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帝国激動 ~Tales of the Crumbling Empire City~  作者: 十条クイナ
第1章 黎明
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第1章の36 灰塵

「なるほど。力押しで何とかなるだろう、というのはいささおごりが過ぎたか。」


 吹き荒れる暴風の中から、悠然ゆうぜんと歩み出てくる大川。


「済まんな、少々君の事をあなどっていたよ。」


 服の至る箇所が土埃つちぼこりで汚れてはいるが、逆に燃痕しょうこんたぐいは不自然なまでに一切見当たらず、


「ならば趣向しゅこうを変えるとしよう。」


 即ちそれが指し示す事実は、ヤツは私の炎を完璧に防ぎ切ったという事に他ならなかった。


「君も望む所であろう、魔術師同士の魔術戦だ。」


strum(シュトゥルム) Falken(ファルケン)!(狂乱の大鷲おおわし!)」


 即座に身体中の魔力を総動員して魔術を練り上げ、数十の炎を空中に展開させる。

 ヤツが動く前に、先手を仕掛ける。

 私の渾身の炎の魔術ですら、大川の風の前ではまるで意味を成さなかった。

 単純な力押しでは、ヤツを斃すことは出来ない。ならば次に打つべき手は、手数での勝負。

 空中に出現した炎の塊は形を変え、数十体の炎の鳥へと生まれ変わる。


紅蓮ぐれんわしか。中々に優美な魔術だ。」


Feuer(フォイア)!(翔け抜けろ!)」


 私の合図と共に、炎の鳥達は一斉に金切かなきごえを上げて飛び立ち、大川を包囲するように空中を旋回する。

 そしてその次の瞬間には、前後左右、全方位から鳥達は急降下する。

 たださえ逃げ場の少ない路地の、その僅かな隙間すらも潰すように、あらゆる角度から襲い掛かって行った。


بوبهلا(アル ハブーブ)(滅びの風)。」


 しかし大川がそう囁くと共に、再び風が吹き荒れる。

 その周囲を取り囲む様に生じたそれは、さながら風の結界だった。

 吹き荒れる突風は、さながら触手のように鳥達の翼をからり、次々とその身体を千切ちぎっていく。

 あるいは、辛くも風をくぐり、消滅をまぬがれた鳥達が再度突撃を仕掛けていくも、今度はその強烈な風の障壁に遮られ、突破出来ずにいた。

 そうしてはばまれ、らされ。

 何十体と生み出した炎の鷲は、ついぞ只の一羽すらも一矢いっしむくいる事もかなわずに、そのことごとくが無残に散っていった。


「さて、次は何を見せてくれる?

 まさかこれでしまいという訳でもあるまい。」


 この惨状を前にして、ひりつく様なかわきと焦燥感が、喉の奥からがって来る。

 ある程度の力の差は分かっていたつもりだったが、だがそれすらもまだ認識不足だった。

 余りにも歴然れきぜんたる実力差。

 体術や身体能力にモノを言わせた接近戦ならば、恐らくまだ私にも多少のがあったのだろう。

 だがその僅かばかりの私のを遥かに置き去りにする程に、彼我ひがの魔術の力量には圧倒的な開きが存在していた。

 大川もそれをわきまえていたからこそ、魔術の撃ち合いを挑んで来た。


「精々、懸命に悩んでくれ給え。」


 いや、敢えて言うならば、一度ヤツを退しりぞける事が出来た時点だろうか。その瞬間こそが、この場を離脱するべき時であり、最大の好機でもあった。

 しかしなまじ対等に戦えてしまったがばかりに優勢を錯覚し、その機を見誤った。

 今思えば、それも大川の手の内だったのだろう。

 それと気付かずに魔術戦に応じた私は、まんまとてのひらの上で踊らされ、そして唯一の光明こうみょうすらもむざむざ己の手でつぶしてしまった。

 何という愚昧ぐまいか。

 己の浅はかさに、思わず歯を噛みしめる。


「それでこそ私も、試してやっている甲斐があると言うものだ。」


「ほざくな。」


 いいや違う。弱気になるな。

 あの時は、あれが最善だった筈だ。

 何と言おうとも、所詮しょせん結果論でしかない。そして出てしまった結果は、今更いまさらくつがえすことなど出来はしない。

 ならば今すべきことは、今の最善を選ぶことだ。機を再び見つけるか、作り出してしまえば良いだけのこと。

 くじけかけた己を叱咤しったし、思考を切り替える。

 ずすべきは、状況の整理。

 ヤツとまともに魔術でやり合ったところで、私の勝ち目は皆無かいむ

 ならば捨て身でヤツに肉薄にくはくし、強引に接近戦に持ち込むか。それが現状で大川を打倒し得る唯一の道ではある。

 だが問題はあの風の結界をどうするか。

 生身であの暴風に飛び込むのは自殺行為でしかない。とは言え、あれの暴威を抑え込むとなると、それこそ魔術での戦いを挑む羽目になる。

 と、そこまで考えて、遠距離戦、近接戦のいずれもが、現実的ではないとさとる。

 どちらにしろ無理を通さなければならないのであれば、たおすという選択は初めから捨てるしかない。

 そして選ぶべきは第三の選択肢、撤退戦。様々頭を巡らそうとも結局のところは、これに集束しゅうそくした。

 如何いかにヤツの攻撃を掻い潜りながら、逃走に専念できるよう立ち回るか。

 思う所が無い筈がない。

 だが今の私がれる最善は、これしか残されていなかった。

 背に腹は代えられない。


「ああそうだ。だからと言って、逐電ちくでんみとめぬよ。」


 だがしかし、まるでそんな私の思考を大川は嘲笑あざわらうかのように、私の後方に暴風の障壁を生じさせた。


「鬼ごっこに付き合える程、体力に自信はないのでな。」


 私の炎のことごくをさえぎり、破壊はかいくした強力な風の結界が、退路を完全に遮断する。

 この瞬間、逃走という選択肢はついえた。


「・・・そんな真似をせずとも、逃げ出したりなどするものか。」


「これは失敬。てっきり、尻尾を巻いて逃げ出す算段でも立てていたのかと思っていたよ。」


 取れる道は残り二つ。

 そのどちらもが地獄を見ることは明白。

 ならば、と。真っ直ぐに大川を見据みすえ、にらみつける。


「真っ向勝負か。もう少し工夫して来るだろうと期待していたのだがな。」


 涼しげな顔で私の視線を正面から受け止める大川の放つ言葉には、あからさまに落胆らくたんこもっていた。

 とは言え、今更怒りも湧かない。

 何より無謀であることは、私が一番理解している。

 だからこそ、ならば、と。寧ろ戦う覚悟が一層固まった。


窮鼠きゅうそねこむ、か。

 だが噛んで、どうする。その後の鼠がどうなったかなど考える迄も無いだろう。

 結局、猫に喰われて終わる、という結果に変わりは無い。」


 あわれむなら、好きに憐れむが良い。

 言いたければ、存分に言えば良い。

 だがな。


「そんなもの・・・、やって見なければ分からないッ!」


 叫ぶと同時に、炎の魔術を放つ。

 例えヤツの言った通りの結果になろうとも。無駄な悪足掻きになろうとも。

 それでもせめて、奴に牙の一本でも突き立て、一矢報いてから散ってやる。


「愚かな。」


「そんな事は、始めから百も承知だッ!」


 路地埋め尽くす巨大な炎の塊が目前に迫っても猶、大川は動じることもなく、首を横に振って只々(ただただ)憐憫(れんびん)の眼差しを私に向ける。

 そして再びその周囲に吹き荒れた暴風の結界は、押し寄せる炎の侵攻を完全に遮っていた。


「だから、どうした。」


 そうなる事は、先の攻防で既に分かっている。

 だがそれでも構わずに、更に一層、己の魔力を炎へと流し込んでいく。  


「クッ・・・。」


 視界がかすみ、嫌な汗がひたいつたすべる。

 魔力か、体力か、或いはもっと根源的とでも言うべき生命力か。それが私の手の先から流れ出し、炎に吸われていくのがじかに分かる。

 正にそれは機関だった。魔力や生命力といった燃料で駆動くどうする巨大な熱機関。それが私から供給される燃料によって、風の結界は突破できずとも、更に激しく大きく燃え上がり続ける。

 故に決して、魔力を注ぎ込む手をゆるめる訳にはいかなかった。

 そうしていれば少なくとも大川は、結界の維持と強化の為にその場から動くことは出来なくなるのだから。

 力と力のぶつかり合い。

 私が熱機関ならば、さながら向こうは爆風を撒き散らす風力機関だった。

 炎へ、風へ、互いに己の魔力を投入する。

 そしてある瞬間、


「・・・、ふん。」


 その時をさかいに突如、大川は更に強く風に魔力を注ぎ込み出した。

 その顔からは、先の見下す様な表情は消えていた。即ちそれは、ヤツが本気でこの勝負に乗ってきた証。

 だがそれは、炎を弾き返さんとする風の力が、更に強力になることも意味した。

 当然私も、それに合わせ更に大量の魔力を注ぎ込まなければならない。

 互いに己の身体の中にある力の全てを絞り出し、ぶつけ合い続ける。

 それに呼応するように、炎と風はより一層激しく互いを喰い合い、削り合って行く。

 だが私の限界はもうすぐそこまで来ていた。

 力を注ぎ続けている腕の感覚は、既に無くなっていた。

 出血しているのか、骨が折れているのか、或いは、自らの炎で焼けてしまっているのか。それすらも分からない。

 視界は明滅し最早もはや何も見えない。呼吸は乱れ切り、平衡感覚もさだかではない。

 何故なぜいまだに立っていられるのか、自分でも分からない。

 だがそれでも、まだ倒れる訳にはいかない事だけは本能的に理解していた。


「クゥッ・・・ウゥ、アアアアァァァーーーッ!!」


 喉が潰れる程に叫び、今にも崩れ落ちそうな身体を無理やりにでも鼓舞こぶし支える。


「ま、だ・・・、だ。まだ・・・、いけ、るッ!」


 今更助かろうなどと考えるな。

 ヤツとの戦いを決意し、死すらも覚悟したのならば、生き残ろうなどという甘い希望は捨てろ。

 命をして、炎を燃やせ。

 微かに残った思考で、何度も己にそう言い聞かせる。

 魔力も。命も。私の中にある何もかもを。

 全てを炎に変え、燃やし続けて。

 そして、遂にその瞬間が来た。

 激しいせめいのてに、巨大に成長した猛火もうか暴風ぼうふうの双方に、ほつれが生じた。

 それは正に奇跡に等しかった。あの大川の魔術を、初めて真っ向から私の魔術で対抗出来た瞬間だった。

 そのほんの僅かの空白の間。無意識か、或いは反射か。

 わずかに残されていた体力の全てを一気に投じられた私の身体は、考えるよりも前に飛び出し、最短距離を突き進む。

 例え目が見えずとも、ヤツの強大な気配を紛う筈も無い。

 炎に身体を焼かれながらも、その猛火のほつれの中を駆け抜け、風に全身を鋭く切り刻まれなぶられながらも、暴風の裂け目を突破する。

そしてその向こう側。


「ウアアアァァァァーッ!!」


 風の結界を越えた先にいる大川を目掛けて、捨て身の突進を仕掛ける。

 全身全霊をもって肉薄にくはくする私を目前にして、この瞬間、大川の発する気配からはそれまでの余裕が完全に消え去っていた。

 直後、全身を揺さぶる激突の衝撃と、もつれ地面を転がる痛み。そして私の手が何かを掴んだ感触が伝わった。

 どうやらまだ私の腕は無事に付いていたらしい、と。

 痛みも感覚もその存在感すらも、殆ど失われていたが微かに、だが確かに私の手が感じ取った触覚に、安堵を覚える。

 やがて、徐々に視力が回復しつつある視界の中に朧げに浮かび上がったのは、火傷やけど裂傷れっしょうでボロボロになった己の腕と。

 その腕が決して放すまいと握り締め、地面に組み敷いたモノ。

 それは紛れも無く、


「見事。」


 大川その人だった。

 遂に、遂に私は、この男のもとまで到達することに成功した。


「少々冷やりとしたが、さてここからどうする?

 接近戦に持ち込めたは良い。だが君の身体は既に満身創痍まんしんそうい。」


 加えて体力、魔力共にほぼ底を尽きかけている。


「これでは折角の君の捨て身の突貫とっかんも、全て徒労とろうしてしまう訳だが・・・、」


 そう言って大川は、組み付かれた腕を引き剥がすべく身体を動かそうとした。

 その時、


「な、に・・・?」


 そこでようやく、ヤツは気付いた。

 身体の自由が、かなくなっていることに。そしてその身体に絡み付く黒い影の存在に。


「”Das(ダス) Schwalze(シュヴァルツェ) Versk(フェアスク)laven(ラーフェン), Nac(ナハ)htzehrer(ツェーラー).(操影鬼の影縫い。)”」


 この男ならば、私がどれだけ巧妙に隠そうとも不自然に動く影を見逃す訳がない。

 まともに影を動かしたところで、まず何らかの手段で防がれるか、躱されるかしただろう。


「影か。成る、程・・・、隠し玉は、まだあった・・・、ということか。

 これは、一本取ら、れた、ね・・・。」


 だがこうして初めから抑え込んでしまっていれば、例え気付いていようとも防御も回避もしようが無い。 

「漸く、漸くだ。

ようやく貴様を捕まえたぞ。」


 そして一度捕らえてしまえば、後はこっちのものだった。 

 

「確かに、今の私は満身創痍だ。

 加え、体力、魔力共にほぼ空に近い。」


 ほんの少しでも気を抜けば即座に倒れてしまいそうな程に、私の限界は迫っている。


「だが、それがどうした。」


しかしそれも、今となっては大した問題ではない。


「足りなければ、補給すれば良いだけの事。」


 そしてその補充先は、今私の目の前にいる。

 こと他者からの簒奪さんだつにおいて、吸血鬼ヴァンピールの右に出る生物は存在しない。


「ぐ、おおおぉぉぉーッ!?」


 腕に力を込めた瞬間、大川がうめき声を上げる。

 首筋と腕を押さえ付ける私のてのひらの底があわく光ると共に、心地良い熱に包まれる。

 強引に吸い取った体力や魔力、生命力が掌からい上がり、腕の中を通り抜け、そして私の身体の中へと流れ込んでくる。

 それにともなって、今までの激痛も疲労感も薄らぎ、今にも途絶えそうな程に危うい状態だった意識も、徐々に鮮明さを取り戻す。


「血が最も効率の良い手段というだけで、別に必ずしも血を吸わなければならない訳ではない。」


 血は生命の象徴であり、そして魔術的にも深い繋がりがある為、吸血が最善のエネルギー供給手段であることに疑いの余地は無いが、それでもあくまで最善の方法というだけに過ぎない。

 別に相手に触れる事でも、その人間の力を吸い取る事は出来る。


「それに、吸血鬼にも好みがあるんだよ。

 血なら何でも見境無くむさぼる訳ではない。」


「ぐ、があ・・・。」


 影に囚われ、私に抑え込まれ、それでも猶、いましめを破ろうと抵抗を続ける大川。

 だがそれでも腕に伝わる感覚から、次第にその力がおとろえていくのが分かる。

 私の中に力が満ちて行くのと反比例するように、大川の抵抗力は次第にがれ落ちて行った。


「そう楽に逝けると思うなよ。

吸血などという、生温い慈悲は与えん。」


その程度で、私の溜飲が下がる筈も無い。


「貴様の生命力だけを奪い取り、じっくりと吸い殺してやる。」


これまでの恨みと、ありったけの侮蔑ぶべつを込め、眼下でもがき苦しむ男を睨み付ける。


「じわじわと枯れ落ちてゆけ。

 せいぜい己の身体が渇き、しぼんでいく恐怖を存分に味わう事だな。」


とは言え、本当に命まで奪う気は無い。

今更この男への慈悲や、殺す事への忌避感きみかんなど微塵も感じたりはしない。だが所詮今私が締め上げているのは操り人形。

大川本人ではない。

そこまでする必要も価値も無い。

 それに最早、勝負の行方は見え、後は時間の問題だ。

 乾涸ひからび、枯れ果てるのを、ゆっくりと座して待つだけで良い。


「私の勝ちだ。」


 故に、渇死のギリギリ手前で留めてやるとしよう。

 死にはしないが、それでも数日の間、この男は動く事も儘ならなくなるだろう。

 今はそれで十分だった。

 やがてその時は訪れる。

 ガクリ、と。最後に多少大きな抵抗を見せた直後、腕に掛かっていた力がふと消失する。

 まるで糸が切れた人形のように、大川はぴくりとも動かなくなったのだ。

 この瞬間、勝負は決した。

 そして、


「見事。」


 何の前触れも無く、突如背後から贈られた賛辞。

 同時に、強烈な衝撃と焼け付くような激痛が私の身体を貫いた。


「ガハッ!」


 あの瞬間、勝負は確かに決していた。間違い無くその筈だった。

 なのに、なのにどうして。

 答えも出ぬままに、激痛に悶え苦しみながら地面の上を転がる。

 思わず手を離してしまったヤツの身体も。否、()()()()()()()()()()()()も、ドサリと音を立てて地面の上へと落ちる。


「窮鼠猫を噛むどころの話ではなかったな。危うく、そのまま噛み殺されるところだったよ。

 実に見事だ、お嬢さん。この戦い、疑いの余地無く君の勝ちだ。」


 私が今まで戦っていた男とは、全く違う別人の声質。

 だがその口調はまるで変わることの無い、大川当人のものだった。

 そこから導き出される答えは一つ。 


「乗り、換えた・・・のか?」


 傀儡の対象の変更。

 

「御名答。だからと言って、このままむざむざ彼を殺させる訳にもいかぬのでな。卑怯は承知で横槍を入れさせてもらったよ。

 まあ、勝負に負けて試合に勝った、というところか。」


 痛む身体をよじりながら、何とか声の主を視界に収める。

 そこにいたのは一人の男。

 私が倒され、気を失って地面で伸びていた男達の内の一人だった。

 その立ち上がった男は・・・、いや大川は、倒れている男のもとへ行き、何らかの処置を施す。

 やがてその処置が終わると、その男を抱え上げて路地の隅へと運んだ。


「さて、取り敢えずこれで一命は取り留めたのだが、中々に君も容赦が無いな。

 あのまま吸われ続けていたら、確実に彼は死んでいたのだから。」


 そして運び終えた大川は、再び私の方へ歩み寄って来る。


「私を、どう・・・する、気だ。」


 気力を振り絞って何とか立ち上がるも、先の不意打ちの痛みは未だに身体を蝕んでいる。

 痛みで膝に力が入らず、立っているものやっとと言った有り様だった。


「さーて、どうしたものかな。

 君の勝利に敬意を表して、敗走するのもやぶさかではない。しかしだからと言って、そこに横たわる彼の雪辱を果たさずにおめおめ逃げ帰るのも如何いかがなものかと、思わないでもない。」


 考え悩む様な仕草を見せる大川。


「そこで、だ。」


 しかしその実、その腹の内では既に結論は出ていた。


「改めて私が君に雪辱戦を挑もうじゃないか。」


「ふざけたことを。」


「ふざけてなどいないさ。

 それに君は、私かアレをどうにかしなければ、結局ここから抜け出せない事に変わりは無い。」


 そう言って大川は、今も猶激しく渦巻く暴風の障壁を指し示す。


「否応は無い筈だ。」


 それは余りにも無理筋な戦い。

 既に手の内は出し尽くし、加えて奪い取ったとは言えど体力、魔力共に万全とは言い難い。

 しかし逆にヤツはまだ余力を残している。加え、体力や魔力についても、別人に乗り移ったが為に万全に近い状態だ。

 まるで勝てる見込みが無い。

 いや、そもそもとして勝負になるのかすらも怪しい。

 だがそれでもヤツの言う通り、私に選択の余地は無い。


「安心したまえ。

 先の勝利をたたえ、君の命までは取りはせぬよ。」


 しかしそんな私にまるで気を留める素振りを見せることなく、大川の周囲に風が集まり始める。

 それは大川が、既に臨戦態勢へと入っていることを意味した。


「それが唯一の活路である君は、是が非でも私の命を取りに来るだろうが、生憎私の方はそこまでする意味も必要も無い。

 寧ろ損失と言っても過言ではないからな。」


「それは観察対象として、という意味か。」


 返答は無い。

 だがそれが何よりの答えだった。


「クソ野郎が。」


「軽蔑してもらって結構。

 己が外道であるという自覚は十分にある。」


 最早()わすべき言葉はきた。

 そしてこれからまじわるのは、互いの暴力。

 魔力を練り上げ、炎を生み出し、私も戦いの準備を整える。

 これから始まるのは、勝ち目の無い戦い。或いは、勝負にすらならない一方的な蹂躙じゅうりんか。

 だがそれでも、戦いの火蓋は否応無く切って落とされようとしている。

 であれば、やることは変わらない。

 元々捨てる筈だったこの命。

 先は何らかの奇跡で捨て損なった命を、今改めて捨て直すだけの事。


「・・・いくぞ。」


 再び死地へ、ヤツの懐へ飛び込むべく力を溜める。

 そして一気に地を蹴り、駆け抜けようとした。その刹那、


「ちょーっと、待ったーッ!」


 突如、後ろから聞こえた何とも間の抜けた声に制止される。

 一体何事かと、声のした方へ振り向いたその次の瞬間、風の結界に一筋の裂け目が走った。


「ほう。」


 私の炎では突破出来なかった結界に。

 本来実体の無い筈の風に、生じた裂け目。

 この異常事態に、大川は感心したように眉を動かす。

 そこへ更にもう一筋の裂け目が刻まれると、核を失ったかのように風の結界は成す術も無く霧散していった。


「話は聞かせてもらったよ。」


 聞き間違う筈も無い、その場違いなまでに底抜けに明るい声。


「何やってんのよ、ハイジちゃん。

 そんなボロボロの身体でどうにかなる訳無いじゃん。」


 呆れたような顔を浮かべてその声の主、ワカバは暴風の消え去った路地をゆっくりと歩いてくる。


「こう言ったらハイジちゃんは怒るかもしれないけど、何だかんだ言って深夜と似てるよね。

 以外と熱くなりやすいところとか、危なっかしいところとか、後先考えないところとかさ。」


 そしてワカバは私の横に立つ。

 本来ならば、そんな必要は全く無いにもかかわらず。

 私の我儘が招いた、私が一人で片付けなければならない事にもかかわらず。


「まあ・・・、だから私も、ハイジちゃんのことが好きになったんだけどね。

 何かと世話の焼ける弟や妹みたいでさ。」


 ワカバは対峙する。

 まるで共にあの男と戦おうとするかのように、私の隣に並び立っていた。

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