第1章の34 混迷
◇1
「初めまして。私は御茶ノ水で探偵業を営んでおります、明智小五郎と申します。」
先生の言葉に、病室にいた2人は各々《おのおの》反応を見せる。
幼い少女の霧江は、突然の見知らぬ来訪者に怯えたような表情になり、彼女の父親である新宮氏は、驚いたような様子を見せた。
「新宮耕太郎と申します。
予てよりご噂は伺っておりますが、まさか先生のようなご高名な方がいらっしゃってくださるとは。」
「それ程でもありませんよ。
世間でどの様に噂をされようとも、所詮私は非才の身。これまでは、運良く事件を解決することが出来ただけに過ぎないのですから。」
先生と新宮氏は互いに挨拶を交わす。
そうして二人は、当たり障りのない世間話を交え、言葉を重ねていった末に、
「霧江さんが目を覚まされたばかりで、この様な事をお願いするのは心苦しいのですが。」
「とんでも御座いません。私どももこの事件が一刻も早く解決する事を、そして妻の無念を晴らせる事を願っておりますので。
私共の方こそ、力の限り協力させて戴く所存であります。」
と、先生は、いよいよ本題へと切り込んで行った。
「あれは、数週間程前の事でした。」
ゆっくりと思い出す様に、新宮氏は語り始める。
その日、彼は仕事の都合で帰宅時間が、いつもより大幅に遅れてしまった。
ようやく職場を出た頃には22時はとうに過ぎてしまっており、そこから帰宅に要する時間を考慮すれば更に遅くなるとのことだった。
「私が自宅に着いた時には、23時を超えておりました。」
新宮氏の奥さんと霧江ちゃんは、とっくに眠ってしまったのだろうと申し訳無く思いながら、家の中に入るべく玄関の扉に手を触れ、そして彼はそこで違和感を感じた。
「戸の鍵が、掛かっていなかったんです。」
差し込んだ鍵を回しても手応えを感じない。
変だと思った彼はそのままドアノブを握って回してみると、それは何の抵抗も無く回り、扉が開いた。
「妻には私の帰りが遅くなった時は、戸の施錠をするよう言っておりました。ここ数ヶ月前から物騒な事件が続いていたので。」
彼の妻もその言付けを守り、彼が遅くなる日は戸締りを徹底していたらしい。
故にその日、鍵が掛けられていたかった事を彼は不審に思うと同時に、言い知れぬ不安が頭の中を過った。
彼は恐る恐る廊下を進み、居間を目指す。
そして居間へ至る扉を開け、彼の目に飛び込んで来たのがソレだった。
「バラバラに切り裂かれた妻と、血の海に沈む霧江の姿でした。」
当時の状況を懸命に伝えようとする新宮氏。
その肩は震え、顔も蒼白になっていた。
「ソレを見た瞬間、眩暈がしました。これは夢なんじゃないかと。
夢であってくれと、何度も願いました。」
だがそれは、彼の目の前に広がっていた惨状は、紛れも無い現実だった。
唯一の救い、と言って良いのかは分からないが、幸いなことに彼の娘の霧江ちゃんの命は無事だった。
即座に霧江ちゃんを抱え上げてその場を離れ、病院まで運び込み、そしてそのまま近くの警察署まで駆け込んだ、と。
これが、新宮氏が語った事件のあらましだった。
「・・・心中をお察しします。」
「これは、お恥ずかしいところを見せていまいました。」
先生の慰めの言葉に、新宮氏は笑顔を作ろうと努め、目尻を拭う。
それが酷く、痛ましくてならなかった。
「お父さん・・・。」
そんな気丈に振る舞おうとする父の袖を、霧江ちゃんはぎゅっと握る。
そしてこの事件において、唯一犯人の姿を見た少女が訴え掛ける。
「おじさん、おねがいしますッ!
ぜったいにあの子を捕まえてください。」
幼い子供の必死の叫びが、胸に痛い程に突き刺さる。
だが、その言葉にふと違和感を感じた。
子、と。この少女は言った。それは何かの喩えなのだろうか。
或いは、と。
考えを巡らそうとしたその瞬間、
「白い女の子だったの。」
心臓を鷲掴みされたような感覚が身体中を駆け巡り、背中から嫌な汗が噴き出す。
巡らそうとした思考が、突然の衝撃によって全くの収拾が付かなくなった。
だが平静を取り戻そうとする間も与えられること無く、少女の口から、更なる現実を告げられることとなった。
「白くて長いかみに、まっ白いふくをきた、女の子だったのッ!」
※
その後、僕達は病室を後にした。
退室の際に、明智先生と斎藤院長が何かを話していたらしかったが、全く頭の中に入って来なかった。
最早僕は、それどころでは無いかった。それどころではない位に、狼狽していた。
霧江ちゃんの言葉が、僕の脳を揺さぶった。
何故ここであの人が出てくるのか。
それも正に、この事件の当事者として、だ。
正直あの瞬間、あの室内で、己の動揺が顔に出なかったのが、奇跡に近かった。
まだあの子が犯人だと確定した訳では無い。だがそんなものは、何の気休めにもなりはしない。
白い髪の女の子。
そんな特徴のある風貌の人間など、例え広大な帝都と言えど、おそらく片手で足りる程だろう。
そして僕ですら、即座に思い至るぐらいだ。
ならば明智先生と江戸川が、到達しない筈が無い。
ならば、僕はどうすれば良い?
分からない。
何をしなければならない?
分からない。
まるで分からない。
「浮かない顔だね、芳雄君。」
そう言って僕の顔を覗き込む江戸川。
こういう時、常に真っ先に声を掛けてくるのは江戸川だった。
人間の感情の機微に対する、異常な程の聡さ。
それこそ、この点に関しては、江戸川は明智先生すらも遥かに凌駕していた。
「・・・別に、僕はいつも通りですよ。」
「なるほど、なるほど、ね。
フフ・・・、君がそう言うのならそうなのだろうね。」
含みの言い方だ。
「それはそうと、彼女にとってはとんだとばっちりだね。それとも或いは、然るべき因果なのか。
まあ何れにせよ、あの少女の窮地であることに変わりは無いがね。」
ドクン、と。
心臓の鼓動が、一際強く脈打つ。
「この後僕らはこのままこの足で警察へと赴き、そこで今日聞いた情報を彼らに提供する予定になっている訳だが。」
明智先生と彼ら警察は、互いに入手した情報を共有し合い、協力して事件の捜査に当たる、と。
そういう協定を彼らと交わしていた。
「さて、すると一体どうなる?」
そして江戸川が言わんとするのはその先だ。
警察が今日僕らの聞いた情報を知ったらどうするか。核心に迫る視覚的情報を彼らはどう使うか。
そんなのは考えるまでも無い。
「今日あの少女が語った内容は、明日の朝刊の第一紙面で、帝都中に流布されるだろうね。」
警察は、新聞や雑誌などのあらゆるメディアにこの情報を開示し、帝都中に伝播させる。
そうすることで、住民に自衛手段を与えると同時に、更なる情報提供を促すよう仕向ける。
「そうなれば後は、ほぼ時間の問題。
導火線に火が点けられた様なものだからね。」
そうなってしまえば後は、日を追うごとに彼女の。
千春さんの置かれた状況は、厳しいものとなっていくだけだ。
「葛藤に浸るのも良いが、決断はなるべく早い方が良い。」
背任か、裏切りか。
「時はいつまでも君を待ったりしないよ。或いは、成り行きに委ね、成るが儘を受け入れるか。それもまた一つの選択だ。
健闘を祈るよ、芳雄君。
君の望む儘に、望む事を成すと良い。君や、君の愛しのあの少女の為にもね。」
そしてこの僕を楽しませる為に、と。
江戸川は嗤っていた。
◇5
北先生が探索を始めて、およそ半刻が過ぎた頃だろうか。
その時は突然訪れた。
「見つけたぞ。」
ぽつりと端的に呟いた、一言。
「本当ですかッ!?」
北先生の言葉に思わず声を張り上げる。
数時間の待機を覚悟していたのだが、これ程早く進展を迎えた事に驚きと喜びを隠せなかった。
「運が良いな。ある程度は範囲が絞られているとは言え、こんなに早く見つかるとはな。
ただ・・・、」
そう前置きをする北先生。
向こうで、何か問題でも起こったのだろうか。
「向こうも向こうで少々立て込んでいるらしいな。見てみろよ、中々面白そうなことになっているぞ。」
「はあ・・・、と言われましても。」
今見えているのは、目の前の愉快そうな北先生の姿だけだ。
閉じた瞼の向こう側に、彼好みの展開が見えているらしい、と言うのは分かる。
だが、その状況が見えてるのは彼だけで、言葉で説明されるだけでは、私には一体何がどうなっているのか、まるで分からない。
「そう言えばそうだったな。
ふむ・・・、少し待っていろ。」
そう言って北先生は目を開くと、そのまま立ち上がって部屋にあった押入れへと向かった。
そこで先生は、ガサゴソと押入れの中を弄ること数十秒。
「ああ、ここにあったか。」
そうして再び戻って来た先生の手に握られていたのは、やたらと年季の入った一枚の鏡だった。しかしその骨董品めいた見た目に反して、鏡面だけは瑕や汚れといったものは無く、驚くほど透き通っていた。
「先生、この鏡は一体?」
先生が態々取り出してくる代物だ。
只の鏡でないことぐらいは判る。
「これは雲外鏡だったモノだ。」
そう言って彼は、その鏡を私の前に置く。
「だったもの?」
「そうだ。雲外鏡は知っておるか?」
「確か、鏡の妖怪だったと記憶しています。」
付喪神の一種。
古く歳経た鏡が妖怪化したもの。
その鏡面は物事の真実を映し出す、或いはこの世ならざるモノの正体を暴き出す力を持つ、と。
確かそんな感じだったような気がする。
「詳しいな。概ねその認識で正解だ。」
どうやら私の記憶は合ってらしい。
「数年前に奥州の山に行った時、偶然コイツと出くわしてな。
珍しかったので捕らえて、使い易い様に加工したのがソレだ。」
「加工、って・・・。」
サラッと、何やら恐ろしい言葉が聞こえた。
先生にとっては動物だろうが妖怪だろうが、剥製でも作るような感覚で捕まえてしまうのだろう。
この分だと、他にも似たようなモノを持っているのかもしれない。
だが深く聞こうという気にはならない。
そうこうしているうちに、雲外鏡の鏡面に朧気な像が浮かび上がってくる。
「遠見の鏡だ。
まあ、実際は私が向こうに送った瞳蟲の見ているものを、コレに映しているだけなんだが。」
やがて徐々に、その朧気だった像も輪郭が鮮明さ帯びていくにつれて、判然としなかった向こう側の様子も、次第に見えるようになっていった。
まず初めに見えたのが4人の人間。
やがて次々と、向こう側の様子が見えて来る。
間取りやそこに在る家財の雰囲気から、住居であると推測出来る。
その床の上に横たわっている、数人の人間の身体。
そしてその中に1人の男と、その彼と対峙するように向かい合う3人の少年少女。
酷くシュールで、一種異様な光景だった。
「先生、これは。」
だがその中でも、一際目を引く存在がいる。
「やはり君も気付いたか。」
白く長い髪の少女。
薄暗い部屋の中でも、銀色に光るその髪は嫌でも目に付く。
それと共に、ハッと頭に電流が走る。
始めは半信半疑だった。
だがこうして実物を見てみると、これ程までに分かり易い特徴もない。
「この姿、例の事件の・・・。」
「まず間違い無いだろうな。」
2日前、朝刊の第一紙面を飾った連続殺人に関する続報。
そこに掲載された、今月に青山の集合住宅で起こった新たな事件の詳細と。
そして半年を経て初めて現れた、犯人の目撃情報が書かれていた。
曰く、白い髪に白を基調とした洋物の衣服を纏った者であると。
「本当に真っ白い髪をしているとは。」
「俺もその記事を読んだときは、本当かと疑ってかかったんだがな。」
だがそれ以上に、
「これは一体どういう状況なのでしょうか?」
「さあな、俺にもさっぱり分からんよ。」
鏡に映し出された向こうの映像が、不可解過ぎた。
新たな犯行の直前か、それとも一触即発の戦闘の目前なのか。
犯人は単独ではなかったのか、或いは共犯がいて、横の2人がそうなのか。
次から次へと、疑問は無数に浮かび上がって来る。
だがしかし。
いや、だからこそと言うべきなのか。
「ククク・・・。だからこそ、面白そうではないか。」
案の定、北先生の悪い癖が出てしまった。
「俺もあの中に飛び込むぞ。」
「・・・一応聞きますが、何か策や考えが有るんですよね?」
「俺がそんなモノを用意すると思うか?」
知っているとも。
この人がこういった場面で、身体より先に頭を動かした試しが無い。
恐ろしいまでに狡猾な頭を持っているにも拘らず、考える前にまず先に手を出してしまうのだ。
こうなると、制止も諫言も意味を成さなくなる。
「臨機応変に、あらゆる事態に柔軟に対応する。」
要するに、何も考えずに出たとこ勝負を決める、と。
「人生は常にソレの連続だ。
小賢しい策なんぞ捻っても、大して役に立たんよ。」
加えて性質が悪いことに、そんな行き当たりばったりの出鱈目を有言実行出来るだけの思考と実力、胆力をこの人物が備えてしまっている。
そして、より状況がしっちゃかめっちゃかとなるのを望み、楽しんでいる節が彼にはある。
現状ですら、何が起こっているのか全く把握出来無いこの混沌とした空間に、更に、北一輝という爆弾が飛び込んで行く。
より一層混迷を極めるのは必至だ。
それを思うと、鏡の向こうの名も知らぬ者達が不憫でならなかった。
◇2
「百々目鬼だか、目々連だったか。
まあ、何でも良いのだが、それで君は一体何者なのかな?」
新たに出現した異形の者に、大川は探りを入れる。
流石にこの男でも、今の状況では慎重にならざるを得ないと言うことだ。
『ソレを貴様に教える必要が有るとでも?』
「無いだろうな。」
奴の目的が不明な以上、先に事を起こせば残りの二者から同時に狙われる危険があるからだ。
「では質問を変えよう。君の目的は何かな?
その点を明確に置かないと、この場の一番の不穏因子として、そちらの少年達と一先ず手を組んで君を排除しなければならなくなってしまう。」
『ほう。』
ギラリと、怪物の眼が。その全身に浮かび上がる無数の眼が、一斉に大川へと向けられる。
その視線に殺気すらも込めて。
だが大川も、その射貫くような視線を正面から受けて猶、その余裕に満ちた表情は変わらない。
「逆に、君の目的がそこの少年達であるならば、我々は手を組めると思うのだが。どうかな?」
「待てよッ。そこの化け物の狙いがテメェ、ってこともあるだろうが。」
即座に牽制に入る。
このまま主導権をとられ続けると、大川と化け物の両方を同時に対峙する羽目になってしまいそうな気がしたからだ。
少なくともヤツの口車をこのまま放置していれば、まず間違いなくそうなる。
「そうなりゃテメェの言葉をそっくりそのまま返すだけだ。
俺らが手を組んでテメェを潰しに掛かる。」
だから今この瞬間にそうなってしまう展開は、何としても阻止しなければならない。
そうでなくとも、いずれこの均衡が崩れることは目に見えている。
ならば例え僅かでもその刻限を先延ばしにし、その時が来るまでには、この場から脱出する機を見つけなければならない。
「少年・・・、残念ながらその可能性は無いよ。」
だがだからこそ、この男も俺の思惑を外すべく、そして状況を動かすべく勝負を仕掛けて来る。
今の状況は俺達も大川も、そしてこの化物にとっても、共に薄氷の上に立っている状態だ。
『ならば貴様が言う、その自信の根拠は何だ?』
手を誤れば、他の2者を敵に回し兼ねない危ういバランス。
「それこそ、君に教える必要はないな。」
にも拘らず、大川はギリギリの境界を攻めて来た。
『・・・。』
そして。
『いいだろう、ならば教えてやる。』
天秤は傾く。
『我が主様の目的は、そこにいる小僧だ。』
大川の捨て身で投じた賽は、奴へ吉をもたらすと同時に、
「ハッハッハ・・・、そうかそうか。それは奇遇だな。
私の狙いは、その隣の白髪の少女だったんだ。」
俺達に、最悪の出目を叩き付けたことを意味した。
それは互いの勢力図が三竦みから、一対二への移行。
即ちそれは、俺達が詰まされた瞬間だった。
『物好きな人間だ。殺人鬼に何の意味を見出すと言うのか。』
「おや。君がそのニュースを知っているとは、少々驚きだ。」
『俺も、人間の作る新聞ぐらいは目を通す。』
「妖の生態を知れる、中々に興味深い話ではあるが・・・、今は後にしておこうか。」
その時奴らは、互いに手を組めると確信した。
遂に、二つの脅威が俺達の前に立ちはだかった。
「私達は二人、得物は三人。欲を掻かなければ、全て丸く収まる。」
『なるほどな。』
そして。
「そう、ならば・・・。」
『ああ、ならば・・・。』
『残りの一人は、私が戴くとしよう。』
「残りの一人は、俺が貰うとするか。」
地に付いたはずの天秤の皿が、再び持ち上がる。
直後両者は立ち止まり、ほんの一瞬、互いを睨みつける。
だがその一瞬は、奴らは完全に俺達から意識を断ち切っていたのだ。
ならば・・・、
「千春、ステラッ!今だッ!」
そう、ならば。
この場を脱する好機は、今この瞬間しかなかった。




