子爵邸
翌日の朝が巡ってきても、私とカインはまだ貴族の邸宅内にいた。朝の日差しが差し込む庭を寝不足気味な顔をして掃き掃除する。一晩過ぎても、潜入している事はバレていない。邸の裏口が開いて、メイドのお姉さんが大きなカゴを抱えて出てきた。
「あんたたち、庭掃除が終わったら洗濯物を洗っておいてね」
下ろされたカゴの中には、シーツがどっさり入っている。
「はいっ!」
私は緊張して箒の柄をギュッと握り締めた。メイドのお姉さんは、「じゃあ、よろしくね~~」と手を振りながら邸内へと戻る。
誰も私達がいる事を不思議に思わないなんて……。
「ねぇ、カイン……おかしいと思わない? なんで気付かれないのかな?」
私はカインに顔を寄せて小声で訊いた。メイド見習いの格好をしているカインが、男の子だって事にも誰も気付かない。ううん、まあ……この可愛さだから気付かなくてもおかしくはないのかも。私は気だるさと、儚げな雰囲気を醸し出している美少女のようなカインを見て、首を傾げた。
単に眠いだけみたいだけど、それがいっそうカインを美少女に見せていた。私なんかよりずっとかわいい。厨房で朝食を食べている時も、使用人の男の人たちがデレデレした顔で話しかけていた。もちろん、カインは素っ気ない対応で、不愉快そうに眉間に皺を寄せていたけどね。
「それなら……この邸の使用人がみんな入れ替えられてるからだ」
「えっ! どういう事?」
「今働いているのは、新しく雇われた人ばかりみたいだ……だから、顔や名前なんてみんな覚えていない」
「それ……どこで聞いたの?」
「朝食を食べてる時、使用人の男がしゃべってた」
そういえば、カインの隣に座っていた従僕がしつこく話しかけていたよね。澄ました顔をしてちゃんと情報収集をしているなんて、カインはやっぱり優秀だ。
「でも……どうして急に新しく人を集めたんだろう?」
「新しく入った使用人なら、邸で何か変わった事があったとしても気付かない。それに、用が済めばたぶん……みんな始末するつもりなんだと思う。そういう人を集めたんだ」
カインの物騒な推測に驚いて、「それって!」と大きな声を出しそうになった。カインがすぐに両手で私の口を塞ぐ。周りを見回したけど、ここは使用人が利用する裏庭だから誰もいない。
つまり、消えたところで不審に思われないような身元の怪しい人たちをあえて雇っているという事だ。それも、この邸のどこかに捕らわれているはずの王太子殿下の事を隠すためだろう。
使用人たちが互いの身元を分かっていないのなら好都合でもある。このまま、メイド見習いとして潜入を続けられる。
「ねぇ、カイン。あなたは戻った方がいいんじゃない?」
顔を寄せてカインの耳元でコソコソと尋ねた。私は平気だけど、カインがいない離宮は大騒ぎになっているはずだ。今まではうまくごまかしていたみたいだけど、さすがに丸一日もカインが見付からなければ、使用人や護衛の騎士も異変に気付く。
ここは私だけでも十分だ。そう思ったけれど、カインは「いい」と平然として掃き掃除を続ける。
「むしろ、僕まで誘拐された事になってるんじゃないかな?」
「それって、ますます大事になるじゃない!」
「後で、どうとでも言い訳ができるって事だよ」
カインはそう言うと、箒を裏口のそばに立てかけて、洗濯物の入った桶を抱える。井戸の方に移動するカインを、私は急いで追い掛けた。
「離宮の人たちが困るじゃない」
「困らせておけばいいんだ」
カインは皮肉っぽくフンッと嗤う。離宮の使用人や護衛の兵の事も気に入らないらしい。
でも、弟殿下が攫われたばかりだから、カインの行方が分からなくなっても、みんな同じように攫われたとしか考えないかも。騒ぎにはなっているだろうけれど、それで王都の警備が厳重になるならその方がいい。誘拐犯たちも、この邸から簡単に弟殿下を移動させられなくなる。後はなんとか弟殿下の居場所を突きとめて、助けを呼べればいいんだけど――。
私もカインも、今のところ弟殿下がこの邸のどこに捕らわれているのか見つけられていない。邸内を捜すのは夜まで待つしかない。でも、昨日の様子だと、夜でも警戒は厳しそうだ。
裏庭の隅にある井戸に移動した私とカインは、下ろした桶の側にしゃがんでシーツを洗う。カインは王子様だけど、塔で手伝いをしていたから洗濯も手慣れたものだ。そんな様子を見て、私はこっそり溜息を吐いた。
「生活力のある王子様だなんて、聞いた事がないわ」
「生活力のある王子様って?」
「カインのことだよ。洗濯だってできるし、芋の皮剥きもできるでしょ」
私が溜息を吐くと、カインはおかしそうに肩を小刻みに揺らす。
「うん……塔での生活が役に立ってる」
「離宮にいればそんな事はみんな使用人がやってくれるじゃない。あえて苦労する必要はないのに」
それでも、カインは塔の方がいいと言う。
うちに来てから、カインはすっかり変わり者になってしまった。
「苦労……かな?」
「苦労でしょ?」
「キャロルが一緒だから、楽しい」
そんな事を言いながら、カインは洗濯板にゴシゴシとシーツをこすりつける。それから「この石けん、安物だ……」と、不満そうにこぼした。
確かに、桶の中に入っていた石けんはあまり泡立ちがよくない。こんな時に、母様があちらの世界から持って帰ってくるよく落ちる洗濯洗剤があればいいのに。私も「そうだね」と呟いて、同じようにシーツを洗う。
私が一緒だから楽しい――か。
私もだよと、私はカインと見合わせて微笑む。こうしている時間ですら、ちょっと楽しいのだ。でも、今は任務中! カインと遊んでいるわけじゃない。
「カイン、この邸の主人って誰だか分かった?」
「ベルナール子爵だ」
「ベルナール子爵?」
名前を聞いても、貴族に詳しくないからピンと来ない。
「でも、変なんだ。子爵はこの邸にいないみたい。誰も顔を見ていないんだ」
「待って、どういう事?」
「もしかしたら、子爵は関わってないのかも」
カインは小声で話す。私はびっくりして瞬きした。
「だって、ここは子爵様の邸なんだよね?」
「邸の壁に蔦が這ってただろ?」
「うん……」
私とカインが猫の姿になってよじ登った蔦のことだ。確かに邸の壁は蔦だらけだ。
「普通……庭師が手入れしてたら、蔦をあんなに放置していないと思うんだ」
カインの青い瞳が思考に沈むように深みを増す。
確かにそうかも。よく見ればこの庭も枯れ草だらけで、あまり手入れされていない。今洗っているシーツも黄ばんでいる。窓にかかるカーテンも随分古いものだ。厨房の棚なども埃がついていた。長く使われていなかったみたいに。
それに、使用人も最近雇われた人ばかり――。
カインの言う通り、変だ。
「つまり……ここって、長く使われていなかった邸って事?」
「うん、その可能性が高い」
空き家になっていた邸を、持ち主の子爵の名前を騙って勝手に使っているという事だ。
もし、事件が明るみになっても、子爵に責任を押しつけられる。子爵は何も知らずに、王太子殿下誘拐の罪を着せられるというわけだ。私は「なんてことなの!」と、憤る。悪い事を考える人たちは、どこまでも卑怯な悪巧みをするものだ。
「キャロル……ちょっと頼みたい事があるんだ」
「私に? いいよ、なんでも言って」
「今夜、邸を抜けてマティスと連絡を取ってほしい……子爵の事とこの邸の事、調べてほしいんだ」
「弟殿下が捕らわれている事も教えるの?」
「うん……でも、すぐに動かないでほしい。警戒されたくない」
騎士たちが押しかけてきたら、捕らわれている弟殿下の身が危ない。自棄になった犯人たちが人質に取って脅したり、殺そうとするかも。それに、逃げられるかもしれない。
「それなら、私が邸に残るから……カインが行く方がいいんじゃない?」
「それはダメだ。キャロル一人じゃ危ない」
カインは険しい顔をして言い張る。
「でも、それならカインもじゃない」
私の身よりもカインの方が大事だ。カインはこの国の王子様だ。カインの身に何かあれば一大事だ。それに、私だってカインの事が心配なのだ。特にカインは男の子だって事を隠してメイド見習いの振りをしている。それがバレたら怪しまれるだけではすまない。きっと生かしてはおかない。
「ダメだ……邸には僕が残る。頼むから、言う事を聞いて」
カインの水に濡れてひんやりした手が、私の手をギュッと握る。
私はその瞳を見て、溜息をこぼした。
「分かったよ。絶対、絶対、無茶はダメだからね。一人で捜そうとするのもダメ。私が戻るまで、大人しくしていて」
私がジッと見て言うと、カインがスッと視線を逸らす。これは、言う事を聞かない時の、気まずそうな目だ。
カインの両手を握って、「カイン!」と強い口調で名前を呼ぶ。頷かないと、私だってカインの要望はきけない。
「…………う、うん……大丈夫。バレないようにするから」
カインは赤い顔をして視線を彷徨わせながら頷く。本当かなと、私は怪しむようにジト目になる。それから、溜息を吐いて手を離した。
水滴が桶の中に落ちる。
「まあいいわ……マティスさんに会って、伝えればいいのね?」
すぐに邸に戻ってくればいい。カインは「ありがとう、キャロル」と、にこりと笑っていた。そんな無邪気な顔をされると、文句を言えなくなる。分かってて言うんだから、カインはちょっとズルい。
◇◇◇
その日の夜、遅い夕食を取ってから、片付けを終えて部屋に戻る。私達の部屋は屋根裏にある使用人部屋だ。カインは女の子という事になっているから、私たちは同じ部屋だ。私はすぐに猫の姿に変身して天窓から屋根に出る。
「気をつけて、キャロル」
窓縁で見送ってくれるカインを振り返り、返事のかわりに小さく鳴く。暗闇に紛れ、蔦を伝いながら庭に下りた。振り返ると、まだ天窓が開いていてカインが心配そうに見ている。
私よりも、カインの方が心配なのに。
早く戻ってこようと決めて、私は小走りに庭を通り抜けた。今夜も邸には煌々と灯りが点き、見張りの男たちが至る所に立っていた。
街中も相変わらず物々しく、捜索の兵や騎士たちがうろついている。昨日よりも数が多いような気がした。
人のいない静かな通りを猫の姿のまま通り抜けて魔導具店まで戻ったところで、人の姿に戻った。
ドアを開いて中に入ると、「キャロル!」とおじさんが驚いた顔でカウンターから出てくる。
「お前、どこに行ってたんだ!」
「ごめんなさい。ダーシーおじさん、ちょっと色々調べてたの。それより、マティスさんをすぐに呼んでほしいんだけど、おじさんは家を知っている?」
マントのフードを脱いで尋ねると、おじさんが怪訝な顔をする。
「マティスをか? もしかして、何か分かったのか」
「うん、ちょっと調べてほしい事があるの」
「それなら、あいつを呼んできた方がよさそうだな……」
おじさんは顎をさすって言うと、私にここで待っているように言い残して店を出て行った。街中は警備が厳しいから、夜中に子供の私を連れて歩いていると不審がられると思ったみたいだ。
店の作業部屋で待っていると、そのうちにおじさんとマティスさんの声がした。二人はすぐに作業部屋にやってくる。
「キャロル、まさか王太子殿下の居場所が分かったのか?」
私の顔を見ると、マティスさんは真っ先にそう尋ねた。
「うん、昨日カインが持っている受信機のペンダントに反応があったの」
「どうして、すぐ知らせねーんだ! いや、それより、子供だけで殿下を捜しに行ったんじゃねーだろうな?」
マティスさんは私のそばに膝をついて肩をつかむ。険しい顔になっていた。
「場所だけ確かめようとしたんだよ! 王太子殿下が捕らわれてる邸は見つけたんだけど……」
私が首を竦めて答えると、マティスさんとおじさんは顔を見合わせる。
マティスさんは「ちょっと、待て」と私の話を遮り、防音魔法をかける。
私がカインから頼まれていた事を伝えると、マティスさんは眉間に皺を寄せて考え込んでいた。
「ベルナール子爵……確か、八十を過ぎた爺さんだ。脚を悪くして領地の邸にこもりきりのはずだ。確かにそれはおかしいな……王都に出てくるはずもねぇ」
「その子爵様は、どういう人? 母様と関係がある人?」
「いいや。子爵の話は何年も聞いたことがねーよ。死んだって噂も聞いていない」
じゃあ、やっぱりカインの言う通り、空き家になっていた邸を勝手に使われているだけかも。
「マティスさん、そのベルナール子爵様の事をもう少し調べてほしいの」
「そりゃいいが……殿下を救出する方が先じゃねーのか?」
「そっちは……ちょっと待ってほしい。殿下が捕らわれてる部屋も分かってないし……騒ぎが大きくなれば、かえって危なくなるでしょう?」
「おい、キャロル。まさか、子供だけで無茶するつもりじゃないだろうな」
おじさんが怖い顔をしてズイッと寄ってくる。もう、邸に潜入しているとは言えなくて、「分かってるよ」とごまかしておいた。でも、ダーシーおじさんは疑っているみたいで、「本当かぁ?」と怪しむような目になる。
マティスさんまで、「そうだぞ!」と私の頭をグイッと押さえる。
「子供は大人しくしてろ! 殿下の居場所がつかめただけでも上等なんだ。そういや、あいつ……いや、第一王子はどこにいるんだ? まさか……」
「離宮じゃないかな! カインはほら……王子様だし?」
私は視線を泳がせながら慌てて答えた。
マティスさんも、ダーシーおじさんも、ジッと見てくる。
絶対、不審に思ってるよ。
「おい、マティス」
「ああ、そうだな。こいつはすぐに居場所を確認した方が良さそうだぜ。おっさん、キャロルを見張ってろ。危なっかしい事をしでかす気みてーだからよ」
「分かってる。おい、キャロルよ……部屋に戻って今日はさっさと休め!」
おじさんに促されて、私は渋々自分の部屋に上がる。
今は素直に言う事を聞いておいた方がいい。
マティスさんはすぐに店を出て、調べに向かったみたいだ。きっと、離宮が騒ぎになっている事は耳に入るはだろう。困ったなぁ。




