村まで
エルシエス王国の第一王子として生まれたカインは、〝魔女に呪われた王子〟と言われてきた。けれど、なぜそう言われるのか、カイン自身は知らなかった。ただ、周囲から疎まれ、まるでいないかのように扱われている事だけは、幼いながらに肌で感じてきた。父と母はカインが暮らす離宮にはほとんど足を運ばない。父や母が暮らす王宮に招かれる事もない。一年に一度、誕生日の日だけは一緒に食事をとる事が許されたが、それだけだ。
三歳の時、生まれた弟のミハエルは両親の元でそれは大切に育てられているらしい。使用人同士の会話で、弟がいかに大事にされているか知った。王位を継ぐのも、弟と決まっているらしい。それなら、自分はなぜ離宮にいるのだろう。そんな疑問を、家庭教師の先生に尋ねてみた事がある。けれど、その教師は曖昧に言葉を濁すばかりで、はっきりとは教えてくれなかった。その話題はどうやら、誰もが口にしたくない事らしい。
外に出る事も許されず、離宮にある図書室の古びた本を読んで過ごす毎日だった。
二度ほど、弟と顔を合わせた事がある。話しかける事は許されず、ただ、父と母が弟と楽しげに遊ぶ様を遠くから見ていただけだ。弟は活発な性格で、庭を走り回って笑っていた。それを見つめる母と父は、カインが一度も見た事がない優しい表情だった。ああ、弟は愛されているのだと知ると同時に、自分が誰からも愛されていない存在なのだと思い知った。それからは、両親に会いたいとは口にしなくなった。
そして、十歳を迎えた日――。
その日は、なぜか離宮の周りの警備が厳重になっていて、カインは決して部屋から出ないようにと言い聞かせられた。側仕えの侍女たちもひどく怯えていて、何か良くない事が起こるのだと分かった。
深夜、寝室で寝ていたカインは、冷たい手の感触でふと目を覚ました。
ベッドに腰をかけていたのは、黒いローブを着た見知らぬ女性だ。その人は驚くカインの唇に人差し指をそっと当てて微笑むと、カインの体を抱きかかえた。それを待っていたかのように、騎士と魔法使いが寝室に駆け込んできて取り囲む。
「おのれ……魔女め! 王子から離れろ!!」
騎士の一人が抜剣しながら怒声を上げる。魔法使いたちが一斉に詠唱を唱えて魔法を放った。カインを抱えた女性はフッと笑うと、人差し指をスッと動かして宙に円を描く。歌うように詠唱を唱えると、その円は氷の盾となって魔法と剣をはね返した。
冷気が寝室に広がり、柱や壁が凍りついていく。キラキラと降るのは氷の粒だった。
カインはその女性の腕に抱かれたまま、彼女を見る。黒い髪がローブのフードから覗いていた。その瞳は暗闇に浮かぶ月のように金色だ。
図書室でたくさんの魔法や魔術に関する本を読んだ。
原理もなんとなくだが、理解できるようになった。けれど、実際にその目で見るのは初めての事だ。
そして、初めてみる魔法は――ただただ、美しかった。
剣が凍りつき、騎士が悲鳴を上げて取り落とす。その甲冑も徐々に氷に覆われていく。魔法使いの一団が火炎魔法を唱えてぶつけてくるが、逆巻く風に押されて届かない。それどころか、炎は魔法を放った魔法使いの一団に襲いかかり、ローブや杖が燃えて悲鳴が上がっていた。絨毯を転がり回って、炎を消そうと躍起になっている者もいた。
「あなたは……誰?」
カインは自分を抱える女性に尋ねた。
「私はあなたを攫いに来た悪い魔女。王子様、私と一緒に来る?」
「連れていってくれるの?」
「ええ……それが契約ですもの」
「…………連れて行って。お願いです、僕をここから連れ出して」
カインは女性のローブをつかんで、震える声で頼んだ。疎まれているならば、ここにいる理由などない。誰もが、自分がここにいる事を望んではいないのだ。父も母も誰一人。
彼女は微笑むと、窓へと歩み寄る。テラスに出ると、雪がちらついていた。
騎士や魔法使いが飛びかかろうとしたが、それよりも先に彼女はカインを抱えたまま宙に浮き上がる。
「では、約束通り、王子様はもらっていきますから。ラドクリフと、ユーナによろしく伝えてね」
国に災厄をもたらす悪しき魔女は、楽しそうに笑って夜の闇に溶けるように姿を消した。
十二年前の約束通り、この王国の第一王子、カイン=ハーノーザ=エルシエスを連れて――。
◇◇◇
カインが塔にやってきてから、三日目の朝。
吹雪もようやく収まって、塔の屋根や窓縁には氷柱ができていた。私はカインを起こして急いで朝食を食べると、しっかりと厚着をして外に出る。カインは、母様がここに連れてきた時に着ていた服一着しか持っていない。男の子用の服なんてこの塔にあるはずもなくて、仕方ないから私の外套とマフラー、手袋を貸してあげた。私は代わりに母様のショールをしっかりと体に巻いて毛糸の帽子を被る。
「母様ったら、無責任過ぎるわ。カインを塔に連れてきたっきりで、生活に必要なものを一つも用意していないんですもの」
塔の外に出ると、埋もれそうなほど雪が積もっている。私は塔の側の物置小屋から、ソリを引っ張り出した。
「このソリ……どうやって引っ張るの?」
カインが物珍しそうにソリを見て尋ねる。
「魔法でトナカイを作るの」
私は棒きれで、雪に魔法陣を描いていく。「えいっ」と魔力を込めると、雪が舞ってトナカイの形に変わっていく。母様が教えてくれた魔法の応用だ。本当はゴーレムを作るための魔法で、禁術に属する魔法でもある。ゴーレムを作る事は許されていないから。けれど、これは岩ではなく、雪で作られているし、ゴーレムのような攻撃性はない。それに、子供二人がこの雪に覆われた森を徒歩で移動するなんて命知らずだ。遭難してしまうし、凍え死んでしまう。だから、これは、ちょっとした生活の知恵であり、必要な悪事なのである。
二頭の雪のトナカイが出来ると、木製のソリを括り付ける。トナカイはブルッと身震いすると、やる気満々に足踏みしていた。
「す……すごい……こんな事もできるんだ」
カインはトナカイに恐る恐る触れて見ている。けれど大きな角にびっくりして、すぐに手を離していた。
「冷たいんだ……」
「それはそうよ。雪だもの。ほらほら、溶けちゃうから早く乗って」
私が急かすと、カインが頷いてソリに乗り込む。私もその隣に腰を下ろし、皮の手綱を取った。
二頭の雪のトナカイはソリを引いて駆け出す。
「すごい、すごいっ! 速いよ」
カインははしゃぐように声を上げる。目がキラキラしていて、頬が赤くなっている。
森の木々の間を縫うように、ソリはグングン進んでいく。
「立ち上がっちゃダメだよ。転がり落ちるんだから。そうしたら、拾ってあげないからね」
私が注意すると、カインは「う、うん」と頷いて浮いた腰を戻す。けれど、ソワソワしていて身を乗り出すような姿勢になっていた。
「そんなに楽しい?」
「うん、楽しい……すごく」
「じゃあ、やってみる?」
「いいの?」
「いいよ。でも、速すぎたら手綱をギュッと引くんだよ。木にぶつかったら、雪のトナカイは粉々になっちゃうんだから」
「うん……気をつける」
カインは私から皮の手綱を渡されると、手袋をした両手でギュッと握る。顔が真剣だ。
カインは赤ん坊みたいに、なんでも興味を持つ。王宮では見られなかった珍しいものだらけなのだそうだ。お育ちがいいから、きっとソリ遊びもした事がないに違いない。私は弟ができたみたいな気持ちになって、なんでもカインに教えてあげようという気持ちになっていた。カインの方が歳上だけど、塔での生活は私の方がずっと先輩なのだ。
森を抜けたのは、お昼前だ。一度もぶつからないで、抜けられたのは上々だ。
森の外には街道が延びていて、大きな湖がある。その表面も凍っていた。
私とカインはソリを雪の中に隠しておく。雪のトナカイは一度、術を解いて雪に戻しておいた。そうしておかないと、人に見られたら大変だ。それに、帰る時にはまた作ればいい。
「村はここからずっと先だけど、歩いて行くよ」
街道は馬車が通った跡がついている。
「どれくらい遠いの?」
「二時間くらいかかるよ。カイン、歩ける?」
「だ……大丈夫。頑張る」
カインは少し不安そうな顔をしながらも、しっかり頷いた。私はカインと手を繋いで歩き出す。
轍を辿れば、少しは歩きやすいだろう。
三十分も歩くと、カインは息上がっていて、歩みが遅くなっていた。やっぱり慣れない雪道を歩くのは、痩せっぽちのカインには辛かったみたいだ。
「ちょっと、休憩しよう」
私が言うと、無言で頷いていた。悔しそうな顔をしているのは、大丈夫と言ったのにへばってしまったからだろう。男の子だから、カインもやっぱり負けず嫌いだ。
「あんたら、村まで行くのかい?」
牛に荷車を引かせたおじさんが、声をかけてきた。
「はいっ! おじいさん、よかったら乗せていってもらえませんか?」
「ああ、いいとも。ほら、乗りな。しかし、いったいどこからやってきたんだ? 姉弟かい?」
「えっと、あっちの村から……」
私は道の反対を指差す。森に住んでいる魔女の娘ですなんて言えば、おじさんが怖がって逃げていくかもしれない。せっかく、荷車に乗せてもらえるチャンスを逃すわけにはいかない。
「そうかい、お使いとはえらいなぁ」
私達が荷車に腰を下ろすと、おじさんが牛の背中を細い棒でパシッと叩いた。
「村に行ったら、服を調達しないと……」
とはいえ、村に店なんてない。村の人にいらなくなった子供用の服を譲ってもらうしかない。
「雪が溶けたら、街に行かなきゃ」
私ははぁとため息を吐いた。母様の飛行魔法か、移転魔法なら、簡単に移動できるのに。
「買い物かい?」
おじさんが私の声を聞いて振り向く。
「はい。食料と服を少し買いたいんです」
「それなら、村にちょうど行商が来ているぞ」
「本当ですか!?」
「ああ、わしも仕入れたいものがあって、村に行くところだったんだ」
私は「今日はついてるよ」と、上機嫌で足を揺らす。
「買い物ができるの?」
「うん、とっても運が良かったみたい。毛糸があるといいな」
毛糸があれば、カインの手袋と帽子を編んであげられる。
◇◇◇
村に辿り着くと、人が広場に集まっていた。行商の馬車が停まっているのが見える。
ノルノバの村という、この辺りでは一番大きな集落のある村だ。
だから、他の小さな村からも人が集まっているみたいだ。ちょっとした市のようになっている。
自家製の薬草酒やパン、塩漬けの肉などを売りに来ている人もいるようだ。
「カイン、ほら、早く行こう。あなたにちょうどいい服もあるかも」
古着を売っている人もいるかもしれない。私はカインの手を引っ張ってかけ出す。
市が立つ日だからか、お酒を飲んでいる大人もいた。キョロキョロしながら歩いていると、派手な色使いの服を着たお姉さんが古着や毛糸を売っていた。
「こんにちは。見てもいいですか?」
私が尋ねると、「ああ、いいよ。あら、随分とかわいいお嬢ちゃんと坊ちゃんだね」とお姉さんが笑う。言葉には異国なまりがある。
「何がほしいんだい?」
「この子に服とマントを買いたいんです」
「生憎とマントはないんだよ。売れちまってね。ショールならあるんだけど」
お姉さんは異国風の模様が編まれたショールを見せてくれる。羊毛で作ってあるからか、温かそうだ。
カインは初めての買い物で緊張しているのか、私にピッタリとくっついて様子を伺っている。王宮育ちだから、市なんて見たことがないのかもしれない。私の袖を摘まんだまま、キョロキョロしていた。
「うーん……厚手の布地はありますか?」
「それなら、こっちだね。ほしいだけ切ってあげるよ」
木箱に放り込まれていた布の束を取り出して見せてくれる。これなら、カインのマントも作れそうだ。「それじゃあ、その紺色の布を下さい。ええっと、それから……」
「ちょうどよさそうな上着があるよ」
お姉さんは茶色の上着を出してくる。カインの背中に当ててみると、ちょっとばかり大きい。けれど、カインは男の子だから、きっとすぐに成長するだろう。大きい方が長く着られそうだ。
「それもください。あと、毛糸をいくつか……」
私は毛糸を見せてもらって選ぶ。母様から財布は預かっていて、実はけっこうたっぷり入っているのだ。私はお代を払って、買ったものを荷袋に詰めた。
「おい、お前。どこの村から来たやつだ?」
私が干しぶどうや燻製肉を買っていると、後ろで声がした。振り向くと、カインが村の子供に囲まれている。カインが黙っているのが気に入らなかったのだろう。一番大柄な男の子が、「何とか言えよ」とカインを突き飛ばした。あっと思った時にはカインは尻餅をついてしまっている。
「なんだこいつ。頭が悪いのか?」
「ちょっと、あんたたち! 何するの」
私が声を上げると、子供たちの視線がこっちに向く。私は駆け寄って、カインを引っ張り起こした。
「姉ちゃんに助けてもらうとか、情けねーやつ!」
「そいつも女の子なんじゃねーか?」
子供たちはギャハハハッとお腹を抱えて笑っていた。私はムッとして、カインを庇って前に出る。
「何だよ。女のくせに出しゃばるつもりか!?」
「うるさい。あっちいって!」
私はしゃがんで雪玉を作ると、ベシャッと男の子の顔に投げつけてやった。雪玉が命中した男の子は、目を見開いて固まっている。私は「行こう、カイン」と、カインの手を引いて走り出した。
「おい、待て。この野郎!! 何しやがんだ!!」
「追い掛けるぞ。逃がすな!!」
男の子たちが顔を真っ赤にして追い掛けてくる。
「キャロル……追ってくるよ!」
振り返ったカインが声を上げた。
「いいから、前を見て走って!!」
私はカインを引っ張る。村の外まで走ろうとしたけれど、雪で足が滑る。
カインも巻き込んで転んでしまった。あっという間に追いつかれて、取り囲まれる。
「こいつ、よくも雪玉をぶつけてくれたな! お礼だ」
男の子が私の胸ぐらをつかんで、拳を振り上げる。「あっ!」と顔を庇った時だ。カインが立ち上がって男の子に体当たりする。
「カイン!」
「こいつっ!!」
「キャロルに……触るな…………っ!」
カインは震える声で言って、クッと男の子たちを睨む。その足元がパキパキと凍り始めているのを見て、私は咄嗟にカインの腕をつかんだ。
「カイン、ダメ! 逃げるよ!!」
カインの腕を引っ張って走り出す。男の子たちは追い掛けてこようとしたけれど、地面が凍っているために足を滑らせて、また派手に転んでいた。
喚く声が遠ざかっていく。
ようやく村の外まで出た時には、二人とも息が弾んでいた。
「カイン、氷の魔法なんていつ覚えたの?」
私は汗を拭いながら尋ねる。まだ、魔力制御の方法だって教えていないのに。
「覚えてない……でも魔女様が使ってた……」
「母様が? それを見ただけで使えたの?」
びっくりして訊くと、カインは困惑した表情で頷いた。どうやったのか、自分でも分からないのだろう。ひどく顔色が悪くて、手が小さく震えている。使えたというより、感情の高ぶりによって魔力が漏れ出し、それが氷に変化したというところだろうか。母様の魔法を見ているから、そのイメージで出来たのだろう。まったく危なっかしいなぁと、私はため息を吐く。けれど、カインに魔法の才能があるのは確かだ。普通なら、そんなに簡単にできる事ではない。
「とにかく、そんなに簡単に魔力を使おうとしちゃダメだよ」
もし、魔力を暴走させていたら、あの子たちは氷の彫刻のように凍りついて固まってしまっていただろう。そうすれば、もう村には行けなくなる。
「ごめんなさい……」
カインはしょげたように下を向く。「ほら、帰ろう」と、私はカインの手を取った。
「帰ったら、カインのマントを作ってあげる」
「うん……」




