、ふわりと。

 一陣の微風そよかぜが俺達の背後から吹き抜けた。

 それが雷竜へと到達したか否かの刹那、竜の首が一瞬のうちに胴から完全に分離し、空中を舞う。

 一閃。

 吹き抜けたと感じたのは微風などでは無く、一筋の斬撃だったのだ。

 そして更に、一筋、二筋と。

 続け様に微風がぐ。

 その度に、雷竜の頭部や腕や胴体が表畳おもてだたみの如く、いとも容易く輪切りにされていく。


「マジかよ・・・。」


 唐突に目の前で起こった光景に、俺もステラも完全に言葉を失う。

 あれだけ猛威を振るっていた存在が、数秒も経たないうちに物言わぬ雷の塊と化していた。

 切り刻まれ、形と意思を失った雷竜は只の雷の塊へと戻る。

 とは言え、それでも危機は未だ去ってはいない。

 膨大な量の雷の性質を持った魔力は、依然として空中に残り続けている。

 爆発の危険性から暴発の危険性へと変移したに過ぎない。

 だがそれすらも、その何者か達の想定の範囲内だったらしい。

 再び地上から伸びる影。

 今度のそれは、鎖では無く水だった。

 強烈な勢いで噴出し、せり上がっていく幾つもの水柱。

 さながらそれは槍衾のように、空中に浮かぶ巨大な雷の塊へと次々と殺到し、串刺しにしていく。


「引き返すぞステラッ!」


「でも、あの雷は?」


「心配いらねえよ。アレはもう直ぐ消滅する。」


 目の前に浮かぶ雷の塊が目に見えて萎んでいくのが分かる。

 原因は地上から伸びる水柱だ。この何本もの水柱が接地線となって雷を地中へと誘導し、放電させている。


「もう俺達が出張る意味は無え、だから早くッ!」


「う、うん。」


 ようやく雷竜の脅威はこれで全て片付いた。

 だがそれは、あくまで”雷竜の”、という意味でしかない。


「本っ当に、今日は厄日だな。」


 見知らぬ集団との交戦から始まって、そこから何故か化物二体との逃亡戦へと発展。

 ようやくの末に撃退できたかと思ったら、新たに現れた第三者。


「でも、その人達は助けてくれたんじゃ?」


 確かにその可能性はある。

 しかしそれでも、


「それでも嫌な感じがすんだよ。」


 不穏な予感は拭えない。

 不運や不幸というものはどうしてか、まるで狙いすましていたかのように畳み掛けてくる。

 それこそ偶然という言葉で片付けるには、到底看過出来ぬ程に。

 ならば今回は?

 吉と出るか、凶と出るか。

 答えは分からない。

 だが分からないならば、分からないうちにこの場から退散してしまえば良い。そうすれば少なくとも、凶を引き当てることはない。

 だからこそ、ステラにすぐ発進するよう指示を飛ばした。

 だが、


「よう。」


 瞬間、ゾクリと背筋に寒気が走る。

 突如、俺の背後から聞こえる何者かの声。

 それは先に聞いた、そして今も鮮明に耳に残っている、あの雷竜を切り裂いた者の声。

 やはり、


「テメエ・・・、何者だ。」


 やはり偶然なんかで片付けて良いものでは無かった。

 ステラの魔術により目視で俺達を見つけるなど、まず不可能な筈だ。


「いや、そもそも・・・、」


 それにそもそも、俺達は今、遠く地上から離れた空中にいる。

 なのに何故。


「別に大したことじゃない。あそこからここに飛び乗っただけだ。」


 そう言ったこの男は、眼下のビルの一つを適当に指さす。

 あの距離からここまで。

 更には高速で飛行する物体の上へと、飛び乗る。

 そんな離れ業をさも当たり前のように、この男はやってのけやがった。


「お前等も魔術を使ってんだ。

 だったら神祇省、って名乗れば後は分かるよな。」


 最早、大して驚きは無い。

 薄々そうじゃねえかという予感はあったからだ。

 

「お前等も当事者には違い無いようだが、どうやらあの化物を止める為に頑張ってくれたらしいな。

 だったらそれに敬意と感謝を表して、こちらもなるべく穏便に話を進めるつもりで考えている。

 だから・・・、」


 だがその言葉とは裏腹にこの男からは、敬意や感謝といった類の感情はまるで伝わってこない。


「今すぐコレを止めて地上に降り、大人しく俺達に同行して事情を洗い浚い供述すれば、何も起きない。」


 淡々と無感情に、むこうの用件とこっちの採るべき選択だけを、コイツは簡潔に提示した。


「なら逆に、このまま飛ばし続けたらどうなる?」


「さあ?」


 さもどうでも良い、と言った風な答えが帰って来る。


「結局、結果は同じだからな。同行か連行かの違いでしなかい。」


 事情聴取。

 この何処か他人事めいた印象しか受けなかった言葉が、急速に現実味を帯びて迫り来る。

 そしてそれは今に至るまでの経緯を考えれば、俺達にとって致命的ですらあった。

 不法侵入から始まっての、暴行に器物破損。

 あの部屋での戦いはまだ正当防衛と訴えることは出来るが、始めの一つについては完全に言い訳のしようが無い。

 更に最も危険なのが千春。

 アイツの抱える事情に関しては、俺も大して知っている訳ではない。本人にそれを話そうという気は無く、また俺もステラも根掘り葉掘り聞く気も無かったからだ。

 それでも千春がくだんの事件の深く関わっていることは、疑いようの無い事実であるのは確かだ。

 そんなすねに傷の有り過ぎる俺達が、事情聴取に応じたらどうなるか。


「そうかよ・・・。だったら答えは、」


 別に神祇省は警察じゃない。

 あくまでもその管轄は、魔術や妖怪といったものの対応に限られる。

 だがコイツらの調査が終わったら、今度はその足でそのまま警察に引き渡さないとも限らない。

 否、寧ろそうしない理由が無い。

 そうなれば、俺達は色んな意味で終わる。

 だったら俺達が採るべき行動など、初めから一択しかない。


「どっちもクソ喰らえ、だッ!」


 勢い良く後方へと振り返ると同時に、背後のヤツへ銃口を向け、引き金に掛かる指に力を込める。

 この男を退しりぞけ、逃亡する。

 最早これしか俺達に道は残されていない。

 ステラもまた、ほぼ急加速させてこの男を振り落とすべく、物干し竿に一気に魔力を込める。

 だが振り返って見えた背後の光景に愕然とする。


「交渉決裂か。やれやれ・・・、出来れば五体満足で連れて帰りたかったよ。その方が余計な経費が掛からずに済むからな。」


 呆れた様に溜め息を吐くと、その男は腰に下げた鞘から刀を抜き放ち、そのまま流れるような一切無駄の無い動きで刀を上段に構えた。

 ピタリと、天高く垂直に伸びた切っ先が微動だにせず静止している。

 一見、酷く緩慢で緩やかに見えたこの男の動き。

 だが実際には俺が引き金を引く指に力を込めた後から、この男は動き出した。それでいて、引き金を引き切る前に、その一連の動作を完了させたていたのだ。

 まるで走馬灯でも見せられているかような、己の視覚に己の動作が置き去りを喰らっているかのような感覚だった。

 やがて頂点で留まっていた切っ先が前へと動き出す。

 ひどく緩慢な動きで降りて来る刃を前にして、未だ銃口から弾丸が発射されることも無ければ、物干し竿が急加速することもない。

 時の凍り付いた世界の中で唯一動くことを許されたのが、この男だけであるかのように。

 この男の動き以外、あらゆる総ての存在の微動だすらも、世界が認めないかのように。

 この刹那の時の中で、やがて確信する。

 これは走馬灯みたいでは無く、そのものなのだと。

 緩やかに迫る、しかし逃れられぬ死を目前にした人間に、己が罪過ざいかを想起させ、懺悔ざんげをさせる為の時間。


「安心しろ。腕の一本で打ち止めにしておいてやる。」


 動けッ、と。

 何度己の身体を叱咤したか、最早覚えていない。

 この時の流れが不平等な世界の中において、振り下ろされた刀が俺の腕の数寸上にまで迫っていても猶、俺は僅かに身体を傾けるのが限界だった。

 そしてその刃が俺の腕に食い込むか否かの瀬戸際、


「無粋だぞ、若造。」


 ピタリと、刀が宙に静止した。

 温情などではない。

 この男がそんなものを掛ける益も理由も無い。

 現に刀を振り下ろさんと、その腕には今尚力が込められている。

 では何故か。


「この小僧共が死闘の末に掴み取った、せっかくの勝利だ。」


 それは、その柄に巻き付く一匹の妖怪が阻んでいたからだった。

 蛇のように細長い、だが頭が有るべき所に頭は無く、血管の浮かび上がった剥き出しの眼球がただ一つ鎮座する奇怪な姿形の妖怪。

 見間違う筈も無い。

 俺達が激闘の末に斃した、巨大な黒い化物を構成していた瞳蟲どうこの一匹だった。


「それを後から来た貴様が掠め取ろうなど、認めんよ。」


「何だお前は?

 コイツらの使い魔か?」


「俺が何者かなど、どうでも良いだろう。それに貴様の相手は俺ではないぞ。」


 直後、甲高い金属同士がぶつかり合う音が鳴り響き、目の前で火花が飛ぶ。

 俺の肩口に触れるほどに肉迫していた刀身が、ここで初めて後退する。

 

「ダメだよ、お兄さん。ソコは私の特等席なんだから。」


 刃が食い込む寸での所で割り込んできた千春のナイフが斬撃を受け止め、そのまま男諸共に弾き返す。

 上空、遠く地上から離れている此処までどうやって、などと言う疑問に最早意味は無いのだろう。

 この極限まで圧縮されたかのような時の流れの世界の中で、千春もまた、行動を許された者の一人だった。


「勝手に手を出されたら、私、怒りでどうにかなってしまいそうだわ。」


 弾き出された男と共に千春は落下していき、そしてその永遠の刹那とも言える走馬灯が終わった。

 撃ち放たれた弾丸は、誰も存在しない虚空の彼方へと消え、物干し竿は遅い急発進を始める。

 世界が正常な速さを取り戻した。


「し、深夜さん・・・。」


 か細く掠れた声で、それでも必に搾り出すようにステラは呟いた。


「・・・言いたいことは分かってるから、無理はすんな。」


 今更になって、背中から噴き出した大量の汗が背を滑り伝っていく。

 骨の髄まで染み渡る寒気と、芯から沸き上がる震えが全身を覆う。

 それはステラも同じだった。

 直接あの男を見てはいないが、ステラもまた、走馬灯の中で死の淵にほぼ全身を突っ込みかけた。

 それに呑み込まれる寸前、何の因果か、俺もステラも運良く引っ張り上げられたに過ぎない。

 だが、死に直に触れられた恐怖は今猶、心身を蝕む。

 それは、生き延びたという実感が大きくなればなる程、強く深く内側に喰い込んでくるのだ。


「一体アレは、何の魔術だったの。」


「そんなチャチな代物だったら、まだ良かったんだけどな。」


 だが現実はそうじゃない。

 魔術という答えよりももっと単純で、それ故遥かに絶望的なモノだった。


「アイツは・・・、あの人は、別に何も特別なことはしちゃいねえよ。」


「ただ刀を抜いて、構えて、ただ刀を振り下ろした。」


 そう・・・、ただそれだけの、単純明解な話。


「その当たり前の所作に、貴様等は全く付いて行けなかった。

 それだけの事だ、お嬢さん。」


 この化け物と、そして千春だけが同じ土俵に立つことが出来た。


「良かったな。あの娘が側にいて。」


 でなければ、腕を一本失っていたと。

 この妖怪は言外にほのめかす。

 だがそんなことはコイツに言われる迄も無く、俺自身が一番分かっている。

 その寸前まで行きかけたのだから。


「それで、テメェは何しに来やがった。」


 目の前に浮かぶ化け物を睨む。

 ほんの少し前まで殺し合いをしていたコイツが、何の気まぐれか俺達を助けた。

 だが決して味方になった訳じゃない。


「また性懲りも無くやられに来たのかよ。」


 危険は未だ去ってはいない。


「だったら良いぜ。さっさと掛かって来いよ。」


 銃を構え、臨戦態勢に入る。


「やめとけ小僧。」


 だがコイツは真っ直ぐ己に向けられた銃口を見ても猶、一切の応戦する意思を見せない。


「今更強がったところで余計に惨めになるだけだ。」


 まるで俺達を歯牙にも掛けぬとでも言いた気に。


「心を挫かれた人間の必死で張る虚勢程、滑稽で憐憫を誘うものも無いからな。」


 いや、事実としてそうなのだろう。

 憐憫、そして嘲笑。

 俺を見下す化け物の視線から注がれる感情はそれだけだ。


「貴様等には俺の同胞達がやられた借りがあるんだが・・・、」


 敵意も殺意も無い。

 そりゃそうだ。

 コイツにとって俺達は、敵として認識する価値すら無えんだからよ。


「そのツラが見れて、多少の溜飲は下がったよ。

 それを以って、散って逝った同胞達のとむらいに当てるとしておこう。」


 消える最後の一瞥の瞬間までそれは変わらなかった。

 宵闇の中に紛れる様に消えるその瞬間までその眼は、畜舎に繋がれた家畜でも見るかのような、冷めきったうれいをたたえていた。


「・・・クソが。」


 かつての、あの夜初めて千春とであった公園で味わった感覚が蘇る。

 彼我の間に存在する圧倒的な格の違いを、まざまざと思い知らされる絶望感。

 化け物共と俺達との間に存在する、そして千春と俺達との間に存在する格の違い。

 あの瞳蟲が言っていた通りだ。

 どれだけ強がり否定しようとも、この純然たる事実を前にして、心は軋みと悲鳴を上げていた。


    ◇3


 深夜さん達に強襲を仕掛けて来た男を竿から叩き落とし、私も共に地上へと落下した。

 と言っても、高い所から落ちた程度でどうにかなるような私でも、そして彼でもない。


「大したもんだな。その歳でそれ程の領域に達した奴を見るなんざ、お前で二人目だ。」


「お褒めに預かり光栄ですわ。」


 奇しくも落下した先は、あの黒い化け物との決着となった路地だった。


「一応聞いておきますが、このまま私達を見なかった事にして逃がしては下さいませんの?」


「そりゃ無理な願い、ってヤツだろ。」


「でしょうね。」


 即答か。


「こっちも仕事柄、お前のような正体も目的も不明の強大な力は看過出来ないのでな。」


 まあ、分かり切っていた事ではあったが。


「ただ交渉、ってんなら余地はある。」


「へえ・・・。」


 確かにその方が一方的なお願いなんかよりも、余程現実的だ。


「お兄さんが提示する条件を呑めば、私のお願いを聞いてくれる、と。」


「そういう事だ。」


「それで、その条件というのは何かしら?」


「俺らの下に付け。」


 案外普通の条件だ。

 もっと足下を見て来るかと身構えていたのに。


「理由を聞いても?」


「簡単だよ。先の通り、お前の力は放置しておくには余り危険過ぎる。かと言って排除するには、余りに惜しい。」


「だったら手に入れてしまえば良いと。

 そうすれば、常にお兄さん達の監視下に置けると共に、必要に応じて私を戦力として使うことが出来るから。」


 敵を減らすと同時に、自陣の戦力を増強出来る。

 只単純に敵を葬り去り、根絶やしにするよりも遙かに効率の良い手段である事は、これまでの歴史が証明している。


「理解が早くて助かる。利口な子供は嫌いじゃないよ。」


「そして私がソレを呑めば、私とお兄ちゃん達を無事に逃がしてくれる、と。」


「それだけじゃない。

 言ってしまえば、公務員だからな。就けばそれ相応の立場と権限を持つことも出来る。」


「成る程、悪くない話だわ。」


 私をどれだけ買ってくれているのか知らないけど、交換条件としては悪くない。

 それどころか、相当の好遇ですらある。


「でも、ダメね。お断りよ。」


 私もまた彼と同様に即答した訳だが、図らずも意趣返しとなった。


「・・・理由を聞いておこうか。」


「簡単よ。気に喰わないから。

 お兄さんが提示した条件が、じゃないわ。その態度が、よ。」


 そう・・・。

 自陣の軍門に降らせる。

 これ以上無い効率的な方法だが、それには一つ絶対の条件が存在する。


「へえ・・・。」


 それは相手が己に対する憎悪を抱いていない、という事。

 そしてそれを欠いていれば、どんな破格の条件を提示されようとも恭順は有り得ない。


「虫が良過ぎると思わない?

 私が必死で助けを求めていたあの時、貴方達が、この国が何かしてくれたかしら?」


 否。

 否だ。

 何の救いの手も、差し伸べてくれなかった。

 その結果、私の家も村も、そしてあの子も・・・。

 私の全てが壊れた。


「それが、私がこうなった途端に何の臆面も節操も無く私を求める、と。」


 今、一体私がどんな顔をしているのか。


「よくも抜け抜けと、そんな台詞が吐けたものね。

 ああ、本当に。本当に久方振りだわ。」


 口角が上がっているから多分、笑っているのかな。

 あの冬の、雨の夜以来だ。

 こんなにも怒りで頭の中が真っ赤に染まったのは。

 心の底から涌き上がる怒りの炎。


「私は今までいっぱいいっぱい、いーっぱい殺して来た。

 いーっぱい殺して・・・、生き延びる為に、もっと殺して殺して殺して殺してッ!!」


 本当に怒りが心頭にまで達すると、人間はこういう顔になるんだと初めて知った。

 芳雄君や深夜さん、ステラさんには見せられないな。

 こんな私の顔は。


「でもそもそもおかしいよね。何でただ生きたいだけなのに、そんな事をしなきゃいけないのかな?

 あの子も、それにこの町にいる私と同じくらいの歳の女の子達を見ても、誰一人そんな事をしてる子はいないよ。

 だったらどうして私だけなの?」


 何故私だけがこんな目に遭うの。

 何故こうなってしまったのか。


「それはオマエ等が私を、私達を見捨てて見殺しにしたからだ。オマエ等が私をこの道に引き摺り込んだからだ。

 虫ケラみたいに地べたを這いずり回って、虫ケラ同士で殺し合って、喰らい合って。

 そしてまた次の餌を求めて。」


 生きる。生きたい。死にたく無い。

 ただそれだけの為だ。

 別に何もおかしいことは無い。

 人間だけじゃない。生物だったら例外無く総ての存在が懐く最も原初の欲求。

 そしてその為だけに、人間としての尊厳も有り方もかなぐり捨てて、虫獣の如き生存本能に身を委ねた。


「まあ、そのお陰で私はこんなにも強くなれた。

 それに関してだけは、貴方達に感謝しない事もない。」


 それがあの畜生道に放り込まれ、身を以って学んだ真理。

 弱者というのは、唯それだけで罪なんだって。

 そして強者によって無慈悲に踏み潰され、虐げられる事こそ、その罪に対する報いなんだって。

 だから私は強くなった。

 その罪を贖う為に。


「だから感謝を込めて、貴方達を殺して喰らってあげる。」


 それがお前等が私に与えた教示へのむくいであり、私がお前等に与える罪へのむくい。


「それでその手始めに、俺ってな訳か?」


 これまでじっと黙って私の言葉を聞いていた彼が、そこでようやく口を開いた。


「別にどっちでも良いわ。貴方個人に対しては別にどうとも思っておりませんし、それに雷竜との闘いでお兄ちゃん達を助けて貰った借りもありますので。」


 まあ、その後に深夜さんの腕を斬り落とそうとしてたけど、それももうどうでも良くなった。


「結局早いか遅いかの違いでしかないですけど、貴方が望むのならば逃がしても良い、と思ってますわ。」


「・・・何か、初めと立場が逆になってねえか?」


 呆れた風に彼は揚げ足を取る。


「アハハ・・・、そういえばそうですね。」


 最初は私が逃げる云々の筈だったのに。


「たく・・・、公務員ってのは辛いぜ。

 お前のその強さも、イイ感じに憎悪に染まってるのも嫌いじゃなかったんだがなあ。」


 そう言って、この人は刀の柄に手を掛ける。


「へえ、退かないのですね。」


「仕方無えだろ。今の話でお前の性質ってモンが大体見えた。そんでその結果、お前は帝国の敵になると判明した。

 だったら、護国の徒としてお前は看過出来ねえ。」


 完全な臨戦態勢。


「お嬢ちゃんの境遇には同情するぜ。でもな、大なり小なり国家なんてのはそんなもんだろ。」


 こうなったらもうどうしようも無い。

 初めからどうしようとも思ってはいなかったけど。


「寄り集まっても一撮いっさつあくたにすらなれない悲劇に一々(こだわ)ってやる程、国ってのは暇でも酔狂でもないんでな。

 だから今生は運が無かったんだと思って諦めてくれ。」

 

 そう、それが・・・。


「それが貴方の・・・、貴方達の答え、って事ね。」

 

 挑発に対する怒りは無い。

 だって彼の言葉は真実なのだから。

 弱者に一々(かま)ったり、犠牲者を態々《わざわざ》ごのんだりしない。

 目に着こうが、或いは着くまいが。

 何となく煩わしいと感じれば纏めて掃き飛ばす。そこに何らかの感慨が湧くことも、まして心が動かされることなど有り得ない。

 それが強者に許された権利だから。


「それでは此処でお別れですね、お兄さん。」


 その摂理に従い、私も掃き捨てる。

 目の前の、憐れな人間を。

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