痕跡
夜、離宮から少し離れた公園でカインと落ち合う。白い猫の姿でやってきたカインは、魔法を解いてホッとした表情を浮かべた。離宮を猫の姿で抜け出すのは初めてだから、うまくいくか不安だったのだろう。
「誰にも見つからなかった……」
「うん、上出来だよ」
猫になったカインの姿を見て、王子だと思う人はいないだろう。私たちはマントのフードをしっかりかぶり、キョロキョロしながら公園を出る。夜更けだから、通りは誰も歩いていない。カインの手を取って、急ぎ足で離宮から離れる。寒くて、息が白くなった。
教会は離宮からもそう離れていない。聖堂の扉は閉じられていて、灯りも漏れていなかった。側廊の扉も閂がかかっているようで開かない。入れそうなところを探していると、カインが私のマントの袖を引っ張った。
「キャロル。あそこ……窓がちょっと開いていないかな?」
カインが小声で言って、聖堂の上の窓を指差す。かなり高い場所だから、暗がりの中だと目を懲らさないと見えない。
「よく見えたね」
私は感心してカインを見た。ほんの少しだけ、窓が開いている。でも、人が通れるほどの隙間ではない。
「でも、ちょっと高くて上れないんじゃないかな……」
落ちたら、無事ではすまないような高さだ。少し考えていたカインは、ステッキを取り出して宙に魔法陣を描く。もう一度白い猫の姿になると、外壁を伝って登り始めた。
「カイン! 危ないよ……っ!」
私は小声で呼びかける。聖人の石像の上によじ登ったカインは、振り返って大丈夫だというように鳴いた。確かに猫の姿になるほうが、高い所に登るのは便利だ。でも、カインが足を滑らせて落っこちないかと心配で、下で見ている私はハラハラする。カインはほんのわずかな壁の凹凸を足場にしながら登っていき、開いている窓に飛び移る。そして、スルッと中に入っていった。
私も猫に変身して、カインの後を追うべきだろうか。でも、ちょっと高くて怖い。迷っていると、人の姿に戻ったカインが窓から顔を出す。
「待ってて!」
カインはそう言うと頭を引っ込めた。言われた通りに待っていると、側廊の扉が内側から開く。辺りを確かめてから、私は駆け寄って中に忍び込んだ。扉を閉める音が、静まり返った通路に響く。その音に少しだけドキッとしたけれど、通路には誰もいない。灯りも消えているから真っ暗だ。私は魔法鞄をさぐって、筒の形をしたものを取り出す。
「……それは?」
「カイチュウデントウって言う魔導具みたいなものだよ」
これも母様が〝あちらの世界〟から持って帰ってきた便利グッズの一つだ。魔導具と説明したけれど、本当は魔力は一つも使われていない。スイッチを押すと、パッと灯りが点く。それも、ランプよりずっと明るい。びっくりして立ち止まったカインは、私が握っている懐中電灯に目が釘付けになっていた。
「持ってみる?」
「いいの!?」
「うん、人が来たらすぐに灯りを消すんだよ」
私はスイッチの場所をカインに教えて懐中電灯を渡す。カインは恐る恐るスイッチを押してみていた。その途端、灯りが消えて暗闇に戻る。もう一度スイッチを押すと、また灯りが広がった。ランプよりずっと便利だ。
「これはすごいものだ……」
カインは感動したように呟く。すっかり懐中電灯の虜になっているらしく、灯りでそこかしこを照らしてみている。通路には聖人や天使の石膏像が飾られていた。
「キャロル……どうやって、魔法の痕跡を探すの?」
「それは、母様の魔導具を使うよ」
私は鞄の中から、小さなオモチャを取り出した。台座の上に木彫りの風見鶏がついている。それは風に吹かれた時と同じように、クルクルと回転していた。その風見鶏がピタッと止まる。魔力を感知して動くのだ。塔から持ってきておいて正解だったよ。
「こっちみたい」
私は魔導具を手に乗せて、矢印の方向に歩き出す。カインが懐中電灯で照らしてくれた。回廊の途中にある階段の前で、風見鶏が向きを変える。私とカインは顔を見合わせてから、階段を上がった。誰かに遭遇しないといいけれど。
二階の通路に出ると、風見鶏がまた方向を変える。通路を曲がり、さらに進んで行くと、突き当たりまできたところで風見鶏がクルクルと回り出す。ここが魔力の発生源?
でも、突き当たりには何もない。あるのは天使の石膏像だけだ。その顔に、カインが懐中電灯を向ける。暗がりに浮かぶ姿はちょっと不気味でもある。
「ここで魔法を使ったのかな?」
カインが呟く。通路の窓から外を覗いてみると、聖堂の屋根と広場が見えた。国王様たちがガーゴイルに襲われた場所だ。ここなら、確かに魔法を使うのにぴったりな場所かもしれない。
「カイン、この辺りに何か魔法陣のようなものが描かれていないか確かめてみて」
私が言うと、カインは頷いて壁や石膏像の周りを灯りで照らす。その時、通路を歩く足音が聞こえた。カインもピタリと動きを止め、すぐに灯りを消す。
私はカインを引っ張って、石膏像の台座の後ろに姿を隠した。息を詰めていると、ランプの灯りが近付いてくる。心臓がドキドキしていた。
カインも同じように緊張しているようで、繋いだ手はちょっと汗ばんでいる。私はその手をギュッと握った。
ランプの灯りが通路を照らす。やってきたのは、若い見習いの司祭のようだ。眠そうに欠伸を漏らすと、足の向きを変えて戻っていく。見まわりをしていたのだろう。
私とカインは止めていた息を同時に吐き出す。足音とランプの灯りが遠ざかり、完全に消えるのを待ってからカインが懐中電灯の明かりを点ける。台座の陰から出ようとしたカインを、「待って!」と呼び止めた。
大理石の台座に、赤い汚れがついている事に気付いたからだ。裏側だから、普通なら誰も気付かない場所だ。カインも浮かせた腰を下ろして、灯りを台座に向ける。
「…………何だろう? インクかな?」
「ううん……血だと思う」
それも、血で何かを描いた跡だ。こすって消してあるから、何が描かれていたかまでは分からない。指で触れてみると乾いていた。
「人の血……かな?」
「術者の血かも」
私はポケットからハンカチを取り出して、汚れを拭い取る。この血にも魔力が残されている。この血から、誰のものか特定できればいいんだけど。特別な魔導具でもなければ難しいだろう。
他にも何か証拠になりそうなものはないかと、私とカインは台座の周りを確かめる。
「キャロル……これ、何かな?」
カインが私のマントの袖を引っ張った。振り向いて見れば、台座の下の部分がちょっとだけ焦げていて、何かの燃えかすが残っていた。指で触れて匂いを嗅いでみると、甘い香りがする。その匂いには覚えあった。
「ブラックリリスだ……」
独特の甘い香りがするから間違いない。母様の実験室にも乾燥させたものが保存してある。黒い花を咲かせる野草で、植物図鑑にも絵が描かれていた。根や葉には強い毒性があるから、触れるとかぶれてしまう。口に入ると痺れが出たり、時には死に至る事もあるため、暗殺に利用される事もある。
この野草の甘い香りは魔物が好む。燃やせば、特に甘い香りが強くなるため、黒魔術では魔物を呼び寄せる時に利用されると本に書かれていた。ただ、かなり高地にしか咲かない野草だから、簡単には手に入らない。
「やっぱり、ここで誰かが魔法を使ったんだ……」
それも、禁術とされる黒魔術だろう。ガーゴイルは偶然現れたわけじゃない。
ただ、それ以上の事は分からなかった。
他に魔法の痕跡がないか確かめてから、私とカインは教会を出た。
◇◇◇
大通りに出ると、夜でも酒場や食堂は開いていて、浮かれ騒ぐ人の声が聞こえていた。屋台も出ているけれど、外で食事をするのはちょっと寒い。食堂に入ると、仕事帰りの大人たちがお酒を飲んでいた。
店のお姉さんが、私とカインを奥の席に案内してくれる。
「あんたたち、子供二人だけ?」
「はい……お父さんとお母さんは帰りが遅くなるから、お店で食べてきなさいって言われたんです」
「そうかい。しっかりしているんだね。何にする?」
「ええっと……適当にお勧めの料理をお願いします。子供二人が食べきれるくらいの量で」
「任せておきな。味は保証するよ」
お姉さんは笑って、厨房へと引き返す。
待っていると、野菜のスープが運ばれてきた。寒かったから、熱々のスープは嬉しい。それに、味も悪くなかった。それを飲んでいる間に、お姉さんが香草と塩で味付けしたチキンソテーを運んできてくれる。こんがりと香ばしく焼けたお肉から、脂が滲みだしている。それに、パンやサラダが添えられていた。カインはソテーが気に入ったのか、美味しそうに頬張っている。
「すごくおいしい……」
「うん、そうだね。この味付けは覚えて帰りたいよ!」
モリモリ食べていると、お姉さんがサービスだと言って温かいレモネードを出してくれた。パンは硬めだけど、ゴマがたっぷり入っていておいしい。このお店にして正解だ。これなら、また足を運びたくなる。
「ガーゴイルは、黒魔術であの場に呼び寄せられたって事?」
お腹が満足したところで、カインが口を開く。周りの人たちには聞こえないように小声だ。
「そうだと思う……ブラックリリスを使った黒魔術のやり方は、母様が持っている本の中にも書かれていたもの」
「……じゃあ、犯人は黒魔術師なのかな?」
「もしくは、誰かが黒魔術師に依頼したのかもね」
「黒魔術師って……魔物を呼び出すような依頼も受けるの?」
「それはお金次第だよ。危険だし、禁術を行えば捕まって処刑されてしまうでしょう? だから、たくさんお金を積まないとやってもらえないんじゃないかな」
私も黒魔術師の知り合いなんていないから、よく分からないのだ。母様は悪い魔女と言われているけれど、黒魔術師ではない。人を生贄にして悪魔を呼び出したり、悪魔と契約したり、さらには魔物を召喚したりするような術は使ったりしていない。と、思うんだけど、正直あまり自信がなかった。母様は危険な魔法や魔術も、時々研究しているから。カインを呪ったって言われているしね。
「黒魔術師って、王都にもいると思う?」
「うん、たぶんね。でも、自分で黒魔術師って名乗っている人はそういないよ。きっと隠れてやっているんだと思う。だから、誰がやったのかなんて分からないんだよ。黒魔術関係の本は禁書扱いになっているものが多いから、手に入りにくいだろうし……研究するのも難しいの。それに、黒魔術は代償を伴うって母様の持っている本にも書かれてた」
「代償?」
カインと私は顔を突き合わせて、ヒソヒソした声で話す。周りの大人たちの声が大きいから、他の人に聞かれる危険は少ない。
「うん……自分の命だったり、他人の命だったり、生贄が必要だったり、色々だよ。自分の目玉を捧げて人を呪っていた人もいたよ。だから、簡単にやれるものじゃないの。よっぽどじゃなきゃ、やらないよ」
自分の命や身体の一部を捧げて他人を呪うなんて、深い恨みがないとできないだろう。
「僕らだけじゃ、黒魔術師の事は調べられない……」
カインは難しい顔をして呟く。その通りだ。私達が調べるには限界がある。
「誰か信用できる大人の協力がいるかもね」
「……でも、そんな大人、知らない……」
「私もだよ。母様の濡れ衣を晴らすのに協力してくれそうな大人なんて……ダーシーおじさんなら、誰か信頼できる人を紹介してくれるかもしれないけど」
ダーシーおじさんは魔導具店の店主であって、魔法使いではない。今回の事件を調べるには、魔法使いの協力が必要だ。ハンカチで拭ったあの血に残されている魔力を解析するのも、大人の協力が必要不可欠だ。それにその解析は、設備の整った魔法の研究施設に頼まなくてはいけない。
「解析ができるとしたら、王立魔法院くらいかな」
「王立魔法院?」
「うん……あそこなら、優秀な魔法使いがたくさんいるでしょう? でも、王立魔法院の魔法使いに命令できるのは国王様くらいだよ」
中に入るのも特別な許可が必要になる。王立魔法院に所属する魔法使いなんて、簡単に会えるものではない。まして、個人的な依頼を行うのは無理だ。
「僕が頼んでもダメかな……?」
「カインは王子様だから、入る事くらいはできるかもしれないけど……それだと、国王様の耳にもすぐに入るよ」
こっそり調べる事なんてできないだろう。それに、カインは幽閉されている王子だ。王立魔法院に行かせてくれと頼んだところで、許可が下りるとは思えない。
カインは「王子なんて……少しも役に立たない」と、深く溜息を吐いていた。もう少し大人だったら、相手にしてもらえたかもしれないけれど、私達はただの子供だ。追い払われるだろう。
「とにかく、ダーシーおじさんに訊いてみるよ。それ以外にないもの」
お姉さんにお会計を頼み、食事代を支払って店を出る。もう、深夜を回っているようだ。カインは離宮に戻り、私はダーシーおじさんの魔導具店に戻る。店はもう閉まっていて灯りが消えていた。裏口から中に入り、部屋に上がる。
魔女の濡れ衣を晴らすのに協力的な魔法使いなんているのだろうか。あまり期待できそうになくて、ベッドの端に座り溜息をついた。
明日になってから考えよう。




