第1章の24 曙空
窓から差し込む西日が部屋の中を明るく、そしてやや影を落とすように照らす。
西の空へ傾いた太陽と、その裾野を染める朱色。
少し前までは微かに聞こえていた窓の外の楽しげな声も、次第に大きくなる。今日の授業が終わり、生徒達が寮へ帰って来たらしい。
あの模擬戦から4日が経過した。
私達はシンヤと闘い、そして敗れた。
形の上では時間切れの引き分けということにはなったが、互いの有り様を見れば、どちらが勝っていたかなど明白だった。
その模擬戦以降、学校へは登校していない。
試合外での暴力行為により、私は1週間の謹慎処分を言い渡された為だ。
尤も、その処分自体に不服は無い。冷静ではなかったとは言え、シンヤを殴ったことは事実だ。それにこの謹慎が、先生の私の心身への配慮してくださった上での処分であることも分かってからだ。
とは言え、賑やかな外の声も、窓から差す夕日も、そして自室の中に引籠っている生活も、4度目となると流石に飽きが来てしまう。
こうなると今すぐにでも部屋を飛び出して、その辺をぶらつきながら外の空気を吸いたい気分になる。
「何とも呆れる話だ。」
思わず失笑が漏れる。
喉元を過ぎれば、というヤツか。
あれだけ盛大に負けて、精神的にもボロボロにされたばかりだというのに、我ながら図太い神経をしている。
4日も過ぎた頃には既に暇を持て余し、こんなどうでも良い事を考えてしまっているのだから。
そうやって悶々とした気分で鬱屈していると、
「ハイジちゃん、起きてる?」
部屋のドアがノックされ、外からそんな声が聞こえてきた。
「ああ・・・、入って来ても構わない。」
キイっと、小気味良い音を立てて開いた扉の向こうには、ワカバとレオンが立っていた。
「失礼します。」
「お邪魔するよ。」
わざわざ断りの一言を入れてから2人は中へと入って来る。
毎度ながら律儀なことだ。
「済まないな。毎日こうして足を運ばせてしまって。」
「そんなの気にしなくて良いよ。
私も好きでやってることなんだから。」
「それに君は昔からああやって無茶をやらかすからね。
だから一日に少なくとも一回は君の顔を見ておかないと、とてもじゃないけど不安でね。」
「だから、悪かったと何度も誤っただろう。」
相変わらず嫌味ったらしい言い方だ。
「それで、改めて聞くけど体調の方はどう?」
居住まいを正したワカバが尋ねてきた。その表情も真面目なものに変わっている。
「ああ、もうかなり復調してきたよ。」
それ故、私も正直に告げた。
「3日、4日前はかなり酷かったが、今はもう殆ど何ともなくなった。」
寧ろ、前よりも心の中が晴れたような気がしないでもない。
そんな不思議な感覚だった。
ほんの3、4日前は躁鬱の浮き沈みが激しく、感情の制御もまるで効かない嵐のような有り様だった。
だが今ではそれも、跡形も無くと言える程に鳴りを潜め、落ち着いている。
それこそ嵐が過ぎ去った後の、白波一つ無い無風の海岸のような。雲一つ無い、吸い込まれてしまいそうな蒼天のような、晴れ渡った気分だった。
「寧ろ退屈過ぎて、体力が有り余り気味だ。」
「なら、良かったよ。」
私の言葉にワカバに再び安堵の笑顔が戻る。
「ずっと心配だったんだよ。
それこそ少し前までは、どんな言葉を掛ければ良いのか分からないくらい。
と言うか、そもそも近付くことすら無理なんじゃないかな、って思っちゃうくらい、すっごいヤバい気配がだだ漏れだったんだから。」
「そう、なのか?」
確かに激しい感情の波はあったことは覚えているが。
だが流石にそこまで酷くは無かった筈だと、同意を求めるべくレオンの方を見る。
しかし私の視線に気付いたレオンは目を伏せ、静かに首を横に振るだけだった。
「まさに寄らば斬る、みたいな感じだったよ。
流石にあの時のハイジには、僕でも近寄り難かった。」
「・・・本当に申し訳無い。」
どうやらそれ程までに酷かったらしい。
改めて、申し訳ない思いがぶり返してくる。
「ううん、いいの。
それに私の方こそ、ごめんなさい。ハイジちゃんに怪我させちゃって。」
「別に気にしていないさ。
そもそも決闘の中で切った張ったは当たり前の話だろう。
そんなことで相手を一々恨んでいたらキリが無いだろう。」
そう言った意味では、シンヤに負わされた怪我についても、どうこう言うつもりは一切無い。
あの闘い方を許容出来るかとは、また別の話ではあるが。
「それに怪我云々の話なら、ワカバの方が重症だった筈だ。」
「まあ、ほら・・・、私は頑丈なことだけが取り柄と言うか。
だから、全然気にしなくていい、て言うか。」
ワカバは慌てて手を振る。
気にすることは無いと言ったつもりだったのだが、どうやら逆に気を遣わせてしまったようだ。
「でも良かった。
これなら多分ハイジちゃんも誘えるね。」
「何の話だ?」
「えへへー、実はね今日、3人で遊びに行きたいなって思ってたの。
皆で色んなところに行って、色んなものを見て、食べ歩いて、楽しもうかなって。」
この前の帝都の観光の続き、という事らしい。
「ハイジちゃんの身体のこともあったから、どうかなって思ってたんだけど・・・、」
「是非も無いな。」
願ってもない提案だ。
ワカバが言い終わる前に快諾する。
私の即答が予想外だったらしいワカバは、驚いた表情で一瞬止まるも、その直後に、
「さすがハイジちゃん、そうこなくっちゃ。」
悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
完全に、言い出した本人が楽しむ気満々といった感じだ。
「私も部屋の中に籠りっぱなしというのは流石に飽きたからな。」
たまには存分に羽目を外すのも悪くない。
だったら私も、ワカバに負けぬよう本気で遊び倒してやろうではないか。
「珍しいな、ハイジが乗り気になるなんて。」
「私もたまには、そう言う気分になる時もある。」
「へえ、成程ね。それに・・・、」
「・・・?」
何かを言いかけたレオンが、途中でその先を区切る。
その顔は何とも言えない曖昧な表情だった。
「えっとね・・・、何だかハイジちゃんの表情が柔らかくなったな、って。」
戸惑うような、照れ臭いような、喜ぶかのような。
そんな曖昧な笑顔でワカバが、その言葉の先を告げた。
「柔らかく?」
「うーんと、なんていうか。
今までは何処か常にを張っていたみたいな?
笑ったり、喜んだりしてても、無意識下で常に警戒を怠らない、みたいな感じだったんだけど。
今のハイジちゃんの笑顔はすっごく自然だったな、って。」
「・・・。」
そんなことを意識したことも無かったの。
己の何かが変化したなどと言う自覚も無ければ、己のどこかが変わったとなどと思うことも無い。
人間がそう簡単に変わることなど無いのだから。
ならば私も、昔まま変わらず私は私のままの筈だ。
「そう、だな・・・。」
だがそれでも、敢えて言葉にして言うのならば、
「伸び切った鼻っ柱を、盛大に折られたからじゃないか。」
と、何となく思い浮かんだ言葉を口にする。
その瞬間、
「ふふ、・・・。」
「ふッ。」
「あははははッ!」
ワカバとレオンが同時に笑い出した。
「ごめんごめん、ハイジちゃん。
そんなつもりはなかったんだけど・・・。」
ワカバは目尻浮かんだ涙を拭い、
「まさかハイジに笑かされる日が来るなんて夢にも思ってなくて。」
レオンは腹を抱えて笑いを必死で堪えている。
「そこまで笑うことも無いだろう。」
まあ、私にも変ななことを言った自覚はある。
何故この瞬間、こんな言葉が思い浮かんだのか。
そしてソレをそのまま声に出したのか、己でも良く分からなかったからだ。
しかしここまで大笑いされると、何とも複雑な気分になる。
だったら、と。
「ところで、ステラは今日どうした?」
この場にいない者に話題を移す。
「多分、深夜の所に行ってると思う。
本当は、深夜とステラちゃんとも一緒に行きたかったんだけど・・・。」
「まあ、ステラも何か考えがあってシンヤの側にいるんだろう。」
あの日以降、ステラはシンヤの後ろを着いて回っているという話は2人から聞いている。
とは言えステラのことだから、もしかしたら何も考えていないのかもしれないが。
「取り敢えず今は、私達は私達で楽しむとしよう。
と言うか、よく私の前であの男の名を出せたな。」
「う・・・、ご、ごめんなさい。」
ビクッ、と身体を震わせて若葉は縮こまる。
「ハハ、冗談だよ。」
そもそも先に話題を振ったのはこちらの方なのだから、これほど理不尽なことも無いだろう。
「もう、ハイジちゃんったら。」
「さっき笑った仕返しだ。」
これで少しは溜飲も下がる。
それにあの時の借りは、いずれキッチリと本人に返す。
「2人とも、じゃれ合いの続きは一先ず外に出てからにしようか。
ここでもたついてたら時間が無くなってしまうよ。」
「わかったよ。取り敢えず着替えるから、先ずはレオン。
お前は出てけ。」
と、まっすぐ扉を指さす。
「了解、お姫様。」
そう言ってレオンは真っ直ぐと出口へ向かった。
「あ、私はハイジちゃんの着替えを手伝うから中に残るね。」
「お前も一緒に出てけッ!」
レオン諸共に、ワカバを力ずくで部屋の外へと追い出す。
まったく・・・、そもそも何故中に残れると思っていたのか。
「さて、着替えるとするか。」
とは言っても、着るのは制服なので然して時間はかからない。
5分もあれば十分だ。そうして支度を整え、
「待たせたな。それでは行こうか。」
私は部屋を出た。
「ううん、大丈夫だよ。」
「そうか。それで行き先は決めてあるのか?」
「この前とは逆の方面。神田とか、日本橋とかに行こうかなって。」
「分かった。行き先はワカバに任せる。」
「了解、大船に乗ったつもりで任せてね。」
こうしてワカバの船頭の下、私達は寮を出、放課後の町へと繰り出していった。




