第1章の27 承転
キョトン、と。
向こう側に立つ少女は、そんな面喰らった表情を浮かべていた。
そりゃそうだろう。初対面である筈の人間が自分の名前を知っていたんだから。
「ねえ、シンヤさん。
あの子の事、知ってるんですか?」
「まあ、一応な・・・。」
クソッ、
正に藪蛇だった。
己の軽率さを呪い、悪態を吐く。
あれさえ無ければ、初対面同士での知らぬ存ぜぬを使える筈だったのだから。
そして俺は、己のその迂闊さの代償を即座に思い知らされる羽目となった。
「おかしいですね。」
その声は俺の真後ろから聞こえた。
向こうの電灯の下にあった人影は、既に跡形も無く消えている。
「お兄さんと会うのは、これが初めての筈ですが。」
次の瞬間、俺の首元を少女の指が這い動く。
それは何てことは無い。
細く小さい、どこにもいるような酷く凡庸な少女の手。
にも拘わらず、撫でるように絡み付く華奢な筈のその指の動きが、首に巻き付きこうとする巨大な毒蛇に思えてならなかった。
「別に大したタネは無えよ。
つい先日にお前の知り合いに会った、つーだけのことだ。」
「へぇ。」
ああ、コレは確かにアーデルハイトにはどうしようも出来ねえな。
これ程までに格が違う、と言うに相応しい状況も無いだろう。
今の置かれた事態がまさにそうだ。
千春はただ俺達の背後に来ただけ。
俺がよく使う催眠術や、無駄に手間暇の掛かる割に、そんな長距離を移動出来る訳でもない空間転移みたいな、チャチなモンじゃ無い。
種も仕掛けも無く、只圧倒的なまでの速さで動いただけのことだった。
「うん、確かに芳雄くんの匂いがするね。」
そう言って千春は、その吐息が掛かるくらい近くまで顔を近付けて来た。
「匂い、ってお前。
俺がアイツ会ったのは2週間以上前だぞ。」
「と、言われましても。
分かってしまうのですから、仕方ありませんよ。」
「そうかい。」
ここで俺に嘘を吐く意味も理由も無い。
一体どんな手段を使ったのかはまるで想像も付かないが、千春のあらゆる身体的な能力は、根本から常人のソレと遥かに懸絶してしまっている。
「それで?
さっき、やっと見つけたとか言ってたが、そっちこそ前から俺達を知ってたみてえだな。」
「ええ。士官学校での闘い、私も見てましたから。」
「成る程な。そんじゃ何で俺達を探していた?」
だがそう言った直後、
「えッ?」
後ろのコイツが、何故か驚いたような声を上げた。
「えッ、て何だよ。
何か俺達に目的だの用だのあったから探してたんだろ?」
「ああ、そういう事ですか。」
俺の首に絡み付いていた指がスルリと離れる。
そして背後にいた千春は俺達の前へと移動し、初めてまともにその姿を現わした。
「それがですね、特に何も考えていないのですよ。
取り敢えずの目的があなた達を見つける事でしたので。
でも確かに言われてみればそうですね。さて、どうしましょうか?」
「いや、俺に聞くなよ。」
何とも間の抜けた話だ。
だがどうやら千春は、今この場で何か事を起こす気は無いらしい。
とは言え、今のところは、という前置きが付くだけで、依然危険な状況であることに変わりは無い。
俺達のこれからの言動次第で、如何様にでも転ぶからだ。
だと言うのに、
「わあ、この子超可愛いよ。」
隣のストレルガは、まるで場違いなことを言いやがった。
「お前は一体何を言ってるんだ。」
「えー、だってすっごく可愛いじゃん、千春ちゃん。
目も綺麗でパッチリ大っきいし、髪の毛もサラサラで、しかもキラキラ光ってるし。」
俄かに頭痛が酷くなっていく気がした。
コイツは本当に今の状況が分かってんのか。
「ふふ・・・。」
だがストレルガのまるで空気を読めていない言葉に、千春もまた面白可笑しそうに笑ってやがる。
「お誉めに預かり光栄です。
ええ、と・・・、」
「ストレルガ。それが私の名前。
皆はステラ、って呼んでるから、千春ちゃんもそう呼んでくれると嬉しいな。」
「ええ、わかりました、ステラさん。」
※
千春の出現から、だいたい半時ぐらいが経った。
そしてその別に大して長くもない時間の中、
「なあ、ストレルガ。お前ら随分と仲良くなったよな。
つーか、早過ぎだろ。」
ストレルガと千春は、俺の座っている隣でやたらと楽しそうにじゃれ合うまでになっていた。
「だって千春ちゃん。見れば見る程かわいいし、それにすっごく良い子なんだもん。
そりゃ仲良くなるって。」
「ステラさんもとても素敵で、とても優しくて、子供の私から見ても魅力的な女性ですから。」
「・・・そうかい。」
まるで肩透かしも良いところだ。
と言うか、独り必死で警戒していた俺の方が馬鹿みてえじゃねえか。
それにしても・・・。
隣で戯れる千春をそれとなく眺める。
こうしてステラと二人で楽しそうにじゃれている姿を見る分には、至ってごく普通の少女だ。
だからこそ、どうしても考えてしまう。
「なあ、千春。」
「はい、何でしょうか?」
「不躾だってのは承知の上で聞くぞ。
最近、でもねぇか。昨年の冬頃から帝都で度々《たびたび》起こる事件、ってのは・・・、」
「ええ。お兄さんの想像している通りだと思いますよ。」
やはり・・・。しかも即答か。加えてその声色や表情にもまるで変化は無い。
「まあ・・・、流石に全部が全部ではありませんが。」
殺人に対する罪悪感や忌避感。
少なくとも、ごく一般的な教育や家庭環境で育っていれば、当たり前に身に付く筈であるそれらの感覚が、千春の中からは完全に欠落しているように見える。
「お前のこれまでの過去、ってのは・・・。
聞かない方が良いんだよな。」
「ええ、私もあまり口にはしたくありませんので。」
だがしかし、こうして話している分では、そう言ったごく当たり前の価値観や感覚が身に付いていた形跡は窺える。
だとするならば、後天的な原因によって失われたのか。
破壊されたか、創り変えられたか、捨て去ったか。
だがいずれにせよ、まともな要因で無い事だけは、想像に難くない。
この少女は、これまで一体どんな人生を歩んできたのか。気にならない訳は無かったが、本人は当然ながら語ることを拒絶している。
と思っていたら、
「そういえば、お兄さんは読心が出来るのでしたね。
でしたら、私の中でも見てみますか?」
いきなり当人がそんなことを言い出した。
「しゃべりたくねェんじゃねえのか?」
「私の口からは言いたくないというだけです。私がしゃべらずに済むのなら、別に覗いて見ても構いませんよ?」
何だそりゃ、殆ど屁理屈みたいなもんじゃねえか。
だが好機でもあった。
千春は俺に向けてその頭部を差し出している。このすぐ目の前にある小さな頭に触れるだけで、俺が懐いた疑問は直ぐに氷解する。
だが果たしてこのまま、見てしまっても良いのだろうか。
只の興味本位で覗くには、あまり危険過ぎるという直感が働く。
一人の少女を怪物へと変えてしまうような過去。
安易に覗いた結果、俺自身にどんな反動が跳ね返って来るのか、まるで予測も付かない。
「・・・、止めておく。」
迷いに迷った末、終ぞ伸ばしかけた手を引っ込める。
そんな俺を見て、千春は穏やかに微笑んだ。
「優しいのですね。」
「そんな大層なモンじゃねえよ。」
我が身の惜しさに直前でビビって怖気付いた。
そんなの情け無い話、ってなだけだ。
そして千春は、長椅子から立ち上がった。
「名残惜しくはありますが、そろそろ私はお暇致しますわ。
今宵は色々と楽しいお時間を、ありがとうございました。」
そう言い残して、立ち去ろうとする。
その小さな背に向けて、
「おいッ!」
俺は思わず、声を投げ掛けていた。
立ち止まり、不思議そうな顔をして振り返る千春。
何と言葉を掛けるべきか、一瞬だけ思案するが、
「あー、その、なんだ。
ここで会ったのも何かの縁だ。
流石に何時でも、って訳にはいかねえが、遊びたくなったら好きに来な。
多少の歓迎くらいはするさ。勿論、コイツもな。」
結局、そんな無難な言葉に纏まってしまった。
「うん、何時でもおいで。私も大歓迎だよ。」
何時でもは無理だっつったばかり、なのにコイツは。
「フフ・・・、お二人共ありがとうございます。
それでは是非、甘えさせて戴きますわ。」
そう言って千春は、深くお辞儀をした。
どこまでも礼儀正しくそしてどこまでも他人行儀だった。
だから、だろうか。
「それとな、千春。」
この言葉を言わずにはいられなかった。
「その喋り方、全ッ然似合ってェぞ。」
今日二度目となる、千春の呆気に取られたような、キョトンとした表情。
「俺達の前でまで無理して大人ぶる必要もねえよ。
いずれ嫌でもそうせざるを得なくなっちまうんだから、甘えられるうちに甘えるのも歳下の特権だ。」
それこそが千春に必要なことなをじゃねえか、と感じた。
子供が子供で居られないこと程、不幸なものは無い。
「少なくとも俺は、それと多分コイツも、お前の我儘に嫌な顔はしねえよ。」
「そう、ですか。」
「そんで勿論、お前が悪い事をした時は、本気で叱ってやるからよ。」
ふわりと。
腹の辺りに、柔らかい感触が伝わる。
「ありがとう、ございます。」
それは戻って来た千春が、俺に抱きついた感触だった。
「それじゃあ、今度は3人で一緒に遊びに行こうね。」
そうして今度こそ、
「深夜お兄ちゃん。」
千春は立ち去っていった。
「お兄ちゃん、だって。」
隣でニヤニヤしながら、ストレルガが肘で俺を小突いてくる。
「うるせえ、茶化すな。」
「いやー、流石だねシンヤさん。
何だかんだ言ってもやっぱり助けようとするんだから。」
「大した事じゃねえよ。」
そう、こんなのは単なる自己満足に過ぎない。
あんな言葉を掛けた所で、アイツを救える訳でもない。
俺がした行為は、道端の動物に餌を与えるのと同じ事だ。
最後まで面倒を見る覚悟もないくせに、己の行動に酔いたいが為の、どうしようも無く卑怯な偽善。
だと言うのに、
「またそうやってすぐ自罰的に考えるのは、シンヤさんの悪い癖だよ。
いいじゃん、別に偽善でも。それで救われる人がいるならさ。」
ストレルガは俺の偽善を肯定する。
「シンヤさんがどう思っていても、千春ちゃんはあの瞬間、確かにシンヤさんのお陰で救われてたんだよ。それがどれだけ些細な言葉でもね。」
「覚悟なんざ、これっぽっちも無くてもか?」
「始まりから終わりまで、総て完璧に把握した上で己の言動を決定している人なんて、世の中にどれぐらいいると思うよ。
覚悟とやらなんて、少しずつ堅めて行けば良いじゃん。」
「まあ、自分への言い訳としては上等だな。」
「それが気に喰わないんだとしたら、やっぱりシンヤさんはすっごく優しくて、しかも責任感もとっても強い人なんだね、って思うよ。」
「・・・別に、俺は優しいなんて言われる人間じゃねえ。」
「そう?
なら、どんどん言い訳しちゃえば良いよね。」
よくもまあ、舌が回るこった。
俺の言う事の一々を論破して楽しんでんじゃねえかと思えてくる。
まあ、それでも不快感は無い。
「わかったよ、俺の負けだ。」
ここまでくると、逆にもうコイツの口車に乗っちまっても良いんじゃねえか、と思えてすら来る。
「だが当然、一連托生。
お前も道連れだからな。」
だったら、せめて一矢報いてやろうと思ってたんだが、
「そんなの当たり前だよ。
と言うか寧ろ、私から喜んで巻き込まれて行っちゃうからね。」
そんな俺の淡い逆襲さえも、遂に成功することはなかった。




