第十二話 籠ひとつの約束
まめこの描いた船には、窓が十二個あった。
横に長い船の上へ、家のようなものを載せた。その屋根から棒を伸ばして、帆も付けた。帆の下には、メグとマリーと自分が並んでいる。
トロは、窓の一つから顔を出していた。
「これ、わたくしたちの船ですの?」
朝食を終えたメグが、机の横へ来た。
「あい。トロのお部屋もあるで」
「ずいぶん立派ですわね」
「窓、もっといる?」
「まずは、このくらいにしておきましょうか」
メグは紙を持ち上げた。
船の底は右の方だけ深く、左の先は尖っていた。海を描いた線が船の中まで入っている。
「ここ、お水が入ってきているように見えますわ」
「そこは消す」
まめこが手を伸ばすと、メグは紙を机へ戻した。
海の線を消したら、船の底も少しなくなった。描き足しているうちに、今度は底が二重になった。
「……丈夫な船やで」
「ええ。そうしておきましょう」
台所から、マリーが布を掛けた籠を運んできた。
まめこは鉛筆を置いた。
「今日、持っていくやつ?」
「はい。お見せする分だけです」
布をめくると、茄子が三本入っていた。一本ずつ、へたの向きが揃っている。
まめこが菜園で世話をしてきた茄子だった。
水をやって、葉の陰を覗いて、実が大きくなるたびにメグを菜園へ呼び、一緒に眺めた。昨夜は、その茄子をどこへ持っていくか、メグとマリーが相談していた。
マリーが挙げたのは、街の食堂だった。
買い物の途中に何度か立ち寄ったことがあり、野菜を使う料理も出しているという。
「これだけ売るん?」
「今日は、買っていただけるかを伺いに行きますわ。先に、お話を聞かなくては」
メグは帳面を鞄へ入れた。
「まめこも、支度はできました?」
「あい」
まめこは机の船へ目を戻した。
直している途中だったが、帰ってからでも描ける。
紙の端へ鉛筆を置き、椅子から下りた。
*
街へ近づくにつれて、道を行く人が増えた。
まめこはマリーと手をつなぎ、メグの横を歩いた。今日はトロも、マリーの持つ蓋付きの籠に入っている。
野菜の籠と間違えないよう、まめこは出掛ける前に、両方の中を確かめておいた。
店先では、長い布を二人で広げている人がいた。まめこが見ていると、その布が頭の上へ持ち上がり、軒から張り出した。
「お店の屋根、増えたで」
「日除けですね」
マリーの言葉が終わる頃、布の下へ木箱が運ばれてきた。
丸い果物が並んでいる。
まめこが振り返りながら歩くので、つないだ手が少し引かれた。
「前も見てくださいね」
「あい」
向き直ると、メグが店の看板を確かめていた。
「あちらですわね」
通りの角に、小さな食堂があった。
扉は開いていた。中には幾つかの卓があり、奥から器の触れ合う音がする。入口の脇では、腰に前掛けを巻いた女の人が、卓を拭いていた。
マリーが声を掛けると、その人は手を止めた。
「あら。今日は皆さんで?」
「おはようございます。今、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
「ええ。お昼までには、まだ間がありますから」
メグが一歩前へ出た。
「この子が菜園で育てた野菜のことで、ご相談に参りましたの」
そう言ってから、籠の布を取る。
「今は茄子がよく採れますので。こちらのお料理に使っていただけるようでしたら、少しずつ、お持ちできないかと思っていますわ」
女の人は、濡れた布を脇へ置いた。
「見せてもらっても?」
「ええ。どうぞ」
茄子を一本取って、へたと皮を確かめる。軽く持ち替え、残りの二本にも目を向けた。
「今朝採ったの?」
「はい」
まめこも頷いた。
「まだ草、濡れてたで」
「そう。朝のうちに採ってきたんだね」
女の人は茄子を籠へ戻した。
「きれいね。うちでも使いますよ。ただ、たくさんは要らない日もあるの」
メグが鞄から帳面を出した。
まめこは、その表紙を見た。農園へ持っていったのと同じ帳面だった。
「どのくらいでしたら?」
「そうね……まずは六本くらい。大きすぎないものが使いやすいわ。焼いて出すとき、皿に収まるから」
まめこは籠の三本を見た。
あと三本あればよい。
「今日、帰って取ってきたらええ?」
メグがこちらを向いた。
女の人は笑った。
「今日は、もう仕入れてあるのよ」
「……あ」
ハラルドも、そんなことを言っていた。
まめこはマリーの手を握り直した。
メグは帳面を開き、少し考えてから尋ねた。
「次は、いつお使いになります?」
「三日後の朝なら。いつもの仕入れから、茄子を減らしておけるわ」
「三日後、ですわね」
メグの筆が止まった。
まめこにも、あのとき菜園で見た小さな茄子が思い浮かんだ。葉の後ろに隠れていたもの。まだ採らずに置いたもの。
どれも、今日の三本ほど大きかったかは分からない。
「一度、畑を確かめてから、お返事をしてもよろしいかしら。今ここで六本とお約束して、揃わなければ困りますもの」
「ええ。明日の昼までに教えてもらえれば、仕入れに間に合います」
メグは頷いた。
「では、明日お返事いたしますわ」
女の人が入口に近い卓を空けてくれた。
「こちらへどうぞ。お値段のこともお話ししましょう」
「ありがとうございます」
メグは帳面を持って席についた。
まめこはマリーの隣へ座った。トロの籠は、通る人の邪魔にならないよう、椅子の足元へ置かれる。
中から、小さく鼻を鳴らす音がした。
「お魚の匂いするん?」
蓋の隙間に、黒い鼻が現れた。
「マリー、まだ出したらあかんって言うて」
マリーが籠の向きを直した。
向こうの卓では、メグが数字を書いていた。
女の人の話を聞き、書いたものを指して、もう一度確かめる。
まめこは自分の膝へ手を置いた。
茄子を持ってきたら、お金をもらって帰るのだと思っていた。
今日はまだ、一本も売れていない。
けれど、メグの帳面には、来る前にはなかった文字が増えていた。
*
家へ戻ったのは、昼食の少し前だった。
マリーが台所へ向かうと、まめこはメグと菜園へ出た。
トロも籠から下り、先に庭へ向かった。土の道を歩き、葉の陰へ鼻を入れる。
「食べるもんないで」
まめこが言うと、トロは後ろを向かずに尻尾を動かした。
メグは畝の横に屈んだ。
葉を持ち上げ、茄子の下へ手のひらを添える。採らずに、大きさだけ確かめていた。
「これなら、三日後にはよさそうですわね」
「それ、一個」
まめこは指を一本立てた。
その株の隣には、少し小さい茄子も実っていた。
「二個」
メグは葉をそっと戻した。
「こちらは、まだ小さいですわ。三日後に間に合うか分かりませんから、今は数に入れずにおきましょう」
まめこは二本目の指を曲げた。
次の株にもあった。
こちらは、メグも頷いたので、また二本にする。
葉の向こうを覗くと、もう一つ、濃い紫色が見えた。
「三個!」
「そちらは、今、数えたものですわ」
「……葉っぱ多いから、分からへん」
まめこは立てた指を見た。
二本だったか、三本だったか、急に心配になった。
メグが鞄から帳面を出した。
「一株ずつ、順番に見ましょう。見終わったら、次へ進みますわ」
「わたし、そこ立っとく」
まめこは畝の端へ移った。
メグが一株を見るごとに、足を少しずつ横へずらす。
途中でトロが同じ方へ来たので、尻尾を踏まないように待った。
「トロ、数えてへん株の方行って」
「ん」
トロは、その場で座った。
「そこがええんか」
まめこは猫をまたがず、後ろへ回って次の株の横へ立った。
全部見ると、メグは帳面を膝へ置いた。
「今のところ、七本。こちらの二本は、曲がっていますわね」
「お皿、入らへん?」
「そこまで大きくはありませんけれど。お店の方に伺っておけばよかったですわ」
まめこは曲がった茄子を見た。
この前、家で食べたものにも、曲がったところがあった。マリーが切って皿へ載せると、どれがその茄子だったか分からなくなった。
「切ったら、分からへんで」
「そうですわね。ただ、焼いて出すと仰っていましたから、切らずに使うこともあるかもしれません」
メグは数字の横に、小さく書き足した。
まめこはその筆先を追った。
「六本、ある?」
「全部使っていただけるなら。でも、まっすぐなものだけでは五本ですわ」
「あと一個、小さいの入れたら?」
口にしてから、まめこは隣の株を見た。
小さい茄子は、葉の下に隠れている。
メグは首を傾げ、そちらを一緒に覗いた。
「育ってくれれば助かりますけれど、それを当てにするのは心配ですわね」
立ち上がり、スカートについた土を払う。
「五本なら用意できそうだと、お伝えしましょう。曲がったものもお使いになれるか、一緒に伺って」
まめこも立った。
指を折って数えるのは、途中でやめていた。
「船、まだ遠いなあ」
メグは菜園を見渡した。
「ええ。思っていたより、お聞きすることが多いですわ」
そう言って、帳面を閉じた。
「でも、まず一度、使っていただけるかもしれません」
まめこは、朝と同じ三本が入った籠を思い出した。
あれは台所へ置いてきた。
今日は売れなかったが、昼には食べられる。
「マリー、もう茄子切ったかな」
「見に行きましょうか」
*
翌日、学院へ出掛ける前に、まめこは机の船を見た。
底の線は二本のままだった。
鉛筆を持ち、窓の横へ、小さな四角を描く。その中に、丸いものを幾つか入れた。
部屋の入口に来たメグが、紙を覗いた。
「今度は、何を載せましたの?」
「茄子」
「お父様の農園で採れたものも、いつかこうして船で運びたいですわね」
「うん。六本」
メグがもう少し顔を寄せた。
「……七本、ありません?」
まめこは鉛筆の先で数えた。
一つ、二つ、三つ。
たしかに七つあった。
「これ、トロのお魚」
「丸いお魚ですわね」
「今、尻尾つける」
「その前に、鞄を持ってくださいまし。そろそろ出掛けますわよ」
まめこは鉛筆を置いた。
今日はマリーが、食堂へ返事を持っていってくれる。メグが書いた短い手紙を、朝食のあとに受け取っていた。
まめこは紙を机の奥へ寄せ、鞄を背負った。
魚の尻尾は、帰ってから付けることにした。
*
二日後の朝、籠には五本のまっすぐな茄子と、一本の曲がった茄子が入っていた。
食堂からは、それでよいと返事が来た。
曲がったものは、切って煮込む料理に使うという。
マリーが籠の底へ布を敷き、まめこが一本ずつ並べた。へたの向きがばらばらになったところだけ、メグがそっと直した。
まめこは籠の中を順番に指す。
「一、二、三、四、五、六。六本やな」
「ええ。揃いましたわね」
メグは布を掛け、鞄に帳面を入れた。
前と同じ食堂へ着くと、女の人が奥から出てきた。
「おはよう。待っていたわ」
まめこは両手で抱えてきた籠を卓へ置いた。
メグが隣から言う。
「お約束の分ですわ。ご確認いただけます?」
女の人は布を取った。
まめこが家で数えた六本を、今度は店の人が確かめる。
曲がった茄子も、ほかのものと一緒に受け取ってもらえた。
「ありがとう。ちょうどいい大きさね」
女の人は六本の茄子を奥へ運んだ。
空になった籠が戻ってくる。
まめこが覗くと、行きに茄子を載せていた布だけが残っていた。
女の人は、メグと前に決めた分の硬貨を数えた。
そして、その硬貨をまめこへ直接渡す代わりに、空になった籠の布の上へ置いた。
ちゃり、ちゃり、と小さな音が重なる。
「はい。今日の茄子のお代」
まめこは籠の底を見つめた。
行きには、ここに六本あった。
今は、その代わりに硬貨がある。
「……これ、わたしの?」
「ええ。まめこが育てた茄子のお代ですわ」
メグが答えた。
まめこはすぐには硬貨へ触らなかった。
籠を両手で持ち上げると、底で硬貨がもう一度、小さく鳴った。
「次の分は、また相談させてね。うちで使ってみてから」
「はい。畑の様子も確かめて、お伺いいたしますわ」
メグは帳面に今日の分を書き込み、閉じた。
店を出ると、通りには朝の荷車が通っていた。二人は道の端で待ち、車輪が遠ざかってから歩き出した。
まめこは籠を持たせてもらった。
さっきまでより軽いはずなのに、何度も中を覗いた。
「お金、あるで」
「逃げませんわよ」
「でも見る」
歩くたび、布の上で硬貨がかすかに鳴る。
「今日のお昼、あの茄子出るんやな」
「そう仰っていましたわね」
まめこは食堂を振り返った。
入口に、もう一人お客が入っていくところだった。
あの人が食べるのかもしれない。
ほかの人かもしれない。
「曲がったのも、食べてもらえるな」
メグが頷いた。
*
家へ帰ると、まめこは籠を抱えたまま机へ向かった。
メグが帳面を開いている横で、籠の中の硬貨を一枚ずつ取り出す。
机の上へ並べて、また数えた。
「一、二、三……」
メグと一緒に確かめると、店の人と約束した金額に、きちんと合っていた。
まめこは引き出しから鉛筆を出した。
「何をなさいますの?」
「印つける」
「印?」
「今日の茄子のお金って、分かるようにする」
鉛筆の先を硬貨へ近づけて、まめこは手を止めた。
「……これ、描かれへんな」
「小さな札を付けてはどうかしら」
メグが、机の端にあった厚めの紙を寄せてくれた。
まめこはそこから、小さな四角を切り取った。
そこへ、丸い茄子らしいものを描く。
へたを付けると、どうにか茄子に見えた。
まめこは札を硬貨の上へ置いた。
「これで分かるで」
「茄子の印ですのね」
「あい。今日の六本」
飲み物を運んできたマリーが、机の上を覗いた。
「まあ。お札もできたのですね」
「茄子のお金やで。ほかのと混ざらへんようにするん」
マリーは盆を置き、小さな巾着を持ってきた。
まめこが硬貨を一枚ずつ入れると、布の底がふくらんだ。最後に札も入れようとして、茄子の絵をもう一度見た。
「……入れたら、見えへん」
「外へ付けましょうか。貸してください」
マリーは裁縫箱から細い紐と目打ちを取り出した。札の下に端布を厚く畳んで敷き、端から少し離れたところへ、そっと穴を開ける。
まめこは机の向こうから覗き込んだ。
「茄子、刺さんといてな」
「はい。ここなら大丈夫ですよ」
穴は、へたより上の空いたところにできた。
マリーはそこへ細い紐を通し、巾着の口を絞る紐に結び付けた。札を表へ向けてから、ほどけないよう、もう一度結ぶ。
「これで、開けなくても分かりますね」
差し出された巾着を、まめこは両手で受け取った。
持ち上げると、茄子の札がぶらんと揺れた。
「わたしの茄子の袋やで」
札を指で押さえ、嬉しそうに絵の向きを直す。
「マリー、ありがと」
「どういたしまして」
机の上には、描きかけの船が残っていた。
窓の横には六本の茄子と、まだ尻尾のない丸い魚。
まめこは巾着を船の絵の横へ置いた。
「メグの船にも、茄子いっぱい載せるん?」
「ええ。いつか、お父様の農園で育てたものを、ほかの街へ運ぶお手伝いもできたらと思っていますわ」
「窓のとこまで?」
「そこまで積んだら、お部屋へ入れませんわね」
まめこは船の絵を見た。窓の一つから、トロが顔を出している。
「トロの窓は空けとこ」
「ニャ」
足元から返事がした。
まめこは巾着を膝へ載せ、茄子の札を撫でた。
食堂の人が、六本とも持っていった。曲がった一本も、今頃は台所にある。
自分が水をやっていた茄子を、今日は知らない誰かが食べる。
まめこは巾着をそっと持ち上げた。
中で硬貨が鳴った。
もう一度だけその音を聞いてから、船の横の丸い魚へ、忘れていた尻尾を描き足した。
めぐ「この硬貨は金でもプラチナでもありませんのね、、」




