第二十七話 ガラスの星と小さな魔法
セイジズカットを出てから、まめこは三度、後ろを振り返った。
一度目は、店の窓へ。
二度目は、自分の背中へ。
三度目も、背中へ。
「リボン、曲がってへん?」
「ええ。綺麗についていますわ」
メグが答えた。
まめこは安心して前を向いた。二歩歩くと、また裾を見た。
淡いピンクの布が、白い靴の上で揺れている。
さっきまで着ていた普段着は、マリーの持つ包みの中だった。畳んだ服の上に、アバンから受け取った替えの髪飾りの箱も入っている。
マリーは包みを抱え直し、まめこの横へ並んだ。
「前も見て歩いてくださいませ。石につまずいてしまいますよ」
「あい」
まめこは顔を上げた。
向かいから来た女の人が、まめこを見て微笑んだ。
「まあ、可愛いお洋服」
まめこは、メグの手を握ったまま胸を張った。
「作ってもろたん!」
「よかったわねえ」
女の人とすれ違ってからも、胸はしばらく張ったままだった。
足元を歩くトロが、垂れてきた尻尾を避けた。
*
細工屋の前には、小さな真鍮の鐘が吊るされていた。
窓辺に並んだガラスの器には、通りの景色が丸く映っている。青い小瓶の隣に、透明な花瓶。その奥では、細い鎖に吊るした飾りが、日を受けて壁に光の欠片を落としていた。
扉を開けると、金属を叩く音が止まった。
「いらっしゃい」
ミックが、眼鏡の上から顔を向けた。
片手には小さな金槌。台の上には、まだ取っ手のついていない金具が置かれている。
「こんにちは!」
まめこが挨拶をした。
ミックは金槌を下ろした。
「おや。今日はずいぶん、華やかだな」
「できてん」
まめこは裾を少しつまんだ。
「後ろにも、でっかいリボンあるで」
「ほう。見せてもらえるかい」
くるりと背を向ける。
リボンより先に、尻尾が揺れた。
ミックは笑って眼鏡を上げた。
「なるほど。これは後ろも立派だ」
奥から、椅子を引く音がした。
「来た?」
棚の間から、みっきーが顔を出した。
黒い熊の帽子の下で、三つ編みが揺れている。前掛けには、白い粉が少しついていた。
まめこを見ると、足が止まった。
「おお。ほんまに、あの絵の服や」
「着た!」
「似合うなあ。ちょっと、こっち向いて」
まめこはすぐに向いた。
みっきーが胸のリボンを見て、袖を見た。
「うん。色も合うと思う」
まめこの耳が動いた。
「星?」
「そう。できてるで」
*
みっきーは作業台を布で拭き、奥から細長い箱を持ってきた。
まめこは台へ近づいた。
背伸びをする。
みっきーは箱を、手前へ寄せた。
「見える?」
「見える」
まだ蓋が閉まっていた。
まめこは箱の端を見たまま、待った。
マリーは普段着の包みを脇の椅子へ置き、その横に立った。
メグも、まめこの隣へ寄る。
みっきーが蓋を開けた。
白い布の上に、ステッキが寝ていた。
持ち手は、淡い色の滑らかな木。その先に、丸みをつけた星がある。
星の真ん中には、ピンクのガラスが嵌まっていた。
窓から来た光が、ガラスの奥で小さく折れた。色の濃いところと薄いところが重なり、まめこが顔を動かすと、きらりと白い光が走った。
「わあ……」
まめこの両手が、台の縁へ置かれた。
踵が上がる。
みっきーはステッキを持ち上げた。
「持つ?」
まめこは大きく頷いた。
「ここやで」
持ち手を向けられ、右手で握る。
指が、ちょうど一周した。
みっきーの手が離れた。
星が少し下がり、まめこは手首を上げた。
「重い?」
「重ない」
胸の前へ持ってくる。
ガラスのピンクと、胸のリボンのピンクが並んだ。
メグが微笑んだ。
「まあ。よく合っていますわね」
「アバンの絵、何回も見たからなあ」
みっきーは箱の下から、折った紙を出した。
広げると、ステッキの絵があった。星の横には、細い文字と数字がいくつも書き足されている。
まめこは絵を見て、自分の手を見た。
「一緒や」
「ここ、尖ってたら危ないから、ちょっと丸うしてある。握るところも、採寸の時に教えてもろた大きさにしたんや」
まめこは持ち手を撫でた。
つるつるしていた。
それから、左手を腰へ当てた。
右手が、斜め上へ伸びかける。
「きら――」
「ちょっと待って」
みっきーが言った。
まめこは止まった。
星も止まった。
「それな。ほんまに魔法、使えるで」
*
まめこは、みっきーを見た。
ステッキを見た。
もう一度、みっきーを見た。
「……ほんま?」
「ほんま」
「これで?」
「それで」
まめこの口が、小さく開いた。
メグも、ガラスの星へ目を向けた。
「魔力を込めてくださったんですの?」
「せっかく魔法のステッキ頼まれたんやからな。飾りだけやったら、ちょっと悔しいやん」
みっきーは前掛けで手を拭いた。
「気合い入れたで。最後は、こっちがへとへとになったわ」
「昨日は、晩飯の途中で眠りそうになっていたよ」
ミックが言った。
「寝てへん」
「匙は止まっていた」
「考えてたんや」
ミックは眼鏡の奥で笑った。
まめこは、ステッキを胸へ引き寄せた。
「ちょっと、そのまま持ってて。順番に説明するから」
みっきーは作業台の紙を裏返した。
鉛筆を取る。
星と、長い持ち手を描いた。
「まず、ガラス。綺麗に光るだけやないんやで。ここに魔力を留めてある」
星の真ん中を、鉛筆で丸く囲む。
「ほんで、持ち手の中。細い銀の線を通して、ここと繋いである。握った手から、ちゃんと魔力を呼べるようにしたんや」
紙の上に、長い線が増えた。
まめこは持ち手を裏返した。
また戻した。
「銀、見えへん」
「中に入ってるからな。手ぇに引っかからんように、木で包んである」
みっきーは、自分の手のひらを上へ向けた。
「ほんまは、もっと細い柄にもできてん。けど、それやと握りにくいやろ。星も大きすぎたら、前が重うなるし」
まめこの右手を見た。
「ちょっと、上げてみて」
星が持ち上がった。
「そう。それで手首がしんどならんように、何回も合わせたんや。星の枠も、裏側を少し削ってな」
みっきーの指が、星の縁の手前で止まった。
「ここ、見て。ガラスは外れへんように留めてある。でも、強う締めすぎてもあかんねん。割れてしまうから」
ミックが台の向こうから頷いた。
「そこは、何度かやり直したな」
「うん。最初の枠は、気に入らんかった」
みっきーは紙へ戻った。
「ほんで、いちばん大事なんが魔法や。光るだけの飾りやったら、明るいところでしか楽しまれへんやろ?」
鉛筆の先が、星の丸をとんとんと叩いた。
「これは、暗いところでも役に立つ。本物の魔法の杖やで」
まめこは星を見つめた。
「使いたい」
「うん。今から使う。そこがいちばん見てほしいねん」
みっきーは笑って、鉛筆を置いた。
「火、出る?」
「火は出えへん」
メグの手が、まめこの手首へそっと添えられた。
みっきーは台の向こうへ回った。
「ナイトサイトや。暗いところでも、よう見えるようになる」
まめこの耳が立った。
「暗いとこでも?」
「そうやで。夜でも、六分儀の細かい目盛りを読むのに便利なんや」
まめこは星と、みっきーの顔を交互に見た。
星の真ん中へ、顔を寄せる。
「入ってるん?」
「そうやで。使ってみよか」
*
店の奥には、窓のない物置があった。
ミックが扉を開けた。
中には木箱と、布を掛けた棚が並んでいる。戸口から届く明かりは床の途中で途切れ、奥の壁はほとんど見えなかった。
「足元は空けてある。ここなら試せるだろう」
まめこは戸口から覗いた。
「暗い」
「そのまま、そこでええよ」
みっきーが隣へしゃがんだ。
マリーは普段着の包みを持ち直してついてきていた。まめこの背中のリボンが戸口へ擦れないよう、後ろから端を寄せてくれる。
トロは、先に物置へ入った。
黒い体が、棚の影に紛れた。
「トロ?」
「ニャ」
声だけが、すぐ近くからした。
まめこは一歩出ようとした。
「まず、魔法を使ってからにしましょう」
メグが言った。
まめこは足を戻した。
ステッキを握り直す。
みっきーは、持ち手の付け根にある小さな印を指した。
「ここに指を添えて。力いっぱい押さんでええから」
まめこの親指が、印へ移った。
「それで、自分に使うつもりで、魔法を起こすんや」
まめこは、自分の胸へ星を向けようとした。
みっきーが少し笑った。
「お腹につけんでも大丈夫」
メグが、まめこの前へしゃがんだ。
「誰にかけるのか、決めてごらんなさい。この杖なら、まめこがまだマナを練れなくても、込められた魔法を使えますわ。今度は、あなた自身にかけるのです」
「わたし」
「ええ。杖を通して、魔法を呼んでみましょう」
まめこは口を閉じた。
星を見る。
握った木の感触が、手のひらにあった。
親指の下に、少しだけ違う感触がある。
まめこは、そちらへ意識を向けた。
ガラスの奥が、淡く光った。
指先を、温かいものが通った。
まめこは瞬きをした。
目の前に、棚があった。
さっきは黒く重なっていたところに、木箱の角が見える。壁へ掛けた紐も、その下の空き籠も見えた。
トロが、籠の隣へ座っていた。
「おった!」
まめこが言った。
トロの耳が向いた。
「見える!」
まめこは物置の奥を指した。
「あそこ、箱ある! 紐もある!」
「できましたわね」
メグが微笑んだ。
まめこは、天井を見た。
灯りはなかった。
後ろを振り返る。
マリーが、戸口で包みを抱えている。
「明るなった!」
「まめこ様には、よく見えているのですね」
「マリー、見えへん?」
「私は、まだ暗いままですよ」
まめこは、もう一度物置へ顔を向けた。
トロが、前足を舐めていた。
それも見えた。
右手の星を、左手でも抱える。
「……ほんまの魔法や」
*
店へ戻っても、まめこはステッキを離さなかった。
窓辺のガラスを見て、棚を見て、また物置を振り返る。
「もう一回、入ってええ?」
「ええ。今の魔法が効いている間は、見えますわ」
まめこは戸口へ戻った。
顔だけ入れる。
「見える!」
戻ってくる。
ミックが、店の椅子を一つ寄せた。
「座って、ゆっくり見たらどうだい」
まめこは椅子へ腰掛けた。
マリーが背中の大きなリボンを、背もたれとの間から逃がしてくれた。普段着の包みは、隣の椅子へ置いた。
星を膝の上へ横たえる。
指で、ガラスの縁を撫でた。
「みっきー、これ作るの、しんどかった?」
「最後、ちょっとな」
みっきーはまめこの前へ来た。
「けど、持ってもろたら元気出たわ」
まめこは顔を上げた。
「ありがと」
「どういたしまして」
「大事にする」
みっきーは頷いた。
「魔法は、ずっと使い放題いうわけやないからな。込めた分がなくなったら、また持ってきて。ガラスも留め具も、一緒に見たる」
「また入れてくれるん?」
「うん」
まめこはステッキへ頷いた。
メグが隣へ立った。
「使う時には、私かマリーに声をかけましょうね」
「夜、トロ探す時も?」
「その時もですわ。お外へ一人で探しに出てはいけませんよ」
「お部屋やで」
まめこは店の床を見た。
トロが、椅子の下へ入っていた。
「お前、すぐ隠れるもん」
「ニャ」
*
ミックは棚から、細長い革の袋を持ってきた。
みっきーが受け取り、口を広げる。
「使わん時は、ここへ入れてな。星のところは、中を柔らこうしてある」
まめこは袋を見た。
星を見た。
「今も?」
「今は、持って帰ってええよ」
まめこはすぐ、胸の前へ戻した。
マリーが袋を受け取った。
「ありがとうございます。こちらのお洋服と一緒に、お預かりいたしますね」
普段着の包みに、空の袋を添えた。包みの口から白い布が少し覗いたのを、指で中へ収める。
ミックが、その手元を見た。
「着替えも持ってきているのかい」
「はい。先ほど仕立て屋でお着替えなさいましたので」
「今日は、そっちを着て帰るんだね」
ミックがまめこへ尋ねた。
「あい!」
まめこは椅子から下りた。
ステッキを持つ手を伸ばし、それから一度止めた。
みっきーを見る。
「きらーん、してええ?」
みっきーは台の上の小瓶を奥へ寄せた。
「ええで。ゆっくりな」
まめこの左手が、腰へついた。
右足を少し前へ出す。
ピンクの裾が揺れた。
右手の星が、斜め上へ向いた。
「魔法少女、まめこ!」
息を吸う。
「きらーん!」
窓の日が、ガラスに当たった。
星の真ん中が、きらりと光った。
みっきーが手を叩いた。
ミックも、両手で拍手した。
まめこは少し揺れ、右足を戻した。
メグが笑っていた。
マリーも笑っていた。
トロが、椅子の下から出てきた。
「ニャ」
「トロも見た?」
まめこがしゃがむ。
星が床へ近づきかけ、慌てて持ち上げた。
トロは、白い靴へ頬を擦りつけた。
*
メグが代金を払い、手入れの話を聞いている間、まめこは窓辺にいた。
ガラスに、小さく自分が映っていた。
胸のリボン。
髪のリボン。
右手の星。
後ろも見ようとして、半分回った。
窓には、顔が映らなくなった。
まめこは戻った。
「今度は、杖もお見せできますね」
マリーが言った。
包みを片腕に掛け、もう片方の手で、まめこの髪飾りを少し直す。
「お墓?」
「はい」
まめこは、星を胸の前へ持ってきた。
「服も、これも」
「ええ。両方、お見せしましょうね」
まめこは頷いた。
ガラスへ映る星を、少しだけ動かす。
光が、また走った。
*
帰り際、みっきーが扉まで送ってくれた。
まめこは敷居をまたいでから振り返った。
「みっきー!」
「ん?」
「また見せに来る!」
「うん。待ってるわ」
店の奥から、ミックも手を上げた。
まめこはステッキを持っていない方の手を振った。
扉が閉まる。
小さな鐘が鳴った。
通りには、焼いた栗の匂いが流れていた。
荷車の車輪が石畳を鳴らし、窓から下げた赤い葉が風に揺れている。
まめこは右手の星を見た。
左手には、メグの手があった。
マリーは普段着の包みと、杖を入れる袋を持って歩いている。その足元を、トロがついてきた。
「めぐ」
「何ですの?」
「今日、暗くなっても見えるかな」
「その頃には、魔法が切れているかもしれませんわ」
「そっか」
まめこは少し考えた。
「ほな、暗くなったら呼ぶ」
「ええ。一緒に使ってみましょう」
まめこの尻尾が、背中のリボンの下で大きく揺れた。
向こうの店先に、パンが並んでいた。
「あ。あれ食べたい」
ステッキを向けかけて、手を戻す。
左手を離して、人差し指でパンを指した。
マリーが包みを抱え直した。
「おやつにいたしましょうか。召し上がる間は、杖をお預かりしますね」
「あい」
まめこは星を見た。
パンを見た。
もう一度、星を見た。
「……食べ終わったら、返してな」
「もちろんです」
マリーが笑った。
まめこは安心して、パン屋へ向かった。
背中の大きなリボンと、手の中のガラスの星が、歩くたびに一緒に揺れた。




