グリュプス
母様が出かけていってから、私はカインと二人きりの塔での生活に戻った。外はほとんど一日中吹雪いていて、昼間でも暗い。そのせいか、日が落ちる前でも魔物の姿を見かけるようになった。とはいえ、塔には魔物避けの結界が張られているから近付いては来ない。食料はたっぷり買い込んであるし、薪もしっかりある。冬の間、塔から出なくても生活に困る事はないけれど、十日ほど塔にこもってばかりだと、さすがに鬱々とした気分になってくる。
その日の夜、野菜と燻製肉を入れたミルクのスープとパンを夕食に食べ、暖炉の火で暖まった居間に移動する。私は母様お気に入りの揺り椅子に座って、編み物をしていた。塔にこもっている間に、カインの帽子やマフラー、手袋を作りたい。手袋はもうできあがったから、今は帽子にとりかかっている。カインはいうと、ソファーに寝そべって魔導書を読みふけっていた。
このところ、カインは母様から貸してもらった魔導書や、魔法の教本で熱心に勉強している。ここに来たばかりの頃は、きちんと座っていつも行儀良くしていた。王宮では、礼儀作法をしっかりと教えられてきたのだろう。今のように寝そべって、ちょっと足を揺らしながら本を読んでいる寛いだ姿なんて見せなかった。
塔の生活にも慣れたからか、私がそうやってそうやって本を読んでいるからか、このところのカインは気ままに過ごしている。それが私にはちょっと嬉しい。でも、これってよくない事なのかな? カインは王子様なのだから、いずれ塔を出て王宮に戻ることになるだろう。その時、北の辺境の塔で長く暮らしていたから、王宮の礼儀作法をすっかり忘れてしまったなんて言われてしまうんじゃないだろうか。
でも、カインと私だけしかいない塔の中で、王宮みたいに堅苦しく振る舞ってほしくはない。それでは私の方が窮屈だ。それに、カインに注意したら、私も行儀良くしなくちゃいけなくなる。私も行儀良くしようと思えばできない事もないけれど、それは特別なお客様をお招きする時くらいにしておきたいのだ。といっても、こんな塔に特別なお客様なんて訪れないんだけど。
なんて思っていると、居間の窓がコンコンと叩かれた。私もカインも驚いて窓を見る。もう夜も遅く、外は真っ暗だ。それなのに、こんな時間に塔を訪れる人がいるなんて思いもしなかった。その上、この居間は塔の上層階にあるのだ。人が壁をよじ登ってこれるわけない。そんな人がいたら、それはまともなお客様ではなく暗殺者か魔物が化けたものだろう。
カインと顔を見合わせる。コンコンとノックする音が、早くしろと急かすように大きくなる。そのうちにしびれを切らしたように窓が開き、雪の粉が舞い込んできた。暖炉の火で暖まっていた部屋の空気が一気に冷えてしまった。おまけに部屋に吹き込んできた風のせいで、暖炉の火が吹き消されそうだ。
窓から入ってきたのは、大きな茶色の翼を持つ男の人だ。短く刈った髪も茶色で瞳は紅色だ。驚いている私のかわりに、素早く動いたのはカインだ。カインはソファーから飛び起きた瞬間、ハートのステッキを握り締める。
「カイン!」
焦って呼んだ時には、すでに魔法は発動していて、火炎が夜中の訪問者に襲いかかる。
「わぁ、待って、待って、火魔法は絨毯やカーテンが燃えちゃうよ!」
私が慌てて言うと、カインは「わかった」と頷いて氷魔法に切り替える。あのハートステッキは、母様が戻ってきてから魔改造していたものだ。カインはそれを杖代わりに利用している。使い勝手がいいらしく、今では水鉄砲と並んでカインのお気に入りグッズになっている。
なんだか、カインはこのところ、母様にすっかり感化されちゃってるわ。私は物騒な方向にすくすく成長しているカインに頭を抱えたくなる。このまま、王宮に戻っても大丈夫かな?
カインの魔法はかなり威力があったはずなのに、不審者のお兄さんは「おっと」と腕で庇っただけだ。火魔法も氷魔法も少しも聞いていない。室内だからカインも手加減したのだろうけど、まったくダメージを負っていないというのは驚きだ。塔の外の中級の魔物なら、吹っ飛んでいるだろう。その証拠にお兄さんの後ろの窓は吹っ飛んでしまってもう、原形がなくなってしまっていた。
どこからか木の板を持ってきて塞がないと!
こんな夜中に大工仕事をしなくちゃいけないなんて。それも魔法でどうにかなればいいけれど、そんな便利な魔法なんてない。
「ずいぶん、威勢のいいガキがいるじゃないか? 闇沼の魔女はいったい、いつの間に新しい子供を作ったんだ?」
翼を持つ謎の訪問者はそう言ってクククッと笑う。目が物騒な光を浮かべている。顔は精悍で鼻筋が通っていた。こんな時間に訪れた人でなければ、野性味のある美形な男の人に見えただろう。
「母様のお知り合い?」
私が驚いて尋ねると、「おう、そうとも!」とお兄さんは胸を張る。その言葉で、戦う気満々でハートのステッキを向けていたカインもようやく警戒を緩める。私たちは顔を見合わせた。
「お兄さん、魔物?」
こんな夜中に来訪するなんて人とは思えない。それにあの赤い瞳は、魔物の証でもある。
「なんだ、母ちゃんに聞いていないのか? 俺様は、この闇沼の森の主、グリュプス様さ!」
さあ、敬え。ひれ伏せ! とばかりに、お兄さんは仰け反る。その体からブワッと放たれた圧倒されそうなほどの魔力に、私もカインも腰を抜かしそうになった。部屋の中を魔力が渦巻き、暖炉の火を吹き消して、テーブルや棚の上の物まで浮かび上がり、飛び回る。これじゃあ、部屋の中が大惨事だ。
「もう、十分です! 十分分かりましたから、その魔力を抑えてください。塔が壊れちゃうわ!」
私がしゃがんで頭を抱えながら言うと、グリュプスと名乗るその青年はシュッと魔力を自分の中に収納する。カインももうすっかり戦意喪失して、ペタンと座り込んで瞬きしている。怖がってはいないようだ。むしろ、尊敬するように目が輝いていて、「すごい……」と呟いていた。
それにしても、私が想像していたグリュプスはもっと大きくて、鷲と獅子を合わせたような姿をしていると思っていた。人の姿になって現れるなんて!
「グリュプス様は人の姿にもなれるんですか?」
「当然さ。千年も生きれば、たいていの魔物は人の姿になれる。なれないヤツもいるが、そういった魔物は頭が悪い。俺様くらい頭のいい魔物なら、これくらい造作もないってことさ。しかし、チビすけ。前に来た時には豆粒みたいだったのに、ちょっとばかりでっかくなったじゃないか!」
グリュプス様は歩み寄ってきて、私をひょいっと抱え上げる。「わ!」と、驚いて声を上げる私を、フンフンと振り回した。
「お、下ろしてください。いくらなんでも、豆粒みたいだったのは母様のお腹の中にいた時です! いくらなんでもそんなに小さくなかったと思います」
「そうか? まあ、そうかもしれないな。けど、人間なんて、俺様に比べたらみんな豆粒さ」
グリュプス様は笑って、私を床に下ろしてくれた。それを羨ましそうに見ていたカインに気付いて、具リュプス様はニヤッと笑う。「そっちのちっこいの子もしてほしいのか?」と両腕を広げる。カインはパッと顔を輝かせて、遠慮なく駆け寄っていった。私にしたように高く持ち上げられると、嬉しそうに顔が紅潮している。十歳といってもまだ子供。それにカインはあまり、大人からそんな風に持ち上げてもらった事はないようだ。振り回されても、楽しそうに「わっ!」と声を上げている。
「グリュプス様はお師匠様の知り合いですか?」
持ち上げられたまま、カインがおずおずと尋ねた。
「ああ、そうとも! あいつに頼まれてから、来てやったんだ」
「母様に?」
「あいつはしばらく戻ってこられないそうだ。塔の中にはチビすけ二人だけ。魔物に食われたり、悪い人間に連れ去られたりするかもしれない。そうならないように、俺様が匂いをつけにやってきたってわけだ」
得意そうに言うグリュプス様に、私とカインは「匂い?」と首を傾げる。
「そうとも。俺様の匂いがついているのに、襲いかかろうとする魔物なんてこの闇沼の森にはいないからな」
魔物が匂いをつけていくのは、「これは俺様の獲物だから手を出すな」という意味だったはずだ。つまり、私もカインもグリュプス様の獲物認定されてしまっているわけだ。それはちょっと微妙な気持ちになる。本当に食べられたりはしないだろうけど。
「けど、安心するのは早いぞ! 人間には俺様の高貴な匂いなんてわからないからな。人間で手を出してくるやつがいるかもしれない。だから、しばらくは俺が森に余計な人間が入ってこないように見張っていてやろう」
「あ、ありがとうございます!」
カインは嬉しそうに頭を下げる。
「それをわざわざ、教えに来てくれたんですか?」
「ああ、そうとも! 時々様子を見に来てやろう。それに、チビすけは俺様のために、獲物を置いていってくれただろう?」
グリュプス様は私の頭に手を載せて茶目っ気たっぷりにウィンクする。そういえば、狼を仕留めた時も毛皮はもらって、お肉はグリュプス様や他の魔物たちに残しておいたんだった。
グリュプス様は「それじゃあ、チビすけども。俺がちょっと寝ている間に、襲われるんじゃないぞ。危険な時にはこいつを吹くんだ」と、小さな笛をくれた。そしてまた、壊れた窓から夜の空へと飛び立っていく。その姿は、暗がりに舞う雪の彼方へとあっという間に消えてしまった。
「すごい……お師匠様はあんなすごい魔物と友達なんだ」
「私もちっとも知らなかった……でも、私達が獲った狼のお肉が役に立ってよかったね」
「うん……また、来てくれるかな?」
「うーん、どうかな。そんなにしょっちゅう来られたら、塔の窓があちこち壊れちゃうわ」
挨拶に来てくれたのは嬉しいけれど、できれば今度から一階の玄関扉から中に入ってきてほしい。部屋の中は物が散乱してしまっているし、暖炉の火もまた付け直さなければならない。その上、窓の周りは雪が吹き込んでビショビショだ。
「カイン、片付けをするから手伝って。それに、窓も木で塞がないと。母様が戻ってきてくれるまで、窓なしの生活よ。こんな塔まで修理に来てくれる人なんていないのに!」
腰に手をやって、私はため息を吐いた。嵐みたいにやってくるんだもの!
◇◇◇
翌朝、起きるとカインが居間にいて、踏み台を使いながら窓の周りを測っていた。
「カイン、おはよう。早いね。何をしているの?」
「窓……作ろうと思って」
「カインが? できるの?」
「分からないけど……やってみる」
「そう……それじゃあ、朝食の用意ができてから手伝うわ」
「ううん、いいんだ。できるから」
カインは珍しく首を振って頑固に言い張る。どうやら、やってみたいらしい。
「じゃあ、あなたに任せるわ。朝食ができたら下りてきて」
「うん……」
カインは返事をすると、また窓を測る作業に戻っていた。使っているのは私のメジャーだ。何不自由なく育った王子様のカインに、窓なんて本当に作れるのかな? 意外と頼もしい一面を見て、私はカインを見直した。魔法の勉強だけじゃないんだ。ここに来てからのカインは、何でもやりたがる。失敗しても別に困ることでもないから、私はカインに任せておくことにした。どんな窓ができあがるのか、ちょっと楽しみだ。
身支度を調えて厨房に下りると、竈に火を点けてフライパンを取り出す。カインが頑張っているから、今日の朝食はちょっと豪華にしよう。昨日の夕食のスープの残りを温め、フライパンにソーセージを入れて火を通す。パチパチと油の撥ねる音が聞こえた。その間に、カチカチになっているパンを牛乳と卵、砂糖を溶いた液に浸けておく。ふやけた頃に、それをバターを落としたフライパンに入れてこんがり焼いていく。「よし、できた!」と、私はフライパンや鍋を竈から下ろして作業台に移し、カインを呼びに行った。
「いい匂いがする……」
厨房にやってきたカインは、バターの香りにすぐに気付いたようだ。作業台をテーブル代わりにして座り、お祈りを唱えた。卵と牛乳に浸して焼いたパンを、カインは物珍しそうにナイフとフォークで切って口に運ぶ。メープルシロップもたっぷりかけたから、甘いはずだ。
「!?」
「おいしい? フレンチトーストって言うの。母様も大好きなんだよ」
驚くカインの顔が見れて、私は満足した。これも、異界文字の書かれたレシピ本の中に載っていたものだ。自分の分を切って食べると、ジュワッとバターが口に広がる。外はカリッとしているのに、中はしっとりしている。ケーキのような、パンのような。不思議な食感だ。
「これ……すごく好きだ……」
カインは呟くと、夢中で口の中にフレンチトーストを押し込んでいた。よっぽど気に入ったみたい。あっという間になくなってしまって、ちょっと残念そうな顔をしている。私は自分の分を半分、カインの皿に取り分けた。
「いいの? キャロルの分だろう?」
「私はちょっとつまみ食いしたからいいの。それに、カインには窓作りを頑張ってもらわなきゃいけないからね」
「ありがと……うん、頑張る……」
カインは頷いて、スープやソーセージも忙しそうに口に運んでいた。
その日の夕方――。
私はカインに呼ばれて居間に向かった。部屋に入ってみると寒くないし、風も入ってこない。窓を見れば、ちゃんと窓がはまっている。はめ殺しの窓だが、木枠の間はガラスがはまっているように透き通っている。外の景色がうっすらぼやけて見えた。
「カイン、ガラスはどうしたの?」
私が窓に駆け寄って聞くと、「ガラスじゃない」とカインが首を振る。確かに側に寄って触れてみると、冷たかった。これはガラスじゃなくて氷だ。私は驚いてカインを振り返る。
「氷魔法?」
「うん……他に代用できそうなものがなかったから」
「でも、氷なら溶けちゃわない?」
「大丈夫。ほら、ここ……」
カインは窓枠の上部に小さく刻まれている魔法陣を指差す。
「魔導具に改造したの?」
「うん……外気を取り込んで凍るようにしてある……冬の間しか仕えないけど」
氷でできているから、窓の周囲の空気はひんやりと冷たい。でも、部屋全体が寒くなるほどではなかった。吹き曝しよりも全然いい。
「すごいよ、カイン! 冬の間だけでも十分だよ。よく、こんな魔導具を作れたね」
「お師匠様の本にあったから、ちょっと……応用してやってみたんだ。うまくいくかわからなかったけど……」
「それできちゃうのがすごいよ!」
「何度か失敗したけど……今度のは大丈夫だと思う。でも、耐久性はあんまりないから、またグリュプス様がやってきたら……壊れちゃうんじゃないかな」
「あの人がやってきたら、どんな頑丈な窓だってひとたまりもないよ!」
私はカインの両手を取りながらピョンピョンと跳びはねた。カインも嬉しそうに頬を緩める。
「お礼に、ジンジャークッキーを作ってあげるよ。カインが新年に食べたがってたのに……王都に行く事になって作れなかったでしょう?」
「うん……それが嬉しい」
私は「ほら、行こう」と、カインの手を取って居間を出る。そして螺旋になった狭い階段を下りて厨房に向かった。カインの足音が後ろからついてくる。
カインが来る前、母様が留守の時には一人だった。その時は寂しさなんてあまり感じなかったけど、今はカインがいなくなったら、私はたぶん寂しく思うのだろう。カインがいる生活に、私もすっかり馴染んでいた。




