第十七話 手を離さなかった朝
家へ戻ると、マリーは先に籠の中を片づけた。
墓地で使った布を洗い場へ運び、手桶を伏せる。まめこも手を洗った。爪の端に残った土がなかなか取れず、指を一本ずつ擦った。
居間へ入ると、メグは帽子を棚へ置いていた。
「ここでお話しするん?」
「ええ。お座りになって」
まめこはいつもの椅子へ上がった。
トロもついてきて、椅子の下に座る。まめこが足を引くと、その空いたところへ丸くなった。
マリーがお茶を運んできた。まめこのカップには、少し冷ましたものを注いでくれる。
「マリーも知ってるん?」
「ええ。あの日、わたくしもおりましたから」
マリーは卓の端へ盆を置き、隣に腰を下ろした。
メグはカップに手を添えたまま、少し黙っていた。
「あなたが五つのときですわ。わたくしは、十二でした」
「今のわたしより、四つ大きいんやな」
「ええ」
まめこはメグの顔を見た。
四つ大きい自分は、まだうまく想像できなかった。けれど、今のメグより三つ小さいのだと考えると、少し違う気がした。
「釣りに行こうとしていた朝に、あなたとトロを見つけましたの」
椅子の下で、トロの耳が動いた。
「そこは、前にも聞いたで」
「ええ。そのあと、何があったかのお話ですわね」
メグは一度、マリーを見た。
マリーが静かに頷く。
それから、メグは窓の外へ目を向けた。
*
朝の五時ごろだった。
まだ、朝露が草に残っていた。
メグは竿を持ち、いつもの道を歩いていた。釣り場へ着くころには日が昇る。魚が釣れたら、帰りに農園へ寄るつもりだった。
まめこの家の近くで、足を止めた。
道から少し入ったところに、何かが倒れている。
黒い猫だった。
そのすぐそばに、小さな手が見えた。
竿を草の上へ置き、駆け寄った。
「……まめこ?」
顔には見覚えがあった。
農園で母親について歩いていた子だった。自分を見つけると、遠くからでも手を振る。前に会ったときには、両手で持った芋を見せに来た。
けれど、その頭に猫の耳はなかった。
尻尾も、なかった。はずだった。
メグは、髪の間から出た耳を見た。土の上に横たわった細い尻尾も見た。
何かを着せられているのかと思った。
だが、まめこは何も着ていなかった。
「まめこ。聞こえます?」
肩へ触れると、体が冷えていた。
返事はない。
口元へ手を近づける。待っていると、指にごく弱い息が触れた。
メグは羽織っていた上着を脱いだ。
小さな体を包み、背中と膝の下へ腕を入れる。抱き上げると、頭が後ろへ落ちそうになり、慌てて自分の肩へ寄せた。
猫も気になった。
まめこの家で飼っているトロだった。いつもは人が近づくと顔を上げるのに、今は動かない。
けれど、まめこの両親を呼べば、すぐに手を貸してもらえる。
メグはまめこを抱え直し、家へ急いだ。
「ユタさん!」
玄関の扉が開いていた。
「はなこさん! まめこが!」
その先は、声にならなかった。
戸口の内側に、ユタが倒れていた。
いつもなら、メグを見つけると体を起こして挨拶をしてくれる。大きな手で道具を持ち、荷車が溝にはまれば、一人で押し出してしまう人だった。
その手が、床に投げ出されていた。
「ユタさん……?」
動かなかった。
メグはまめこを胸へ寄せ、足元を避けて中へ入った。
椅子が倒れていた。引き出しが抜かれ、中のものが床に散っている。
裏口の方へ、はなこの足が見えた。
「はなこさん」
近づいて、立ち止まった。
呼べば起きると思いたかった。
けれど、その顔を見た瞬間に、もう声を掛けても返事がないのだと分かった。
メグは後ずさった。
腕の中のまめこが揺れ、抱き直す。胸が苦しくなった。息を吸っても、喉の奥へ引っかかる。
どうやって戸口まで戻ったのか、よく覚えていなかった。
外の空気を吸った途端、胃がせり上がった。
まめこを上着ごと草の上へそっと寝かせ、顔を背けた。
吐いた。
何度も咳き込み、地面へ手をつく。涙で、目の前の草が滲んだ。
家へ入る前と、何も変わっていない朝だった。
鳥が鳴いていた。
その声を聞きながら、メグは袖で口を拭った。
まめこのところへ戻ろうとして、黒い体が目に入った。
トロは、さっきと同じ場所に倒れていた。
今度はその腹を見た。
動いた。
ほんの少し、持ち上がって、戻った。
メグは膝をついた。
「……生きてる」
触れると、トロも冷たかった。
まめこの耳と尻尾が、また目に入った。
この猫と、何か関係があるのかもしれない。
そんな考えが浮かんだが、すぐに消えた。今、確かめることではなかった。
トロを抱き上げ、上着の余った部分でまめこと一緒に包んだ。二人の顔を覆わないように直し、膝の上で腕を入れ直す。
一度に抱えると、歩きにくかった。
それでも、ここに置いていく方が怖かった。
竿は、そのままにした。
「マリー……」
家のある方へ歩いた。
早く行かなければと思うのに、腕の中が揺れるたびに足を緩めた。途中からは、自分が息をしているのかまで分からなくなった。
庭へ入ると、台所の窓が開いていた。
「マリー!」
今度は、声が出た。
*
戸口へ出てきたマリーは、メグを見た途端に駆け寄った。
「お嬢様。どうなさったんです」
「まめこが……トロも」
上着の中を見て、マリーの顔が変わった。
「まめこちゃん……?」
昨日も、はなこのそばにいた子だった。母親がお米の炊き方を教えてくれる間、台所で一緒に待っていた。
マリーは小さな頬へ手を伸ばした。指先に触れた肌は冷たく、呼び掛けても目を開けなかった。
髪の間から出た猫の耳に、目が止まった。上着の裾からは、細い尻尾も覗いていた。
「この耳……昨日、はなこさんといらしたときには、ありませんでしたのに」
「わたくしにも分からないの。見つけたときには、もう……」
まめこの頭が、メグの肩から滑りかけた。マリーはすぐに手を添えた。
「こちらへ。足元、お気をつけて」
居間へ入り、長椅子に広げた毛布の上へまめこを寝かせた。トロはそのすぐ隣へ。マリーが薄い布を持ってきて、小さな体をそれぞれ包んだ。
「ユタさんと、はなこさんは?」
メグは答えようとした。
口を開いたが、声が出なかった。
「お嬢様」
「家に……二人とも」
マリーは続きを待った。
メグは首を振った。
「動かなくて。呼んでも……」
言い終える前に、息が詰まった。
「……はなこさんも?」
メグが頷くと、マリーは口元を押さえた。
昨日、台所で笑っていた顔が浮かんだ。まめこの胸が小さく動くのを見て、口元の手を下ろした。
メグの肩へ触れる。
「分かりました。ハラルドさんを呼んでまいります。ガードと、お医者様にも知らせてもらいますから」
「まめこ、息が小さいの」
「はい。すぐに戻ります」
マリーは水を入れた器と布をそばへ置いた。
「お嬢様も、ここにいてくださいね」
外へ走る足音がした。
メグは長椅子の前へ膝をついた。
まめこの頬には土がついていた。唇が白く、胸の動きが小さい。
手を取った。
自分の手も、冷たかった。
ヒールなら、習った。
練習もした。
魔法を使わなければ。
メグは目を閉じ、体の内側へ意識を向けた。マナを感じて、巡らせる。必要な分を集める。
いつもならできるところで、まとまらなかった。
まめこの息が気になって、目を開けてしまう。
もう一度、やり直した。
「Arie……」
詠唱を始めると、途中で声が裏返った。
手のひらに集まりかけたマナが散った。
「……違う」
唇を噛んだ。
先生に、急ぐときほど息を乱すなと言われていた。
それを思い出しても、息はすぐに浅くなった。
まめこの手を握り直す。
吸って、吐いた。
「Arie Fiana」
今度は最後まで唱えた。
手のひらから、魔法がまめこへ届いた。
メグは顔を覗き込んだ。
目は開かなかった。
起き上がりもしなかった。
けれど、次に胸が持ち上がったとき、さっきより少し大きく息を吸った。
「まめこ?」
返事はない。
メグはトロへ手を移した。
黒い毛の下に、かすかな動きがあった。
また、マナを集める。
一度目は、足りなかった。
「Arie Fiana」
二度目の詠唱で、ヒールが届いた。
トロの腹が、ゆっくり動いた。
メグは二人を交互に見た。
どちらも、よくなったとは言えなかった。
それでも、息がある。
手を離したら止まってしまいそうで、メグはまめこの手首へ指を添えたまま、次のマナを練った。
*
玄関で、足音が重なった。
マリーの声がした。
「こちらです」
ハラルドが居間へ入ってきた。後ろに農園の人が一人いて、戸口にはガードの姿も見えた。
「お嬢様」
メグが顔を上げると、ハラルドはすぐ隣へ膝をついた。
長椅子へ目を向けたハラルドが、息を呑んだ。
「まめこちゃん、なのですね……その耳は」
毛布の端に覗く尻尾へも、目が動いた。農園で何度も顔を合わせた子だった。見間違えるはずはなかったが、昨日まで知っていた姿とは違っていた。
「今朝、見つけたときには、こうなっていたの」
メグが言うと、ハラルドはまめこの顔を見直した。
「……何があったんだ」
小さく漏らしてから、胸の動きを確かめた。
「ヒール、使ったの。でも、まだ」
「医者が来ます。よく連れてきてくださいました」
「ユタさんたちが……」
ハラルドの表情が、わずかに曇った。
「マリーさんから聞きました。家の方は、私たちが行きます」
メグは首を振りかけた。
「わたくしも、説明を」
「あとで伺います。今はここで」
ハラルドは立ち上がり、戸口のガードへ声を掛けた。
マリーはメグの隣へ戻ってきた。濡らした布で口元を拭き、肩へ別の毛布を掛ける。
メグは、自分が上着を着ていないことを、そのとき思い出した。
ほどなくして医者が来た。
まめこの顔を見て、胸の動きを確かめる。マリーへ短い指示を出しながら、鞄から道具を取り出した。
「魔法は使いましたか」
「ヒールを。二人とも」
「何度くらい」
メグは答えられなかった。
成功した回数と、失敗した回数が、頭の中で混ざっていた。
「何度か……でも、失敗も」
「息の様子は、変わりましたか」
「少し。ほんの少しだけ」
医者が頷いた。
「分かりました。あとは、こちらで診ます」
メグは場所を空けようとして、膝に力が入らなかった。
マリーが腕を支え、隣の椅子へ座らせた。
座っても、手はまだ震えていた。
医者はトロも診てくれた。まめこと別の布へ包み直し、二人が冷えないようにして、処置を続けた。
メグはその手を見ていた。
自分が何度も確かめた胸と腹を、医者も繰り返し確かめる。
しばらくして、まめこの呼吸が少し整った。
トロも、耳の先を一度だけ動かした。
「まだ、油断はできません」
医者はそう言ってから、メグを見た。
「ただ、ここまで持ちこたえてくれています」
「わたくしの魔法では、起きなくて」
「ヒールを使わなかったら、この子も、猫も、助からなかったかもしれませんよ」
メグは医者の顔を見た。
「少しでも状態をよくして、私が着くまで繋いでくれた。それで十分です」
メグの口が動いた。
何か答えようとしたが、言葉より先に涙が出た。
マリーが、背中へ手を添えた。
*
そこまで話して、メグはお茶を一口飲んだ。
まめこも、自分のカップを見た。
お茶は、もうほとんど冷めていた。
「二人とも、ここで寝てたん?」
「ええ。最初は、あの長椅子に」
メグが示した方へ、まめこは振り向いた。
いつもトロが昼寝をしているところだった。
「トロも?」
「すぐ隣にいましたわ」
まめこは椅子の下を覗いた。
トロが顔を上げた。
「ニャ」
「……あんたも、しんどかったんやな」
手を伸ばすと、黒い頭が指先へ寄ってきた。
マリーが、新しいお茶を注いでくれた。
「お嬢様も、ずっと二人を見ておいででした。わたくしが椅子へ座ってくださいと申し上げても、すぐに立ってしまって」
「目を離すのが、怖かったのですわ」
メグは、今度はまめこの顔を見て言った。
まめこはトロを撫でていた手を止めた。
「メグも?」
「ええ。わたくしも」
少しの間、誰も話さなかった。
まめこは椅子の下から手を戻し、膝に置いた。
「それで、ガードの人にお話したん?」
「ええ。お医者様が落ち着かれたあとで」
*
ガードは、メグの向かいへ椅子を引いた。
長椅子からは、離れた場所だった。それでもまめこの顔が見えるように、マリーが椅子の向きを直してくれた。
「分かるところだけで構いません。どこで見つけましたか」
メグは、道の曲がり角から説明した。
猫と一緒に倒れていたこと。
まめこに衣服がなかったこと。
息を確かめて、上着で包んだこと。
家へ、抱いて連れていったこと。
両親のことを話すところで、声が止まった。
ガードは筆を止めた。
「少し休みましょう」
水を飲んでから、メグは続きを話した。
誰かが逃げるところは見ていない。人の声も聞いていない。
聞かれても、それ以上のことは分からなかった。
「その子とは、前からお知り合いですか」
「ええ。ユタさんは農園で働いていて、まめこも、お母様と来ていました」
メグは長椅子を見た。
布の端から、猫の耳が出ていた。
「でも、まめこには、猫の耳も尻尾もありませんでした。ユタさんはエルフで、はなこさんは人間です。二人とも、猫の獣人ではありません」
マリーも、長椅子のそばから口を開いた。
「はなこさんとは、以前から料理を教えていただく仲でした。まめこも一緒に来ていましたし、農園でもよく会っておりました」
マリーは眠っているまめこを見た。
「昨日も、母娘でこちらの台所にいらしたのです。そのときには、耳も尻尾もありませんでした。今朝、お嬢様が連れてお戻りになって、初めて見ました」
ガードが顔を上げた。
「今朝、初めて見たのですね」
「はい」
マリーが答えると、メグも口を開いた。
「見つけたとき、トロも一緒に倒れていたので、何か……」
そこで言葉を止めた。
何か、としか言えなかった。
「何があったのかは、分かりません」
ガードは頷き、そのまま書き留めた。
昼を過ぎて、ハラルドが戻ってきた。
戸口で帽子を取り、まず二人の様子を聞いた。マリーが答えると、長椅子の方を見て、深く息を吐いた。
それから、ガードと低い声で話した。
「家の中が荒らされています。金目のものも、見当たりません」
ガードが、手元の紙をめくった。
「何がなくなったか、心当たりはありますか」
「すべては分かりません。ただ、はなこさんがいつも着けていたネックレスも、見当たりませんでした」
メグは、二人の方を向いた。
「あの方は、よく自慢していましたから」
ハラルドは言い、それから、少しだけ声を落とした。
「このネックレスのおかげで旦那と知り合えたんよー、と」
メグも、聞いたことがあった。
はなこが首元から持ち上げると、黒い石の中に、いくつもの色が浮かんだ。綺麗だと言ったら、嬉しそうに笑っていた。
その笑顔が浮かんで、メグは目を伏せた。
「詳しいことを知っている方にも、確認します」
ガードが言った。
ハラルドは頷き、持ってきた包みをマリーへ渡した。
農園の人が用意してくれた、まめこの着替えだった。
*
街の職員が来たのは、そのあとだった。
ガードから知らせを受け、家族や親類のことを確認しに来たのだという。
まめこはまだ眠っていた。
メグは、長椅子の近くへ椅子を寄せて座っていた。マリーとハラルドが、職員の問いに答えている。
親類の連絡先が分かるものがないか、調べる。
容体が落ち着くまでは、医者の指示に従って世話をする。
その先の暮らしについても、決めなければならない。
メグは、膝の上の手を握った。
「まめこは、どうなるのですか」
話していた三人が、こちらを向いた。
「お父さんも、お母さんもいなくなって……どこへ行くのですか」
職員は、メグの近くへ座り直した。
「まず、安心して休める場所を用意します。引き受けてくださる方や、ご親類がいないかも確認します」
「ここにいては、いけませんか」
メグは、まめこを見た。
「この家で。わたくしと、マリーと」
職員はすぐには答えなかった。
「あなたが大事に思っていることは、よく分かります。ただ、これからずっと世話をするとなれば、大人の方にも責任を引き受けていただかなければなりません」
「マリーがいます」
「はい。ですから、皆さんで相談しましょう。あなたのお父様とお母様にも」
メグは唇を結んだ。
自分が助けたのだから、と言おうとして、言えなくなった。
医者がいなければ、助からなかったかもしれない。
マリーが走ってくれなければ、ハラルドたちも来なかった。
今も、自分一人では何をすればいいのか分からなかった。
「……父と母に、来てもらえますか」
「もう、お知らせを出してあります」
ハラルドが答えた。
「今朝のことも、お二人の容体も。返事を待っているところです」
メグは頷いた。
長椅子の毛布が、少し動いた。
振り向くと、まめこの指が布の端を掴んでいた。
*
目が開いても、まめこはすぐには話さなかった。
天井を見て、マリーを見て、それからメグを見た。
「まめこ」
メグがそばへ寄ると、小さな顔が、わずかにこちらへ向いた。
「わたくしが、分かります?」
まめこは、じっと見ていた。
返事がないまま、眉が少し寄った。
医者が、メグへ席を空けるように言った。
無理に起こさず、短く問い掛ける。まめこは一つ二つ答えたが、自分がどこにいるかも、どうしてここに来たかも分からなかった。
メグのことも、覚えていなかった。
両親の名前を聞いたときにも、その目は迷ったままだった。
メグは、自分の指先を見た。
朝、あれほど呼んだ名前だった。
「今は、休ませましょう」
医者が言った。
「思い出せないことを、続けて尋ねないでください」
メグは頷いた。
まめこの目が、隣の黒い猫へ向いた。
「……ねこ」
声は、ほとんど息のようだった。
「トロですわ」
メグが答えた。
「あなたと、一緒にいましたの」
まめこの指が動いた。
マリーがその手を支え、トロの背へそっと触れさせた。
トロは目を開けなかった。
けれど、指が毛に触れると、耳を一度だけ動かした。
*
イオルドとドーナは、日が傾く前に来た。
メグが玄関へ出ると、母は何も言わずに抱き寄せた。
背中へ回った手に触れた途端、朝からのことが一度に喉まで上がってきた。
「お母様……」
「ええ」
「まめこが。ユタさんと、はなこさんが」
「聞きましたわ」
ドーナは、すぐに腕をほどかなかった。
メグは母の肩へ顔を押しつけた。
その隣で、イオルドがマリーとハラルドへ礼を言っていた。
両親は、眠っているまめことトロを見た。
医者の話を聞き、ガードと職員にも会った。農園で起きたことについて、イオルドは自分にも報告を上げるように伝えた。
メグは、その話が終わるのを待った。
「お父様」
イオルドがこちらを向いた。
「まめこを、ここに置いてあげたいのです」
「そうか」
「わたくしを覚えていなくても……ここなら、知っている人がいます。マリーも、ハラルドも。前のおうちも、農園も近いから、何か思い出すかもしれません」
自分で話しながら、思い出せばいいのか、思い出したら苦しいのか、分からなくなった。
「でも、思い出せなくても、いてほしいです」
最後の言葉は、小さくなった。
イオルドは、娘の前へ腰を落とした。
「お前の気持ちは分かった。だが、今朝のことで疲れているだろう。今日、すべてを決めようとしなくていい」
「連れていかれませんか」
「具合の悪い子を、急に動かしたりはしない。まずは、ここで世話をしてもらおう」
メグは父の顔を確かめた。
イオルドは頷いてから、マリーを見た。
「頼めるだろうか。人手が足りなければ、屋敷から出す」
「はい。お世話いたします」
マリーは長椅子の方を見て、答えた。
「はなこさんが連れていらした頃から、よく知っている子です。どうぞ、こちらで休ませてあげてください」
ドーナは、まめこのそばへ椅子を寄せた。
眠っている顔をしばらく見てから、布の上に出ていた小さな手を包んだ。
*
「すぐ、その日に決まったんちゃうんやな」
まめこが言うと、メグは頷いた。
「ええ。しばらく、お医者様にも通っていただきましたし、街の方も調べてくださいました」
「わたし、ずっとここにおったん?」
「休んでいる間は、こちらに。そのあと、お屋敷へも行きましたわ。父と母が、あなたと一緒に過ごして、お話をしたいと言いましたから」
まめこは、ドーナが玄関で抱きしめてくれたときのことを思い出した。
昔のことは浮かばない。
けれど、前に会ったときの袖の柔らかさは、覚えていた。
「それで、イオルド様とドーナ様が?」
「お葬式を終えてから、正式にあなたを引き受けましたの。書類を整えて、街の方にも確認していただいて」
「メグやなくて?」
「わたくしは、まだ十二でしたもの」
メグは、少し笑った。
「一緒に暮らしたいと申し上げるだけでは、足りませんでしたわ」
マリーが卓の上のカップを寄せた。
「奥様も旦那様も、何度もおいでになりましたよ。お嬢様のことも、心配していらっしゃいましたから」
「父には、学校へもちゃんと行くようにと言われました」
「まめことトロが眠っている間に、少しお休みになってください、とも申し上げましたね」
「……そうでしたわね」
メグは視線を下げた。
まめこは、自分のカップを両手で持った。
「お屋敷に住むんやなくて、ここになったんは?」
「少しずつ、この家に慣れていったからですわ。マリーとも、お話しするようになって。トロもいましたし」
メグは、椅子の下へ目を向けた。
「父と母にも、相談して決めましたの。こちらで暮らして、お屋敷へも会いに行く。困ったことは、わたくし一人で決めずに相談する、と」
「今みたいなんやな」
「ええ。今みたいに」
まめこは頷いた。
自分が知らない間に、いろんな人が来ていた。
マリーが走って、ハラルドが知らせて、医者が診てくれた。ガードと街の人も、イオルドとドーナも。
その間、メグは、この長椅子のそばにいた。
まめこは椅子から下りた。
トロが体を起こし、足元から退く。
「どうしました?」
メグが尋ねた。
まめこは隣へ行き、袖の端を持った。
「わたし、覚えてへんけど」
「ええ」
「ヒールしてくれて、ありがとう」
メグの手が、カップから離れた。
「トロの分も」
まめこは足元を見た。
「な、トロ」
「ニャ」
メグはまめこの手へ触れた。
朝の話に出てきた冷たさは、今はなかった。
「二人とも、いてくれてよかったですわ」
まめこは頷き、メグの腰へ腕を回した。
椅子に座っているので、ちょうど顔が肩の下へ届いた。
メグの腕が、背中へ回った。
マリーは席を立たず、二人のそばにいた。
トロがメグの足へ体を擦りつける。まめこが少しだけ腕を緩めると、その間へ鼻を入れようとした。
「あんたも、入りたいん?」
まめこがしゃがんで抱き上げた。
今度は自分が椅子へ座り、膝へトロを載せる。
黒い体は、両腕の中にすっぽり収まった。
「ぬくいな」
背中を撫でると、喉の奥で小さな音がした。
まめこはその動きを、手のひらで確かめた。
隣では、メグが目元へ布を当てていた。
まめこは、空いている方の手を伸ばした。
メグの手が、それを握った。
お茶を飲み終えるまで、二人はそのまま座っていた。
めぐ「包帯?リザレクション?何のこ以下略」




