第十八話 隊長と副隊長と市長
ひったくりに遭った日から、数日がたっていた。
焼けた菓子を、まめこは六つずつ数えた。
丸いものと、少し細長いものがあった。同じように丸めたつもりだったが、焼いてみると、ずいぶん違った。
「こっち、チェリーの分」
「では、こちらがベリーさんですね」
マリーが二枚の紙を広げてくれた。
まめこは片方へ六つ載せ、もう片方にも六つ載せた。それから、一番大きいものを見比べる。
「……こっちの方が大きいな」
一つずつ交換した。
「それで同じになりましたか?」
「たぶん」
マリーは笑って、紙の端を折った。
ひったくりから巾着を取り戻してもらった日に、今度会ったら菓子を持ってこよう、と言った。今朝それを思い出して、粉を量るところから手伝ったのだった。
トロが椅子へ上がり、卓の端へ鼻を近づけた。
「あんたのちゃうで」
「ニャ」
「トロには、こちらを」
マリーが小皿を床へ置くと、トロはすぐに椅子から下りた。
まめこは包みを見た。
「切り替え、早いな」
*
街へ着くころには、朝の冷たさは薄れていた。
果物屋の前には林檎が並び、その隣には、葉を少し残した梨が積まれていた。マリーが夕食の買い物をする間、まめこは籠の上に載せた包みを押さえていた。
鞄の口も、今朝は家を出る前に閉めてある。
「メグにも、林檎買うん?」
「ええ。お帰りになったら、一緒にいただきましょう」
今日は学院に用のあるメグとは、夕方まで別だった。
まめこが林檎を一つ選んでいると、通りの向こうから声がした。
「まめこちゃん!」
顔を上げるより先に、長い耳が見えた。
ベリーが片手を大きく振っていた。今度は白い襟の衣装ではなく、きちんとしたガードの制服を着ている。
その隣に、チェリーもいた。
金色の髪と、丸いヒョウの耳。腰には武器があり、制服の肩にはベリーとは違う印がついていた。
「こんにちは。お買い物?」
「あい。あ、ちょうどよかった」
まめこは林檎をマリーへ預け、包みを二つ取り出した。
「この前のお礼。マリーと焼いたん」
「わあ。わたしたちに?」
ベリーが膝を曲げた。目線が近くなり、まめこは片方の包みを渡した。
「こっちベリー。こっち、チェリー」
チェリーの手が、包みを受け取る途中で止まった。
「……チェリーです」
「あい。チェリー」
「こちらは、ガード隊長なんですよ」
ベリーが嬉しそうに教えた。
まめこはチェリーの肩を見て、それから顔を見た。
「隊長なん?」
「はい」
「ベリーは?」
「副隊長。二人とも、今日はお仕事中です」
まめこはマリーを振り返った。
「めっちゃ偉い人やった」
「この前は、ありがとうございました」
マリーが頭を下げると、チェリーは背筋を伸ばした。
「いえ。お怪我がなくて何よりでした。お菓子まで、お気遣いなく」
「隊長、もう受け取ってるよ」
「……分かってる」
ベリーは包みを鼻先へ寄せた。
「いい匂い。あ、こっちに名前が書いてある」
紙の隅に、まめこが書いた文字があった。ベリーの最後の字は、少し折り目へ隠れていた。
「二人の分、同じだけ入れたで」
「ありがとう。帰ってから、お茶を淹れようね、隊長」
「お前、あたしの分まで開けんなよ」
「名前が書いてあるから、大丈夫」
「前も、あたしの皿から取っただろ」
「あれは半分にしようと思って」
「食ってから半分って言うな」
チェリーが言い終えて、まめこを見た。
少し間が空いた。
「……ありがたく、いただきます」
「あい」
まめこは頷いた。
隊長の声は、時々変わるらしかった。
*
ベリーが包みを詰所へ置きに行く間、チェリーは広場の端で待つことにした。
マリーも買い物を済ませ、まめこと日陰へ寄った。すぐ隣を荷車が通るので、チェリーは二人へ場所を空け、少し離れた石の柵へ背を預けた。
ポケットから、細くまっすぐな葉巻を取り出す。
先へ火をつけ、一度だけ吸った。吐いた煙は、まめこたちのいない方へ流した。
まめこはその細い葉巻を見ていた。
「それ、おいしいん?」
「菓子の方がうまい」
「ほな、菓子食べたらええのに」
チェリーは葉巻を見下ろした。
「……まあな」
戻ってきたベリーは、二人の間へひょいと顔を出した。
「何のお話?」
「菓子の方がおいしいって」
「そうでしょ。わたしも、いつも言ってるの」
ベリーは籠の林檎へ目を移した。
「これ、どこのお店? 赤くてきれい」
「そこの角やで」
「帰りに寄ろうかな。……あ、そうだ。市長も、あの格好が気に入ったみたいですよ」
林檎を見ていた顔のまま、ベリーが言った。
チェリーの眉が動いた。
「その話、今いらねえだろ」
「あのあと何度も来るんです。『もう一度だけ、バニー姿を見せてほしいぷに』って」
「……そのたびに頭を踏んでやった」
まめこはチェリーの靴を見た。
磨かれた革の先に、少し土がついていた。
「何回も?」
「何回もだ。踏まれりゃ諦めるかと思ったら、翌日また来やがる」
「昨日は、お花を持ってきてましたね」
「いらねえっつったら、お前が受け取っただろ」
「きれいだったから。詰所の窓に飾ってあるよ」
「だから、あいつが勘違いすんだろうが!」
ベリーは長い耳を少し傾けた。
「お花には罪ないのに」
チェリーは何か言いかけ、葉巻を持つ手を下げた。
まめこは、もう一度その靴を見た。
「……また着るん?」
「着ねえよ」
「違う色もあるんだけどね」
「お前、まだ買ってんのか!?」
「うん。今度は、お飾りも揃えてみようと思って」
「自分の耳につけろ!」
「わたしのは、もうあるの」
ベリーはにっこりした。
チェリーの斑点のある尻尾が、柵へ一度当たった。
「……ったく。林檎の話してたんじゃねえのかよ」
「あ、そうでした。マリーさん、それ、煮てもおいしいですか?」
「ええ。お砂糖を少し足しても」
何事もなかったように話が戻った。
まめこはチェリーを見上げた。
隊長はまだ、柵の向こうを睨んでいた。
*
「おお。皆さん、お揃いぷに」
その声で、チェリーの尻尾が止まった。
カエル市長が広場へ入ってきた。手には盆があり、冷たい飲み物の入った杯を載せている。
「巡回、ご苦労さまぷに。今日は昼から暑くなったぷに」
「市長」
チェリーは柵から背を離した。
声だけは、先ほどの隊長に戻っていた。
「お気遣い、ありがとうございます」
「いやいや。いつも街のために働いてもらってるぷに」
市長は盆から一つ取り、チェリーへ差し出した。
薄い黄色の飲み物だった。杯の外には、小さな水の粒がついていた。
「特に隊長には、ぜひ飲んでもらいたいぷに。疲れにも効くぷに」
「わたしのは?」
ベリーが盆を覗いた。
「もちろんあるぷに。こっちぷに」
「ありがとう。……隊長のだけ、色が濃いね」
「そ、それは果汁が多いぷに」
市長はチェリーへ顔を向け直した。
「ささ。ぐいっと、一息にぷに」
チェリーは石の柵へ葉巻を置いた。
杯を受け取り、口元へ持ち上げる。
そこで、止まった。
鼻が、わずかに動いた。
杯の中を見てから、もう一度、匂いを確かめた。
「……おい」
市長の笑顔が固まった。
「何を入れた」
「果汁ぷに」
「その下だ。甘い匂いで隠れると思ったか」
チェリーは杯を柵へ置いた。
葉巻の隣で、黄色い液体が揺れた。
「薬の匂いがする。てめえ、あたしに何を飲ませようとした」
「く、薬というほどのものではないぷに。ほんの少し、楽しい気分に――」
「あ?」
まめこはマリーの袖を持った。
マリーの手が肩へ添えられ、二人は半歩下がった。
ベリーは自分の杯を盆へ戻した。
「市長。それ、お願いしても着てもらえなかったから?」
「ち、違うぷに。そんな、バニーちゃんをもう一度などと――」
「てめえ」
チェリーが一歩出た。
「薬まで盛りやがったな」
市長も一歩下がった。
盆を近くの台へ置く。
「落ち着くぷに。まずは、お互い冷静に話し合うぷに」
「じゃあ、こっち来い」
「それは話し合う距離ではないぷに!」
市長の目が、噴水の向こうへ動いた。
市庁舎へ続く通りが、そこから見えていた。
「……あ。あっちで誰か呼んでるぷに」
言いながら、市長は片手をそっと開いた。
指先に、淡い光が集まる。
まめこがそれに気づいたときには、もう短い詠唱が終わっていた。さっきまで慌てていた口から、魔法の言葉だけが淀みなく滑り出した。
「隊長。噴水の向こう」
ベリーが声を掛けた。
市長の姿が、ふっと消えた。
次の瞬間には、噴水の向こう岸に立っていた。走ればぐるりと回らなければならない距離を、ひと息で飛び越えている。
「消えた……!」
まめこの耳が立った。
チェリーは、もう石畳を蹴っていた。
低く伏せた体が、まめこの前を横切る。
噴水の縁へ片足を掛け、そのまま水面を飛び越えた。斑点の尻尾が大きく振れ、向こう岸へ着く足を支える。
「ここまで来れば――」
通りへ向き直った市長の前へ、影が落ちた。
チェリーが立っていた。
市長の目が、丸くなった。
「……ぷに?」
「どこ行くんだよ」
市長は身を翻し、もう一度、指先へ光を集めかけた。
その口が魔法の言葉を結ぶより早く、片足が地面を離れた。
チェリーの手が、足首を掴んでいた。
「ぷっ――」
片足を持ち上げられ、市長の体が横倒しになった。そのままチェリーが腰を回す。
市長の両手が宙を掻いた。
丸い体が、石畳の上を半円に振り回された。
「薬飲ませて、何させるつもりだった!」
チェリーが腕を振り下ろした。
どん、と広場に響いた。
市長の体が地面を叩き、小さく跳ねて、仰向けに落ちた。
まめこは口を開けたまま、噴水の向こうを見た。
市長の足は、まだチェリーに掴まれていた。
目はくるくる回り、口から赤い舌が出ていた。
「……ぷにぃ……」
「隊長。もう止まってるよ」
ベリーが、噴水の脇を回って歩いていった。
手には、柵に残されていた黄色い飲み物があった。
チェリーが足首を放す。
市長の踵が、こつんと地面へ落ちた。
「止まってんじゃねえ。止めたんだよ」
「うん。間に合ってよかったね」
ベリーは市長の横へしゃがんだ。
「市長。飲み物、持ってきましたよ」
「……ぷに?」
「ぜひ飲んでほしいんですよね。疲れにも効くんでしょう?」
市長の目が杯へ向いた。
回っていた目が、一瞬だけ止まった。
「そ、それは――」
「はい。ぐいっと」
ベリーは市長の後頭部を支え、開いた口へ杯を傾けた。
こぽ、と音がした。
「ぷ、ご、ぷにっ」
「慌てなくても、こぼさないよ」
チェリーが腰へ手を当て、隣で見下ろしていた。
杯が空になると、ベリーは市長の頭をそっと地面へ戻した。
少しの間、市長は瞬きをしていた。
やがて、口元がゆるんだ。
「……ぷにひ」
両手を、ゆっくり頭の上へ上げた。
指を揃え、長い耳のつもりらしく立てる。
「うさちゃん……ぷにぃ……」
そのまま仰向けで、足をぱたぱた動かした。
「ぴょん。ぴょんぷにぃ。プニ、かわいいぷにぃ……」
ベリーは市長を見て、それから空の杯を見た。
「あぁ、やっぱり」
静かな声だった。
チェリーの耳が、横へ伏せられた。
「……これを、あたしに飲ませる気だったのか」
「お飾りがなくても、うさぎになれますね」
「感心してんじゃねえ!」
市長は地面の上で、幸せそうに笑っていた。
「チェリーちゃんも、ぴょんぴょんぷにぃ……」
チェリーの靴が上がった。
ベリーが袖を引いた。
「隊長。その人、今、お話通じないよ」
「元から通じてねえだろ!」
*
噴水のそばへ来たマリーは、市長の顔を確かめてから、盆の残った台を見た。
「ほかの杯にも、入っているのでしょうか」
チェリーは戻って一つずつ匂いを確かめた。
「こっちは普通の果汁だ。あたしのだけ」
「ずいぶん準備がよかったんですね」
ベリーが言った。
まめこはマリーの後ろから、市長を覗いた。
まだ、両手を頭へ立てている。
「……カエルさん、うさぎになりたかったん?」
「違えよ。こいつは、あたしを――」
チェリーはそこで口を閉じた。
まめこを見て、ベリーを見る。
ベリーは市長の傍らへ座ったまま、のんびり頷いた。
「今日は、市長が着る番になったんだね」
「まとめんな!」
まめこは市長の服を見た。
「服、いつものやで」
「気持ちが、うさぎなの」
「そんなことあるんや」
「ねえ」
「ねえ、じゃねえんだよ」
広場へ、見回りのガードが二人入ってきた。
チェリーの姿を見つけ、足を速める。
「隊長。今の音は何ですか」
その後ろから、市庁舎の職員も走ってきた。
地面の市長を見て、全員が止まった。
「……市長?」
「ぴょんぷにぃ」
職員がチェリーを見た。
チェリーは制服の裾を引き、背筋を伸ばした。
「市長が、わたくしの飲み物へ薬を混ぜました。こちらが、その杯です」
ベリーが杯を上げる。
「底に少し残ってます。調べるなら、これも持っていってね」
「なぜ、市長がこのように……」
「ご自分で用意されたものを、お飲みになりました」
職員の視線が、杯から市長へ移った。
市長は片手だけ下ろし、手招きした。
「君も、うさちゃんになるぷにぃ……」
職員は目を閉じた。
すぐに開け、ガードへ向き直る。
「運びましょう。医師にも来てもらいます」
「お願いします。薬の出所も、お確かめください」
チェリーは落ち着いた声で言った。
まめこは、その横顔を見上げた。
「隊長に戻った」
ベリーが唇を結んだ。
耳の先だけが、細かく揺れていた。
ガードが市長の脇へ腕を入れ、もう一人が足を持った。
持ち上げられた市長は、空を見ながら笑った。
「お空、きれいぷにぃ……」
広場を出る直前、職員が振り返った。
「市長から、何かほかに頼まれてはいませんでしたか」
チェリーの目が細くなった。
「次に衣装の話を持ってきたら、市庁舎の屋根に吊るすと伝えろ」
職員はすばやく頷いた。
今度は、誰も聞き返さなかった。
*
チェリーは石の柵へ戻った。
置いていた葉巻は、火が消えていた。
拾って先を見てから、短く息を吐く。
「……吸う暇もねえ」
ベリーは空になった盆を台の端へ寄せた。
「お茶にしようよ。お菓子もあるし」
「ああ。普通のやつをな」
「わたしが淹れるよ」
「変なもん入れんなよ」
「お砂糖は?」
「それはいい」
「何杯?」
「いつもと同じでいいだろ」
ベリーは頷き、それから思い出したように籠を見た。
「あ。林檎、買うの忘れてた」
「まだ買う気でいたのか」
「うん。あのお店、まだ開いてる?」
まめこは角へ顔を向けた。
果物屋は、何事もなかったように梨を並べ直していた。
「開いてるで」
「よかった。隊長、少し待っててね」
ベリーが歩き出しかけたところで、チェリーがその肩を掴んだ。
「仕事中だろうが。帰りにしろ」
「あ、そうだった」
ベリーは素直に戻ってきた。
まめこは二人を交互に見た。
「チェリー、めっちゃ早かったな」
「逃げる方が悪い」
「噴水、ひと跳びやったな」
「飛んで出てくる場所が分かりゃ、あとは追いつくだけだ」
チェリーは噴水の向こうへ目をやった。
まめこも見た。
水が陽に光っていた。カエルさんは、あの向こうまで一瞬で消えて、現れた。チェリーは、それでも捕まえたのだ。
「カエルさんも、魔法めっちゃ早かったな」
「市長、魔法はすごくお上手なのよ」
ベリーは頷いた。
「使い道を考えてくださると、もっといいんだけどね」
「ベリーも、行くとこ分かったん?」
「市長、逃げる前からあっちを見てたから」
ベリーが指を差した。
「あと、あそこから逃げると、市庁舎が近いの」
「なるほどなあ」
まめこは何度も頷いた。
チェリーが少し顎を引く。
「……菓子、ありがとうな」
「あい。お茶は、ちゃんと匂い嗅いでから飲んでな」
ベリーが、とうとう吹き出した。
チェリーは眉間へ指を当てた。
「お前の茶も嗅ぐからな」
「うん。いい匂いに淹れるね」
マリーが籠を持ち直した。
「では、わたくしたちは失礼いたします。お二人とも、どうぞお気をつけて」
「またね、まめこちゃん」
ベリーが手を振った。
チェリーは肩越しに、片手を上げる。
まめこも振り返した。
通りへ出てから、マリーの手を握る。
「メグに、話すこといっぱいあるわ」
「ええ。どこからお話ししましょうね」
まめこは考えた。
隊長と副隊長だったこと。
菓子を渡せたこと。
噴水を飛び越えたチェリーと、ずっと呑気だったベリー。
それから、両手を耳にして運ばれていった市長。
「……カエルさんが、うさぎになったとこからかな」
マリーは少しだけ空を見た。
「そこは、順番にご説明した方がよさそうですね」
籠の中で林檎が揺れた。
まめこは空いた手で押さえ、家へ帰って話す順番を、もう一度考え始めた。
みっきー「しゃべったら紫のポーション樽やからな」




