第35話 湯気の向こうの秋
窓の向こうで、枝が揺れていた。
以前は葉に隠れていた細い枝も、今では先まで見えている。残った黄色い葉が、風のたびに裏返った。
菜園へ種をまいてから、何週間かが過ぎていた。
まめこは布団の中で膝を寄せた。
足を伸ばすと、まだ自分の体で温めていない場所に触れる。そこが冷たくて、すぐに引っ込めた。
枕元に置いた服は見えていた。
けれど、布団から手を出す気にはなれなかった。
「まめこさん。朝ですよ」
扉の向こうから、マリーの声がした。
「……あい」
「起きていらっしゃいますか?」
「起きてる」
返事をしてから、布団を顎まで引き上げた。
マリーが入ってきた。
いつもの黒い服の肩には、毛織りのショールが掛かっている。窓辺へ行き、カーテンを開ける手元からは、長い袖口がのぞいていた。
「今日は学院がお休みでも、朝ご飯はございますよ」
「ここまで持ってきて……」
「スープをこぼしてしまいます」
まめこは布団から、耳と目だけを出した。
「スープ?」
「茸とお野菜の、温かいものです」
布団を少し下げ、鼻も出してみる。
部屋までは、まだ匂いが届いていなかった。
マリーが服を持ち上げる。
「先にこちらを着ましょうね」
薄手の寝間着から着替える服のほかに、重ね着用の上着も用意されていた。
まめこは布団の中で起き上がり、しぶしぶ寝間着を脱いだ。マリーの差し出す服へ片腕を通し、今度は反対側の腕を出す。
着終えるまで、膝には布団を掛けたままだった。
「次は、足を出してくださいね」
「足が一番、寒いんや」
「靴下を用意してありますよ」
まめこは、布団の端から片足を出した。靴下を履くと、ようやく残りの布団をのけた。
*
階段を下りる途中で、薪の匂いがした。
食卓の近くにある暖炉には、火が入っていた。
赤く熾った薪の上で、細い炎が揺れている。薪の端が小さく鳴り、まめこは最後の段を下りると、まっすぐそちらへ向かった。
敷物の上に、黒いものがあった。
トロだった。
前足を胸元へ収め、目を半分だけ開けている。
「お前、先にここおったん?」
「ニャ」
まめこは隣へしゃがみ、両手を火の方へ向けた。
指先から、少しずつ温かくなっていく。
「わたしのとこ、残してた?」
トロは片耳を動かした。
「まめこ。朝ご飯にしましょう」
食卓で、メグが呼んだ。
白いシャツの上に、紺色の厚手の上着を着ている。三つ編みを肩の前へ寄せ、湯気の立つ器を見つめていた。
「そこへ座ったら、また動けなくなりますわよ」
まめこは、膝を見た。
「ちょっとだけや」
「スープが冷めますわ」
まめこは立ち上がった。
トロは立たなかった。
*
器の中には、茸と人参、それから白い蕪が入っていた。
匙を入れると、透き通った汁の下から茸の傘が現れる。蕪の角は丸くなり、人参には薄く脂の光が浮かんでいた。
まめこは器へ両手を添えた。
「あったか……」
「熱すぎませんか?」
マリーが尋ねる。
「うん。持てる」
匙を口元へ運び、ふう、と吹いた。
ひと口飲む。
喉の奥へ温かいものが通り、肩の力が抜けた。
「おなかもあったかい」
メグが微笑んだ。
「やっと、お顔が起きましたわね」
「さっきから起きてたで」
「ええ、返事はしていらっしゃいましたものね」
マリーがパンの籠を置いた。
温め直したパンの切り口から、まだ少し湯気が出ている。まめこが一切れ取ると、指に柔らかな熱が残った。
バターを乗せたところが、じわじわと濃い色に変わっていく。
まめこはしばらく見てから、端をスープへ浸した。
「お袖を、少し上げてくださいね」
マリーの声で、手を止めた。
袖口が、器の縁へ近づいていた。
「あ、つくとこやった」
メグが笑い、まめこの袖をひと折りした。
蕪は、匙の背で押すと簡単に割れた。
まめこは半分を食べ、残りを汁の中へ戻した。朝の窓は明るかったが、ガラスの下の方は薄く曇っている。
「外、寒い?」
「昨日より、風が冷たいですわね」
「畑の子、寒ないんかな」
メグが器から目を上げた。
「朝ご飯が済んだら、見に行きましょうか」
まめこは頷き、次の茸をすくった。
*
小さな皿に、煮た林檎が出てきた。
切り分けた実に煮汁が光り、匙で触れるとやわらかく崩れる。甘い匂いの中に、少しだけ香辛料の匂いが混じっていた。
「これも、あったかいん?」
「はい。お鍋から出したばかりです」
まめこはひと口食べた。
酸っぱさのあとに、甘さが広がった。
「これ、好きや。もう一つ食べてええ?」
「ええ。まだございますよ」
メグも匙を入れた。
マリーは自分の席につき、ショールの端を肩へ戻した。
「この季節の林檎は、そのままでもおいしいですけれど、こうして温めてもよろしいですね」
暖炉で薪が鳴った。
その音を聞いて、まめこは振り返った。
トロが伸びていた。
さっきまで隠れていた後ろ足まで、敷物の上へ出ている。
「あいつ、もう溶けるで」
「気持ちよさそうね」
メグは笑いながら、もう一切れ食べた。
*
庭へ出ると、頬に風が当たった。
まめこは上着の前を押さえた。
足元の落ち葉が、かさりと鳴る。夏には木陰だった場所に、今は低い日差しが届いていた。
菜園の土は、朝露を含んで色が濃い。
「ほうれんそう」の札が、少し斜めになっている。
その向こうには、緑の葉が並んでいた。
芽が出たばかりの頃の細い二枚とは違う。丸みのある葉が増え、隣同士の間にも影ができている。
「おっきなったなあ」
まめこは通路へしゃがんだ。
指を出しかけて、膝へ戻す。
「これ、もう食べられる?」
「もう少し育てましょう。混み合っているところは、間引いた葉を食べられますよ」
マリーが隣へ屈んだ。
まめこは列の途中を指した。
「ここ、二人いっぺんに落ちたとこや」
「そうでしたね」
マリーが近くの葉をそっと分けた。
前に間引いたところにも、新しい葉が広がっている。
「ご飯になるまで、長いな」
「でも、土だけだった時とは違うでしょう?」
メグが言った。
まめこは頷いた。
札に描いた丸い玉ねぎは、まだ地面に現れていない。けれど、その向こうの葉は、前よりしっかり立っている。
キャベツも、葉の枚数が増えていた。
真ん中の小さな葉を囲むように、大きな葉が外へ広がっている。
「隣、近なってきた」
「離して植えて、よかったですわね」
メグが両手を広げた。
まめこも同じように両手を広げ、キャベツの幅と比べた。
「もっとなる?」
「ええ。これからです」
*
エンドウには、小さな葉と細い巻きひげがあった。
まめこは顔を寄せた。
「手、出てる」
「何かにつかまるための、巻きひげです」
マリーが答えた。
「春までに、もっと伸びるかな」
「伸びてきたら、つかまる枝を立てましょうね」
まめこは札に描かれたさやを見た。
中に描いた三つの丸は、土の跳ねた跡で一つ隠れている。乾いたところを指で払うと、また姿を現した。
マリーは苗の周りの小石を一つ取り除いた。
メグが、通路へ落ちた葉を拾った。
まめこも一枚拾う。
端は茶色くなっていたが、真ん中にはまだ赤いところが残っていた。
「夏、こんな色ちゃうかった」
葉を光へ向ける。
その時、裏口の向こうで小さく鳴き声がした。
マリーが戻って戸を開けると、トロが立っていた。
庭を見て、三人を見て、一歩だけ外へ出る。
「お前も監督する?」
風が吹いた。
黒い毛が揺れた。
トロは足を戻し、家の中へ引っ込んだ。
「……暖炉の監督か」
「ニャ」
*
昼前に、店からの使いが来た。
メグが受け取った手紙には、セイジズカットの名があった。
まめこは椅子へ膝をつき、その横から覗き込んだ。
「アバン?」
「ええ。まめこに、お渡ししたいものができたそうですわ」
「何やろ」
メグが手紙を少し傾けると、マリーも添え書きへ目を通した。
「暖かい服、と書いてありますね」
まめこの手が、自分の耳へ上がった。
「耳、入るやつ?」
メグは頷いた。
「お二人でお話ししていた、あの服でしょうね」
アバンとベリーが紙を覗き込んでいたところを、まめこは思い出した。
帰ろうとしても、鉛筆はまだ動いていた。
「ほんまに作ったんや」
「明日の午後でしたら、伺えますわね」
「あい!」
メグは使いに待ってもらい、短い返事を書いた。
まめこは椅子から下り、暖炉の前へ行った。
トロが、戻ってきた時と同じ場所にいた。
「明日、耳の服もらうで」
黒い耳が動いた。
まめこはその隣へ座り、膝を抱えた。
「わたし、外でもあったかなるねん」
トロは目を閉じた。
まめこは耳へ触れ、まだ見ていないフードの大きさを、両手で作ってみた。
窓の外を、赤い葉が一枚、横切った。




