第1章の13 魔術
ひり付く空気が応接室の中に満ちる。
この日、午前の早い時間から先生のもとを訪れる依頼人がいた。それも只の依頼人ではない。
警視庁から直々の依頼だった。
「私達にも捜査の協力をしてほしい、ということでしょうか。」
「そういうことになりますな。
これまでにも数々の事件を解決へと導いて来た貴殿の類稀なる洞察力や発想力を、今回は私達にも貸して戴きたく思いましてね。」
中年を幾分か過ぎ去ったくらいの、頭髪にやや白髪交じった男がそう告げる。
警視庁指定のなど制服では無い。
彼の纏う背広は一目見て安物では無いと分かる。
「成る程、仰ることはご理解致しました。」
「とは言え、この件つきまして僕の出番は有るのでしょうか。
唯一ではありますが犯人ついての重要な目撃者も現れ、後はその人物を捕まえるだけとなった。まして僕は探し当てることが専門であっても、捕まえることはまるで専門外でございますが。」
眉一つ動かすことなく淡々と先生は話す。
その言葉の中には謙遜も不遜もない。只々、客観的な事実をありのまま告げているといった風だった。
「別に心配は要らんよ。
そんな貴君の為に、わざわざ私が部下の中から護衛役を見繕ってきたのだ。これならば君が懸念するような心配もなかろう?」
「ええ、警視殿のお力添えがございますならば、私も私の本分に専念することが出来ると言うものです。」
ひとしきり先生と警視庁からの依頼人の会話を、僕は応接室の片隅から見ていた。
その上で言わせてもらうならば、横柄。
それが、僕がこの来客者に対して懐いた印象だった。
「そうだろうとも。いや、そうでなくてはこちらが困る。」
主客の間柄の中にあっても、少なくともお互いの最低限の礼節と言うものは不可欠である。
しかし、この警部からはそう言った相手方に対する敬意と言うものが感じられない。
「それでは宜しく頼むよ、明智小五郎君。」
そうして殆ど一方的に用件だけを告げると、警視は見送りも待たずに事務所から出て行く。
彼の為に用意した湯飲みは全く手つかずだった。
その湯飲みからは、温かな湯気が立ち上っている。
「・・・随分と強引な方でしたね。」
終始、彼の高慢な態度を見ていた僕は憮然とした思いだった。
「本当に彼の依頼を引き受けるのですか?」
正直言えば、引き受けたくはない。
別に警視庁自体には悪感情は無い。寧ろ、これまでに何度か向こうの依頼に応えたり、或いはこちらからの依頼に協力してもらったりなど、仕事仲間として中々に良い関係を築いて来た。
しかし、今日来た男のあの態度を考えると、警視庁には申し訳ないがそんな気が起こらなくなってしまう。
「零細探偵事務所にとっては、依頼の一つ一つが大事な仕事だ。否応もないよ。
それに警視庁は僕らの大事なお得意様だ。彼らの面子に泥を塗る訳にもいかないだろう。」
「・・・仰る通りです。」
「とは言え、君の思っているように今回の依頼人の何も感じない訳では無い。」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、先生は僕の顔を見る。
ああ、また先生の悪い癖が出たなと思いつつも、僕自身もワクワクする思いが沸き上がってくるのだ。
「成る程、でしたら今回の依頼も謹んで引き受けさせて戴きます、と。ただし・・・、」
「只、唯々諾々と引き受けるのでは癪に障る。」
「であれば、僕らは僕らのやり方で楽しませてもらう、ですかな。」
僕と先生の言葉を引き継いだのは、それまで一言も話さなかった江戸川だった。
彼もまたこの部屋にいた。ただし彼の場合は僕とは異なり、先の遣り取りを終始ニヤニヤしながら眺めていた。
そして今も、あの貼り付けたようなニヤニヤ笑いを崩すことなく僕と先生を睥睨する。
「随分と楽しそうだな、江戸川。」
「ええ勿論ですとも。これまで何人も、その影も形も掴めなかったあの殺人鬼の尻尾をついに掴むことが出来たのですから。
それに、明智君のほうこそ随分と心を躍らせているように見受けられますが、どうですかな?」
「否定はしないさ。」
先生は懐から取り出した煙草を咥え、火を付ける。
「そうだな・・・、」
紫煙を吐きながら、ひとしきり一服を堪能した後、
「先ずは現場の方から見てみようか。」
行き先を決定した。
※
そうして事件現場となった集合住宅まで僕らは来たのだが、
「何だったんでしょうか、あの人達は。」
「あの警部殿が用意して下さった護衛役とやらだろう。
とは言えその人選も、些か奇矯に過ぎると言うものだったが。」
初めてその人達を見た時には、思わず面を喰らってしまった。
どこをどう見ても、堅気とは思えない風体の警官が入り口の前で待機していたからだ。
「一体何をどうすれば、あんな方々ばかりを集められるのでしょうか。」
「別に珍しい事でもない。警察とヤクザの違いなんて、日向者か日陰者かの違いでしかない。どっちも舐められたらお終いってことさ。
まあ、でもアレは僕に対する嫌がらせが多分に含まれてることは否定できないだろうけどね。」
警視庁も只単にお得意様と言うだけでは無い。純粋に先生を尊敬し、協力を仰ごうとする者もいれば、その卓越した能力に嫉妬する者もまた存在するのもまた事実だった。
そうこう話しているうちに、その部屋の前に着いた。
「301号室か。」
着いたのは、一番右端の部屋だった。
その扉の前にも警戒線が貼られている。
それでも、先生と江戸川は特に気にすることも無いと風に扉を開け、中へと入って行った。
「流石は、最新鋭の建物と言ったところかな。」
中には暖房器具を含めた何点もの備え付け家具は配置されており、床も昨今ではまだ珍しい木目の床、そして壁面もモダンな装いの壁紙が貼られている。
だが、それよりも先ず感じたのは、錆びた鉄のような臭いだった。
「ここだな。」
僕達はある一室に着いた。
床には白い線が人の形を模したように貼られている。
だがソレはまるでバラバラ。
そして床の至る所に散らばるうっすらとした黒い染み。考えるまでも無く、ソレが何なのかは理解できた。
事件後に警察が現場の死体や血痕の処理や清掃をしたようだが、やはり完全には消すことは出来なかったらしい。
「殺害されたのは、仙波京さん、27歳女性。
同居人は夫の仙波公一郎さん29歳と、娘の仙波霧恵ちゃん6歳の3人家族。
死亡推定時刻は4月3日の深夜から4月4日の未明頃にかけて。
第一発見者は娘の霧恵ちゃんで、物音で深夜に目が覚めた彼女がバラバラに切断された遺体と、その実行犯を目撃。
その後、帰宅した公一郎さんが部屋の中の惨状とその中で気を失っていた霧恵ちゃんを発見。その後すぐに霧恵ちゃんを近くの病院まで運び、その後に警察に通報。
通報を受けた警官が現場に到着し、遺体の破片が部屋中に散乱している模様を確認。
検死の結果、遺体の後頭部に鈍器で殴打された傷痕、また切断された遺体と比べ、散乱した血液量が少ないことから、直接の死因は鈍器による殴打であると推測される。」
江戸川が事件の概要を説明する。
果たして一体いつ手に入れたのか、彼の手には事件に関する数枚の資料が握られていた。
「つまり犯人は死んだ後に遺体を切断したということか。」
「そうなりますな。」
「ふむ・・・、」
先生は顎に手を当てて、暫くの間、考える仕草を取った後、
「遺体を見ない事には何とも言えないが、先ずは部屋を検めよう。」
検分に取り掛かった。
◇
入学式から1週間が経った。
新たな学校での暮らしにもある程度は慣れ始め、教室の中にも多少の余裕が生まれ始めてきた。
だたし俺の場合、あの日以来、アーデルハイトとの関係は良いとは言い難いものとなっていたが。
そんな学校生活の午後のことだった。
「魔術、或いは呪術でもいい。
これほど人殺しにおいて便利な手段は無く、同時にこれほど殺人に不適な手段も無い。」
そんな教師の言葉から授業が始まった。
”人殺し”、”殺人”。
突然の不穏当な単語に、教室の空気がざわつく。
「あの、先生・・・、殺人というのはどういうこのなのでしょうか。」
一人の生徒が意図を計り兼ね、質問する。
「余り深い意味はないよ、例示の一つだ。
人殺しと言うのが嫌なら、悪戯と置き換えても良い。寧ろこっちの方が分かり易いかな。」
それでも殆どの奴らはまだピンときてないようだ。
「ねえ、深夜。どうしてだか分かる?」
後ろから若葉が耳打ちをしてくる。
「まあな。つーか若葉も知ってんだろ。」
「えへへー、まあね。」
何が嬉しいのか知らんが、後ろで笑っている。とそこに、
「おい、そこの2人。私語は慎むように。」
と教師に注意された。
「ごめんなさーい。」
と、後ろからは能天気そうな声が聞こえて来る。
「よし・・・、なら罰として柊、君が答えてなさい。」
コイツのせいで、とんだとばっちりを喰らってしまった。
後ろを振り返ると、若葉は舌を少し出しながら両手を合わせて謝る仕草をしている。
「・・・はあ。」
文句の一つでも言ってやろうと思ったが、その気も削がれる。
取り敢えずは正面に向き直り、
「先生、確かに後列の楸さんと話をしておりましたが、決して私事ではありません。」
「・・・ほう。」
「先生が投げ掛けられた問いについてより良い解を出す為の討論をしていたのであります。」
駄目元で言い訳を並べ立てた。
「成る程、そうだったのか。それは済まなかった、私も少し軽率だった。」
もしかしたら、これはいけるのかもしれない。
微かな手応えを感じ、
「ですので・・・、」
一縷の希望の糸が繋がりかけた、その刹那に
「では二人が導き出した結論を、是非この場で発表して欲しい。」
「・・・はい。」
か細い望みも退路もあっさりと断たれてしまった。
『お前、後で覚えてろよ。』
『だから今、謝ったじゃん。』
若葉に恨み言をぶつけるが最早どうしようもない。
教卓の前で満面の笑みを浮かべる教師。だが悲しいかな、その目はまるで笑っていない。
ここが潮だと、大人しく観念する外なかった。
とは言え、答えは分かってはいる。故に、
「すぐにバレるから、ですか?」
端的に結論だけを示した。




