弟(カイン視点)
カインはトレイを片手に持ち、部屋の扉をノックする。「お茶をお持ちいたしました」と呼びかけると、「入れ」と声がした。
扉を開いて中に入ると、薄暗い客間には数人の男たちが集まっていた。ソファーに座っているのは、貴族らしい身なりをした男で、見るからに下町のごろつきのような目つきの悪い見張りが数名、壁際に立っていた。全員が会話を中断して、歩み寄るカインの姿を目で追う。
「随分と、見目のよいメイド見習いを雇っておいでで」
下卑た笑い声を漏らしたのは、脚を組んで座っていた若い男だ。メガネの男はそれには無反応で、「見ない顔だな」とカインに話しかける。
「厨房を手伝っておりましたから」
そう素っ気なく答えて、トレイをテーブルに下ろす。紅茶を注いだカップを客人の前に置いた。
「この者、うちにいただけませんかね? よいメイドがいなくて捜していたところなのですよ。この娘なら……躾がいがありそうだ」
若い男はククッと笑って、カップを置いたカインの手をつかむ。指で手の甲を撫でられて、カインは軽蔑しきった目を彼に向けた。
「おや、随分と生意気な目をする」
わざとらしく驚きながらも、男は手を離そうとしない。
「やめろ。大事の前に煩わしい問題を起こすな」
メガネの男が睨むと、若い男はようやく手を離して肩を竦めた。
「そうピリピリなさる事もありますまい。ただの戯れではありませんか」
「お前の口が軽すぎる事と懸念しなければならないが……その不安を取り除くために二度と迂闊な行動と発言ができないようにさせるべきだろうか?」
メガネの男が威圧するように言うと、さすがに若い男も顔を引きつらせて押し黙る。
「まあまあ。この者はこれで頼りになるのです。大事な出資者の一人でもあるのですから」
作り笑いを浮かべて取りなすように言ったのは、司祭の服を着た恰幅のよい男だ。カインがさりげなく見ていると、司祭が目を細める。とうてい聖職者とは思えないひどく俗っぽい顔で舌なめずりしていた。
「何をしている。さっさと下がらぬか」
冷ややかな声に促されて、カインは「失礼いたします」と一礼して踵を返した。
廊下に出ると、武装した男たちがさりげなく視線を向けてくる。普通の邸の警備にしては異常にものものしい。
「おい、そこのガキ。こっちを向け」
呼び止められて足を止めると、ニヤニヤしながら男が寄ってきた。顎を乱暴につかまれて、グイッと顔を上げさせられる。
「小生意気そうな面してやがる。お前、名前は?」
カインが無言のまま見返していると、「聞こえねーのか?」と苛ついた声が降ってきた。
(バカそうだ……)
さめた目をしていたカインは、少し恥じらいをみせながら微笑んだ。
「ニーナです。何かご用ですか?」
素直に応じた事に気を良くしたのか、男は顎から手を離してくれた。
「おい、ニーナ。酒蔵から上等な酒を数本持ってこい。いいか? 見付かるんじゃねーぞ」
「おいおい、ご主人様に見付かったら大目玉だぞ」
見張りの兵たちは、ゲラゲラ笑っていた。
「少しくらいいいじゃねーか。安い給金で働いてやっているんだ。特別手当だ」
「…………いいですよ? ちょっとだけ、待っていてくださいね」
カインはニコッと微笑んで、小走りに廊下を引き返す。
忙しそうな厨房を横切り、階段を下りて地下の酒蔵に入る。その中から、数本瓶を取り出して、引き返した。「おい、その酒、どこに持っていくんだ?」と、従僕に呼び止められたが、「客間のほうです」と答えると、「ああ……そうか。早く行け」と促された。主人に命じられたと思ったのだろう。
引き返して階段を上がり、先ほどの見張りの男たちに酒を渡すと、「いい子だ」と頭を撫でられた。瓶を見て、「上等な酒じゃねーか」と上機嫌にコルクを抜いている。
「俺にもくれよ」
「静かにしろ。ご主人様に聞かれるだろうが」
見張りの男たちは集まって声を潜めていた。彼らが酒を回し飲みするのを、カインはニコニコして眺めていた。そのうちに、酒を飲んでいた男たちが一人、二人と、ふらついて倒れる。
(さすが、お師匠様のレシピの眠り薬だ……こんなに早く効くなんて)
歩み寄って男たちが寝息を立てているのを確かめる。
ついでに、男たちの服を探ってナイフを取り上げた。剣は窓を開けて外に放り投げておく。酒瓶を男のそばに転がしておいたのは、キャロルの真似だ。
(これで、少しはごまかせるかな?)
静まり返った廊下を見てから、階段を見上げた。三階には絶対に立ち入らないように他の使用人たちに言われたのを思い出す。どうやら、そう言い含められているらしい。
(…………厨房の人が一人分、食事を用意してた)
メイドが運んで、先ほどの見張りの男たちに渡していたようだ。男たちが上の階へと持っていったのだろう。カインは一度、足の向きを変えて厨房に引き返す。
厨房に向かい、談笑している他の使用人たちをさりげなく見ながら、トレイにパンとミルクを入れたカップを用意して出る。さっきの廊下まで戻ると、男たちはすっかり寝込んでいて起きる気配はない。客間の男たちも出てくる様子はなかった。話し込んでいるのだろう。
カインはトレイを持って、階段を上がっていく。三階にも見張りの男たちがいるのは想定内だ。それも、下の階にいるごろつきとは違う。まともな兵士だ。
「止まれ。なぜメイドがここに来る。上がってくるなと言われなかったのか?」
「……あの……それが」
カインがうつむいてオドオドするように口ごもると、兵士が「なんだって?」と顔を寄せてくる。小さな声で呪文を唱えると、兵士は急にふらついてバタンと倒れた。「おい、どうした!?」と、他の兵士が駆け寄ってくる。カインは片手でトレイを持ったまま、もう片方の手で魔法陣を素早く描く。兵士たちは、魔法の発動に気付く前にバタンと倒れてしまった。
カインは自分の手を見て、ニッコリする。
「うん、うまくいった」
師匠のアナスタシアの書庫にあった魔法書に載っていた、相手を気絶させる魔法だ。そう効果は長くないため、急いだ方がいいだろう。カインは小走りに廊下を抜けて奥の部屋に向かう。
扉の前にいた兵士がカインに気付いた時には、彼も扉に寄りかかるようにして倒れていた。カインはその体を避けて扉を開き、中へと入る。
部屋の中には見張りの姿はない。カーテンが閉ざされた暗い寝室だ。
ろくに掃除もされていないようで、埃っぽい匂いが鼻につく。それに、暖炉に火も入っていないからひどく寒い。テーブルの上には、手つかずの食事が残ったトレイがのまま置かれていた。粗末な食事だ。カインは持っていたトレイをテーブルに下ろしてから、部屋の中を見回す。客用の寝室だからかなり広い。ただ、テーブルやソファー、棚は埃でうっすら白くなっていた。
眉を潜めながら部屋の中を歩いていると、コトッと小さな音が聞こえる。クローゼットの中からからだ。歩み寄るとすすり泣きのような声が微かに漏れている。扉をそっと開いてみると、ミハエルが膝を抱えて怯えたように蹲っていた。
カインは少し目を見開く。弟を間近で見るのは初めてのことだ。ずっと遠くから、両親に挟まれて幸せそうに笑っている姿しか見た事がない。それも顔を合わせたのは数えるほど。髪や目の色は確かに自分とよく似ているが、カインよりもずっとぷっくりしている。赤くなった頬に、ボロボロと涙がこぼれていた。握り締めた手も肩も小刻みに震えている。
「…………だ…………誰?」
怯えたように問われて、マジマジと弟を見ていたカインはハッとする。
「…………ここに閉じ込められてるの?」
カインが落ち着いた声で尋ねると、ミハエルは目をみはる。そんな事を問われるなんて少しも思わなかったようで、びっくりして硬直してしまっていた。
「ち…………がう……自分で隠れたの。打たれる……から」
その言葉に、カインは眉間に皺を寄せた。誰かに打たれた事なんて一度もなかっただろう。王宮では両親からも、周囲の者たちからも、宝石のように大事にされていた王太子だ。
「どこを打たれたの? 見せて」
カインが手を伸ばそうとすると、ミハエルが身を竦める。また、ひどい事をされると警戒しているようだ。一瞬躊躇してから手を引っ込め、エプロンのポケットからハンカチを取り出す。それで濡れている頬を拭ってやると、ミハエルがおずおずと見上げてきた。
「この邸の……メイドなの?」
「何か食べないとダメだ」
カインが言うと、ミハエルは「でも……」と口ごもる。怪しいものは口にしないように言い聞かせられているから、頑なに食事を拒んでいたのだろう。けれど、水も食事もとらなければ倒れてしまう。カインはテーブルに置いた先ほどのトレイを持ってくると、クローゼットの端に腰をかける。
「これは大丈夫……ほら」
カインがちぎったパンを自分の口に運んで食べるのを、ミハエルは不安げに見ていた。毒味のかわりだ。それで少し安心したのか、ミハエルは差し出されたパンを受け取る。小さくちぎったパンをおずおずと食べていたけれど、口が渇いているせいでうまく飲み込めないようだ。カインはミルクも一口飲んでみせてから、カップをミハエルの手に持たせる。
随分空腹を我慢していたのだろう。ミハエルはゴクゴクとミルクを飲んで、夢中でパンを頬張る。その頬にパン屑がついていた。
(これが……僕の弟…………)
自分とは違い、祝福を受けて生まれてきた王国の希望。父と母の愛情をたっぷりと受けて、孤独なんて知らずに、育ってきた――。
カインは弟を静かに眺めながら、自分の心の動きを観察する。
その境遇を羨ましいと、ちょっと前の自分なら思っていただろう。けれど、不思議なほどに、嫉妬心なんて湧いてこない。むしろ、様々な重圧や期待を背負う事になる、幼い弟に同情を覚えるくらいだ。
それは、きっと――塔での暮らしを知ったからだろう。キャロルや師匠であるアナスタシアのそばにいる事が自分の幸せで、望むものだ。今さら、弟の代わりに王太子にしてやると言われても、少しも心は動かないだろう。むしろ、面倒くささしか感じない。もう、王宮にも玉座にも、両親にも、未練はないのだ。
(こんなものなのか……)
弟と会えば、もっと複雑な気持ちになるのだと思っていた。塔の書庫で呼んだ小説でも、王位を巡って争う兄弟の話が載っていた。憎しみ合い、戦いの果てに王国は分裂して滅んでしまう。そういう物語だった。それを読んだ時、自分も同じような血塗られた道を歩くのだろうかと想像してみたことはある。けれど、その心配はなさそうだ。
無意志に微笑んだカインは、パンを一生懸命咀嚼している弟の頭をそっと撫でた。
権力なんかより、魔法の知識の方がずっとほしい。
贅沢な王宮暮らしより、好奇心を刺激してくれて自由を満喫できる塔での暮らしの方がいい。
両親の側よりも、キャロルや師匠の側がいい。
それはもう自分の中で明確で、少しも揺らぐ事はない。きっと、今の生活を取り上げられ、壊されてしまう方が自分にとっては怖ろしい事で、許しがたい事なのだ。
だから、この弟をうんと大切にしようと思えた。
本来自分が背負うはずだった責任と役目を、代わりに背負ってくれる大事な弟なんだから。
微笑んで頭を撫でるカインを、ミハエルは頬を赤くしてどこかぼんやりしたように見つめていた。食べかけのパンが手から落ちそうだ。カインと目が合うと、うろたえるように視線を泳がせている。
「もう、お腹いっぱい? もっと食べておかないとダメだ」
「う…………ん…………あの………どうして、今日は違う人なの?」
「違う人?」
「いつも、食事を持ってくるのは……男の人だったから」
「ああ、それは……実は忍び込んだんだ。秘密だよ」
カインは人差し指を唇に当てる。ミハエルの目がいっそう大きく見開かれる。
「秘密……?」
「そう。助けにきたんだよ」
「本当に? 父上がつかわしたの?」
「いや……魔女様のお使いだよ」
イタズラっぽく笑って答えると、ミハエルの顔に驚きの表情が浮かぶ。
「魔女……様? それは、呪いをかける……悪い魔女様のこと?」
「そう。その悪い魔女様だ」
「ど……どうして、悪い魔女様のお使いが、僕を……助けてくれるの?」
ミハエルは顔を寄せて囁くような声で訊いてくる。カインは瞬きして首を傾げた。
「そうだね……きっと今回の事は、魔女様の仕業じゃないからだよ」
「僕は……兄上みたいに……魔女様に攫われたんじゃないの?」
「違うよ。他のやつらの仕業だ」
カインは赤くなっている弟の頬にピタリと手を添える。
(ちょっと、熱がある……)
よく観察すると、目がトロンとして息づかいも少し荒い。
「苦しいの?」
カインが尋ねると、ミハエルはブルブルと首を振った。
「大丈夫……」
「ちょっと待って。そういえば……」
カインはエプロンのポケットを探って小さな小瓶を取り出した。
「手を出して」
そう言うと、弟は手を差し出してくる。瓶の蓋を開いたカインは、中に入っていた琥珀色の飴玉を一つ取り出してその手に載せた。
「これは……?」
「蜂蜜の飴」
熱を出して喉が痛かった時に、キャロルがくれた飴だ。おいしくて気に入っているから、持ち歩いている。それが役に立った。
飴を恐る恐る口に入れたミハエルは、「甘くて……おいしい!」と口元を手で押さえる。
「水分もたくさん取らなきゃ。それに、ここじゃ寒すぎる……」
カインはミハエルの手を取って狭いクローゼットから連れ出す。ミハエルはすっかり警戒を解いたのか、大人しくついてきた。フラフラしているから、その体をよいしょと抱え上げる。ミハエルは不思議そうな顔をしてカインを見ていた。
ベッドに下ろしたけれど、上掛けもシーツもあまり綺麗ではない。ずっと使われていなくて、洗ってもいないのだろう。けれど、今は仕方ない。ベッドに弟を横たえて、上掛けをかけてやった。
「もう……いっちゃうの?」
不安げな目をして、ミハエルがカインの袖をつかむ。
「大丈夫、すぐに戻るよ。だから、大人しくしているんだ」
カインはミハエルの額を撫でてから手を離す。そして、足を扉に向けた。
廊下に出ると、気絶の魔法が解けたらしい兵士たちがバタバタと掛けてくるのが見えた。きっと彼らは何をされたのかも覚えていないだろう。
「おい、お前! どこから……」
「大変です。部屋にいた男の子が……熱を出して苦しんでいるんです!!」
大げさにうろたえて声を上げると、兵士たちが足を止めて顔を見合わせる。
「退け!」
カインを押し退けると、兵士たちが部屋の中へと入っていく。
ベッドに寝ているミハエルを見て、熱を確かめていた。ミハエルは後から入ってきたカインに目をやると、大げさに咳き込んで苦しんでみせる。
「確かに……熱いな……なぜ、気が付かなかったんだ!?」
兵士は他の兵士を振り返って怒鳴っていた。
「閉じこもって出てこなかったんだ。仕方ないだろう?」
ミハエルは、「うううっ、胸も苦しい……!」と悶えるように言い始める。
兵士たちは動揺して、いっそう顔が青くなっていた。
「ただの風邪じゃないかもしれないぞ……」
「……医者を呼ぶべきじゃないのか? こいつに死なれたら困るんだろう?」
「あ、あの!」
カインが声を上げると、兵士たちが振り返る。
「私が……薬を持ってきましょうか?」
おずおずと申し出ると、兵士たちは当惑気味に視線を交わす。
「薬が分かるのか?」
「熱を下げる薬なら、厨房の棚にありました。それを飲ませて、様子を見るのはどうでしょう?」
「いいだろう……それを持ってこい。こいつの面倒をしっかり見てやれ。何かあれば、俺たちの首が飛ぶんだ」
「分かりました。任せてください」
カインはニコッと微笑んで、すぐに部屋を出て行った。




