第30話 お花が咲いたで
机の上に、まめこが二人いた。
一人は、正面を向いて星の杖を持っている。もう一人は後ろを向き、背中いっぱいにリボンをつけていた。
どちらにも、ピンクの耳と尻尾がある。
マリーは朝食の皿を片づけたあと、その絵の前へ呼ばれた。
「これ、わたしやで」
「はい。こちらも、まめこ様ですね」
後ろ向きの方へ指を添えると、まめこは頷いた。
「前だけやと、リボン見えへんから」
二人のまめこの隣には、黒い猫がいた。猫の耳は三角だったが、胴は丸く、四本の足は全部同じ方へ出ていた。
その向こうに、メグとマリー、それからイオルドとドーナが並んでいる。
今度のマリーは、紙の端へ押し込まれていなかった。
先に場所を決めたせいで、隣のメグより大きくなっていた。
「マリー、ちゃんと入った」
「ありがとうございます。お花も、たくさん咲いていますね」
「昨日のやつ」
まめこは花壇を指した。
鉛筆の線で囲んだ中に、淡い色の丸がいくつもある。丸の下から茎が伸び、葉が両側へついていた。
丸い石も描いてある。
「ここの横に植えたん。咲いてたやろ」
「ええ。よく覚えていらっしゃいますね」
まめこは絵の隅へ顔を寄せた。
自分の名前の最後の文字だけ、少し薄い。
鉛筆を持ち、そこをもう一度なぞった。
「できた」
今日は、お墓へ持っていく。
前に来た時、次は絵を見せると言ったことを、まめこは覚えていた。
*
衣装へ着替える前に、花の支度をした。
マリーが庭から切ってきた白い花と薄紫の花を、卓の上へ広げる。まめこは一本ずつ取って、二つの束へ交互に置いた。
途中で、花のない細い枝を見つけた。
「これ、葉っぱだけやで」
「お花の間へ入れると、きれいですよ」
マリーが一本添えると、白い花の間に小さな緑が見えた。
まめこも、もう片方へ入れた。
どちらも似た大きさになったところで、茎へ紐を巻く。
一つ目を結び、輪を引く。
ほどけなかった。
二つ目も結んだ。
輪の片方だけが長くなったが、引っ張ってもほどけなかった。
「今日は、両方できた」
まめこは二つ並べて見せた。
「ええ。どちらもしっかり結べています」
マリーが茎の下を濡れた布で包み、籠へ収めた。
その花は、この家の庭で咲いたものだった。
昨日見た公爵邸の花は、向こうの花壇に残っている。
「あっちのお花も、持ってきたらよかったかな」
まめこが言うと、帽子を持ってきたメグが絵を見た。
「こちらで、見せて差し上げられますわ」
「うん。描いた」
まめこは紙の端を持った。
花の色が、指へつかないか確かめる。
もう乾いていた。
*
淡いピンクの服を着ると、まめこは鏡の前で背中をひねった。
マリーが、大きなリボンの左右を整える。
「できましたよ」
「今日、泥つけへん」
「お掃除の時は、こちらを羽織りましょうね」
マリーは、袖まで覆える仕事用の前掛けを畳んだ。
まめこは胸のリボンを一度触り、机へ戻った。
絵の下には、メグが用意してくれた薄い板がある。重ねて布の袋へ入れると、紙が折れずに収まった。
「杖も」
「ええ。袋に入れて持っていきましょう」
玄関で待っていたトロが立った。
まめこは絵の袋を見せる。
「お前も描いたで」
「ニャ」
トロは袋を嗅いだ。
それから、マリーの籠へ鼻を向けた。
「ご飯ちゃうで。お花や」
黒い猫は、もう一度だけ籠を嗅いだ。
*
街へ続く道に、秋の日が差していた。
石垣の隙間には、細い草が残っている。道端の木は下の方から葉を落とし、その向こうに畑の土がよく見えた。
まめこはメグと手を繋ぎ、空いている手で絵の袋を持っていた。
歩くたび、裾が膝のそばで揺れる。
杖はマリーが持ってくれていた。
「お父さんらにも、きらーんする」
「周りを見てから、ですわよ」
「うん。魔法は使わへん」
まめこはメグを見上げた。
「お母さん、これ見たら、びっくりするかな」
「きっと、よく見てくださいますわ」
「後ろも見せな」
まめこは背中へ顔を向けようとして、歩幅が小さくなった。
メグも足を緩める。
「リボンは、ちゃんとついております」
「あい」
顔を前へ戻した。
通りでは、開けた店先へ木箱を運ぶ人がいた。パン屋の戸口から温かい匂いが流れ、まめこは少し鼻を動かした。
その先の角を曲がると、人の声が遠くなった。
墓地の石塀が、木の向こうに見えてきた。
*
門のガードへ挨拶をして、中へ入った。
まめこは袋を体のそばへ寄せた。道の端の低い枝に、紙を引っかけないようにする。
木の下に落ち葉が溜まっていた。
前に来た時より、黄色いものが多かった。乾いた葉がトロの足に触れ、かさりと鳴る。
分かれ道が近づくと、まめこは繋いだ手を少し引いた。
「こっちやな」
「ええ」
右へ曲がる。
並んだ墓石の間に、知っている二つの名前が見えた。
ユタと、はなこ。
まめこは、その前で止まった。
「こんにちは。来たで」
最初の声は、少し小さかった。
顔を上げて、もう一度二つの石を見た。
「今日は、絵もある」
袋を持ち上げた。
マリーが籠を置き、そばの平らなところへ布を広げてくれた。
「先に、こちらでお預かりしますね」
「うん。お掃除してから」
まめこは絵を渡し、前掛けへ腕を通した。
大きなリボンが潰れないよう、マリーが後ろの紐をその下で結んだ。
*
墓石の前には、落ち葉が数枚あった。
まめこは屈んで拾った。
足元へ垂れかけた尻尾を、膝の横へ回す。葉の下に、小さな草が生えていた。
根元に指を入れ、ゆっくり引く。
土を少しつけた根が出てきた。
「取れた」
メグが隣で頷いた。
「前より、お上手ですわ」
「下、持つんやろ」
まめこは次の草へ手を伸ばした。
今度は途中で切れた。
「……これは、あかんかった」
「残りを、もう一度」
指の位置を変えて、引き直す。
短い根が抜けるまで、まめこはそこを見ていた。
マリーが水場から戻り、小さな布を渡してくれた。
墓石の手の届くところを拭く。
濡れた石に、名前の溝がくっきりと見えた。
ユタの文字を拭き終えてから、はなこの方へ移る。袖口が石へ触れそうになると、空いた手で押さえた。
トロは絵の袋のそばにいた。
袋へ前足を載せようとして、マリーにそっと持ち上げられる。
「こちらで待っていてくださいね」
布の端へ下ろされた黒い猫は、そこに座った。
まめこはその姿を見て、口元を緩めた。
「絵の上、座ったらあかんで」
「ニャ」
*
掃除を終えると、まめこは手を洗った。
指の間まで拭いてもらい、前掛けを脱ぐ。
マリーが、背中のリボンをもう一度ふわりと広げた。
まめこは花束を受け取った。
一つずつ、二つの墓前へ置く。
長くなった紐の輪は、はなこの方だった。
「今日、両方わたしが結んだで」
輪を花の下から出して、見えるようにした。
メグが帽子を取り、マリーも静かに頭を下げた。
まめこは目を閉じた。
鳥の声が聞こえた。
枝が擦れ、葉が一枚、近くへ落ちた。
目を開けると、白い花の先が揺れていた。
まめこは自分の服を見下ろした。
「これ、作ってもろたん」
胸の前へ両手を添える。
「アバンとベリーがな。わたしの分。ちゃんと尻尾出るようになってるで」
一度、後ろを向いた。
すぐに顔だけ振り返る。
「ここ、リボン」
尻尾を横へ逃がすと、大きなリボンの下まで見えた。
「前にもあるけど、後ろの方がおっきいねん」
少し待ってから、正面へ戻った。
マリーが杖の袋を開けた。
まめこは持ち手を握り、そっと取り出す。
木漏れ日が、ガラスの星の角で光った。
「こっちは、みっきー。ガラスでできてるん」
星を、墓石の方へ向けた。
「ほんまに魔法使えるで。暗いとこ、見えるようになる」
少し考え、付け足す。
「でも、今日は使わへん。明るいし」
メグを見た。
そばにぶつかるものがないのを確かめてもらうと、左手を腰へ当てた。
右足を、少し前へ出す。
「魔法少女、まめこ」
声は、家の鏡の前より小さかった。
ステッキを上げる。
「きらーん」
星の向こうに、はなこの名前が見えた。
まめこはしばらく、その姿勢でいた。
それから杖を胸へ戻し、メグの袖へ近づいた。
「……後ろ、ちゃんと見えたかな」
「ええ。ゆっくり見せて差し上げられましたわ」
まめこは頷いた。
*
絵を出す時には、杖をマリーへ渡した。
板ごと袋から引き出し、両手で持つ。
紙の上へ、枝の影が落ちていた。
「これ、昨日のお庭」
まめこは二つの墓石へ絵を向けた。
「わたしが植えたお花、咲いてたで。石の横。前は葉っぱだけやったのに」
板の端を持ち直した。
「庭師のおじさんが、毎日見てくれてたん。ありがとうって言うた」
絵の下の方を指す。
「これがお花。ここ、トロ。マリーも、今度は入るとこ置いといた」
マリーがそばへ膝をついた。
「とても大きく描いていただきました」
「ちょっと大きなってん」
まめこは自分の描いたマリーを見た。
その隣のメグは、肩からじょうろが離れていた。
代わりに、じょうろの底が花壇へめり込んでいる。
「めぐもおるで。今日は、お水持ってる」
「ええ」
メグは絵を覗いてから、二つの墓石へ目を向けた。
まめこも顔を上げた。
「前に送った絵な、ドーナ様が飾ってくれててん」
声が、少し弾んだ。
「額縁に入ってた。木でできてて、葉っぱの模様あるやつ。ほかの絵もあるお部屋でな、椅子からも見えるねん」
話しながら、板を胸の高さへ持ち上げた。
「わたしの、あんなんに入ってると思わへんかった」
昨日、壁を見上げた時のように、まめこの顎が少し上がった。
「ドーナ様、この絵が好きって言うてくれた」
その言葉のあとで、口元が緩んだ。
花束の白い花が、石の前で揺れていた。
「……嬉しかってん」
まめこは絵を少し下ろした。
紙に描かれた二人の自分を見て、それから、墓石へ向き直る。
「お父さんとお母さんには、これ、見せに来たで」
*
風が吹くと、紙の端が浮いた。
メグが、上の角をそっと押さえてくれた。
「これは、お家へ持って帰りましょうね」
「うん。雨、降ったら濡れるし」
まめこは頷いたが、まだ袋へ戻さなかった。
「もうちょっと」
「ええ」
板を持ったまま、花の前へ立っていた。
父の顔も、母の声も、まだ浮かばなかった。
昨日のお屋敷の部屋は、よく覚えている。額縁も、お菓子も、花壇の石も。けれど、その話を聞いて笑う両親の顔は、考えても分からなかった。
まめこは絵の端へ目を落とした。
「お母さんも、絵、描いたんかな」
メグが、まめこを見た。
「わたくしは、描いていらしたところを見たことがありませんわ」
「そっか」
まめこは紙の上の花を見た。
「今度は、もっとちゃんと描く。お花も、丸だけちゃうやつ」
メグは隣へ屈んだ。
「今日の絵も、よく見せて差し上げてくださいまし」
まめこは板をまっすぐにした。
片側へ傾いていた花壇が、今度は水平に見えた。
「わたし二人おるけど、ほんまは一人やで」
墓石へ、小さく説明する。
「リボン、見せたかっただけや」
隣で、メグの口元が緩んだ。
マリーも、花束を直しながら微笑んでいた。
*
絵を袋へ収めると、メグが墓前へ向き直った。
「昨日は、父と母のところへ行ってまいりましたわ。二人とも、まめこに会えて、とても喜んでいました」
帽子を膝の上へ置く。
「いただいたお菓子より、壁の絵が気になったようですけれど」
「お菓子も食べたで」
「ええ。最後まで」
まめこは満足して頷いた。
メグは二つの名前を見た。
「お二人にも見せたいと、今朝から支度をしておりましたの。これからも、一緒に参りますわ」
マリーもそばへ座った。
「花の紐は、今日は二つとも、自分で結べました。お掃除も、手伝ってくれましたよ」
まめこははなこの墓石を見た。
「ご飯も食べてる」
「はい。毎日、よく召し上がっています」
「おにぎりも。動物園行った時、持っていったん」
マリーの手が、空になった籠の縁へ触れた。
「はなこさんに教えていただいた、おにぎりです」
まめこは手のひらを丸めた。
「ちっちゃいの、いっぱい。おいしかったで」
その手へ、トロが鼻を寄せた。
まめこは黒い頭を撫でる。
「今は、ないで」
「ニャ」
トロはまめこの膝へ頬を擦り、それから、花のそばに座った。
「トロも元気」
黒い背中へ、もう一度手を滑らせた。
*
帰る前に、まめこは花束を見比べた。
どちらも同じくらいの大きさだった。
はなこの前の長い紐の輪を、指で少し整える。
今度も、ほどけなかった。
マリーが手桶を片づけに行き、メグは絵と杖の袋を持って待っていた。
まめこは立った。
「また来るで」
二つの名前へ、順番に顔を向けた。
「次、お花もっと増えてるかな。見に行ったら、また言うな」
背中へ手を回し、リボンの端を触った。
「この服も、大事に着る」
風が裾を少し持ち上げた。
まめこは両手で押さえ、もう一度花を見てから、メグのところへ戻った。
*
墓地の門を出ると、通りを行く荷車の音が聞こえた。
まめこはメグの手を握り、マリーの籠の中を覗いた。
花のあったところが、空いていた。
掃除の布と前掛けが、その隅へ収まっている。
「めぐ」
「何ですの?」
「わたし、いっぱい喋ったな」
「ええ。お話ししたいことが、たくさんありましたものね」
まめこは頷いた。
しばらく歩いてから、自分の服を見下ろす。
「服のことも、絵のことも言うた」
「ええ」
「花咲いたのも」
「ちゃんと、お話しできましたわ」
まめこは繋いだ手を、小さく揺らした。
トロがその横を歩いていた。
角の向こうから、パンの匂いがまた流れてきた。
まめこの鼻が動いた。
「……お腹すいた」
マリーが微笑んだ。
「帰ったら、お昼にしましょうね」
「おにぎり?」
「今日は、温かいご飯ですよ」
まめこは「あい」と返事をした。
絵の袋を持つメグの腕へ、自分の袖が触れた。
「それ、帰ったらお部屋に置く」
「どちらへ置きましょうか」
「机の横。お花、見えるとこ」
メグが頷いた。
まめこはもう一度、袋を見た。
中には、咲いた花と、みんなと、二人の自分がいる。
背中のリボンを揺らしながら、まめこは家へ続く道を歩いた。




