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帝国激動 ~Tales of the Crumbling Empire City~  作者: 十条クイナ
第1章 黎明
84/101

第1章の38 鉄風雷火の果てに

 三十秒の足止め。

 平時であれば、特に何もするでもなく、気が付けば経過している程度の僅かの時間。

 だがこの男を前にすると、その僅かである筈の時間が永遠と錯覚してしまう程に長く思えた。

 模擬戦とは訳が違う。

 遊戯でも訓練でもない、本物の実戦。正真正銘の命の遣り取り。

 加えて相手は、遥か格上の力量を持つ魔術師。

 ならば採る選択は一つしかない。


「真っ向勝負。それも捨て身の覚悟、か。」


「当然だ。」


 こちらの手の内は、既に全て知られてしまっている。小細工などは通用しない。

 ならばこその防御を捨てての突進。

 三度みたび、大川へ近接戦を挑む。

 私が現状、唯一あの男と渡り合える戦場へ立つべく。


「”نايسنلا(ミン アルニ) يف(シアン ) تومي(ヤーエイシュ) و ( ウ )شيعي(ヤームート) نايسنلا( フィ アルニ) نم(シアン)(忘却より生まれ、やがて忘却へと死す。)”」


 だが当然、むこうもそれを分かっている。

 だからこそ大川は、私に距離を詰められる前に、竜巻と衝撃波を幾重にも重ねて繰り出して来た。


「”ساحن(カッハジャ) نم(ール ) ةيسنم(カリム フ) ةنيدم(ィ マディー) يف(ナ マ) ٍميِرَك(ンシーナ ) ٍرَجَح(ミン ナ) َك(ハス)(それは忘らるる真鍮の都に眠る、秘宝のように。)” 」

 

 回避は出来ない。


「避ければ後ろの彼女に当たってしまうぞ。」


 そういうことだ。

 今、ワカバに手を出させる訳にはいかない。

 故に迫り来る暴風の嵐を正面から迎え撃つ。


「ハアァァァーッ!」


 ワカバから渡された鉄鞭で風を只管ひたすらに切り払い、


「”Strum(シュトゥル)falken!(ムファルケン)(狂乱の大鷲!)”」


 それでも払いきれずに討ち漏らした風は、炎の鳥をぶつけて撃退していく。

 ワカバのような魔術を切り裂くすべわざを持たない私は、強引に力技で破壊していくしかない。


「”Und(ウント) wenn(ヴェン) die(ディ) Nacht(ナハト) herein(ヘアライン)bricht(ブリーヒト), stirbt(シュティルプト) die(ディ) Sonne(ゾーネ),(やがて夜が降りてくると、太陽は息絶え、)”」


 だが幸いにも、ワカバはこの鉄鞭を相当頑丈に補強してくれているらしく、この猛攻を受けても未だ壊れる気配は全く無い。

 押し寄せる風を片っ端から叩き伏せていくと共に、こちらの反撃の手を進める。

 そうしてこの激しい攻防の中に生じた一瞬の空白。


「”Die(ディ) Nacht(ナハト) des(デス) dunklen(ドゥンクレン) Mondes(モンデス) hält(ヘルト) mich(ミッヒ) in(イン) Knecht(クネーヒト).(漆黒の月の夜が、私を束縛して離さない。)”」


 ヤツの攻撃の波の切れ目を突き、影を展開させる。

 ただでさえ薄暗く見通しが利かない。そんな路地の中を影は音も形も無く、地面や壁面の上を滑る様に這い進む。


「むッ!?」


 這い寄る影が大川の足元へ到達すると同時にその表情は歪み、そして嵐のような怒涛の攻撃がピタリと止む。


「全くもって煩わしいな、その影は。」


 ナハツェーラーが大川に触れた瞬間、動作が停止したのだ。しかしやはり、影だけではほんの僅かの妨害が限界だった。

 本来であれば、捕らえた相手の自由を完全に奪える筈なのだが、彼我の力の差があり過ぎる為か、多少その動きを遅らせる程度に留まっている。

 身体の違和に気付いた大川は瞬時に原因を看破し、そして即座に足下目掛けて風を放つ。

 振るった手刀の先から生じた風は、まるで鎌鼬(かまいたち)の如くの鋭い斬撃と化して、影を地面ごと諸共に切り裂く。

 だがそれでも、


「そいつは囮だ。」


 例え僅かであっても停滞してくれたのなら、それで十分役目を果たしてくれた。

 一瞬の空白の時間。私の身体能力を以ってすれば、その間に距離を縮めることは容易いのだから。

 一歩で間合いを詰め、


「捕ったぞッ!」


 大上段に振り上げた鉄鞭を、目の前の男へと一気に振り下ろす。


「それは誰のことかな?」


 だがその攻撃を、全体重と全力を乗せた鉄の塊を、大川はまさかの生身の腕で受け止めた。

 事態はそれだけに留まらず、そのまま腕で弾き返してきたのだ。

 この信じ難い結果に瞠目どうもくし、そこで気付く。

 私の攻撃を弾き返した大川の腕を、その周囲を取り巻くように強力な風が吹き荒れ渦巻いていた。


「魔術に詠唱は必須では無い。」


 大川が腕を振るうと、巻き付いていた風は鞭のように鋭くしなり、真っ直ぐ私へと向かってくる。

 その反撃を鉄鞭で受け止め、


「まあ当然詠唱を省けば、出力は数段落ちてしまうがな。」


 焦燥が駆け巡る。


「数段、落ちるだと?」


 攻撃を防いだ腕はジンジンと痺れ、武器を握る手の握力が麻痺を起こしている。

 たった一回の攻撃を、しかもヤツに言わせれば数段威力の落ちた攻撃を防いだだけにも関わらず、だ。


「しかしどうやら君の様子を見ている限り、数段落ちたところで何の問題も無いらしい。」


 しかし事態は、更なる変化を起こす。

 大川が腕に纏う風が、形を変える。

 鞭のように不定のしなる軟性な形質から、直線に伸びる硬性な形質へ。

 それはまるで、


「風の、剣・・・ッ!?」


 暴風が、剣の形となって具現化したかのように。

 その柄をしっかりと、確かな実体を有する物体を掴み取るように、大川は握り締め、


「喜び給えよ。」


 私に切っ先を番える。


「待ちに待った君の土俵だ。

 まさか今更怖気(おじけ)付いて逃げたりなど、せぬよな?」


「抜かせッ!」


 一直線に大川を目掛けて飛び込み、鉄鞭を振るっていく。

 一合、二合、三合と。

 互いの武器がぶつかり合い、そして火花を散らしながら互いに弾かれ合っていく。

 その剣戟が数合を過ぎた辺りで気付く。

 この男は、特別剣技に秀でているという訳でも無い。かと言って、全くの素人と言う訳でも無かった。

 地味だが堅実かつ隙の少ない動きで、私の連撃に対応して来る。

 この事態に、少なからず驚きが生まれる。

 まさか、大川がそのような姿を見せるとは。

 だがそれ以上に、腕に伝わって来る感触に戦慄が走る。

 それはまるで、本物の鉄剣同士で斬り合っているのではないかと紛う程の、風とは思えない確かな手応えが、武器が交わる度に返ってくるのだ。


「この程度で驚いて貰っては困るぞ。

 手品はまだまだ用意しているのだからな。」


 そんな私の僅かな動揺を突くかのように、今度は大川の方から仕掛けてきた。

 だが向こうから接近してくれるのならば、私にとっても好都合だった。

 幾ら威力が高かろうとも、ヤツ自身の動きはそれ程速い訳ではない。

 受けに専念すれば少なくとも、剣筋を見極め、攻撃を受け流しつつ反撃に転じることが、可能なぐらいには。


「来いッ!」


 横か、上か、それとも刺突か。

 ギリギリまで引き付け、その手の内を見極める。

 大川が繰り出す攻撃は・・・。


「左ッ!」


 果たしてそれは横の水平斬りだった。

 刹那の間の攻防、だが私の目ははっきりと剣の出所を捕らえた。

 左側面から迫る風の剣。

 その動きにも、誘いや罠らしき気配は感じない。

 行ける、と確信する。

 受け流し、そしてがら空きとなったヤツに鉄鞭を叩き込んでやれる、と。

 だが何故。

 何故、この男は自ら仕掛けて来た?

 白兵戦は私が望む処であるにも関わらず。

 ゾワリ、と。

 そしてそれを、この男も承知している筈なのに。

 ゾワリ、と悪寒が鎌首を擡げる。

 風の剣は何の小細工も無く一直線に、私を目掛け最短距離を進んでいる。

 分からない。

 何か見落としが存在が?

 分からない・・・、が、嫌な予感だけが際限無く膨張を続ける。


 "手品はまだまだ用意している。"


 瞬間、予感が確信に変わる。

 理由は分からない。

 それでもこの攻撃を受け止めてはいけないと、本能が警鐘を鳴らす。

 だが既に剣は間近に迫る。今更まともな回避など不可能。

 しかしそれでも、回避しなければならない。

 ならば・・・。

 そして、風の剣と鉄鞭が触れる。

 その刹那、私の身体が横へ大きく吹き飛んだ。


「・・・ほう。」


 否、剣と鉄鞭が交わる寸での処で地面を、力の限りに蹴り、横へ跳んだのだ。

 受け身や着地など一切考慮せず。

 只ひたすら、斬撃を躱す為に。

 激しい勢いで地面を転がる私の身体は、側面の壁に激突する事で漸く止まる。

 全身を駆け巡る激痛。

 全身にできた擦り傷や打撲痕。


「ヒントに気付いたか、」


そしてそれらの傷に混じり、右腕に深々と刻み込まれた裂傷。


「それとも全くの勘か。」


しかしそれでも、腕だけで済んだのだ。

もしあのまま回避をせずに受け太刀をしていたら、確実に胴体を両断されていた。

あの時。

棍棒と剣が交わり衝突するその瞬間、全く手応えが存在しなかった。

 それもその筈、そもそもとして交わりすらしなかったのだから。

 無我夢中で飛び退る最中で私の目が捉えたのは、衝突することも無く、弾かれ合うことも無く、一切の抵抗も無く鉄鞭の中を擦り抜けてくる風の剣の姿だった。


「何にせよ、初見でコレを看破するとは大したものだ。

 今のは完全に君を取りに行くつもりで繰り出した攻撃だったのだからな。」


「そう、いう・・・こと、か。」


 息も絶え絶えに、言葉を紡ぐ。

 呂律が回らず、呼吸も上手く出来ない。

 死に触れた。

 九死に一生を得たことで、その感触がより濃く精神を蝕み、身体の感覚を麻痺させる。


「風に、実体など・・・、ない。だから、」


 だから、鉄鞭を透過した。


「ご名答。」


 だとしてもそれは悪辣過ぎる罠だった。


「良い勉強になっただろう。

 本質を見極める事の重要性、そして本質を見誤る事の危険性を。」


 大川は己の手首に風の剣をあてがい、刃を下ろす。

 その手首は、剣が通過したにもかかわらず、切断はおろか掠り傷の一つも生じていない。


「常に疑い、考え、そして本質を求めたまえ。

 眺めて見えるのはその外観だけに過ぎん。」


 そして今度は、私へ向けて風の剣が振り下ろされる。

 咄嗟に反応し、地面を転がってこの攻撃を躱すも、そこにあった壁や地面は、いとも容易く切り裂かれていた。

 

「目に映るものが全てではない。

 寧ろ目視で得られる情報など、世界のほんの一部でしかないのだよ。」


 切断したいもの、干渉したいもの。

 それを大川は、自由に選択することが出来る。

 つまりそれは、むこうからの攻撃に対しては防御不可であり、尚且つこちらからの攻撃に対しては防御可能である事を意味いた。


「目の前の景色だけを見て、世界の総てを理解出来る人間などいないだろう?

 つまりはそういうことだ。」


 更には大川の望む儘に、風の剣はその姿をも自在に変容させる。

 それは正に捉えどころの無い風そのもの。

 剣と呼ぶのすらも烏滸おこがましい。

 そして風の剣だったものは、最早、剣の形である必要はないと言わんばかりに、これ見よがしに形状を変化させていく。

 槍か、斧か、鎌か、鞭か。

 或いはその気になれば、弓弩(きゅうど)銃砲(じゅうほう)にすらも成れるのだろう。


「さて、これにて一旦講義は終わりだ。後は口以外で語り合おうじゃないか。」


 そうして闘いと呼ぶには、余りにも一方的過ぎる攻防が再開する。

 絶えず形を作り変える風は、攻撃の挙動がまるで読めず、それでいて物体をすり抜けて来るから、防ぐ事も出来ない。

 かと言って距離を取れば、その瞬間、大技で私とワカバは二人纏めて潰される。

 結果、攻撃をかなぐり捨てて、ひたすら回避に徹しなければならなかった。

 だが当然、繰り出され続ける攻撃の全てを躱し切るなど、出来るはずもなく、少しずつ、少しずつ削り取られていく。

 一秒が恐ろしく永く感じる。

 腕に、脇腹に、頬に。

 傷が次々と刻まれていく。

 何秒。

 後何秒、耐え続けなければならないのか。

 奇跡的に致命傷を未だ受けてはいないが、刻まれる間隔が次第に短くなっていく。


「そろそろ終わりが見えてきたな。」


 大川が私を捕らえるが先か。


「いいや、まだだッ!」


 ワカバが魔術を完成させるが先か。

 果たして、その結果は・・・。


「どうやら私が先だったようだな。」


 刹那の判断の遅れ。

 脚に力が入らなくなる。

 致命傷ではない。

 だが一瞬、集中力を削ぎ、動きを止まらせるには十分過ぎる痛みだった。

 そして例え僅かだろうが、一度均衡が傾いてしまえば、そのまま連鎖的に崩れ落ち、瓦解していく。


「中々に楽しい時間だったよ。

 このまま終わってしまうことに切なさを感じてしまうぐらいにな。」


 脚を潰され、唯一の抵抗手段である俊敏性を奪われてしまえば、後は為す術もなく嬲り殺しにされるのを待つだけしかない。

 この瞬間、私と大川の闘いは、大川の勝利で終わった。


「ああ・・・、本当に残念だ。」


 但しそれは、


「これで貴様が終わりなのがな。」


 私とヤツの間の闘いではという、前置きがつくのだが。


「お待たせハイジちゃんッ!」


 どうやら辛うじのところで間に合ったらしい。

 余りにも長過ぎた三十秒を。

 永遠に終わりが来ないのではないかとすら錯覚した三十秒を、遂に超えることが出来た。


「本当にギリギリになっちゃってごめん。

 でももう大丈夫。こっちはバッチリ準備できたから。」


 直後、地面へと倒れ込んだ私の頭上を一つの黒い影が高速で通過していった。

 真っ直ぐに、大川を目掛けて飛んでいく。

 そして驚くべきことに、大川は避ける素振りを一切見せず、正面からそれを受け止めたのだった。


「・・・何の真似だ。」


 低く、抑揚の無い声。


「へえ・・・、案外優しい人なんだね。」


 微かに、しかし明確に怒りと苛立ちの混じった声に加え、常に浮かべていた笑みが消える。

 それはこの男が初めて私達に見せる顔だった。


「さっき言ってた捨て駒にする気は無い、って言葉、本当だったんだ。」

 

 何故、避けなかったのか。

 その疑問は、大川が受け止めたモノの正体が判明すると同時に氷解する。


「でもそれは今この場で一番やっちゃいけないことだよ、おじさん。」


 それは人間。それも知らない者ではなく、私が気絶させた取巻き連中のうちの一人だった。


「本気で私達に勝ちたかったのなら、その人は見殺しにするべきだったんだ。」


 もし大川が受け止めず、ソレを躱していたならば。


「”傾国けいこくはるこずえを 見上みあぐれば、”」


 意識が無く、受け身も取れない人間が。

 いやそもそも、例え受け身が取れたとしても、あれだけの速度で飛んで行った人間がどうなるか。

 だからこそ大川は即座に動く。

 その意識を、足元に転がる私からは完全に消し去る程に。

 呪文の詠唱を捨て、風を繰り出そうとする。

 がしかし、


「ッ!?」


「目の前の敵から意識を外すとは、随分と余裕があるのだな。」


「・・・やってくれたなッ!」


 その足には、黒い影が絡み付いている。

 例え僅かの時間であろうとも、その僅かが、私達にとっては十分過ぎるだけの時間を与える。


「"すがかれど 永久とわとどかず。"」


 ワカバは間髪を入れず、近くでのびている人間を。

 大の大人一人を片手で持ち上げ、


「これはさっきの意趣返し。」


 力の限り、無造作に大川へ投げつけた。

 再び私のすぐ真上を、有り得ない速さで人間の身体が飛んで行く。

 一切の慈悲も、容赦も無く、


「避けたらその人、死んじゃうよ。」


 ワカバの魔術は発動する。


「"衆合しゅうごう地獄じごく刀葉林とうようりん黒王丸こくおうまる。"」


 建物を伝う雨樋や通気管、窓枠が。

 果ては壁や地面の中から、補強材として内部に埋め込まれていたであろう鉄筋や鉄骨材までもが。

 ありとあらゆる金属その全てが、幾万もの針や刃と化して大川へ、そして意識を失った男へと殺到していった。

 それと同時にワカバに渡された鉄鞭もまた瞬時に鎖に変形すると、鎖は私の身体に巻き付き、私を上方へと引っ張り上げる。

 直後、私が倒れていた地面やその周囲の壁からも無数の針や剣が飛び出す。

 際どい、僅かの差。

 少しでも遅れていたら、と想像すると、背筋に寒気が走る。


「さあ逃げるよ、ハイジちゃん。」


 ワカバもまた鎖を握り、同じように建物の屋上へと上ぼる。


「・・・凄まじいな。」


 眼下に広がる光景に息を飲む。

 巨大な剣山を敷き詰めたかのように、鋭く尖る針や剣が路地一帯を埋め尽くしてしまった。

 そこに大川の姿はない。

 魔術の発動のタイミングは絶妙だった。

 悪辣あくらつと言い換えても良い程に。

 投げつけた男が大川にぶつかるその少し手前で、剣山が飛び出すようにワカバは魔術を発動させた。

 即ちそれは、一人剣山を躱そうとすれば、飛んで来た男や足下に男は串刺しになり、逆に助けてようとすれば、回避を捨てなければならなくなる。

 そして既に大川がどちらを選ぶかは、私もワカバも知っている。

 故に、そこに大川の姿が見えなければ、あの中にいることはまず間違い無かった。

 だとすれば、流石のヤツでも・・・。


「ううん、まだやってないよ。」


 しかしまるでそれを読んだかのように、ワカバは私の思考を否定する。

 その言葉を肯定するように、


「だから・・・、」


 下方から無数の金属片が砕け、路上に散乱する甲高い音が鳴り響いた。

 砕け折れ、飛び散った剣山の中心には、大川が立っていた。


「だからトドメはハイジちゃんがお願い。」


 しかし流石に無傷という訳にはいかなかったらしい。

 身体の至る箇所から血が流れ出ている。


「コレで・・・、この程度で。私を取れるとでも思ったか?

 思い上がるなよ、楸。貴様の奸計に屈する程、私は安くないぞ。」


 それは虚勢では無かった。

 派手な流血に反して致命傷となる傷は負っておらず、まだまだヤツも十分に動ける状態だった。


「絶対に逃すものか。

 貴様に受けたこの屈辱、今この場でそそがせてもらうぞ。」


 大川は私達の逃亡を阻止すべく、風を生み出す。

 それはこれまでの暴風とは訳が違う。

 大量の金属片を取り込み激しく渦巻くそれは、触れれば数秒も保たずに細切れにされるだろう、凶悪極まりない竜巻へと変貌を遂げていた。


「卑怯、などとは言うまいよ。

 貴様が丹精込めて用意してくれた鉄屑なのだからな。」


「勿論。勝てばそれで良いんだから。でも・・・、」


 空かさずワカバは、大川に向けて手をかざす。


「駄目だね。やっぱりおじさんはここで終わりだよ。」


 蠢く鉄線が、大川の手や足に絡み付く。

 剣山の刃や針が、今度は鉄線へと創り変えられたのだ。

 しかし竜巻は既に大川の手から離れ、私達へ迫りつつある。だからこそ、


「今だッ!」


 ワカバは叫んだ。

 私に決めろという合図。

 今この時を逃したら、もう二度とこんな好機は来ない。

 そしてあの攻撃さえ凌ぎ切れば、私達はここから脱出出来る。

 ならば後は、私のすべきことはただ一つ。


「くらえェッ!」


 ありったけの魔力を。

 残された総てを炎に変えて、撃ち放つだけだ。


「”Infernoloh(インフェルノローエ)!(業火に焼かれろ。)”」


「ッ!」


 その瞬間、


「なッ!」


 私と、そして大川が同時に驚愕した。

 私が大川へ向けて炎を放ったのとほぼ時を同じくして、全く別の場所から巨大な炎が出現したのだ。

 私の炎と、何者かが生み出した炎は真っ直ぐ大川を目掛け、流星の如くに落下していく。

 剣刃の竜巻と紅蓮の業火が衝突する。

 だが結果は見えていた。

 ヤツの風が私の全力の炎よりも強いとは言え、流石に私ともう一人の誰かの二人分の炎を、纏めて破壊出来る程ではなかったのだ。

 炎は竜巻を呑み込んで猶、その勢いは衰えることは無く、更にその奥へと雪崩込む。

 ワカバに拘束され、動けない大川のもとへと。

 そして、全てを燃やし尽さんと獰猛に渦巻く炎が、ヤツとヤツのいた路地一帯の全てを飲み込んだ。

 屋上に到達した私達の眼下に広がる惨状は、まさに焦熱地獄と呼ぶにふさわしい光景だった。

 燃える筈の無い地面が一面真っ赤に燃え上がり、鈍く光を放つ。ワカバの作り出した無数の金属片も周囲の建物の窓ガラスも、その殆どがドロドロに融解し、原型を留めていない。

 ここまでの状態になりながら、周りに延焼していないのが奇跡だった。


「二人とも、無事で良かった。」


 既に上にいた何者かが私達の方へ歩み寄って来る。


「レオン、お前もいたのか?」


 その正体は、ワカバと共に先に帰らせた筈のレオンだった。

 だが改めて考えれば、ワカバがここに来た時点で、レオンだけが一人帰るといのも、おかしいと気付く。

 お人好しのレオンが、そんな合理的な選択を許容出来る筈がないのだから。

 そしてもう一つの炎を放った者が誰なのかも。

 おそらく、事前にワカバと示し合わせてでもいたのだろう。


「うん、レオン君とハイジちゃんのお陰。

 バッチリのタイミングだったよ。」


「本当にヒヤヒヤしましたよ。何度飛び出そうと思ったことか。」


「ごめんごめん。でもレオン君があの瞬間までえてくれたから、私達は脱出出来たんだよ。

 本当にありがとう。」


「・・・まったくもう。

 そこまで素直に感謝されたら、何も言えないじゃないですか。」


 レオンは頭を掻きながら苦笑する。

 まだまだ言いたいことは山ほどあっただろうに、つくづく甘い奴だ。


「それで、彼はどうなったのでしょうか。」


 下に広がる炎の海に目をやったレオンは、ポツリと誰に問うでもなく呟く。

 溶鉱炉の中身をぶち撒けたような惨状だ。

 生身の人間があの中にいて助かる筈が無い。普通に考えれば、誰でもそう思う。

 でもおそらくは、


「成る程、成る程。中々どうして大したものじゃないか。」


 そうだろうな、と。

 薄々、こうなるだろうと感じてはいた。


「良いだろう、合格だ。素直に私の負けを認めよう。」


 だがそれでも、驚かずにはいられなかった。

 紅く煮え滾る路地から這い上がってくるその声を、聞き間違う筈もない。

 今の今迄さんざん聞いていた声。

 灼熱の炎の海の中にいるというのにも関わらず、場違いな程に凡庸で、まるで焦りというものが全く感じられない声。


「あの野郎・・・。」


 思わず悪態が溢れる。


「ここまでやっても駄目なら、私達にはもうどうしようもないね。」


 再び、大川と戦わなければならないのか。

 完全にヤツをたおし切らないと、ここから抜け出せないのだろうか。


「でも大丈夫だよハイジちゃん。

 どうせあの人はあの場所から動けないから。」


そんな私の中に浮かんだ不安を、ワカバは払拭する。


「どういう事だ?」


「あの人が動けば、あの人の部下・・・で良いのかな?

 とにかく今あの人が動けば、あそこで気を失っていた人達は一瞬で灰になっちゃうからね。

態々(わざわざ)避けずに全員を助けるぐらいだから、動けやしないよ。」


 そのワカバの言葉の通り、


「ああ、業腹ではあるがその通りだ。」


 大川もそれを認めた。


「流石に今の状態では、連れの安全を確保するので手一杯だからな。」


 しかしそれでも、今の私達の置かれた状況が薄氷の上である事に変わりは無い。


「とは言え、だ。別に私はこの場を抜け、お前達を追うことも出来ない訳では無い。」


 何故ならヤツは動けないのではなく、動かないというだけに過ぎないからだ。


「そうだね、他の人達を見捨てれば、すぐにでも追って来れるだろうね。

 でもやっぱりあなたは動かない。それが出来るなら、もうとっくにやってるだろうから。」


「理屈だな。だが私にも、何もかもがどうでも良くなる時はある。

 理屈も、目的も、それこそ自他の命すらもな。」


「そう?ならばご自由にどうぞ。

 でもそれだと、確実にその人達は死んじゃうね。」


 ワカバは眼下の炎の海の一点を睨む。

 そこには何も見えない。

 だがその目線の先の、その炎の向こう側に大川がいるとワカバは確信している。

 そして同様に。

 炎の中から感じる視線は、確実にワカバを補足していた。

 数秒間の無言の睨み合いの後、


「・・・ふむ、大した娘だ。」


 先に沈黙を破ったのは大川だった。


「良いだろう。先も言った通り、潔く敗北を認め、君達の勝利を素直に寿ことほぐとしよう。」


 瞬間、張り詰めていた空気が弛緩するのを肌で感じる。


「物分かりが良くて助かったよ。」


「お前達では私を斃すことは出来ない。だがこの状況では、私はろくに動くことも儘ならない。

 互いの勝利条件をかんがみれば、どちらが勝ったかなど明白だからな。」


 そう語る大川の言葉に込められた感情は、 


「楸若葉、と言ったな。」


 諦観と悔恨。


「この借りは必ず返す。」


 一際強い喜悦と確信だった。

 新しい玩具を見つけた子供のような喜びと、


「散々に味合わされた屈辱も、舐めさせられた辛酸も、今日お前という逸材を発見出来たことを思えば安い買い物だ。」


 己の好奇心に従って間違いはなかったと確信した瞬間の高揚感が、言葉の端々に入り混じる。


「なんだか随分と私を買ってくれているところに悪いけど、私はあなたに会う気はもう無いんだけど。」


「意思の有無は関係無い。お前が望もうが望むまいが、そして勿論、私の望む望まないに関係無く、いずれ再び合いまみえるだろうよ。」


「それは勘かな?」


「強いて言えば予感だな。」


「大した自信だね。占い屋にでもなった方が良いんじゃない?」


「ふむ、一考しておこう。占術も私の得意分野なのでな。」


「ああ、そう。」


 皮肉をアッサリと躱されたワカバは顔をしかめる。


「ゆめ精進を怠らぬことだ。再び会い見えた時、興醒めとならぬようにな。」


「別にあなたを愉しませる気なんて、微塵も無いんだけど、まあ良いや。

 謹言として受け取っておくよ。」


 そして別れ際に、


「それとついでで済まないが、なるべく早くここから離れた方が良い。」


 大川は取って付けた様な忠告を残す。


「他人に見られると色々厄介だからな。」


「誰かさんが派手に暴れちゃったからね。」


「それはお互い様だろう。」


「ふん、大人気ない人。」


 鼻を鳴らし、ワカバは憤慨する。


「それじゃあ私達はもう行くね。

 それとこっちも序でを返すけど、ちゃんと消防署には伝えておいてよ。このままじゃこの辺りが火事になっちゃうから。」


「お前がそれを言うのか、楸よ。」


 心の底から呆れた様な溜め息が上がってくる。


「それぐらい良いじゃない。勝ったのは私達なんだから。」


 本当にこういったところはぶれないな、と感心する。


「・・・まあ良いだろう。勝ったのはお前達だ。それぐらいのサービスはするとしよう。

 もう既に、誰かが通報しているかもしれんがな。」


 そう言い残して、炎の中にある気配は遠ざかり、小さくなっていく。

 今度こそ、闘いは幕を閉じた。

 辛勝も辛勝。だが寧ろ、あれだけの魔術師を相手取り、無事生き残れただけでも大健闘だった。


「それじゃあ帰ろうか、ハイジちゃん、レオン君。」


 そして私達も早々に撤退する。

 大川の言う通り、人に見られて困るのは私達も同様なのだから。


    ※


 あの路地裏から撤退した私達は、脇目も振らずに寮へと戻った。

 とは言え、寮に着いた頃には門限は既に過ぎてしまっており、入り口で待ち構えていた寮母に3人纏めてたっぷりと絞られる羽目になってしまった。

 当然ではあるが、特に全身ズタボロの私への追求が凄まじく、半刻が経過した後に3人で魔術の実戦練習という事でようやく納得してくれて、説教は終わった。


「相変わらず、抜け目の無い。」


 解放された私達は、這々《ほうほう》の体で自室へ戻る。


「アハハ・・・、深夜はいつもこうだから。

 こういう事に関しては昔から要領が良いの。」


「実に彼らしいですね。」


 レオンとワカバはどこか感心したような、それであて呆れるような苦笑を浮かべる。

 私達が部屋に戻った時、ステラとシンヤの姿がなかった。

 聞けば、今日はシンヤの家庭の都合で実家に帰る、という旨の外泊届が2通提出されていたとのことだった。


「真偽は疑わしいがな。」


 放課後、ステラはシンヤと遊びに行くと、はっきり言っていた。

 そんな運良く家の事情が重なるとは考え難い。


「まあ、今更とやかく言っても仕方ない、か・・・。」


 もう既に外泊の承認は下りているのだから、今更どうこう疑ったところで意味は無い。

 やがてこの話題も終わりを迎え、しばしの沈黙が流れる。そして、


「・・・今日は本当に済まなかった。」


 ワカバとレオンに深く頭を下げる。


「私のせいで二人を厄介事に巻き込んでしまった。」


 失態を謝罪するならば、今この時を逃して他には無かった。


「うん、まあ、そうだよね。

 あの路地でも言ったけど、迂闊過ぎだったなって思うよ。」


「・・・。」


「物部さんを思っての行動だってのは、私もレオン君も勿論分かってる。それに、私達を巻き込まないように一人で行ったんだってことも。

 でも、それでどうだったかな?」


「返す言葉も無い。」


 巻き込むまいと決めた二人を結局は巻き込んでしまった挙句に、更にはあの男の関心を私からワカバへと移してしまった。


「まあ、あの人に目を付けられたのは別に良いんだけどね。それを承知の上で対峙したんだから。でもさ・・・、やっぱり私に、私達に言相談してほしかったな。」


 口調こそ優しいが、ワカバの言葉に込められた感情は怒りであり、


「だって私達はもう友達で、仲間になったんだからさ。

 それなのに、たった独りでどこかに行かれるのは、何か・・・、嫌だな。」


 そしてそれ以上に強い悲しみだった。

 ワカバが感情の赴くままに私を罵倒し、怒鳴り散らしてくれれば、幾分かは気が楽なったのかもしれない。

 だがワカバはそんな甘えを許しはしなかった。

 あくまで冷静に諭すような優しい言葉で訴えかけるからこそ、より一層鋭い楔となって私の心の奥深くまで突き刺さる。


「ワカバ・・・、それにレオンも。今日は本当に済まなかった。

 もう二度と、今日のような軽率な行動は起こさないと誓うよ。」


 穿たれた楔を引き抜く術は一つ。


「本当に?」


「ああ、血と名誉に懸けて。」


 それは簡単なことで、これまで私がやろうとしなかったこと。


「次は必ず、仲間に相談する。」


 それは誰かを頼る。ただそれだけの事。

 二度と独りで先走らぬように。


「うん・・・、わかった。ハイジちゃんのこと、信じるね。」


 その言葉と共に浮かべたワカバの笑顔に懐かしさを感じる。

 数時間程度しかたっていない筈なのだが、まるで長い間、その混じり気の無い純粋な喜びに満ちた笑みを見ていなかったかのような感覚だ。


「レオン君は、ハイジちゃんに何か言いたいことは有る?」


「いいえ、大丈夫ですよ。僕が言いたかったことは全てワカバさんが言ってくれたので。」


「というわけで、よかったね、ハイジちゃん。」


 と言って、私へ向き直ったワカバは既にいつもの調子を取り戻していた。


「あ、でも、まだ私は完全にハイジちゃんのことを許したわけじゃないからね。

 私のお願いを聞いてくれたら、今度こそちゃんと許してあげる。」


 そう言って、ピンッ、とワカバは二本の指を立てる。


「一つは暫くの間、私を守ってほしいの。」


「今日の大川の件だな。」


「うん・・・。なんだかんだ言っても、やっぱり怖いからさ。

 だから少しの間、私の騎士になってちょうだい。」


「騎士はともかく、ワカバの護衛を務めることは快く引き受けよう。」


 元々が私の蒔いた種なのだから、その後始末を付けるのは私の当然の責任だ。

 頼まれる迄も無く、そのくらいのことはするつもりだ。


「やった、ありがとう。

 それともう一つは、深夜と仲直りをすること。」


「・・・善処しよう。」


 若干顔が引き攣りかけたが、どうにか表情に出さずに済んだ・・・、と思う。


「すぐにでなくてもいい。ハイジちゃんの気持ちの整理がついてからで良いから。

 ただ仲直りだけはしてほしいの。私にとってハイジちゃんが大切な仲間であるのと同じくらい、深夜のことも大事な仲間だって思ってるから。

 だからお願い、ハイジちゃん。」


 何ともずるい言い方だ。

 そんな声を聞かされて、そんな表情を見せられたら、断ることなど出来る訳がないではないか。

 だが決して不快ではない。

 それはワカバが、私のことを思って言ってくれているのだと心の底から理解出来るからだ


「わかった。直ぐには難しいが、近いうちに必ずヤツ言葉を交わすと約束しよう。」


「ありがとう、ハイジちゃん。」


「礼を言わなければならないのは私の方だ。」


「それでも、だよ。ありがとね。」


 そうして今日という日は終わりを迎える。長く、怒涛の連続だった一日が。

 とは言え、未だ問題も多く残っている。

 その一つが、シンヤとの和解。

 これもまた、いずれ付けなければならないけじめなのだ。

 ワカバや皆の為にも。

 そして私自身の為にも。

 それに何となくだが、上手くやれる、と。そんな予感がある。これは別にシンヤとの和解に限ったことではなく、これより先のことも含めて。

 余りにも楽観が過ぎるという自覚はある。

 だがそれでもワカバとレオンの二人の顔を見ると、こんな私でもきっと出来る、という勇気が湧いてくるのだ。

 だからこそどうしても、


「ありがとう、ワカバ、レオン。

 今日は本当に、二人に救われたよ。」


 その思いを言葉にして、彼らに伝えたかった。

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