第32話 小さな葉っぱの畑
裏口の前に、細い苗が束になって置かれていた。
まめこはしゃがんで、その先を見た。
緑の葉は長く、途中から曲がっている。下の方には白いところがあって、そこから細かな根が何本も出ていた。
「マリー。これ、ネギ?」
「玉ねぎの苗ですよ」
まめこはもう一度、束を見た。
丸いところがなかった。
「玉ねぎ、どこ?」
「これから育つのです」
「……これが?」
「はい」
マリーは木箱へ苗を収めた。隣には、葉を何枚か広げた別の苗と、紙の袋が二つ入っている。
昨日、メグとまめこが買ってきたものだった。マリーが頼んでおいた苗と種を、店で揃えてもらったのだ。苗は包みに入っていたので、まめこは玉ねぎの姿をよく見ていなかった。
「今日は、こちらを植えましょうね」
朝ご飯の片づけが終わったところだった。
裏口から入ってくる風は少し冷たく、まめこは袖を下ろそうとした。けれど、これから土を触ると言われて、もう一度まくった。
マリーが小さな前掛けの紐を結んでくれる。
「お靴も、こちらにしてください」
外仕事用の靴へ履き替えると、まめこは木箱の端を持った。
「わたしも運ぶ」
「では、そちらをお願いします」
二人で持ち上げる。
苗の葉が、箱の中で揺れた。
トロが先に裏口を出て、庭へ続く石の上で振り返った。
「お前、何も持ってへんやん」
「ニャ」
まめこは木箱を持ち直した。
「先、見といてな」
*
菜園には、茄子の大きな葉はもうなかった。
夏の間、枝を支えていた棒も抜かれ、壁際へ揃えて置かれている。前には葉の陰になっていた地面へ、朝の光がまっすぐ届いていた。
土は、少し前からマリーが手を入れていた。
古い根を取り除き、堆肥を混ぜて耕したところが、低く盛り上げられている。その間には、人が歩ける細い道が残してあった。
まめこは箱を下ろし、土へ指を入れた。
表面は乾いていたが、少し掘ると色が濃くなった。指の間で崩すと、小さな塊がぽろぽろ落ちる。
「ふわふわや」
「根が伸びやすいように、ほぐしてあります」
庭の木から落ちた葉が、通路の端へ引っかかっていた。
まめこが拾って脇へ寄せると、葉の下から小さな虫が走り出した。
トロの頭が下がる。
前足が、すっと出た。
「あ。逃げた」
虫は石の隙間へ入った。
トロが鼻を近づけたところで、裏口の方から声がした。
「お二人とも、もう始めていらっしゃるの?」
メグだった。
白い帽子を被り、手には水差しではなく、大きなじょうろを持っていた。
「これから植えるところでございます」
マリーが答える。
メグは木箱を覗き、菜園の端へじょうろを置いた。それから、土の列を見渡して腕を組んだ。
「では、わたくしも見ておりますわ」
まめこは顔を上げた。
「めぐ、監督?」
「ええ。まめこがきちんと植えられるか、見なくては」
まめこは背筋を伸ばした。
「あい!」
元気よく返事をして、木箱へ近づこうとした。
「まめこ。そちらは踏まないでね」
足が、空中で止まった。
下には、きれいに整えられた土があった。
「……こっち?」
「その間の道ですわ」
まめこは足を戻した。
片足で少し揺れて、マリーの肩へ手をつく。
その横を、トロが歩いていった。
柔らかい土の上に、小さな足跡が四つ、続けてついた。
「トロ。あなたもよ」
黒い猫が振り返った。
「ニャ?」
「そこは、通り道ではありませんわ」
メグが近づくと、トロは土の列から降りた。
まめこは通路へ両足を揃え、ほっと息をついた。
「監督、忙しいな」
「始める前から、忙しいですわね」
*
最初は、キャベツだった。
マリーが一本持ち上げると、根の周りには土がまとまってついていた。
葉は青みのある緑で、丸い縁が少し波打っている。
「これも、丸なってへん」
まめこが言うと、マリーは苗を低くして見せた。
「まだ小さいですから。これから葉が増えて、真ん中の方が巻いてくるのですよ」
まめこは葉の間を覗いた。
小さな葉が、中心で重なっていた。
「ここが、おっきなるん?」
「はい。そこへ土をかぶせないように、植えましょうね」
マリーは小さな移植ごてで穴を掘った。
苗を入れ、深さを確かめる。周りの土を戻して、根のそばを軽く押さえた。
葉が、地面の上で広がった。
「次は、まめこさんがやってみますか」
「やる」
移植ごてを受け取った。
今植えた苗のすぐ隣へ、先を入れる。
「もう少し、離しましょう」
マリーが手で場所を示した。
まめこは苗と、その場所を見比べた。
「そんな離すん? ここ、いっぱい空くで」
「大きくなると、葉が広がりますから」
メグが両手を広げた。
「このくらいの葉になったら、お隣とぶつかってしまうでしょう?」
まめこも、片手を広げた。
苗の小さな葉より、ずっと大きかった。
「今は、ちっちゃいのにな」
教わった場所へ穴を掘る。
土が思ったより多く取れて、穴は少し深くなった。苗を置くと、葉の付け根が地面より下になってしまった。
「ちょっと、深い?」
「そうですね。底へ土を戻してみてください」
まめこは苗を一度上げた。
土を戻し、もう一度置く。
今度は、マリーの植えたものと同じくらいになった。
「これでええ?」
「はい。根の周りへ、土を寄せてあげましょう」
両手で土を集めた。
葉へ当たらないように、指を少しずつ動かす。最後に周りを押さえると、苗は手を離しても立っていた。
まめこは腰を浮かせた。
「立った」
「上手に植えられましたわ」
監督の声がした。
まめこは、もう一度しゃがんだ。
葉の上へ落ちていた小さな土の粒を、指先でそっと払った。
*
玉ねぎの苗は、キャベツより近くに並んだ。
マリーが紐を張り、その横に植える場所を示してくれる。
まめこは束から一本取った。
根が隣の苗と絡んでいたので、引っ張る前に、マリーがほぐしてくれた。
「葉っぱも、埋めるん?」
「根と、下の白いところを少し。深く埋めすぎないようにしてくださいね」
細い苗を穴へ入れる。
片手で支え、もう片方で土を寄せた。
手を離すと、葉の先が横へ倒れた。
「あ」
まめこは慌てて掴もうとした。
マリーが、そっと手を止める。
「葉の先は曲がっていても、大丈夫ですよ。根元がきちんと植わっていれば」
「折れたんかと思った」
まめこは根元を見た。
白いところは土の中へ収まり、そこから緑の葉が出ていた。
次の苗も植える。
三本目になると、土を寄せる手が少し速くなった。
けれど、四本目は紐の外へ出た。
「まめこ。そちらだけ、列から離れておりますわ」
メグが指した。
まめこは横から見た。
本当に、その一本だけが手前にいた。
「こいつ、出てきてる」
「植えたのは、まめこでしょう?」
「あい」
土を緩め、まだ植えたばかりの苗を動かした。
紐の横へ戻すと、細い葉が並んだ。
メグも隣へ屈み、残っていた苗を一本取った。
「こちらは、わたくしが」
「監督も植えるん?」
「見ているだけでは、終わりませんの」
白い袖が土へ近づいた。
メグは袖口をまくり直し、まめこと同じ列へ苗を植えた。
まめこはその手元を見て、自分の次の一本を取った。
*
種の袋を開けた時、まめこは手のひらを差し出した。
マリーが少しだけ、そこへ出してくれる。
ほうれん草の種は、小さかった。
指で一つ拾おうとすると、隣のものまで動く。
「これ、落としたら分からへんな」
「ですから、一度にたくさん持たずにまきましょう」
土には、浅い溝がつけられていた。
まめこは通路にしゃがみ、種を指でつまんだ。マリーがまいたところの続きを見ながら、少しずつ置いていく。
一つ。
もう一つ。
次は、指から二つ落ちた。
「二人、いっぺんに入った」
「少し離してあげましょうか」
まめこは指先で、一つを横へ動かした。
土の粒とよく似ていたので、顔を近づける。
ピンクの髪が、頬から垂れた。
「髪まで植えてしまいますわよ」
メグが後ろから髪を寄せてくれた。
まめこは顔を上げた。
「わたしも生える?」
「朝ご飯を食べる人が増えてしまいますわね」
「わたし、いっぱいおったら、マリー大変や」
「まずは、お一人ずつ、手を洗っていただきましょうね」
マリーが答える。
まめこは、土のついた両手を見た。
「みんな、こんなんやで」
種をまき終えると、上へ薄く土をかぶせた。
さっきまで見えていた種が、隠れた。
まめこは端から端まで眺めた。
「なくなったみたいや」
「土の下にありますよ」
「覚えとかな」
まめこは、溝のあった場所を指で示した。
「ここ、ほうれん草」
*
豆の種は、手のひらへ置いても、よく見えた。
まめこは丸い粒を指で転がした。
「これは、もう豆やん」
「ええ。エンドウの種です」
「これ植えたら、もっと豆になるん?」
「芽が出て、葉が育って、花が咲いて。それから、豆の入ったさやができます」
まめこは一粒つまんだ。
手に持っている豆と、畑の空いたところを見比べる。
「いっぱい?」
「うまく育てば、たくさん採れますよ」
「ほな、明日のご飯は豆やな」
メグが笑った。
「明日では、まだ早いですわ」
「明後日?」
「こちらは、冬を越してからです」
マリーが言った。
まめこの指が止まった。
「冬、全部?」
「はい。春になって、大きく育ってから」
まめこは庭の木を見た。
葉の端が黄色くなり、枝の向こうには青い空が見えている。
冬になれば、今より寒くなる。
そのあと、また暖かくなるまで、豆は畑にいるのだった。
「長いなあ」
「待っている間も、お世話をしてあげましょうね」
まめこは頷いた。
マリーの作った穴へ、豆を数粒置いた。ほうれん草の時よりも、指から離れるところがよく見えた。
上へ土を戻す。
「春まで、ここやで」
小さく言って、隣の穴へ移った。
*
じょうろは、水を入れると重かった。
まめこが両手で持ち上げると、水が中で揺れた。そのたびに、取っ手が手のひらへ食い込む。
「少し減らしましょうか」
マリーが別の桶へ水を分けてくれた。
今度は持てた。
まめこはキャベツの前へ立ち、じょうろを傾けた。
先の穴から、細い水が広がった。
乾いた土が、濃い茶色へ変わっていく。
「そう。低いところから、ゆっくりお願いします」
マリーの声に合わせて、まめこは腕を少し下げた。
葉に乗った水が、丸い滴になった。
一つの苗へ水をやり、次へ移る。
足元を見て、通路を歩いた。
今度は踏まなかった。
「めぐ、見てた?」
「ええ。ちゃんと道を歩けましたわね」
まめこは得意になって、玉ねぎの列へ向いた。
その時、後ろで黒い尻尾が動いた。
「まめこ、少し待って」
メグの声と同時に、トロが足元を横切った。
まめこはじょうろをまっすぐにした。
最後の水が数滴、黒い背中へ落ちる。
トロは振り返った。
「ニャ」
「お前が来たんやん」
トロは背中を一度震わせ、乾いた石の上へ移った。
メグがそのそばへ座る。
「こちらで見ていましょうね」
黒い頭を撫でると、トロは前足を畳んだ。
まめこは水やりへ戻った。
ほうれん草と豆をまいたところには、土が流れないように、そっと水を落とした。
まだ芽の出ていない、ほうれん草と豆の種をまいた土にも、忘れずに水をやった。
*
片づけの前に、マリーが小さな木の札を持ってきた。
まめこは膝の上へ一枚置き、鉛筆を握った。
土のついた指で持つと、札の端にも茶色い跡がついた。
「ほうれんそう……」
声に出しながら書く。
最後の字が入る場所が狭くなったので、小さくした。
次は、玉ねぎ。
その下へ、丸い玉ねぎを描いた。
「まだ、これはできてへんけど」
「育った時の絵ですわね」
メグが覗き込む。
キャベツの札には、丸の中へ何本も線を入れた。葉の重なりを描いたつもりだったが、まめこには、少し毛糸玉にも見えた。
しばらく考えて、横へ葉を二枚足した。
「これで分かる?」
「はい。名前も書いてありますから」
マリーが答えた。
豆の札には、細長いさやと、その中に丸を三つ描いた。
書き終えた札を、植えた場所の端へ立てていく。
ほうれん草。
玉ねぎ。
キャベツ。
エンドウ。
まめこは最後の札を押し込み、手を離した。
少し傾いていたので、反対側の土も押さえる。
今度は、まっすぐになった。
*
道具を洗い終える頃には、朝より日が高くなっていた。
まめこの靴の先には土がつき、前掛けにも小さな染みができている。袖を下ろそうとして、手まで汚れていたことを思い出した。
「まず、お手を洗いましょう」
マリーが言った。
まめこは頷いて、それから菜園を振り返った。
キャベツの葉が並んでいた。
玉ねぎの細い苗は、ところどころ違う方を向いている。
種をまいたところには、まだ土しかなかった。
でも、札があった。
「めぐ。明日、見に来てええ?」
「もちろんですわ」
「芽、出てるかな」
「すぐには出ないかもしれませんけれど。見に来るのは、構いませんよ」
マリーが、空になった木箱を持ち上げた。
「ただし、土を掘って確かめてはいけません」
まめこは顔を上げた。
「……あかんの?」
「せっかく伸びた根を、傷めてしまいますから」
メグがまめこを見た。
「今、掘ってみようと思いましたわね?」
「ちょっとだけ」
「上から、見て待ちましょう」
まめこは土の方へ向き直った。
「分かった。掘らへん」
トロが石の上から降りてきた。
まめこはその前へしゃがみ、黒い顔を覗いた。
「お前もやで。ここ、掘ったらあかん」
「ニャ」
トロは、まめこの前掛けへ頬を擦った。
メグが後ろから呼んだ。
「二人とも。お昼にしましょう」
まめこは立ち上がった。
足の下を見て、通路を歩く。
菜園の端まで来てから、もう一度だけ振り返った。
風で、キャベツの小さな葉が揺れていた。
「また明日な」
まめこが言うと、マリーは木箱を抱えたまま足を止め、芽のない土へも目を向けた。
メグは、まめこの前掛けについた土を軽く払った。
「明日の監督は、まめこにお願いしようかしら」
まめこの猫耳が立った。
「わたし?」
「ええ。トロが入らないか、見ていてくださいまし」
まめこは足元を見た。
トロはもう、裏口へ歩いていた。
「トロ! 明日、わたし監督やで!」
黒い尻尾だけが、ゆっくり揺れた。
まめこはその後を追い、裏口で靴を脱ぎ、きちんと揃えた。
「明日は、芽ぇ出るかな」
返事の代わりに、トロの尻尾がひとつ揺れた。




