第二十話 明日のお弁当
「お弁当、水筒、敷物。それから、手を拭く布です」
ローザ先生が言うたびに、まめこは机の上の紙へ目を落とした。
お弁当の横へ丸を描く。水筒にも丸。敷物のところで鉛筆が止まった。
「先生。座るやつ?」
「そうです。お昼は動物園の広場で食べますからね」
「外で?」
「ええ。皆で敷物を広げて」
まめこは、そこにも大きな丸を描いた。
明日は動物園へ行く。
昨日もマリーに、あと幾つ寝たら行くのか聞いた。今朝も聞いた。今度は、もう一つだった。
「いつもの時間に学院へ来てください。教室で集まってから、馬車に乗ります」
「みんな乗るん?」
「隣の組と一緒です。三十人ほどになりますから、何台かに分かれますよ」
まめこは教室を振り返った。
ここだけでも十五人いる。全員をいつもの馬車へ乗せたら、誰かの膝に誰かが座ることになりそうだった。
「立たんでええ?」
「全員、座れます。農園で使うような小さな馬車を、何台か用意しています。走っている間は立たないこと。外へ身を乗り出すのも、いけません」
窓際の子が両手を膝へ置いた。もう馬車に乗ったつもりらしい。
まめこも真似をした。
「雨やったら?」
前の席から声が上がった。
「雨なら別の日にします。その時は朝にお知らせしますから、いつもどおり来てくださいね」
まめこは窓を見た。
青い空に、小さな雲が一つ浮いていた。
明日もこれくらいならいい。
「では、紙をしまいましょう。今日の続きをしますよ」
まめこは紙を折った。折り目がお弁当の丸を通ったので、開いて、少し違うところで折り直した。
*
帰りの馬車が家の前へ止まると、まめこは鞄を抱えて降りた。
「マリー! 明日やで!」
戸を開けながら声を上げると、台所から返事がした。
「お帰りなさい。ええ、明日ですね」
「これ、先生にもろた」
まめこは靴を脱ぎ、鞄から紙を引っ張り出した。マリーに渡してから、すぐ横へ回る。
「お弁当、何入れる?」
「何が食べたいですか?」
「卵焼き」
「入れましょう」
「ソーセージも」
「はい」
「あと、ジャガイモの揚げたやつ」
マリーは紙から顔を上げた。
「お弁当箱が、いっぱいになりそうですね」
「大きいやつにする?」
「持っていくのは、まめこですよ」
まめこは自分の鞄を見た。
背負うくらい大きなお弁当箱を考えたけれど、動物を見る時にも背負っているのは大変そうだった。
「ちょっとずつでええ」
「では、おにぎりも小さめにしましょうか」
「いつものより、ちっちゃいやつ?」
まめこは卓へ両手をついた。
踵が浮いた。下りて、また浮く。
「そうです。塩をつけたものと、具を入れたものを少しずつ」
「海苔も巻く?」
「ええ、少し」
まめこは両手をついたまま、ぴょんと跳ねた。
椅子の下で寝ていたトロが頭を上げた。
「ニャ」
「お弁当やで、トロ」
トロは卓の上を見た。何も載っていないので、また前足へ顎を戻した。
*
マリーが棚から出したのは、いつもの兎の弁当箱だった。白い兎と赤い花が描かれ、兎の耳は片方だけ少し曲がっている。
まめこは両手で受け取った。
蓋を開ける。中は空だった。
「外でも、こっち向けて食べるわ」
「食べる時には、蓋を外しますよ」
「横に置くねん」
マリーは笑って、花模様のついた、いつものスプーンとフォークの入れ物も出した。
まめこは留め具を一度開け、カチッと閉じた。
「明日は落とさんようにせな」
「そうですね。外で食べますから」
「あい」
両手を離して、今度は二つを隣同士に並べた。
「何で包む?」
「この布にしましょうか」
淡い黄色の布だった。縁には白い花の模様がある。
マリーが真ん中へ箱を置き、向かい合った端を結んだ。残りの端も結ぶと、箱はすっかり隠れた。
「明日は、わたしが包む」
「では、練習しておきましょうか」
まめこは結び目を引っ張った。
いつもより急いで結んだせいか、片方の端だけ長く垂れた。
「こっち、余った」
「箱をもう少し真ん中へ寄せましょう」
布を広げ直して、箱を動かす。
二度目は、さっきより丸くまとまった。
まめこは結び目を持って、少しだけ持ち上げた。
「できた。明日もこれでいく」
「ふふ、楽しみですね」
いつもの箱なのに、明日は外で開けると思うと、もう鞄へ入れて出かけたくなった。
*
夕方、メグが帰ってきた時には、玄関に鞄と水筒が並んでいた。
畳んだ敷物まで、その脇へ置いてある。
「まあ。もうお出かけですの?」
「明日のやつ」
まめこは台所から出てきて、弁当箱を差し出した。
「明日も、うさぎの箱やで」
「可愛いですわね。明日は、本物にも会えますわよ」
「メグの呼んだやつも、これくらい?」
「この絵よりは大きかったですわ」
「そらそうや」
まめこは蓋を胸へ抱えた。
「何匹おるかな」
「数えてきてくださる?」
「じっとしてたらな」
メグが笑うと、台所から包丁の音がした。
卓には人参と緑の野菜、それから茸が並んでいた。マリーが茸の根元を切り、皿へ取り分けている。
「それもお弁当?」
「ええ。茸はバターで炒めましょう。お野菜も少しずつ入れますよ」
「卵焼きの隣?」
「どこへ入るかは、明日のお楽しみです」
「今、並べてみたらあかん?」
「お料理するのは明日の朝ですよ。今日は用意だけです」
まめこは空の箱を覗いた。
おにぎりと卵焼きとソーセージを思い浮かべる。ジャガイモを入れたら、茸の場所がなくなった。
頭の中で、おにぎりを少し小さくした。
「時乃列島式のお弁当にするのですわね」
メグが卓を見て言った。
「はい。はなこさんに教わったおにぎりも、入れようと思いまして」
まめこは顔を上げた。
「お母さんの?」
「ええ。お米の炊き方も、握る時の塩のつけ方も、教えていただいたんですよ」
「お母さん、お弁当作ってたん?」
「ユタさんが畑へ持っていくお弁当を。初めは農園の方たちも珍しがって、何が入っているのか、見に来ていました」
マリーは切った茸を皿の端へ寄せた。
「そのうち、うちでも作りたいから教えてほしい、という方が増えたんです」
「みんな、おにぎり?」
「皆さんが毎日というわけではありませんけれど。お昼休みに、並んで食べていることもありましたよ」
「お父さんの、いっぱい入ってた?」
「それはもう。この箱では足りませんね」
まめこは弁当箱へ両手を添えた。
「おっきいもんな、お父さん」
聞いた背の高さを思い出して、片手を上へ伸ばした。立ったままでは届かない。
「大きなおにぎりを幾つも食べていらっしゃいました」
「わたしのは、小さいやつな」
「はい。おかずも食べられるように」
お母さんがおにぎりを握るところは、浮かばなかった。
お父さんが畑で食べている顔も、分からなかった。
まめこは兎の蓋を裏返し、また表へ戻した。
「お母さんが握ったやつも、わたし食べた?」
「ええ。はなこさんの卵焼きもおにぎりも、大好きでしたよ」
「今も好きやで」
マリーが頷いた。
「そうですね」
「塩のやつ、二つ入れてな」
「具の入ったものも食べますか?」
「食べる」
「それでは、おかずの場所も残しておきましょうね」
まめこは箱の中を見た。
頭の中のおにぎりを、もう少し小さくした。
*
夕食のあと、まめこは鞄を開けた。
敷物を入れる。手を拭く布を入れる。スプーンとフォークの入れ物は、上の方へ差し込んだ。
先生の紙に描いた丸を、指で一つずつなぞる。
「お弁当、まだ」
「朝に入れます」
「水筒も、まだ」
「そちらも朝です」
マリーは水筒を鞄の隣へ置いた。
トロが寄ってきて、開いた鞄へ鼻を入れた。
「あんたは入られへんで」
「ニャ」
「先生、猫も持ってきてって言うてへん」
鞄を引くと、トロはまめこの膝へ前足を載せた。
「そっちやったらええけど」
まめこが座り直すより先に、黒い身体が乗ってきた。
その向こうで、メグが窓から外を見ていた。
「今のところ、雲は少ないですわね」
「明日、雨降らへん?」
「晴れるといいですわね。朝にも見てみましょう」
まめこはトロを抱えて窓へ行った。
暗い空に星が幾つか見えた。トロは空を見ず、窓の縁へ前足を伸ばしている。
「明日、うさぎ見てくるな」
「ニャ」
「あんたのお土産、あるかな」
「動物園の兎を連れて帰ってはいけませんわよ」
「それはせえへん」
まめこはトロを抱き直した。
「ご飯取られるもんな」
メグは口元へ手を添えた。
「兎は、トロとは違うものを食べますわ」
「ほな、わたしの野菜や」
「どちらにしても、お留守番はトロだけにしてくださいまし」
マリーが階段の方から声をかけた。
「まめこ。そろそろ寝る用意をしましょう」
「まだ眠ない」
「明日、馬車の中で眠ってしまいますよ」
まめこは振り返った。
「それはあかん」
*
布団へ入ってからも、まめこは戸口を見ていた。
鞄は階下に置いてある。水筒も、兎の弁当箱も、そこにある。
「マリー」
「はい?」
灯りを小さくしていたマリーが振り返った。
「おにぎり、三角?」
「三角がいいですか?」
「あい」
「では、三角にしましょう」
「卵焼きは甘いやつな」
「分かりました」
「ソーセージも」
「忘れていませんよ」
マリーが寝台のそばへ来て、布団の端を直した。
「茸も、ジャガイモも。続きは明日の朝です」
まめこは頷いた。
トロが足元へ跳び乗った。布団を二度踏み、くるりと向きを変えて丸くなる。
「おやすみなさい」
「おやすみ。朝、起こしてな」
「もちろんです」
戸が静かに閉まった。
まめこは目を閉じた。
馬車へ乗る。鞄を膝へ載せる。隣の子に、兎の弁当箱を見せる。
広場へ敷物を広げたところまで考えて、まだ動物を一匹も見ていないことに気づいた。
先に兎を見た。
それから、お弁当の蓋を開けた。
「トロ。明日やで」
足元から短い声がした。
「ん」
まめこは布団の中で足の指を動かした。トロが少しだけ場所を変えた。
もう一つ眠れば、明日になる。
まめこは、ぎゅっと目をつぶった。
はなこ「え?コンビニで、、、」




