第1章の31 回帰
◇4
暗く人気の無い通りで奴らと対峙する。
既に日は落ち切り、その上、建物の密集地の中に敷かれたこの細い道では、互いの顔すらも最早確認する事は出来ない。
だが奴らの声で、匂いで、気配で、ソレが私の探していたモノだと分かる。
そしてそれは向こうも同じ。
「さーて、どうしてテメェがここにいる、毛唐のガキ。
まさか大人しく俺達に付いて来る気になったか?」
私が私であると、奴らは認識していた。
「本当にまさかだな。
一々私が教えなくとも、大方の察しは付いているだろう?」
「本屋のガキの仕返しでもするってかよ。ハッ、笑わせやがる。」
心底下らないとでも言いたげに、吐き捨てる。
「テメェ一人で何が出来るってんだ。おいッ!」
後ろにいる取巻きの一人に、合図を送る。
「あのガキを潰せ。好きにやって良いぜ。」
その命令に従って、のっそりと一際デカい男が私の前に躍り出る。その身体も全身の筋肉が膨れ上がっており、一目で荒事要員であると分かる。
「泣き叫んだところで、そう簡単に助けが来てくれるような場所じゃねえぞ、ガキ。
恨むんなら、たった独りで俺達の前に来た、自分の間抜けさを恨むんだなッ!」
握り締めた拳に更なる威力を込めるべく、そいつは全力で走って来る。
腕の力の上から更に、その巨体の全体重を載せるべく。
手加減など微塵も感じられない本気の暴力。
例え、その腕で人間を撲殺しようとも、コイツはまるで気にしないのだろう。
「で・・・、この程度か?」
だが、相手が悪かったな。
パンッ、と間抜けな乾いた音が鳴り響くと共に、丸太の様に太い男の拳が、綺麗に私の手の平の中に収まる。
やはりこんなものか。
どれだけ助走を付け、どれだけ体重を載せようとも、所詮ただの人間が出せる威力など高が知れている。
「・・・は?」
何とも気の抜ける様な阿呆面だ。
何が起こったのか、まるで理解出来ないとでも言いたげな。
だがそれでも、徐々に目の前で起こった現実を受け入れざるを得なくなっていくのに比例し、その間抜け面は蒼ざめていく。
「泣き叫んでも助けは来ない、だったか。
それは寧ろ貴様等にとってこそ、切実な問題なのではないか?」
「テメエは・・・、テメエは一体何なんだよッ!」
言葉の端々に、困惑と恐怖が色濃く滲み出ている。
「お前らが言っていただろう。
只のクソ餓鬼だよ。」
受け止めた拳を掴み、そのまま無造作に放り投げる。
屈強であった筈の男は壁に叩き付けられ、そのまま気を失って崩れ落ちた。そこでようやく残りの男共は自らの置かれた状況を理解したらしい。
だが当然、誰一人逃すつもりは毛頭無い。
「安心しろよ。命までは取らないさ。」
当初は、一人残らず纏めて燃やし尽くすつもりで来た。
だがもうその気は無い。
別にコイツらに慈悲を与える訳でも、怖気づいた訳でも無い。
「それが私を止めてくれた、あの御仁に対する義理であり、礼儀だからだ。」
◇2
千春の案内の下、為すが儘にその後を付いて行った訳だが、
「選りに選って、ここかよ。」
辿り着いた終着点に、思わずそんな言葉が零れ出た。
表参道沿いに建てられた現代風建築の集合住宅。
青山同潤会アパート。
俺と千春、ストレルガの3人は今正にその前に立っていた。
まさか再びここに来る羽目になるとは、まるで想像もしていなかった。
それも正に千春と共に。ここで起きた事件の容疑が掛けられているヤツと、共に訪れることになるなどとは。
犯人は再び現場に戻る、なんてのは小説の中だけのモンだと思っていたが。
「何で今更、ここに来たんだよ。」
「少し気になることがあってね。」
あながち馬鹿に出来ないのかもしれない。
それこそ今、千春が言ったような心理状態を読んだ上で、この言葉が生まれたのだとすれば、なかなかどうして的を射ていると感心する。
「この前は、外から見ただけだったけど、今度は中に入るのかあ。」
呑気な風にストレルガが言う。
ああ・・・、そう言えば、コイツは千春が容疑者かもしれないのを知らなかったな。
「何だかドキドキするね。」
「ああ、本当にな。」
下手をしなくとも、片棒を担ぐ羽目になるかもしれない。
そうでなくとも不法侵入は確定だ。
とは言え今更後悔しても遅い。コイツと出会ったそのすぐ後にでも通報するなりすれば、それで終わりだったのに、俺はそうしなかったからだ。その時点で既に、無関係ではいられなくなった。
それにもう俺は、コイツを切り捨てるという選択肢を取る気は無い。
「そんじゃ、行くか。今日は運良く見張りの警官もいねえみてえだしな。」
ならば、適当な着地点が見つかるまでは、成り行きに身を任せるしかない。
※
階段や通路の至る所に貼られた警戒線が、嫌でも目に着く。
この有り様じゃ、どこが事件のあった部屋なのかが分かりにくい。それに他の部屋の住人の姿も見当たらない。
こんな事件が起きた後だから部屋に閉じこもってんのか。それとも一時的に別の所に移っているのか。
「到着、っと。この部屋だよ。」
そう言って千春は入り口のドアノブを回す。
その手には白い手袋が嵌められ、指紋を残さないような考慮が有る。
何だかんだで、そう言う所に気を回してくれるのは有り難い。余計な痕跡を残せば、後々面倒になるのは目に見えているからだ。
そうして扉が開かれたその瞬間、内側から漏れ出してきた微かな血の臭いに顔を顰める。
「・・・確かにここのようだな。」
真っ先に入った千春の後に続き、俺とストレルガも中へと入る。
当然、最後尾のストレルガには、戸を閉めるように言い付けておいた。
廊下を抜けた先の、やや広いリビングルーム。
ここがその場所らしい。
「・・・割と綺麗だな。」
血の臭いは未だに残っている。
だがパッと見た感じでは、壁や床、天井には飛び散ったであろう血の跡を見つけることは出来ない。
それもそうか。辺り一面に血や臓物が飛び散りっぱなしでは、現場検証もまともに出来や無いだろう。
ならばこそ、支障が出ない範囲で現場を掃除して整えるのも、そいつらの職務として当然のことか。
そう考えていた時、
「やっぱり、出て行った時のまんま、手付かずって感じ。」
千春がそんなことをポツリと呟いた。
「どういうことだ?」
「どういうことも何も、そのまんまの意味だよ。
私がここを綺麗にして出て行った時のまま、誰も手を付けていないってこと。」
「・・・何でわざわざそんな真似を。」
「だってあの時あの子に見られちゃったから、流石に証拠は隠滅しておかないと、って思って。
それであの夜はまたここに戻って来て、散らかった血も肉も骨も全部、ぜーんぶ、食べちゃったの。」
ある程度覚悟していた。
とは言え、改めてその言葉を聞くと、狂喜の沙汰としか思えなかった。証拠隠滅の為に、選り選って、人間を喰うという手段を採ったことに。
しかもそのまるで自然な口調からは、その忌むべき行為に対して、既に罪悪感や忌避感といったものが、千春から完全に欠落しているとしか思えなかった。
「なら、”あの子”、とやらはどうした。そん時に一緒に喰っちまったのか?」
瞬間、
「そんな訳ないじゃない。」
千春の語気に、明確な怒りが宿る。
いつも笑顔で楽しそうな姿しか見せなかった中で、それは初めて見る千春の顔だった。
「済まねえ、失言だった。」
大人に対する躊躇いは最早、千春の中には無い。
だが逆に、子供を手に掛けることへの忌避感は、それとはまるで正反対の、凄まじく強いものがあるのかもしれない。
大人と言う存在を憎悪しているからか。
自身と他の子供を重ねて見ているからか。
その真意は分からない。
「ねえ、今の話。どういうことなの?」
俺と千春の会話を聞いていたストレルガが、恐る恐る俺と千春に尋ねてくる。
ストレルガは千春について詳しく知らない。だが俺と千春の会話を聞いて、不穏当な気配を感じたのだろう。
「千春。」
「うん・・・、良いよ、話しても。
別に何時までも隠し通せることじゃないからね。」
「そうか。」
特にも千春はコイツと仲が良かった。
だからこそ己の口からは、自分がしてきたことを言いたくないのだろう。自業自得と言うのは簡単だし、それに実際、全くのその通りでもある。
だがだからこそ、その感情は理解できる。故に、
「俺も全てを知ってる訳じゃねえ。だからまず間違い無く、って確信がある事だけを伝える。
そんで、その後どうするか、どう判断するか、どういう感情を持つか、はストレルガ。お前に任せる。」
掻い摘んで、伝えるべきことは伝えた。
※
話が終わると大方の予想通り、ストレルガは口を噤んで黙してしまった。
そして千春も、そんなストレルガに対して特に言葉を掛けることもしない。
と言うよりも、何と声を掛けるべきなのかが分からないのだろうな。
「なあ千春、お前の言ってた気になる事ってのは、このことか。」
話題を変えるべく、適当に気になったことを聞いてみた。
「うん。まあ、そうだね。」
「・・・なるほどね。」
確かに奇妙な話だ。殺しがあった現場でそれ以降の出入りが無いときたのだから。
それこそ外にあれだけ目立つくらいに警戒線が貼られてるんだ。警察がここに立ち入ってない訳が無えし、現に俺達も前にここで警官の姿を見ている。とすれば、
「ここに住んでた人間、ってのはどんな奴だったんだ。」
「とんだ変態野郎だったよ。私ぐらい歳の女の子にしか欲情出来なかったらしくてね。
それでたまたま町を歩いていた私に、この人が声を掛けて来たの。」
「・・・、何でその誘いに乗ったんだよ。」
「だって特に断る理由も、見逃す理由も無かったから。
それでここに来たら、真っ先に帽子も服も全部脱がされて。
それでそこのベットに荒縄で縛り付けられてね。それで・・・。」
「ああ、分かった分かった。分かったからその話はもう止めろッ。」
何が悲しくて、こんな場所で当人の口から生々しい猥談を聞かされなきゃなんねえんだ。
隣のストレルガも、顔を赤らめてやがるしよ。
「あーあ、もう。これからが良いところ・・・ッ!?」
突如、千春は言葉を切って黙り込んでしまった。
「どうした?」
それは何か考え込むような。
いや、と言うよりも、何か別のことに集中しているといった感じの沈黙だった。
そして、
「聞こえる。」
「何が?」
「足音。」
{・・・は?」
「誰かが上がって来る足音が聞こえるの。」
その言葉にストレルガは息を飲んだ。
俺もその突然の事態に思考が停止し、頭の中が真っ白になり掛かる。
だが直ぐに、ゾワリと。
言い知れぬ不穏な予感と焦燥が内側から湧き上がって来た。




