ガーゴイル
教会上空に現れたガーゴイルの群れが、逃げ惑う人たちに襲いかかる。教会の司祭たちは杖をかざして詠唱を唱え、光魔法の防御壁を張ろうとする。けれど、その防護壁は、ガーゴイルが甲高い声を上げて放った禍々しい瘴気によって砕かれしまっていた。それを絶望の表情で見守る司祭たちは、腰砕けになったように座り込んだり、震え上がって逃げようとしていたりして、少しも役に立っていない。
馬車はガーゴイル数体に囲まれていて、騎士たちが必死に応戦している。国王夫妻は騎士に押し込まれるようにして馬車に乗り込んだけれど、一体のガーゴイルが泣き叫ぶ王太子殿下をつかんで飛び上がった。「ミハエル!」と、必死に手を伸ばして王太子殿下の名前を呼ぶ王妃様を、必死に騎士が押しとどめる。
私とカインは逃げ惑う人に押されながら、その様子を見ていた。早く逃げないと、私達まで襲われてしまう。でも、カインは青ざめた顔をしてガーゴイルに攫われた弟を見上げていた。繋いだ手が汗ばんでいてギュッと力が入る。国王夫妻も、弟のミハエル王太子殿下も、カインにとっては血の繋がった家族だ。たとえ、冷遇されていたとしてもその事は変わらない。
(だけど……)
今の私達はただの子供。ガーゴイルの群れを相手にするなんて無茶だ。この場には、騎士も司祭たちもいる。きっと、王宮に知らせがいって騎士や衛兵、王宮の魔法使いたちが救援に駆けつけてくるだろう。護衛はその人たちの仕事だ。でも、待っていたらミハエル殿下は、命がないかもしれない。悲鳴を上げ続けていたけれど、恐怖のあまりに気を失ってしまったのかぐったりしている。
ミハエル殿下をつかんだガーゴイルは、教会の屋根くらいの高さを飛び回っていた。そこから落下すれば、地面に叩きつけられてしまう。子供の小さな体では無事でいられるはずもない。騎士たちも何とか助けようとしているけれど、魔法使いが来なければ手も足も出ない。弓があっても、矢が外れればミハエル殿下に当たってしまう。
騎士たちは国王夫妻を守る事を最優先にしたらしく、泣き叫ぶ王妃様を中に押し込んで扉を閉める。馬が嘶いて走り出した。通りにいた人たちが慌てたように避けていたが、中には突き飛ばされて轢かれそうになっていた人もいた。
私はジッと上空を見ているカインを見る。唇を引き結んだカインの顔は青ざめていた。
「カイン……助けに行きたい?」
尋ねると、カインが驚いたように振り向く。その目の中で感情が揺れていた。迷っているのだろう。カインも自分にできる事は少ないと分かっている。自分たちがガーゴイルの群れに飛び込んでいっても、役に立たないかもしれない。それに、襲われれば、私達も無事ではいられない。カインは賢いから、そんな状況が理解できないはずもない。それでも、コクッと頷いた。
(やっぱり、カインはお兄ちゃんなんだね……)
たとえ、弟に複雑な気持ちを抱いていても、それでも見捨てるなんてできないんだ。そんなカインを、私はちょっと誇らしく思った。
今こそ、これを使う時だと、私は防犯ブザーの紐を引っ張る。途端にうるさい音が辺りに鳴り響いた。これで、どこにいても母様が駆けつけてきてくれる。それまでの時間稼ぎだ。私はカインの手をつかんで、「行こう!」と駆け出した。
「カイン、あれ……持ってきてるでしょ?」
走りながら尋ねると、カインが頷く。逃げ惑う人たちの間をすり抜けながら教会を目指す。
私とカインが鞄から取り出したのは、魔導具に改造された水鉄砲だ。カインは走りながら、人々に襲いかかるガーゴイルに狙いを定める。次の瞬間には、ガーゴイルの翼がボロボロになって地面に墜落していた。私はびっくりしてカインの顔を見る。放った水が一瞬で氷の刃となり、翼を切り裂いたのだ。私も急いで別のガーゴイルに狙いを定める。放った水は螺旋を描いて、ガーゴイルの頭部に当たった。カインみたいに一撃でしとめられず、暴れるガーゴイルがこちらに向かってくる。私は咄嗟に魔法で防壁を張った。その壁に激突したガーゴイルはようやく落ちて動かなくなる。あ然としていた騎士たちが、我に返ったみたいにそのガーゴイルに駆け寄り、首を斬り落としていた。
その間にも、カインの放った氷の刃が二体目のガーゴイルを仕留める。魔法の発動時間が随分と短い。私でもそんなに早くできないよ! それとも、弟を助けるために必死だからか。私はカインの袖をつかんで引っ張った。
「ここからじゃ届かない。教会の屋根に上がろう!」
私は教会の礼拝堂の屋根の上を指差す。カインもさすがに上空を飛ぶガーゴイルまでは魔法が届かないと判断したのか頷いた。騎士たちが通り抜けようとする私とカインを見て、「おい、君たち!」と声を上げる。その声を無視して私とカインは礼拝堂目に向かって走った。
中に飛び込むと、司祭様やシスターたちが大勢いる。怪我をした人や騎士たちが運び込まれていて、治癒魔法や魔法薬での治療が行われていた。私達は礼拝堂の隅の扉を開いて、階段を駆け上がる。一番上まで行くと小さな窓が開いていて、瘴気まじりの風が舞い込んできた。
私もカインも顔を見合わせて頷き合う。カインが窓の縁によじ登って外に身を乗り出し、教会の外壁の彫刻や窓枠に足をかけながら、尖った屋根に上がっていくのを、ハラハラしながら見守った。
「カイン、大丈夫!?」
私が靡く髪を押さえながら尋ねると、カインは屋根の上で風にあおられてフラつきならも頷いた。片膝をつくと、水鉄砲の狙いを定める。ミハエル殿下をつかんだガーゴイルは、ギャーギャーとうるさい鳴き声を上げながら上空を飛び回っていた。その動きが止まり、ガーゴイルの視線がカインに向く。私は咄嗟にカインの周りに防壁を張る。カインがほとんど同時に、水鉄砲のトリガーを引いていた。氷の刃がガーゴイルの首を刎ねる。落下するガーゴイルの手から、ミハエル殿下の体が離れた。
落ちる瞬間、私は風魔法でミハエル殿下の体を包む。それがクッションとなって落下速度が落ち、下から見ていた騎士たちが焦ったように抱きとめていた。司祭たちも駆け寄り、すぐにミハエル殿下の体に浄化と治癒の魔法をかけている。これでミハエル殿下は大丈夫だ。
ガーゴイルの群れはまだ片付いてはいない。まだ十体以上のガーゴイルが飛び周り、人に遅いかかっている。その時に、屋根の上でホッとしたように座り込んでいたカインの隣に、黒いローブを着た母様が現れた。
「母様!」
私は窓から顔を出して、思わず叫んだ
「魔女だ……」
「アナスタシア=オーウェン!!!」
「闇沼の魔女!!」
騎士たちが騒然となり、恐怖に顔を引きつらせる。騎士たちにとっては、この場にいるガーゴイル以上に、母様は危険な敵だ。母様は自分に向かって放たれた魔法攻撃を簡単に弾くと、座り込んでいるカインを抱きかかえる。一瞬でその場から消えると、スッと私の隣に現れた。
「母様……早く、逃げた方がよさそう」
「そうね……まあ、あれは……あの人たちが何とかするでしょう」
母様は空をまだ飛び回っているガーゴイルを見て目を細めて、薄ら微笑む。私の手を取ると、あの転移魔法のハンカチをヒラリと広げる。階段を駆け上がってきた騎士が声を上げた時には、私達はもうその場から消えていた。
目を開けば、そこはあの廃屋のエントランスホールだ。
壊れた窓がギーギーと音を立てていて相変わらず不気味だった。
「そろそろ、帰りましょうか」
「私も疲れちゃったよ……」
私ははぁとため息を吐く。カインもぐったりしていて、顔色が悪くなっていた。たくさん魔力を使ったからだろう。小さく震えているから、風邪をひいて熱でも出しそうだ。目もぼんやりしている。
母様はもう一度、あの転移魔法のハンカチを広げる。その上に立った次の瞬間には、雪に覆われた塔が目の前にあった。ようやく我が家に帰ってきた事に、私は安堵した。大変な一日だった。
◇◇◇
それから、カインはたっぷり二日間、熱を出して寝込んでしまった。
私は生姜と砂糖を入れた暖かい薬湯をカインの部屋に運ぶ。ノックして部屋に入ると、カインはまだ具合が悪そうに寝込んだままだ。
「カイン、大丈夫?」
私が声をかけると、目を開いて頷く。でもすぐに咳き込んでいた。顔もまだ赤くて、額に手を当てると熱い。
「王都は……どうなったかな」
心配なのか、カインが呟いた。
「母様があの後でもう一度王都に行っていたよ。ガーゴイルはみんな騎士団と王宮の魔法使いがやっつけたみたい。でもかなり被害が出たって……カインが助けたから、弟君も無事だよ。陛下や王妃様も避難していたし。でもね……今回の騒ぎは母様のせいって事にされてるみたい」
私はベッドの端に腰を掛けて、体を起こしたカインに薬湯の器を渡す。
「お師匠様が? でも、お師匠様は僕らを助けてくれたのに……!」
カインの声が大きくなり、少し苦しそうに咳き込んでいた。その背中をさする。肺炎にならなくてよかって母様が言っていたけど、かなり辛そうだ。熱が数日続いたからだろう。
「うん、そうなんだけど……ガーゴイルを召喚して操っていたのは母様だと思っているんだよ。母様は悪い魔女って事になっているから。それにガーゴイルが現れた理由も分かっていないみたいだし」
王都の城壁には、魔物避けの魔法がかけられている。けれど、上空は防壁も機能しない。それを利用されて、ガーゴイルを呼び寄せた者がいるって母様が話していた。
「お師匠様はあの場にいなかったんだ……そんな事しない!」
カインは悔しそうに上掛けをギュッとつかむ。額や首に汗の玉が浮かんでいた。私は濡れたタオルで、その汗を拭ってあげた。それから、額にタオルを当てる。その通りだ。ガーゴイルが襲ってきた時、母様はあの場にいなかった。何かできるはずもない。でも、冷静ではない人たちは、そんな事を言っても納得しないだろう。
「母様はしばらく、塔からも離れるって……だから、またカインと私の二人だけだね」
「……お師匠様を捕らえに来るの?」
「分からないけど、その可能性もあるから」
母様が塔にいれば、私やカインも捕らえられるかもしれない。カインは王子様だからひどい事はされないかもしれないけれど、私は魔女の娘だ。母様に向けられる憎悪は、娘の私にも向けられるだろう。母様はそれを心配している。だから、落ち着くまでは姿を隠すつもりでいるらしい。今度はしばらく戻ってこなさそうだ。
少なくとも、雪が溶ける頃まで――。
私は「新年早々大変な事になっちゃった……」と、気落ちして呟いた。カインは下を向き考え込んでいる。
「僕のせいかな……僕がここにいるから」
「そんな事はないよ。カインは気にしないでいいの。私も母様もこういう事は慣れているから平気だよ」
王都で病気が流行っても、母様のせいだと言う人はいる。得体の知れない恐怖よりも、原因が分かっている方が人は安心するものだ。今回の事もそうなのだろう。
「でも、カインが戻りたいなら……戻してあげる方法も考えるよ?」
「…………帰りたくない。王都は嫌いだ……王都にいる人たちも……みんな…………」
カインは唇を噛む。今回の件で一番、活躍したのは間違いなくカインだ。でも多くの人はその事を知らない。あの場でウロウロしていた子供を見かけた人はいるだろうけれど、その子供がガーゴイルを何体も倒したなんて思わないだろう。それを大っぴらに言えないのも、悔しい。それを知れば、カインの両親の国王陛下だってカインの事を見直すかもしれないのに。
「そうだね。私も王都はあまり好きじゃないよ……楽しいけど……騒ぎが起こるもの」
しばらくは、私も王都には行きたくなかった。この塔でひっそり暮らしている方がいい。ここでは、私達を追い掛け回そうとする人はいないもの。




