第1章の16 光明
「そんな・・・。」
呻き声がステラからこぼれる。
だがそれも無理も無い。私とて目の前の現実は、にわかには受け入れ難いものだった。
煮え湯を飲まされるような感情が煮えくり返るが、寸でのところで表情に出すのを堪える。
だが、なるほど・・・。
ヤツがあれだけの大口を叩けるのも頷ける。
認めるのは業腹ではあるが、シンヤの力量は本物だった。不遜でも卑屈でもなく、ソレに見合うだけの力をヤツが持ち合わせていることは、紛れも無い事実だった。
そして私達の置かれた状況は時間を経るごとに悪化していく。
ヤツの読心術は、今この瞬間も私達の閉心に穴を穿ち、中へ侵入しようと迫り寄せている。
閉心が破られる前に、強力な一撃で相手を仕留める短期決戦をしようものなら、先の二の舞。
かと言って長期戦を選択すれば、それこそシンヤの思う壺だ。ヤツの読心が完成した時点でほぼ詰みとなる。
手の内を暴露されたまま戦うことが、いかに無謀であるかは想像に難くない。
「若葉、足下の邪魔なモノを消してくれ。」
「うん。」
ワカバは足元へ木刀振るい、私の枷を払拭する。
私の影が断ち切られるのと同時に、2人は自由を取り戻す。
「さて・・・、何やらウダウダと考えているみてェだが、そんな時間があるのか?」
そう言ってこちらを挑発するが、ヤツから仕掛けてくる素振りは見せない。あくまで長期戦に引き摺り込むのが、むこうの目論見なのだろう。
ならば、
「フッ!」
空を目がけ、木剣を振るう。
「・・・まあ、それも一つの手だわな。」
これだけ露骨な読心だ。その気配を探り、シンヤへと伸びる接続を潰すことも容易い。
事実それにより、背後から覗き込んでくる視線が一つ消え失せた。
「読心が破られれば、俺が長期戦に持ち込む意味が喪失する、か。」
しかし、
「だが、余り有効な手段とは言えないな。」
それは他ならぬシンヤ自身が最も弁えていることだ。
そして私が断ち切った視線もたったの一つだけ。今だ背後に在り続ける幾つもの視線のうちの、たかが一つが消えたに過ぎない。
「やはり大元を絶たねば意味はないか。」
だがこれはこれで、私達がや取るべき手段が一本に纏り、やり易くはなる。
だが懸念もある。
「ステラ、お前にはキツい役回りを押し付けてしまうのが、心苦しくはあるが良いか。」
「うん、大丈夫・・・、気にしないで。
それにハイジならきっとやってくれるって信じてるから。」
小声で隣のステラに、私の考えを伝える。
今ならば、まだヤツにもこちらの手の内は読まれずに済む。
「わかった。
何とか・・・、ううん、絶対やり切ってみせるから。」
「・・・すまない。」
過酷な役目となることを承知の上で、ステラは私の提案に乗る。
だとするならば、私からは最早、何も言うことは無い。己が役割を決死の覚悟で果たすことが、ステラの期待への最大限の回答となる。
そして、
「待たせたなシンヤ・・・、それでは第二幕、仕切り直しと行こうか。」
言い終わると共に、シンヤへ向かって駆け出す。
この試合の趨勢の鍵を握るのは、間違いなくヤツだからだ。
そして私がこう動けば、当然、
「深夜はやらせないよ、ハイジちゃんッ!」
ヤツを守る為に、ワカバがその間に立ち塞がる。
前衛と後衛が明確に別れ、己が役割を完璧に遂行する、理想的な雁行の陣形。
だが、それこそが狙い目だ。
「・・・チッ!」
シンヤが顔を顰める。
どうやら、こちらの意図に気が付いたらしい。
即座に若葉に加勢をするべく、魔術を行使しようとする。
そこへ、
「"Perfori scarica oscura!(穿て、暗黒の波動!)"」
それを阻止すべく、ステラが割り込みをかける。
シンヤが唱えた魔術は形を成すことなく、その手の中からすり抜けて空気中へ霧散する。
「俺の魔術が、打ち消された・・・!?」
「さっきのお返しだよ。シンヤ君。」
「・・・成る程な。
国や人種が違えど、魔術師の考えることは何処も同じということか。
”相手が何か小賢しい真似をしようものなら、”」
「”その芽を潰して、目論見を無に帰してしまえば良い”、かな?」
「正解。」
ステラとシンヤは、共に不敵に笑う。
「と言う訳で、しばらくは私と一緒に踊ってもらうよ。
まさか、こんなかわいい子からの舞踏のお誘いを断ったりはしないよね?」
「心配は要らねえよ。こんな形でも俺も一応は、舞踏における礼儀と作法は弁えているつもりだからな。
リードを務めるのが、男の役割、つーことだろう?
まあ、自分で可愛いとかぬかすのは減点だが、それでもお前と踊るならば、釣りは十分に来る。」
「よかった。それじゃあ、さっそく始めましょう。
観客を待たせてはいけないもんね。」
「”La Danza Macabra”、ってか?
正直俺も、こういった趣向は嫌いじゃねえ。
だが簡単には終わってくれるなよ。でなきゃ、折角その手を取った意味が無えからな。」
一瞬、互いの視線が交差する。
その直後、同時に2人は動き出す。
まるで互いに息を合わせたかのように、両者の魔術が交差する。
ともすれば、一瞬の判断ミスが全てを台無しにしてしまう綱渡りの攻防。だがそれでもこの2人は一切臆することなく歩を進め、舞い競っていた。
※
「深夜を狙うと思わせて、その実私達を分断することが目的だったんだね。」
「シンヤから引き剥がせば、ヤツの読心も大して用を成さなくなる。どれだけ思考を覗こうが、手出しが出来なければ意味が無いからな。
それに、だ。多人数戦においては、最も弱い箇所から叩くのが基本戦術だろう?」
私の言葉を受け、珍しく若葉の瞳に怒りの火が灯る。
だがそれも当然の反応だろう。まさに、お前は弱いと宣言されたも同然なのだから。
だが彼女は、彼我の力量の差を理解出来ないような人間では無い。
「そう、だね・・・。
確かにハイジちゃんの言う通り、現状で私はハイジちゃんの力に及ばない。」
しかしその言葉とは裏腹に、凛とした瞳の輝きが消えることは無い。
「でもだからと言って、それを素直に受け入れて負けを認められる程、私は賢くはないから。」
ああ、そうだろうな。
「それに私にも意地がある。
深夜が頑張っているのに、私だけ倒れる訳にはいかないの。」
それでこそのワカバだ。
その差を理解し、認めはしても、そう簡単に屈しはしない不撓不屈の精神。
「随分とあの男を信頼しているようだな。
私にはあの男の何処が良いのか皆目見当もつかないのだがな。」
「まあ、確かに口も性格もかなり悪くて、性根もかなり捻じ曲がってるけど・・・。
それでも通すべき筋はちゃんと通すし、それに何だかんだ言いながらも、深夜は絶対に助けてくれるから。」
一切目を逸らすことなく、ワカバは宣言する。
決して単なる妄信などでは無い、確固たる裏付けのなされた信頼関係だということか。
寧ろ、ここまで堂々と喝破されると、聞いているこっちの方が恥ずかしくなってくる。
「そうか・・・、ならば何も言うまいよ。
ならば今度こそ全力で闘い、お前を叩き潰す。」
「うん、ありがとう。」
最早、言葉は不要。
若葉は改めて木刀を構え直し、私へ対峙する。
「京八が始祖、法眼流目録、楸 若葉。
いざ、尋常に参ります。」
◇
薄暗い暗い廊下を進む。
天上に取り付けられた電灯は、今にもその寿命が尽きようとしているかの如く、チカチカと明滅する。
だが、この廊下が薄暗いのはそれだけの理由では無い。電灯の発する熱量を抑え、この辺りの空間の気温が上がらないようにする為に、意図的に光量を減らされている。
それ故ここへ踏み込んだ瞬間に、明らかにそれまでいたところよりも空気の温度が低いことを、文字通り、肌で感じ取った。
そして体感的な空気とは別種の、無意識下で忌避感を懐いてしまう異様な雰囲気も同時に漂っている。
病院の地下。
もっと言えば、霊安室や安置室といった施設が配置される区画。
地上部の医者や患者の健やかに生きようと願う意思や活力の溢れる場から切り離された、ある意味では人間の死に最も近い地下墓所。
あらゆる死の概念を押し込められたここは、得てして好き好んで近付きたいとは思えない不吉を孕む空間だった。
だが僕の先頭を進む2人は、まるで大通りを歩いているかのような自然な様子のまま、何ら変わることなくこの空間においても、堂々と闊歩する。
廊下の進んでいた2人は、ある部屋の前で止まると、その扉を押し開け、中へと入って行く。
「やあ、君達が明智さんと江戸川さんですね。
話は聞いていますよ、どうぞ中へお入りください。」
慌てて2人の後を追うと、部屋の中からそんな男性の声が聞こえた。
開かれた扉から漏れ漂ってきたのは、鼻をつくような幾つもの医薬品の匂い。
そしてソレに混じる、微かな死臭だった。
「それが、例のモノですか?」
「はい、左様でございます。」
ひどく淡白な空間だった。
殺風景と言う訳では無い。その証拠に室内の至る所に、器材や薬剤の入っていると思しきガラス瓶が雑多に置かれている。
たがそこには一切の飾り気と言った人間味を感じさせる意匠が、存在していないが故の希薄さ、淡白さだった。
そしてこの空間の中に、一際存在感を放つモノが鎮座している。
大きな台と、その上に被せられた覆い。加えて、その所々が盛り上がっている。
その中身が何なのか、考えるまでも無い。
だがソレそこが、僕達が求めるモノだった。
「この覆いを取り払っても?」
「ええ、どうぞ。
ただ、お気を付けください。中々に衝撃的な有り様となっておりますので。」
「ああ、わざわざ忠告をありがとう。」
そう言うと、明智先生はおもむろに台の上の覆いを取り払った。
「・・・ッ!」
その上のモノの姿が一瞬視界に入るか否かのところで、僕は直ぐに視線を切り、目を逸らす。そして再び、恐る恐る解剖台の上のモノへと視線を戻していく。
別に人間の死体を見るのは、これが初めてではない。だがそれでも、慣れないものは慣れないのだ。
「フフ・・・、別に無理する必要はないよ、小林君。
こんなモノは見慣れないに越したことはないのだからねえ。」
笑いを押し殺すように、江戸川は僕に言葉を掛ける。
彼に慰められるのは癪ではあるが、その言葉自体には全くの同意だ。
勇気が有る、無いと言った問題の話では無い。
寧ろ人の死に慣れ、その感情が鈍感になってしまう程に、より大切なものが失われていくのだと、僕は思う。
「・・・確かにコレはくるものがあるな。」
明智先生はそう呟く。
それは酷く現実離れした光景だった。
流血が既に止まっている為か、まるで分解されたまま放置されたマネキンの残骸を思わせる。だが、その質感は、作り物には決して出すことの出来ない、まぎれも無い生物だったモノのソレだ。
「なんともシュールな光景だね。ある種の芸術めいた作品と言えなくも無い。
はてさて、この手の芸術家は、一体どんな題名を付けるのか、色々と想像が膨らむねえ。」
クックッ、と喉の奥を鳴らす様にくつくつと嗤う。
だがしかし、一体何がこの男の琴線に触れたのか、まるで理解できなかった。
それでも、江戸川の喜悦が浮かぶ横顔を見ていると、際限の無い不快と不安の入り混じった感情が、心の奥底から滲み出してくる。
「江戸川、言葉を慎めよ。
己が好奇心で、徒に死者を辱めるものではない。」
「嫌だなあ、ちょっとした冗談ですよ。」
果たしてその言葉が本当に只の冗談なのか。
当人以外には、その真意など一生知る由も無いのだろう。
「では改めて、調査を始めましょうか、明智君。」
先生と江戸川。
そして僕の3人は、解剖台の上の亡骸の検死を開始する。




