第四話 帰り道の約束
東門の外でメグがモルバットに襲われてから、数日が過ぎた。
あの日、メグから知らせを受けたガードは、すぐに林を調べた。その後、ほかの道でもモルバットの目撃情報が寄せられたため、東門の外まで見回りを広げている。事件のあと、メグはまめこの送り迎えをしていたが、学院も近隣の家々へ知らせを出し、子どもたちはしばらくの間、大人と一緒にまとまって登下校することになった。
朝、まめこは食卓で鞄の中身を確かめた。
「帳面、筆記具、お弁当……揃ったで」
「お弁当を一番下に入れていませんこと?」
「今日はちゃんと上に入れたで。ほら!」
まめこが鞄を開いて見せると、メグは安心したように笑った。
「四つ角で皆さんと合流したら、わたくしはいつもの道でライセィムへ向かいますわ」
「メグ、帰りはおらんのやな」
「ええ。お迎えの方が交代でついてくださいますから」
マリーはメグにも弁当を渡し、食卓に残った皿を重ねた。
「今日はルカさんのお父様が付き添ってくださいます。帰りは私も四つ角へ出ますね」
「マリーも来るん?」
「買い物を済ませてからね。皆さんと一緒に帰りましょう」
まめこが「うん」と返事をすると、メグは弁当を鞄に収め、立ち上がった。
「何か見つけても、近くの大人に知らせるのですよ」
「メグも、一人で危ないとこへ行かんといてな」
「……ええ。何かあれば、すぐガードへ伝えますわ」
玄関を出ると、トロが門までついてきた。まめこが黒い背を一撫ですると、トロは陽だまりの方へ戻っていった。
四つ角には、ルカとエルナ、ニコルがいた。ルカの父親と、もう一人の付き添いの大人も一緒に立っている。道の向こうでは、尖った耳の女性が露店の籠を並べ、馬の蹄が石畳を軽やかに鳴らしていた。
「まめこ、待ってたぞ」
「お待たせ」
「魚の石、エルナにも見せたんだ」
「見せてもらったよ。光にかざすと、きらきらするんだね」
エルナがにこりと言うと、ルカの父親が子どもたちの人数を確かめた。
「揃ったな。私が先を歩く。後ろにも大人がいるから、皆が見えるところにいてくれよ」
ルカは石を袋にしまって、父親のあとを追った。まめこはエルナと並び、ニコルもその隣について歩き始めた。メグも、分かれ道までは一緒だった。
「では、わたくしはこちらへ。帰りも寄り道せずに」
「メグこそ、ちゃんと勉強してきてな」
「まめこに言われるなんて!」
メグは笑いながら、ライセィムへ続く道へ曲がった。外套の裾が、人の間へゆっくり消えていく。
東門では、腰に剣を差した狼獣人のガード、セラが地図を広げていた。灰色の耳が、荷車の音にぴくりと向く。
「おはよう。今日もみんな一緒だね」
「おはよう!」
セラは付き添いの大人へ見回りの状況を伝えたあと、子どもたちに目線を合わせて言った。
「林の方は、まだ調べているんだ。今日はお父さんたちと、表の道を通ってね」
「分かった!」
ルカの声に驚いた鳩が一羽、門の上へ飛んだ。門をくぐれば、学院はもうすぐそこだった。
教室では、ローザ先生が東門と周りの道を描いた紙を黒板の横に留めていた。
「今日は帰り道のことを話しましょう。最近モルバットの出現が増えています。凶暴なモンスターです。襲われると大怪我をするかもしれません。見慣れない生き物を見たら、近寄らず、大人がいる方へ離れます。近くのお店や家に入れてもらってもかまいません。安全な場所から、見たことを知らせてください」
まめこは黒板の紙の中に、毎朝曲がる四つ角を見つけた。その先の細い道を目でたどると、ルカが手を上げた。
先生に呼ばれると、ルカは紙の前に出て、地図の細い線を指した。
「ここ、近道なんだけど」
「林を抜ける道ですね。今は林に入らず、大人と一緒に表の道を通ってください」
「うん。石も拾いに行かない」
「石拾いは、また今度ですね」
ルカは名残惜しそうに細い線を見てから、手を下ろした。
まめこは、メグから聞いた話を思い出した。あの日の帰りが遅かったのは、ガードに知らせに行っていたからだという。いつも歩いていた道にも、危険なものが出てくる。黒板の紙に描かれた林を見ているうちに、まめこの手は膝の上で鞄の紐を握っていた。
「帰りもここで待つん?」
「ええ。お迎えの方が来るまで、先生と一緒に待ちましょう」
先生の返事を聞いて、まめこは紐から手を離した。
音楽の時間になると、フィオナ先生は子どもたちを教室の前へ集めた。今日は、前から練習している歌を歌うという。先生が最初の一節を口ずさむと、ルカがさっそく続きを歌った。
「まだですよ。まずは手でリズムを取ってみましょう」
ルカは開けた口を閉じ、胸の前で両手を構えた。
「先生の手を見て、同じようにたたいてみましょう」
ぱん、ぱん。まめこはエルナと目を合わせて、先生の手に合わせた。ニコルも合わせて手をたたく。ところがルカの手だけ、だんだん速くなる。
「ルカ、手が先に走ってるで」
「走ってないぞ」
「今、早かった」とエルナ。
フィオナ先生がもう一度、ゆっくり手をたたいた。ルカも皆の音を聞いてから手を動かす。リズムが揃ったところで、先生が歌い始めの合図をした。
まめこは手をたたきながら歌った。隣ではエルナが、少し離れたところではニコルが同じ歌詞を口にしている。ルカの声が一度だけ先走ったが、今度はすぐに戻った。歌い終わると、ルカは先生より先に両手を下ろした。
「今のは合ってただろ?」
「だいたいな」
まめこが答えると、エルナが笑い、まめこもつられて笑った。
ライセィムでは、メグがサヴィル先生の話を帳面に書き留めていた。休み時間になると、先輩のレイナが声を掛ける。
「おはよう、メグ」
「おはようございます、レイナ先輩」
「今日は落ち着いているね。送り迎えは大丈夫になったの?」
「ええ。近所の子たちと一緒に通うことになりましたの。大人が交代で付き添ってくださいますわ」
「それなら、授業のあとも、少しゆっくり復習できるね」
メグは頷き、書きかけの帳面へ目を戻した。この数日は、授業が終わるとすぐに迎えへ向かっていた。今日は帰りの時刻を気にせず、分からなかったところを先輩に尋ねられる。
「ずいぶん熱心だね。授業のまとめ?」
「ええ。でも、書き切れませんでしたの」
レイナが隣の空いた椅子に腰を下ろした。メグの帳面の下には、途中で途切れた一行がある。
「どこまで聞けたか教えて。続き、説明するよ」
「ありがとうございます、先輩」
メグは筆記具を持ち直した。
午後、授業を終えた子どもたちは、学院の出口でローザ先生と一緒に待った。やがて、ルカの父親と、朝も付き添っていた大人が迎えに来た。
「全員いるか?」
「まめこ、エルナ、ニコル、俺! 四人!」
「数えるお手伝い、ありがとう。先生も確かめますね」
ローザ先生は一人ずつ名前を呼び、ルカの父親へ引き渡した。
東門でセラが、付き添いの大人と帰り道を確かめた。見回りの続く林の奥へは入らず、皆が通る道を行く。
道端の茂みが、がさがさと揺れた。まめこは足を止めた。葉の奥は暗く、何が動いているのか見えない。
「おじさん、あそこ、何かおる」
ルカの父親は茂みへ目を向け、子どもたちを道の反対側へ寄せた。
「少し離れていような」
まめこが下がったとたん、葉を押し分けて大きな鳥が飛び出した。ばたばたと激しく羽ばたき、長い尾を引いて道を横切る。
「わっ!」
まめこは肩をすくめ、隣のエルナの手をつかんだ。鳥は向こうの草地へ降りると、背の高い草の間に駆け込んだ。
「キジだよ。もう行ってしまったな」
ルカの父親に言われ、まめこは草地を見た。長い尾がちらりと見え、それもすぐに隠れた。
「びっくりした……」
「私も」
エルナもまめこの手を握っていた。
「よく知らせてくれたな。じゃあ、行こうか」
皆がまた歩き出すと、ルカが両手を大きく広げた。
「羽、こんなにあった!」
「尾っぽも長かったね」
ニコルが草地を振り返った。まめこもつられて見たが、もうキジの姿はなかった。
四つ角には、買い物籠を持ったマリーがいた。
「おかえりなさい。今日はどうでした?」
「皆で歌ったで。あと、帰りにキジが出てきてん。めっちゃ大きかったわ」
ルカの父親も頷いた。マリーはまめこの頭を撫で、皆に礼を言ってから、家へ続く道を歩き始めた。
「まめこ、また明日ね」
エルナが手を振る。まめこも振り返って「うん」と返した。
夕方、メグがライセィムから帰ってきた。授業のあとに残って復習したところは、帳面の空いていた行まで埋まっていた。
「メグ、今日な、ルカの手がどんどん速くなったんやで」
メグは目を丸くして、まめこの顔を見た。
「手が?」
「音楽の時間や。こうやって、皆で手ぇたたいてたらな」
まめこは胸の前で手をたたいた。最初はゆっくり、だんだん速くする。
「『走ってないぞ』って言うんやけど、エルナにも早いって言われてもうて」
まめこがくすくす笑うと、メグも口元を押さえて笑った。
「それで、歌えましたの?」
「うん。最後はちゃんと合ったで。メグは?」
「わたくしは、レイナ先輩に分からなかったところを教えていただきましたわ」
「帰り道でな、茂みががさがさ鳴ってん。ルカのお父さんに言うて、離れたらキジが飛び出してきてんで」
メグは安心したように微笑んだ。
「そう。自分で見に行かずに、知らせられたのですね」
まめこが頷くと、メグは鞄を置いて隣に座ろうとした。そのとき、マリーが台所から顔を出した。
「お嬢様、先に手を洗ってくださいね」
「メグ、また先に言われてもうたな」
「今からそうするところでしたわ!」
二人は並んで洗い場へ向かった。トロが足元をすり抜ける。まめこは皆でリズムを揃えた話をし、メグはルカの真似をして少し速く手をたたいた。
「メグも早いで」
「ルカの手は、こうでしたの?」
「もうちょっと速かったで」
メグがさらに速くたたこうとすると、台所からマリーの声がした。
「お水が冷めてしまいますよ」
メグは慌てて手を洗った。まめこは隣で手拭いを広げて待ちながら、今日、教室で歌った歌を口ずさんだ。
メグが耳を傾けると、まめこはそのまま続きを歌った。窓の外では道が夕日に染まり、四つ角の方から、買い物帰りの人たちの声が届いていた。
まめこ「鳥がな!」
めぐ「ぴくっ」




