第1章の26 覚り
「話聞いてたのか、テメエは?」
「勿論。」
「なら、なんでそんな目で俺を見ていられるんだ?
さっき言っただろうがよッ!
簡単に他人を信用するんじゃねえッ、他人の善意なんぞを期待すんなッ、てよ。
んなモン信じても、結局は最後に裏切られるか、体良く利用されるだけされて捨てられるのが関の山なんだよ。」
「ご忠言は痛み入りますが、私は別に誰でも彼でも信用したり、信頼したりする訳ではないですよ。
私が自分の目で見て、考えた上で判断しています。
そうして考えた上で深夜さんは信用に値するお人だと、私は判断したんです。」
凛とした声が鳴る。
その口調も普段のコイツとは雰囲気がまるで違う、大人びたものへと変わっていた。
ほんの数分前までのコイツからは、想像できないような変化。だがそれでも、その芯に在るものは一切変わらず、今もそこに在り続けている。
「ハッ、だからソレが下らねえ、っつってんだよ。
こんなクソみてえな本性を抱える俺の何処に信用に足る要素があるってんだ。」
「確かに、深夜さんのさっきの言葉の中に嘘は無かったと思います。」
そしてコイツは、ストレルガは。
「だけど本当のことも言ってなかった。私はそこに信頼に足るものがあると思っています。」
「何だよそりゃ?何の根拠にもなってねえぞ。」
「まあ、その通りですね。
でも完璧な根拠の存在する信用や信頼というものが、そもそも無いんですよ。だって他人の内側なんて私達には知りようが無いですから。
ですが思うんです。」
どれだけ俺が突き放そうとも、一歩も引きやしない。
「その大なり小なりの不確定要素を許容した上で、誰もが互いに少しずつ歩み寄っていく。
それが人間なんじゃないか、って。」
それどころか、この女は更に踏み込んで来やがる。
「ねえ、深夜さん。私はあなたを信頼していますが、深夜さんは私を信頼できませんか?」
「・・・出来ねえな。」
「ソレは何故?」
そして。
「テメエが・・・、今まさにお前自身が言ってただろうがよ。」
その瞬間、俺はコイツの術中に嵌ってしまった。
すぐにこの言葉が、痛恨の失言であると悟っても最早遅かった。
もう既に言葉は、音となって出てしまったのだから。
「でしたら、今この場で私の心の中を覗いてみてください。」
人の心は分からない。
即ち不確定な要素だから、相手を信頼して良いかどうかも分からない。
ならばその相手の内側を覗いてみてしまえば良いと、コイツは言っているのだ。
だが、
「んなこと・・・、出来る訳が無えだろ。」
出来る筈が無い。否、やって良い訳が無い。
それこそ全くの見ず知らずの他人ならともかく、
「どうして?」
「さっきも言った通りだ。
知ってるヤツ相手に不義理を働くような真似はしたくねえ、ってな。」
目の前のコイツにやって訳が無い。
「それは出来ない理由であっても、しない理由にはなりませんよ。」
だがストレルガは、決して逃げ道を残す様な甘い真似はしなかった。
眼を逸らし続けることも、誤魔化し続けることもこの女は絶対に許さない。
ここに至って最早、虚勢を張る意味も、反論する気力もまるで奪われてしまった
優しくて、そして酷く、
「残酷だよ・・・、お前は。」
互いの内側が分からないながらも、少しずつ手を取りながら歩み寄って信頼を築き上げていくことが、本来の正しい在り方であり、理想的な在り方であることなど言われるまでも無く分かっている。
そしてこれまでのコイツとの遣り取りから、ストレルガが、本心から俺へ信頼を寄せているであろうことも、それこそその心を覗く迄も無く分かっていた。
だがそれでも、もしかしたら、と言う疑念が過ってしまう。
もし、今目の前で俺に信頼を寄せているかのように見えるこの女も、結局はこれまでの奴らと同じだったら、と考えずにはいられないかった。
振り払おうにも払拭できない、そんな疑念が影のように俺に付いて回る。
だからと言って、ストレルガの内面を覗いて安全なことを確認してから、などという真似は決して出来ず、また絶対に採ってはならない。
何故なら、
「それは本来の在り方からは大きく逸脱し、その相手と信頼という言葉そのものを貶める行為だから。」
「ああ、そうだよ。」
「そしてだからこそ、深夜さんは不義理な真似はしたくない、って言ったんのですね。」
「ああ。」
そんなもんは相手を人間として見ていない、道具の説明書でも読むかのような扱いをしているのと同じだ。
だけどもしも、と何度も思うことはあった。
もしも俺が本物も外道だったならば、と。
そうすれば、わざわざこんな下らない事など歯牙にも掛けず、人間を物や道具か何かのように、何の感動も無くその内側を覗き、自分にとって都合の良いように作り直していただろう、と。
だが残念ながら俺はそうはなかった。
その下らないものを、下らないものとして見ることが出来なかった。
「やっぱり優しいんですね、深夜さんは。
そしてそれは、下らないものなんかじゃ断じてありません。」
「・・・知らねえよ。」
もうストレルガのその言葉を、戯言だと切って捨てることは出来なかった。
※
「それで、このことをアーデルハイトに言うのかよ。」
「いやー、そんなことしないよ。
だってこれはシンヤさん自身が、自分で言わなきゃいけないことだしね。」
そう言って、子供っぽい笑みを浮かべるストレルガ。
その喋り方も元の子供っぽい口調へと戻っていた。
「お前のさっきのしゃべり方は何だったんだ?」
「さァねー。でもあっちもあっちで良かったでしょ?」
「知るか。」
良し悪し何ぞは別にどうでも良い。
ただ、今の喋り方も、先程までの口調も、どっちも不思議と違和感を感じなかったのも確かだ。
口調に応じて声も、それ相応しい声質やストレルガが纏う空気に変化させていたからなのだろうか。
「やっぱお前、魔術師よりも役者とかそっち方面の職人になった方が良いんじゃねえか?」
「あははー、多才過ぎるってのも困りもんだね。」
「いや、結構本気の話なんだがな。」
「そうなの?うーん・・・、まあ、もしもの時の為に一応そういう方面の人生設計も考えてはおくよ。」
とは言え、当然ではあるが魔術師になることが、ストレルガの第一の目標であることに変わらない。
そりゃそうだ。他人の言葉で一々人生を右往左往させていては、碌なモンにならないからな。
「さて、そろそろ帰るか。
もうすっかり暗くなっちまったし、大分冷えてきやがったからな。」
日中はかなり暖かくなったとはいえ、まだ4月。
日が落ちれば気温も一気に下がってしまう。
「うん、了解。
それに早く帰らないと、門限に間に合わなくなるからね。」
そう言って俺達は、帰路に着こうとした。
その瞬間だった。
「やっと見つけました。」
そんな声が聞こえた。
女の・・・、いや子供のものと思しき声。
即座に音源の元へ目を向けると、遠い向こう側に一つの影があった。
闇に覆われた公園の中を照らす、数本の電灯。
その中の一本。
朧気で頼りなさげな光で真下を照らす電灯の下に、ほんの数秒前までは確実に誰もいなかった筈のそこに確かに存在する、人間の影。
「こんばんは、お兄さん、お姉さん。」
それは子供だった。
およそ4、5歳程、離れていると思われる年下の少女。
その長く艶やかな髪は、電灯の淡い光を受けて銀色に輝く。
そして何よりも俺は、その少女を知っていた。
直接面と向かって対面したことは無い。
だが2週間程前の、の青山の表参道で偶然覗き見た少年の記憶の中に、この少女の顔や姿、そして名があった。
「鬼柳、千春・・・。」
無意識に、己でも気付かぬうちに、俺はその少女の名を口にしてしまっていた。




