熱冷まし
猫の姿に変身して子爵邸に戻った私は、蔦をよじ登って屋根裏にある使用人部屋に入る。もう、人が寝静まる時間帯だ。この部屋は私とカインが使っている部屋だけど、カインの姿は見えない。まだ、厨房にいるのかな。
私はマントを脱いで服掛けに引っかけて部屋を出る。足音を立てないように一階へと下りていくと、厨房には灯りが点いている。やっぱりカインがいて、お湯を沸かしていた。
「カイン、他の人たちは?」
私が厨房を見回して尋ねると、「キャロル!」とカインが振り返る。
「他の人は部屋に戻ったよ。キャロルの方はどう?」
厨房にはカイン意外の人はいないようで、静かだ。
「うん、おじさんとマティスさんに会えたよ。ちゃんと伝えておいたから大丈夫。それより、カインは何をしてるの?」
作業テーブルの上には、薬草の瓶とすりこぎ、それにすり鉢が並んでいる。鍋では薬草を煮詰めるような匂いが漂っていた。
「熱冷ましを作ってる。ミハエルが熱を出しているんだ」
「弟殿下に会えたんだね! でも、熱が出ているって? どこか、ケガをしてるの?」
「寒い部屋にずっといたせいだと思う。キャロル……これでいいか、見てくれる? 本で読んだ通りにしたんだけど、足らない薬草もあったから自信がないんだ」
カインはかき混ぜていた鍋の前から退ける。私は鍋をヘラでかき混ぜてから、匙で少しだけすくって一口だけ飲んでみる。
「うん、良さそう。でも、ちょっと苦いから……蜂蜜を混ぜた方がいいんじゃないかな?」
弟殿下は私よりも年下だから、きっと薬草の苦みには慣れていないだろう。カインは、「持ってくる」と棚に足を向ける。しばらくして、蜂蜜の瓶を持ってきた。それを混ぜながら、少しずつ足してみる。
カインはできあがった薬草をカップに移していた。
「そうだ、これ……後口にどうかな?」
魔法鞄の中から取り出した瓶には、スノーボールクッキーが入っている。私は一つつまんで、カインの口に運んだ。それをパクッと食べたカインが、「甘くておいしい……!」と目を輝かせる。もう一つ食べたそうに、私が持っている瓶に目をやっていた。
「先に弟殿下に持っていってあげなくちゃ。お茶の用意をしておくよ」
「うん、分かった……行ってくる。待ってて」
カインはトレイに熱冷ましの薬湯と、スノーボールクッキーを盛ったお皿を載せて、厨房を出て行った。
「こんな事なら、母様の熱冷ましの薬を持ってくればよかった……」
魔導具店の部屋に置いてきてしまった。
(熱冷ましの薬はちゃんと作れていたから、大丈夫かな?)
カインは薬草の分量や配合も覚えていたみたいだ。さすがは母様の弟子。私は弟弟子とも言えるカインの成長に満足して、腕を組みながらうんうんと一人で頷く。カインが薬を届けに行っている間に、私は片付けをしておくことにした。
◇◇◇(カイン)◇◇◇
カインが薬湯を作って階段を上がると、三階の廊下にいた見張りの兵士たちは睨むような目を向けてくる。
「そいつを飲ませたら、さっさと出ろ。いいな?」
返事の代わりに頷いておいて、部屋の扉を開く。上掛けをかぶって丸まっていたミハエルは、少しだけ顔を覗かせてから体を起こした。熱のせいか頬が赤くなっていて咳き込んでいたけれど、待ちかねたようにソワソワしている。
カインはトレイを側の小さい丸テーブルに置き、ベッドの端に腰を掛けた。手を伸ばして額に触れるとさっきより熱が上がっている。ミハエルはギュッと両手を丸く握って、おずおずとこちらを見ていた。熱のせいか、目が潤んでいる。
「具合はどう?」
「へ、平気……喉が痛くて、ぼんやりするけど……」
やっぱり、風邪の症状のようだ。寒い部屋の中にずっといたからだろう。それに、攫われて緊張状態が続いていたから、精神的にも疲労しているはずだ。
「ほら、これを飲んで。全部飲めたら、おいしいお菓子をあげる」
そう言って、カインはカップを小さな手に持たせる。苦そうな薬草の匂いに躊躇していたけれど、カップを口に運んで思い切ったように飲む。
「………すごく苦い……でもちょっとだけ甘いから飲める」
「うん、蜂蜜が入っているんだ」
ミハエルは我慢するように飲み干していた。水のカップを渡してから、「ほら」とスノーボールクッキーの載った皿を差し出す。ミハエルは、丸くて白いそのクッキーをつまんで口に入れていた。途端に、びっくりした顔になってカインを見る。
「おいしいっ! サクサクホロホロして……」
「うん、キャロルが作ったクッキーだからね」
「キャロル?」
「僕の…………ええっと、すごくすごく大事な人だ。それに、姉弟子で友達……かな?」
首を傾げて答えると、「大事な人……」とミハエルは大事な事を覚えておこうとするように呟いていた。
ミハエルがクッキーを食べている間に、カインは立ち上がって火の消えている暖炉に移動する。横に積まれていた薪は湿気っているものが多かった。使えそうな薪を何本か暖炉に放り込んで、人差し指の先に魔力を集中させる。杖のかわりに指で宙に簡単な魔法陣を描くと、火がボッと点いた。ベッドで体を起こしたままそれを見ていたミハエルの瞳に、驚きの色が浮かぶ。
薪に火が移るのを確かめてから、ベッドまで戻った。
「お姉さんは……魔法使い?」
〝お姉さん〟と呼ばれた事が妙におかしくて、カインは笑いそうになるのを我慢する。確かに、メイドの服を着ていればそう思うのも当然だ。
ミハエルはここにいるのが、自分の兄だとは少しも気付いていない。それを知ったら、どんな顔をするだろう。そんな事を考えながら、ベッドの端にもう一度腰をかける。
「うん、そうだね。今のは内緒だよ?」
唇に人差し指を当てて囁くと、ミハエルは妙に真面目な顔をして頷いていた。その反応は、自分が初めて師匠であるアナスタシアの魔法を見た時とそっくりだ。
あの時、放たれた攻撃魔法で部屋はめちゃくちゃになり、騎士も使用人たちも悲鳴を上げて逃げ惑っていた。凶悪な忌まわしき魔女の魔法。それなのに、あの時のカインは、それが少しも怖ろしいものに思えなくて、ただただ、美しく神秘的なものに見えた。あの時、魔法に魅入られ、師匠に魅入られたのだろう。心臓をわしづかみにされたみたいな高揚感は今でも覚えている。
その魔法の力が、知識が、何よりもほしいと、胸の奥から湧き上がる渇望を堪えきれなかった。
多分、自分は――師匠に似ているのだ。あの人もそうだから。
忌まわしき魔女と誹られているけれど、師匠であるアナスタシアは誰よりも純粋な魔法という力の探求者だった。
(お師匠様が父上と結婚しなくてよかったかも……)
アナスタシアが父の婚約者だった事は知っている。そのまま、結婚していたら、今頃あの人が王妃だっただろう。けれど、アナスタシアの気まぐれで、自由奔放な性格だから、きっとすぐに飽きてしまっていたはずだ。
(父上は退屈な男だから)
カインがククッと笑ったものだから、ミハエルが不思議そうな顔をする。
「どうしたの? 僕、変な事を言っちゃった?」
「部屋もすぐ暖まるから、横になって目を瞑っているんだ」
「…………眠るまで、そばにいてくれる?」
「いいよ。手を握ろうか? それとも、お話が聞きたい?」
「…………両方がいい」
上掛けから半分顔を出しながら、ミハエルははにかむように答えた。
「いいよ。かわいい王子様」
カインが微笑んで手を出すと、ミハエルは嬉しそうな顔をしてその手を握り締めた。




