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母様

 大きな物音が聞こえて、厨房にいた私達はビクッとする。

「今の……魔導具店の方だったな」

 おじさんが声を潜めながら言った。マティスさんは、「ああ……」と頷いてドアを慎重に開ける。

「様子を見てくる。お前たちはここにいろ。ただし、すぐに逃げられるように準備しておけ」

 ダーシーおじさんは私達にそう言い聞かせると、マティスさんと共に厨房を出て行く。私とカインは顔を見合わせ、頷き合った。すぐに魔法鞄に必要なものを詰めて、マントを羽織る。不安げな顔をする弟殿下にも、カインがマントを着せていた。


「また……骨のお化けが来るの?」

「そうかも。怖い?」

 カインが尋ねると、弟殿下はコクッと頷いた。カインは小さい殿下を抱き寄せて、「大丈夫だよ」と安心させていた。それだけで、弟殿下は不安が和らいだようだ。ただ、カインの服にしがみついて離れようとはしない。すっかり懐かれているカインがなんだか微笑ましい。


 私がクスッと笑うと、カインが「どうしたの?」と不思議そうな顔をする。

「ううん。なんでもないよ。それより……おじさんたちは大丈夫かな?」

 厨房にいては様子が分からない。廊下に出て窓の外を覗いてみると、塀をよじ登ったスケルトンが、中庭に侵入しようとしていた。裏口の木戸も破壊しようとしている。ここにいるように言われたけれど、大人しく待っていたら逃げ場をなくしそうだ。


 店の方に行ってみるしかない。カインは同じことを考えていたのか、弟殿下を抱き上げて廊下を走る。家の玄関を出て小さな庭を通り抜け、表の店へと急いだ。ダーシーおじさんが出てきて、「キャロル!」と声を上げる。

 おじさんの後から、マティスさんも姿を現した。

「襲撃されている。裏口から出るしかねぇが……あっちも塞がれてるみたいだな」

 マティスさんの炎の魔法が、襲いかかろうとしたスケルトンを薙ぎ払う。かなりの威力で、スケルトンは壁に叩き付けられて動きを止めていた。けれど、それの束の間の事で、すぐにボロボロの武器をつかんで立ち上がってくる。これだから、アンデットは厄介なのだ。


 せめてゾンビであれば火系の魔法が効果があるけれど、スケルトンにはあまり効果がない。おじさんが水鉄砲を連射すると、ようやく下半身が凍りついて身動き取れずに足掻いていた。その間にも、新たなスケルトンが塀を乗り越えて入り込んでくる。


「おい、マティス、どうする……きりがねえぞ!」

 ダーシーおじさんが焦るように声を上げた。水鉄砲の魔石に溜めてあった魔力も切れそうなのだろう。威力がかなり落ちている。私は魔法鞄の中から、自分の水鉄砲を取り出して、「おじさん!」と投げ渡した。

「おおっ、助かるぜ。キャロル!!」

 おじさんが受け取った水鉄砲を、塀の上に頭を出したスケルトンに向ける。頭蓋骨が凍りついた所に、マティスさんの風魔法を食らって粉々に砕けていた。


 弟殿下が「ひっ!」と、怖そうにカインの胸に顔を埋める。庭に入り込んだスケルトンが片付いたところで、マティスさんが裏口の木戸を開いて路地を覗く。外にもかなりいたのか、すぐさま火魔法を放っていた。

「お前ら、先に行けっ!」

 マティスさんが私たちの方を振り返って怒鳴る。

 迷っている時間などなさそうだ。

「とにかく、安全な場所を探して隠れてろ!!」

 ダーシーおじさんに言われて、私は頷いた。カインと視線をかわし、裏口から路地に出る。スケルトンはおじさんとマティスさんが阻んでくれる。その間に、私達は暗い夜道を駆け出した。


「どうして、魔導具店を襲ったんだろう?」

 私は走りながらカインに尋ねる。

 スケルトンは魔導具店とおじさんの家の周りを囲んでいた。

「…………たぶん、ミハエルを捜しているんだ」

「弟殿下を? アンデットを呼び覚ます術はもう発動しているでしょ?」

 術の発動のために、王家の者の血が必要だったのだ。これ以上、弟殿下を捜して連れ去る必要はない。

 

 そう思ったけれど、路地から現れたアンデットたちは、確かに私達を追い掛けてくる。路地の先には十体ほどのスケルトンに塞がれていて、右手の路地からもゾンビが這い出してくる。


 私はカインの腕をつかんで、「こっち!」と引っ張りながら左手の細い路地を曲がった。階段を駆け下りて細い坂道を下ると、川沿いの道に出る。振り返ると、スケルトンもゾンビも追ってきていた。


 川の護岸につけられている階段を下りて、大きな水路に身を隠す。

 水路は人が歩けるほどの通路があり、真ん中を川の水が流れている。これは、王都全域に広がっている水路だ。

 私は魔法鞄の中から懐中電灯を取り出して照らした。

「安全なところに逃げるって言っても……そんなところ、どこにもなさそうだよ」

「キャロル……これ」

 カインが片手を翳すと、地図が浮かび上がる。

 それは子爵家の邸で見た地図だ。

「この印、召喚魔法を起動させるための魔法陣がある場所だから、これを壊せばアンデットの発生は止まるんじゃないかな」

 そう言われて、私はカインの顔を見る。

「カイン、さすがだよ! 教会でガーゴイルを呼び覚ました時と方法は同じだと思う」

 教会の柱の陰の見えない場所に小さな血の魔法陣が描かれていた。あれと同じものが、この場所にはしかけられているはず。とはいえ、街中にゾンビやスケルトンが溢れているのだ。迂闊には移動できない。


「全部壊す必要はないと思う。五箇所の魔法陣が機能して初めて魔法が発動しているんだから、一箇所でも壊されたら止まるはずだ」

「一番近いのは……教会の前の広場だね」

 ここから、それほど遠くはない。地下水路を使えば、上よりは安全に移動できるかもしれない。私たちは「行こう」と、足を急がせた。


◇◇◇


 魔法鞄から方位磁石を取り出す。それも、母様からもらったものだ。

「いつも思うけど……キャロルって、何でも持ってるね」

 私が方位磁石を見ながら歩いていると、カインが呆れたような声で言う。

「いざという時に困らないためだよ! 備えあれば憂いなしって言うんだって」

「備えあれば憂いなし?」

「おかげで、役に立っているじゃない?」

「うん、すごく役に立ってる」

 方位を確かめながら、広場のある方角へと進んでいく。通路はいくつも曲がってるから迷いそうだ。水音が響く。駆け抜けるネズミに、弟殿下はびっくりしてギュッとカインにしがみついていた。


「これから……骨のお化けをやっつけに行くの?」

 怯えたように訊く殿下に、カインは「そうだよ」と頷いていた。

「それなら、怖くても我慢する……っ!」

 国民を守るのは王家の役目だと教えられているからだろう。勇気を奮い起こすように、拳を握っていた。小さいけれど、立派に王子様だ。


 出口が見えてきて外に出ると、王都を流れる川に出た。先ほどよりも上流のようだ。教会が見えるから広場の近くに出られたのだろう。

 私たちは護岸の階段を上がり、広場に出る。スケルトンの姿は見えない。カインは弟殿下を下ろして、警戒するようにハートのステッキを握り締める。


「それ……魔法の杖?」

「そうだよ……持っている?」

「いいの?」

 弟殿下の目が分かりやすくキラキラ輝く。持たせてもらうと、唇が喜びを隠し切れない様子でムズムズ動いていた。

「この魔石の所に魔力を注いで、簡単な呪文を唱えるんだ」

「呪文……?」

「うん、例えば……火魔法なら」

 カインはしゃがんで、弟殿下の手を握り締めながら、魔石にちょっとだけ魔力を注ぐ。簡単な呪文を唱えると、炎がボッと広がった。弟殿下は目を一杯に見開いて、カインを振り返える。

「やってみて」

 カインが手を離すと、弟殿下は両手でステッキを握り締め、目を瞑って呪文を唱えていた。さっきよりも小さいが、炎がボッと燃え上がり、煙を残しながら消える。

「で、できた……魔法……初めて使えた……っ!!」

 弟殿下は嬉しそうに飛び跳ねる。

「護身のために持っていて」

 カインは弟殿下の頭に手を触れる。弟殿下は真剣な顔をして、両手でステッキを握り締めたまま頷いていた。すっかり戦う男の子の顔付きだ。


「この広場のどこかにあるはずだ」

 カインがそばにやってきて言う。

「私が探してみるから、見張りをしていて。すぐにアンデットが現れるから」

「あまり離れないでよ、キャロル」

「分かってるよ。カインは弟殿下を見ていてあげて」

 私は手を振って離れる。広場はかなり広く、街路樹が植えられている。教会で見つけた血の魔法陣は小さなもので、見つからないように隠されていた。ここにあるはずの魔法陣も同じだろう。見つけるのは苦労しそうだ。


 噴水の周りを確かめてみたけれど、見付からない。ベンチや植木の周りも懐中電灯で照らしながら確かめる。

 私はグルッと広場を見回した。魔法陣はどこでもいいというわけではない。術を発動させるために最適な場所を選んでいるはずだ。となれば、それはどこだろう。

 私なら、どこに仕掛けるかな。


 目を閉じてジッと考え込む。濁った瘴気が風に混じって流れてきた。

「キャロル!!」

 カインの鋭い声で目を開く。広場に通じる路地から、スケルトンやゾンビが姿を見せ始めていた。カインが咄嗟に防御魔法を張る


 カインって、杖がなくても魔法を使えるんだよね。それはもう、天才的な感覚と言っていい。杖がないと魔力制御が難しいのに。

 でも、カインの防御魔法でも、あれだけのアンデットを防ぐのは難しいだはず。時間がそうないのは分かっている。焦っちゃダメだと自分に言い聞かせる。アンデットはカインに任せておけば大丈夫。


 だから、魔法陣を探すことに集中!

 この広場で、一番効率的に魔力を集められる場所だ。そして、見付かり難い場所。

 私は噴水を振り返る。そこは一度探した場所だけど――。

 駆け寄って、水の中を覗いてみる。ここじゃない。

 円形の石の土台の上には、石像がある。大きな水瓶を抱えた水の女神の像だ。その瓶から水が溢れ出す仕組みになっているけれど、今は止まっていた。


 あそこだ!

 私は水の中に飛び込んで、石像に近付く。膝まで水に濡れてしまっていた。

 石像に懐中電灯の明かりを向けて、念入りに調べてみる。

「見つけた……」

 大きな水瓶の底に、赤い魔法陣が描かれていた。

「キャロル!」

 カインが振り返って大きな声で呼ぶ。


「カイン、見つけたよ!」

 私が水から上がると、カインと弟殿下が駆け寄ってくる。その間にも防御魔法の障壁の外にはスケルトンが群がり、攻撃を加えようとしていた。

「水瓶の底。でも、消えないの」

「キャロル、下がってて……」

「どうするの?」

 私は言われた通り、弟殿下と一緒に後ろに下がる。

 カインは片手を石像に向けると、遠慮なく噴水を氷漬けにする。風魔法を叩き込むと、石像は粉々に砕けていた。

「わあぁ、カイン! 壊しちゃったの!?」

 私は大胆な解決方法に驚いて、あ然とする。

「その方が早いから」

 その言葉通りに、広場に足を踏み入れた時に感じていた、淀んだ魔力と瘴気の気配が消えていた。

「キャロル、ミハエルと一緒に下がってて」

 カインがそう言うと、防御結界を消す。もう、もたなかったからだろう。

 障壁で阻まれていたスケルトンたちが、武器を手に続々広場に入ってくる。私は弟殿下を抱き寄せて、後ろに下がった。


「余計な事をしてくれるものだ……」

 そう声がして、暗がりから男が姿を現す。メガネを掛けた男は、杖をつきながらゆっくりと近付いてきた。スケルトンたちも、その男は攻撃しようとしない。彼らのマスターだからだ。

「ニコラウス=モーガン……」

 カインがその名前を煩わしげに呟く。

 ということは、この人が主謀者で、母様の異常信者!?

 私は目をみはり、ギュッと弟殿下を引き寄せる。弟殿下も怯えながらも、敵意のこもる目で睨んでいた。この男に誘拐された事は十分に分かっているからだろう。「あいつだ……」と、小声で呟いていた。


「せっかくの発生装置が壊されてしまったではありませんか……この日のためにどれほど苦労して計画を練ったことか。なぜ、君たちは邪魔をするのです?」

 不愉快だとばかりに、彼はメガネを指で上げながら眉間に皺を寄せる。

「そういうあなたこそ……魔女様の名前を使って、なんでこんな悪事を企むんですか?」

 私が尋ねると、彼の視線がこっちに向く。

「魔女様? ああ、アナスタシア様の事を言っているのですね。何か誤解があるようですが、私は悪事など企んだ事はありませんよ」

「王都をアンデットに襲わせ、ミハエル殿下を誘拐しておきながら、そんな事を言うんですか!?」

 私は弟殿下を後ろに下がらせて、キッと睨み付ける。こいつ、許せないよ。

「ええ、それは当然の報いです。むしろ、正義の鉄槌を下してやったのですよ!!」

「正義の鉄槌ですって!?」

 いったい、これのどこが正義だと言うのだろう。

「この国の愚物どもは、アナスタシア様にありもしない罪を着せ、王都より追放したどころか、僻地の塔に幽閉した!! あの方がどれほど失望し、どれほど悔しい思いをしてこられたのか。お側に仕えていた私には手に取るように分かる!! だから、私はあの方を裏切った者どもに、一人残らず罪を償う機会を与えてやっているのです。そう、あの方を見捨てて放り出した、侯爵家のクズどものように!!」

 歪んだ笑みを浮かべるニコラウス=モーガンの瞳は、異様なほどにギラついていた。

 侯爵家?

 それって、母様の生家であるオーウェン家のこと?

 

 そういえば、私は母様の実家が貴族だという事は知っていたけれど、その家がどうなったかまでは知らない。

「待って……侯爵家はどうなったの?」

 私は聞き流せなくて、思わずふらりと前に出る。その腕をつかんだのは、カインだ。心配そうな目が私を見つめている。大丈夫だよ。でも、確かめないわけにはいかない。


「とうに取り潰されていますよ。なにせ、跡を継ぐ者が一人もいなくなりましたからね。邸も領地も、全て王家に没収されました。ああ、ですが、心配する必要はありません。私が全て取り戻して差し上げます。侯爵領などという狭い領地ではない。この国全てを、あの方に捧げるのです!!」

「……一人もいなくなった? 殺したの? あなたが? それとも王家……?」

「当然、この私ですとも。あの方の復讐を成し遂げると、誓ったのですから」

 ニコラウス=モーガンは胸に手をやって、恍惚とした表情で答える。

「そう……あなたなの」

 母様は知っていたのだろうか。たぶん、知っていたでしょうね。

 知っていて、放っておいたのだろう。母様を見捨てた侯爵家の人達だ。


 私は魔女の娘。アナスタシアの娘だ。私だって、母様をそんな目に合わせた人達を許せない気持ちはある。母様を庇おうとせず、縁を切って関わりないようにした親戚や親族にも、言いたいことはたくさんある。悔しいという気持ちは、理解できる。


 できるけれど、この人のやっている事を認める事はできない。

 私は顔を真っ直ぐ正面に向け、ニコラウス=モーガンと対峙する。

「魔女様は…………そんな事、少しも望んではない。あなたがやった事はただの自己満足の犯罪だよ。その理由に魔女様を使わないで」

 はっきりと言ってやると、カインが少し驚いた様子で私を見る。

 私だって、怒る時には怒るのだ。母様を理由にして罪なき人達を傷付けるなら許さない。

 

「黙れ、小娘風情が誰に口をきいている!」

 憎たらしげに吐き捨てたニコラウス=モーガンが、杖を取り出して魔法を放つ。風の刃だ。私は弟殿下を庇うようにして地面に伏せた。

 間髪入れずに、カインが氷魔法をモーガンに向かって叩き込んでいた。アンデットたちが一瞬にして凍りつく。モーガンが悲鳴を上げたのは、凍った片腕が砕かれて転がり落ちたからだ。

「お、お前は…………お前は…………私の腕をどうしてくれる!!!!」

 モーガンの足元から黒い瘴気が立ち上り、形相が変わっていた。その周囲の地面が割れて、アンデットが次々に現れる。王都の魔法陣は壊したはずなのに。彼は自分の血を使い、召喚魔法を発動させたらしい。もはや、なりふりかまっていられないようだ。


 広場を埋め尽くすほどのスケルトンとゾンビに、私もカインも後退りする。さすがにこの数のアンデットを相手にするのは無理だ。

 私は「カイン!」と叫んで、弟殿下を抱え上げる。

 相手にできないよ!

 カインは頷いて私と一緒に走り出す。

 けれど、行く手もスケルトンに阻まれてしまった。

 

「キャロル!!」

 騎士を連れたマティスさんが、通りの向こうから姿を現す。

「マティスさん、逃げて!!」

 私は大きな声で叫んだ。スケルトンとゾンビの数にギョッとしていたマティスさんは、咄嗟に火魔法を叩き込んでいた。

「邪魔だ、ゴミ屑め」

 ニコラウス=モーガンは不快そうに吐き捨てて、杖をマティスさんや騎士に向ける。あっと思った時には、逆に炎に包まれていた。悲鳴が上がり、何人かが川に飛び込む音が聞こえた。

 

 この人は――。

 本当に、おかしい!!!


 私は唇を噛んで、ニコラウス=モーガンを睨み付けた。

 小さく震える手で杖を握り締める。

 誰が絶望なんてしてやるもんか。

 これでも私は、アナスタシア=オーウェンの娘だ。

 私は小声で呪文を唱える。この場のアンデットの支配権を奪う魔法。あと一回くらいしか使えない。それでも、この場にいるアンデットを止められたら、この男はなすすべもなくなるだろう。


「ほぉ、その魔法……その歳で使えるのか。面白いな。名前を聞いてやろう。小娘」

 ニコラウス=モーガンが余裕綽々といった様子で訊いてくる。

「私の名前は……キャロル=オーウェン…………アナスタシア=オーウェンの娘だよ!」

 そう言い放った瞬間、夜の空が明るく光る。まるで星が落ちてきたように。

 この場にいる誰もがあ然として、空を見上げていた。

 

「死者に滅びをもたらす浄化の光よ」

 そう声がしたかと思うと、次の瞬間強い光が視界を覆う。思わず眩しくて腕で庇いながら目を伏せた。その光は多分王都中に届いただろう。


 静寂に包まれた後、ゆっくりと目を開くと暗闇が戻っている。さっきまで広場を埋め尽くしていたアンデットが綺麗に一掃されていた。

「神聖…………法術?」

 呆けたようにニコラウス=モーガンが呟いて、膝を突く。


 夜風に当たりながら、まるで夜の散歩でもするような気軽な雰囲気を漂わせ、大きなグリュプス様の背に腰を掛けているのは、黒いローブの女性だ。そのフードが風に揺れている。

「か…………母様!!」

「お師匠様!!」

 私とカインは同時に叫んでいた。

 マティスさんも騎士たちも呆けたような顔で動かない。


「まさか……まさか…………貴女様は………………アナスタシア様?」

 ニコラウス=モーガンが愕然としたように、震える声で尋ねた。

 ゆっくりと下りてきたグリュプス様の背中から、母様がヒラリと飛び下りる。

 広場の石畳の上に着地すると、母様はニコラウス=モーガンになど目もくれず私達の方にゆっくりと歩いてくる。


 私は涙ぐんで、母様に駆け寄った。その懐かしい匂い――あちらの世界から持って帰ってきたフローラルの香りのする柔軟剤の匂い――がするローブに顔を埋める。

「母様…………遅いよ…………」

「ごめんなさい……出口を壊すのにちょっと苦労しちゃった……」

 母様は微笑んで私の頭を撫でると、カインに目をやる。そして、片手を伸ばして「おいで」と呼びかけた。カインも泣きたいのを我慢できなくなったように、クシャクシャの顔で母様に駆け寄った。

 

「アナスタシア様……あなた様のご光臨を待ち望んでおりました!! ああ、そのお姿……あの頃と少しもお変わりなく……っ!!」

 感極まったように、ニコラウス=モーガンが話しかけてくる。

 けれど、母様は冷たい視線をチラッと向けただけだ。

「あなた……誰?」

 その一言で、ニコラウス=モーガンは心臓が止まってしまったように動かなくなってしまった。

 思わず笑い出したのは、遅れてやってきたダーシーおじさんだ。

「アナスタシア、無事でよかったよ……まったく、心配ばかりかけやがって。いったい、どこで何をしてやがったんだ?」

 おじさんがやってくると、母様はスンッとした表情になっていた。


「閉じ込められてた……子供たちの面倒を見てくれてありがとう」

「いいって事だ。助けられたのは俺たちの方だしな。しかし……これは……どうすればいいんだ?」

 ダーシーおじさんは頭を掻きながら、広場の惨状を見回す。ニコラウス=モーガンは呆けてしまっているし、騎士もマティスさんもポカンとしたままだ。


 ようやく、騎士たちが「魔女だ」と騒ぎ出す。

 彼らが剣を向けてきそうな雰囲気だったので、私もカインも母様を庇うように前に出る。

「知らない。じゃあね、ダーシー」

 母様は無責任に言い放つと、私とカインをグリュプス様の背中に乗せる。人間の姿じゃない魔物の姿のグリュプス様を見るのは久し振りだった。大きな翼で風を巻き起こしながら、グリュプス様は私達を乗せて飛び立つ。下を見れば、騎士とマティスさんが弟殿下に駆け寄るのが見えた。

 弟殿下は、私達を見上げている。


「…………あっ、ステッキ……ミハエルに渡したままだ」

 カインが思い出したように呟いた。

「いいよ。殿下が持っていればきっと役に立つから」

 私は笑って答える。

「うん、そうだ……」

 カインも頷いていた。王都が瞬く間に遠ざかり、星空が近くなる。

 寒くて身震いすると、母様がマントで私とカインを包んでくれた。


「ようやく塔に帰れるね」

 私がホッとして呟くと、カインも「うん」と嬉しそうに頷く。

「母様には言いたい事がいっぱいあるよ!」

 私がちょっと怒った口調で言うと、母様はドキッとしたように首を竦める。

「……二人とも、お腹空いたでしょ? お惣菜買ってきたの……ピザもあるの……」

 私は「ピザ!?」と、思わず目を輝かせて食い付きそうになる。けれどそれをグッと堪えた。

「母様、それはそれ、これはこれって言葉を知ってる?」

 誤魔化そうとしてもダメなんだからね。


「うん……ごめんなさい。でも、怠けていたわけじゃないの……お土産もたくさんあるから、許してくれる?」

 子供みたいにしょげている母様を見て、小さく息を吐いた。

 しょうがないなぁ。

 それに、母様が来てくれたから助かったんだから。


「お師匠様はやっぱりすごい……神聖法術も仕えるなんて……」

 カインはまた目をキラキラさせて、興奮を抑えるように呟いている。

「帰ったら、教えてあげる」

 母様はニコニコしながら、カインの額に軽いキスをしていた。カインの顔はすっかり赤くなっている。

 まったく、カインは母様に弱いし、母様もカインに弱いんだから。

 

 王都はもう遙か遠くだ。騎士や兵士も追い掛けては来られないだろう。

 あのニコラウス=モーガンはきっと騎士やマティスさんが取り押さえている事だろう。裁判にかけられて罪を裁かれればいい。


「ねぇ、母様。あの人の事、本当に知らないの? 母様の魔法学園時代の知り合いみたいだよ?」

 私は母様を見上げて尋ねる。

「そういえば……いた気もする……でも、友達じゃないから」

 母様はもうすっかり興味をなくしたようだ。うん、いつもの母様だね。

 あの人にちょっとだけ同情を覚える。勝手に母様に憧れて、信者になったのだろう。迷惑な人だ。


「カインは、弟殿下にお別れの挨拶しなくてよかったの?」

 私はマティスさんやダーシーおじさんにちゃんとお礼を言えていない。

「いい……それに、きっと僕のことは、ただのメイドだって思ってるから」

 そういえば、そうだったね。

「王都にはいつでも行けるから……私も買い忘れた本があるもの」

 母様はニコッと微笑む。次に王都に行けば、またとんでもない騒ぎになりそうな気がするよ。

「うん……でもしばらくは王都よりも、塔にいたいよ」

 あの静かで穏やかな毎日が恋しい。

 何日も開けていたから、掃除もしないといけないだろう。

 そのうちに、雪に覆われた林が見えてくる。そのずっと先に塔がある。


 そこが、私達の帰る場所。

 安息の我が家だ――。

  



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